デフサッカーで世界一を獲る。彼の言葉に迷いはなかった。世界一とは先天性の聴覚障害を抱えている山田遥大(スポ2=茨城・東洋大牛久)にとって、ただ頂点を目指すことではない。自分の人生を肯定し、支えてくれた人たちへの恩返しと、同じ境遇にある誰かの希望になるための挑戦だ。夢の実現のため、より高いレベルを求めア式に入部し、仲間に支えられながら世界との差を埋め続けている。その挑戦の先に見据えるのは、世界一という称号だけではない。
山田遥は生まれつき耳が聞こえなかった。2歳の頃にそのことが判明し、補聴器を着けて生活するようになった。当時は言語能力も十分ではなく、日本語を発話することも難しく、発音をからかわれ、傷付くことも少なくなかった。
サッカーとの出会いは、そんな頃だった。ボールを蹴るのに言葉はいらない。その魅力に引き込まれ、夢中でボールを追いかけた。そんな山田遥がひたむきにボールへ向き合う姿を見て、父は何度も一緒にボールを蹴ろうと誘ってくれてますますサッカーを好きになっていく。
チームに所属してサッカーをしたいという思いがあったものの、ボールが頭部に当たる危険性を理由に医師の許可が下りず、ようやく中学2年生の夏にようやくピッチに立つことができた。
そんな山田遥がデフサッカーを始めたのは高校1年生の頃。ルールは変わらないけど、補聴器を外してプレーするということを知り興味を持った。それまで補聴器を着けながらサッカーをしていた山田遥にとって、補聴器を外してプレーすることに不安を感じながらも、デフサッカーという競技が山田遥の挑戦意欲を掻き立てた。
高校2年時に出場したデフサッカー全国大会では、チームを3位に導き、自身も優秀選手賞を受賞。その卓越したプレーから、周囲からは「天才」と評される存在となった。
そして高校3年時、ある決意を固める。デフサッカー日本代表のワールドカップ決勝をテレビで観戦した時だった。あと一歩のところで世界一を逃した日本代表の姿を目の当たりにし、「俺が絶対に日本代表を世界一にする」と強く心に誓った。

ボールを運ぶ山田
「世界一になるためには、もっと強くならなくては」山田遥はより成長できる環境を求め、ア式蹴球部への入部を決意した。通過が難しいと言われる入部テストにも夢のためにがむしゃらに挑んだ。結果的にテストに合格し、晴れて入部が決まった。
それからというもの、全力で練習に励んだ。世界と自分の差を埋めるためにひたすらボールを蹴り続けた。名だたるJリーグユースチーム出身の選手や超世代級の選手がひしめき合うア式という組織で、試合に出るために、自分の存在感を出すために、練習前には自らランニングを行い、ひたすらもがき続けた。レベルの高い周りの選手についていくために死に物狂いで練習を積んだ。気づいたら、自分のプレーの基準も徐々に上がっていった。もちろん、レベルの高い環境にいることで悔しさを味わうこともある。試合に出れないこと、自分に嫌気がさすほどプレーが上手くいかないこともあった。そんな、困難に直面しても、前を向き続けた。自分が抱えている負の感情をノートに整理することで乗り越えた。
「もっと強くなりたい」その思いを叶えることは自分一人の力だけではできない。周囲の協力により自分の夢への努力は成り立っていると山田遥は語る。障害を持った選手を受け入れるという前例のない挑戦にもかかわらず、ア式は山田遥を受け入れた。チームメートは練習メニューが変わるたびに近くまで来て、次の内容をゆっくりと丁寧に伝える。一人ひとりが「どうすれば伝わるか」を考えながら接してくれる。その恵まれた環境に山田遥は深い感謝を抱いている。
夢の実現のためには十分すぎるア式という環境で自分と向き合いながら積み上げてきた努力に対しては、一定の手応えを感じながらも、「まだ足りない」と山田遥は言い切る。5月に行われたU23デフサッカーワールドカップ決勝では、相手の放ったシュートが山田遥の右足をかすめ、そのままゴールへ吸い込まれた。この失点が決勝点となり、日本は世界一を逃した。「あと数センチ相手との距離を詰めることができていれば、防げていたかもしれない」と当時を振り返った。しかし同時に、その数センチこそが世界一との大きな差だったと語る。その差を埋めるため、山田遥は現在、ア式での日々の練習の中で予測力を高めることを意識しながらプレーを続けている。

プレー中の山田
山田遥の世界一への挑戦は、決して自分自身のためだけのものではない。これまで自分を支えてくれた両親や監督、コーチや仲間たちの想いや期待に応えたいという思いが山田遥の夢を支える力になっている。幼い頃、初めてボールを蹴る楽しさを教えてくれた両親。デフサッカーとの出会いを後押ししてくれた高校時代の指導者。前例のない挑戦であるにもかかわらず、自分を受け入れ、ともに高みを目指してくれるア式という組織とア式の仲間たち。その一人ひとりの存在が、山田遥を世界一という夢へと突き動かしている。
そして、自分と同じように障害を抱えながら挑戦する人たちの背中を押したいという思いも、その原動力になっている。「スポーツだけじゃなくて、障害を持っている人は少数派になりやすい。でも、経験上、しっかり事情を話せば8割くらいの人は寄り添ってくれる。残りの2割に怖がって心を閉ざすのではなく、その8割を信じて、勇気を持って挑戦してほしい」と話した。
世界一への挑戦は、自分の人生を肯定するため。そして、自分を信じてくれる人の想いや期待に応えるため。さらに、その姿を通して、同じ境遇にある誰かが「自分も挑戦してみよう」と思えるきっかけを届けるためだ。
さまざまな人の思いを背負いながら、山田遥の世界一への挑戦は、今日も続いている。
(記事 本多鼓瑚、写真 ア式蹴球部提供)
