【連載】ラグビー部 卒業記念特別連載『Bound by love』 山口湧太郎

特集中面

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憧れを超えて

 「早稲田ラグビーへの憧れが自分の人生を作っている」。そう語ったのは山口湧太郎(スポ4=神奈川・桐蔭学園)だ。幼いころからテレビで見ていた早慶戦。早大ラグビー部への憧れを胸に浪人生活を経て早大へと進学する。ルーキーイヤーから『赤黒』を背負い順風満帆な大学ラグビー生活を送っていた山口だが、ラストイヤーの全国大学ラグビーフットボール選手権大会(大学選手権)・決勝でグラウンドに立つことは叶わなかった。早大ラグビー部への憧れと苦悩、そして4年間を戦い続けた山口の人生に迫る。

4年時、大学選手権・関東学院大戦でディフェンスに仕掛ける山口

 山口のラグビー人生の幕開けは小学生時代からである。早大ラグビー部出身の父の影響もあり、幼馴染の渡邉琉斗(法4=東京・本郷)の父がヘッドコーチを務めている世田谷区ラグビースクールでラグビーを始める。そこで待っていたのは毎日2キロのランニング、土曜日は朝5時に起き、遠方に練習試合に赴くなど、想像を超える厳しい練習の数々だった。山口は世田谷区ラグビースクールで「どんなきつい練習でも耐えることのできる体とメンタルのタフさを身につけた」と語る。その後はラグビーが強いチームに行きたいという思いから、桐蔭学園中高に進学する。山口の高校時代は新型コロナウイルスが流行し、全国高等学校ラグビーフットボール大会(花園)も無観客開催。とてもイレギュラーな大会になったが、見事に優勝し、佐藤健次(令7スポ卒=現埼玉WK)らとともに王座を勝ち取った。父が早大ラグビー部出身ということもあり、幼い頃から早慶戦を観戦しており、「自然と大きくなったら早稲田でラグビーをやりたい」と考えていた。山口は一浪を経て早大に入学するが、「浪人期間は自分の人生を見つめなおすいい時間だった」と振り返る。そして幼馴染である渡邉を誘い新人練習に参加することを決意。しかし、新人練習では想像を絶する過酷な日々が待っていた。「琉斗は僕がラグビー部に誘ったので自分が負けるわけにはいかなかった」。幼馴染の存在と桐蔭学園高時代の仲間が心の支えになり、乗り越えることができたのだ。

3年時、対抗戦・慶大戦でキャリーする山口

 「早稲田で一番苦しかったのは2年生の時です」そう振り返る山口にとってこの1年間は試練の連続である。関東大学対抗戦(対抗戦)は全試合出場し、スターティングメンバーとしてグラウンドに立ち続けた。一見すれば順調そのもの。しかし山口の胸中は全く違うものであった。「正直なところ、実力は全然足りていないと感じていた」。必死に『赤黒』にくらいついていくのが精一杯で、もがき続けた時間だった。そんな苦労の中でも、「この時間が自分をラグビー選手として成長させてくれた」と振り返る。また、3年時の大学選手権・決勝に出場した山口だが結果は帝京大相手に15ー33と敗北。高校時代は同期だった佐藤を優勝させることができなくて悔しい思いで一杯だった。

3年時、対抗戦・慶大戦でディフェンスを振り切る山口

 そして最終学年を迎えたとき、山口の胸にあったのは大きな喪失感である。「ずっと心に穴が開いたような感覚だった」。一つ上の代への思い入れは人一倍強い。共に過ごした時間、支えてもらった日々、何より桐蔭学園高時代の仲間が散っていく姿は想像以上に心に重くのしかかる。しかし、練習を重ねるにつれてその感情は変化していった。「次第に今度は早大の同期と一緒に勝ちたいという思いが強くなった」。喪失感はやがて最上級生としての覚悟へと変わる。野中組として始動した新チーム。自分たちの代で『荒ぶる』をとるために山口のラストイヤーが始まった。迎えた春シーズン、同ポジションの主力である杉本安伊朗(スポ3=東京・国学院久我山)がU23日本代表活動でチームを離れていた。その影響もあり、山口には先発出場する機会が巡ってくる。これまでリザーブとしてチームを支えることも多かった山口にとって、継続して試合に出場できる春シーズンは自身の力を証明する絶好の舞台だった。「スタメンで出場することができて、最終的に春季大会の帝京大に勝ち切れたことは大きな自信になった」。前年の大学選手権優勝校であった帝京大に勝利を収めたことはチームにとっても、山口にとっても大きな意味を持つ。厳しい試合を勝ち切った経験は、自分たちの力が通用するという確かな手応えを与えてくれた。

4年時、ジュニア選手権・帝京大戦でヒットする山口

 自信をつかみ始めた春シーズンの後、山口には思わぬ試練が待っていた。「夏合宿の前に怪我をしてしまい、出遅れてしまった」。秋の対抗戦へ向けてチームが準備を進めていく大事な時期。万全の状態で夏を迎えたかったが、思うように体を動かせない時間が続く。コンディションを整えきれないまま迎えた合宿。さらに不運が重なる。山口は感染症を患い、合宿への合流も予定より遅れることになった。「出遅れてしまったという気持ちが強かった」。 春に得た手応えがあったからこそ、チームから遅れてしまうことへの焦りは大きかった。迎えた秋シーズン、山口は試合に出場することはできたが、抱えていた不安は消えることがなく、メンタルコーチに相談することに。メンタルコーチと対話を重ねることで次第に自信を取り戻していく。そんな山口にチャンスが訪れる。大学選手権初戦の関東学院大との戦いで出場機会を得ることになる。「この試合でアピールできないと残りの試合は出れないと思っていた」。覚悟を持って臨んだ試合で「試合自体はいい出来で自分の持てる力を出し切ることができた」と語る。しかしその後『赤黒』のジャージを着ることは叶わない。それでも早大の勝利のために練習でAチームのために全力を尽くす。チームは大学選手権決勝で明大に惜しくも敗北。『荒ぶる』を歌うことはできなかった。この時山口は自身の心境を「悔しい気持ちもあったが、なんで自分がグラウンドに立っていないんだという気持ちも強かった。負けてしまった悔しさと試合に出れない空虚さが混ざり合って複雑な気持ちだった」と語った。

4年時、ジュニア選手権プレーオフトーナメント・東海大戦で走り込む山口

 山口は卒業後もラグビーを続けることを決意。これまでは早大ラグビー部が唯一無二の目標であり、卒業後の進むべき道を決めきれずにいた山口だが、「誰しもができることではない」と背中を押されたことをきっかけにリーグワンへ挑戦することを決め、釜石SWに入団する。「自身の強みであるセットプレーを伸ばしつつ、早大で学んだフィールドプレーも大事にしていきたい。リーグワンでも絶対負けないスクラムを作り上げる」と展望を語った。これまでの4年間を「憧れ」と称した山口。早大ラグビーに憧れ続けてきたこれまでの人生。リーグワンの舞台でプレーを続ける彼の背中はきっとまた誰かの憧れになるだろう。

(記事 髙野凌世 写真 村上結太、安藤香穂、大林祐太)