#atarimaeni CUP 準決勝 山田晃士、阿部隼人 コメント全文

ア式蹴球男子

セービング、キック、そして山田の鼓舞は幾度となくチームを奮い立たせた

(写真は11月3日、流通経大での山田 インタビューはオンラインで実施)

GK山田晃士(社4=浦和レッズユース)

――シーズンを終えての今の率直な気持ちを教えてください

 

一つはタイトルが取れず悔しかったという思いです。そしてもう一つは寂しいなという思いです。タイトルを取って、笑いあって、みんなでわちゃわちゃして、みたいなものが思い描いていた姿でしたが、それが一度もできずに終わってしまって。もうみんなとサッカーをすることはないんだと思うと寂しいです。

 

――サッカー早慶戦前のインタビューで、もちろんタイトルを撮りたい思いは強いが、それ以上にみんなが喜んでいる顔が見たい、という言葉がありました。その思いはシーズンを通して変わらなかったですか

 

そうですね。自分なんかが言うのはおこがましいかもしれないですが、西前(一輝主務、スポ4=FC町田ゼルビアユース)や杉山(耕二主将、スポ4=三菱養和SCユース)や、同期の4年生、外池さん(外池大亮監督、平9社卒=東京・早実)も今年すごく俺たちに寄り添ってくれたのですが、そういった人たちが報われてほしかったという思いが一番強いです。タイトルが取れずに悔しいという思いよりも、頑張っていた人たちが報われなかったという感じがものすごく悔しいという気持ちです。

 

――リーグ戦、アミノバイタルカップでは2位。今大会でも3位と、難しい状況の中においても安定した成績を残すことができました。これらの結果はどのように受け止めていますか

 

一つは外池さんもおっしゃるように、この難しいシーズンを安定して戦うことができたことは素晴らしいことですし、杉山を筆頭に全員が一生懸命やり続けた結果だと自分も思います。ただ一方で、自分でいうのもなんですが結構頑張っていた感はあって、スギ(杉山)とか西前は自分よりも頑張っていたと思うので、向かわれてもよかったのではないかなとどうしても思ってしまいます。

 

――後輩たちからは何度も4年生のためにという言葉が聞かれました。その思いは4年生に届いていましたか

 

間違いなく届きました。そう言ってくれていましたし、実際にこの外池さんのチームは4年生が、学生主体という形でやっていくのですが、至らないことがあったにもかかわらず一緒に走り続けてくれていたので彼らの想いは本当に伝わっていました。

 

――準決勝には杉山主将が欠場というかたちになりました。どのような言葉を交わされましたか

 

スギ自身いろいろな思いがあるだろうなと思っていました。彼からは連絡が来て、できる事をやりますし一緒に戦いますという連絡は来ていたのですが、自分はなんて声をかければいいかわからなくて。ありがとうとだけいって試合に臨んだのですが、そんなに多くを話すことはなかったです。

――昨日、私は杉山選手をインタビューさせていただいたのですが、その際に杉山選手は「言葉では表せない悔しさがある」とおっしゃっていました。語彙が豊富で、言葉を紡いでくださる杉山選手からそういった言葉が出るということに、最後の最後でという気持ちがあったのだろうと感じました。試合が終わってからは何かお話はなさいましたか

 

していないですね。まだ話はできていないです。

 

――杉山選手をはじめとして、様々な理由から欠場選手が多く出ることとなりました。ゲームキャプテンとしてチームにはどのような声をかけましたか

 

前向きな声をかけようという思いが強くありました。友池さんの話にもあったかと思うのですが、ゲームプランをいつもとは変えて試合に臨むにあたり、不安とか「大丈夫なのかな」という思いは特に下級生には出てしまったと思うので、それでも大丈夫飲んだよというのは伝えるようにしたのと、加えて、勝ちたかったですが、勝つということよりもこういった状況の中でやらなければいけないことがあるよねと。どんな状況であっても。そういうふうな思いがあったのでそういうような声かけは意識をしてしていました。

 

――守備的なサッカーになった中で、狙い通りに無失点で前半を折り返しました。改めてどのような守備を意識していましたか

 

引いて、選手同士の距離感をコンパクトに保って、自陣のゴール前に人数を多くかけて守るというようなプランでした。

 

――後半は2得点を許し悔しい敗戦となりました。振り返っていかがですか

 

法政大学さんが素晴らしかったと思います。失点シーンだけを切り取ればもう少しやりようはあったと思うんですけれども、それでもミスというよりも綻びをしっかりと得点に繋げた法政大学さんは素晴らしかったと思います。

 

――山田選手は副将としてチームをまとめる一年でした。改めてこの一年間を振り返っていかがでしたか

 

