【連載】『平成27年度卒業記念特集』 第49回 齋藤太一/バドミントン

バドミントン

冷静に、そして熱く

 少数精鋭のバドミントン部にとって、齋藤太一(スポ=福島・富岡)は絶対に欠かせない存在であった。その強さの裏には、類いまれな才能と日々の努力の積み重ねがある。落ち着いてインタビューに答える齋藤の姿は、満足げであると同時に、その先を見据えていた。「チームのことに関して大変だと思う事はなかった」。そう言い切った齋藤は、4年間を振り返って何を思うのだろうか。

 齋藤にバドミントンを始めるきっかけを与えたのは両親だった。軽い気持ちで始めてみたものの、見る見るうちにその才能は開花する。小学生のころから本格的に競技を始めた齋藤は、いつしかバドミントンに夢中になっていた。そして、福島にある中高一貫の強豪校に行くことを決心する。寮生活は慣れないことも多かったが、その6年間は確実に齋藤を成長させた。そんな齋藤が次の進学先として選んだのがワセダである。選手が主体となって自分のやりたいことができるうえに、実家から通える範囲に大学があるというのは、齋藤にとって理想の環境だった。「お金の面で親にもそこまで負担をかけさせなかったのが良かったと思う」。いつも支えてくれた両親へ感謝の気持ちを忘れることはなかった。

ダブルスで、三度学生の頂点に立った齋藤

 齋藤が4年間で一番印象に残っている試合として挙げたのが、1年目の全日本学生選手権(インカレ)の男子ダブルスだ。ルーキーとは思えぬ活躍を見せ優勝する。齋藤自身、優勝した喜びよりも、なぜ優勝できたのかという気持ちのほうが強かったという。そんな劇的な勝利を収めてから1年が経ち、翌年も頂点に輝く。続く三連覇にも大きな期待が寄せられる中、齋藤を待ち受けていたのは、準決勝敗退という結果だった。「気持ち的にも二年連続で優勝しておごっていた部分があった」と、冷静に当時のことを振り返ったが、その悔しさは人一倍強かったに違いない。しかしここで立ち止まらないのが齋藤である。「自分の姿勢を考え直さなきゃという気持ちになった」。逆境を力に変え、最後のインカレでは王者へと返り咲き、有終の美を飾った。

 関東大学リーグ戦(リーグ戦)でも下級生のころから主力として起用されていたが、常に挑戦者という気持ちで臨んでいた齋藤。それに対してとくにプレッシャーは感じなかったという。しかし上級生になるにつれ、絶対に負けられないという思いが強くなり、少しずつプレッシャーを感じるようになる。そんな齋藤にとって、ペアである古賀輝(スポ=埼玉栄)の存在は何よりも大きかった。「一人じゃない、パートナーとの助け合いがダブルスの魅力の一つ」。調子が良い日も悪い日も、お互いをカバーし合いながら、数々の試合をものにしてきた。絶対的な信頼関係があるからこそ繰り出される、息の合った熱いプレー。ワセダを幾度となく救ってきたその姿は、見る者の目にも焼き付いたはずだ。

 卒業後も、齋藤と古賀輝は同じ実業団で活動していくことが決まっている。実業団の選手を相手にどのようなプレーを見せてくれるのだろうか。「東京五輪は目指しているけれど、目指していいステージにはまだ立てていない。日本一になってからやっと目指していると言っていいと思う」と謙虚に語った齋藤は、客観的にものごとを考え、常に自分と向き合っている。コートの上で慌てるそぶりを見せたことは一度もない反面、心の奥底には熱い思いがある。「まずは日本一」と力強い言葉でインタビューを締めくくった齋藤は、既に次のビジョンを思い描いているかのようだった。いざ次のステージへ――。齋藤の人生はこれからもバドミントンとともにある。

(記事 田中佑茉、写真 佐藤亜利紗)