2つ思っていることがあります。1つは素晴らしいシーズンであったと思います。コロナウィルスの影響で例年とは大きく違うシーズンでしたが、だからこそ感じられた仲間の大切さであったり、4年生に向き合ってくれた外池さんの暖かさであったり、チームを支える関係者の皆様であったり、一緒についてきてくれた後輩であったり、難しい状況でもサッカーをすることを認めてくれた家族であったり。例年とは違う状況だからこそ気づけたことがたくさんあって。そんな状況の中で走り続けてこられたこと、走り続けることができたこと。それは本当に素晴らしいことだと思います。もう一つはシンプルに苦しいシーズンだったなと思います。去年も残留争いをして、去年は去年で4年生の時に2部でプレーしたくないということなど色々な思いがあってしんどかったですが、今年は自分がしたいとかやりたくないとかそういう次元で苦しかったのではなくて、自分の手の届かないところでサッカーができなくなるかもしれないとか、そういうことがあったので、それは本当に苦しかったシーズンでしたし、それがいつまでたっても終わらなかったので、先が見えない感じが本当に苦しかったですね。

 

――今シーズンは、昨シーズンのリーグ戦1部に歴史的残留という状況からのスタートでした。それについて振り返っていかがですか

 

これは自分だけかもしれないですが、最初から(今シーズンに対して)自信がそれなりにありました。昨シーズン、難しい戦いをしましたが、学生スポーツは人が入れ替わるので、そこまで影響はないと考えていました。また、昨シーズン、(今の4年生が)3年生として、チームが残留するために色々なことを考えながらやって、濃い1年を過ごすことができたので。そのような1年を過ごしたからこそ今シーズンはタフに戦い続けられるのではないかという自信がありました。昨シーズンを引っ張るというよりも、昨シーズンがあったからこそ今シーズンはいけるのではないかと考えてシーズンに臨みました。

 

――結構前向きな考え方だったのですね

 

そうですね。当時副務だった西前、スタメンで出場していた杉山がそれぞれの立場でできることをやろうと動いていました。昨シーズンの彼らのエネルギーが学年にもたらしてくれたものはかなり大きいと自分は思っていたので。だから、来シーズンは絶対に大丈夫だろうと前向きに考えていました。

 

――3年生の時から4年生に近い熱量で動く仲間の姿を見ていて自信が生まれたのですね

 

はい、そう思っていましたね。もちろん彼らは4年生くらいの熱量でやっていました。これはおこがましいですが、杉山や西前は3年生の時に一番チームを動かしていた感があったので。こうなれば、4年生になって怖いものはないだろうと思っていましたね。

 

――山田選手自身はザスパクサツ群馬でのプレーが決まっています。プロ行きが決まった時の思いを聞かせてください

シンプルに安心したというか良かったなという思いがありました。プロに行けるとなれば、親や家族、祖父母、小学校から今に至るまでお世話になった人たちが少しは笑ってくれるかなと。もちろん僕は愛されているので(笑)、どのような選択をしても「頑張れ」や「応援している」という言葉をかけられたとは思います。今までずっとサッカーを中心に過ごしてきた中で、サッカーで生きるという状況に身を置けることは、本当に今まで支えてきてくれた人たちのおかげです。また、自分がプロになることは(支えてくれた人たちへの)感謝を伝えるメッセージになるなって。それは良かったですし、うれしいなと思いました。

 

――阿部選手とプロでも同じチームで戦うことになりました。それについてはいかがですか

 

シンプルに心強いですね。慣れない地に1人で行くのよりも。もちろん1人で行くことになっていたとしても戦う自信はありますが、やはり不安がない訳ではないので。お互いによく知っている隼人と行けるのは、心強いです。また、(阿部は)サッカーも上手で戦力になる選手だと思うので、そのような面でも心強いと感じます。

 

――早慶戦の新聞制作のインタビュー時には、医師への道が頭に浮かんでいるという話もあったということですが

 

これは本当におこがましい話なのですが、自分のプランとしてはサッカー選手で2回目の学費を自分で稼いで、お医者さんになるという夢があったので。そこに、プロという選択肢が出てきたときは迷わずそちらにしましたね。(医師に向けての)勉強はこれからも続けていくつもりですし。プロに行く選択に迷いはなかったですね。

 

――では、キャリアプランの中に医師という選択肢も残っているのですね

 

そうですね。実際どうなるか分からないですが。勉強を続けられる環境にあるので、今のところはそのように思っています。

 

――プロスポーツ選手はよく第二の人生が注目されます。山田選手は今のところ、そこで医師を考えていらっしゃるということになります

 

今のところはそうですね。実際、非常に難しい道だとは思います。サッカー界で生きていきたいと思う可能性もありますし。

 

――同じく早慶戦の新聞制作のインタビューの際に、早稲田に来て良かったとまだ思えてないともおっしゃっていました。シーズンを終えた今はいかがですか

 

やはり素晴らしい仲間たちに出会えたことは、早稲田に来て良かったと思う理由かもしれません。早稲田だからこのような素晴らしい人間が集まるのだなと思うと、来て良かったのかなという気は、最後終わってしています。ただ、早稲田だからこそのデメリットとして制限やプレッシャーもあり、それは苦しかったです。(シーズンが)終わったので言うのですが、本当に面倒くさいなと思うこともあったので(笑)。その点でどうだったかなという思いはなくはないですが、それ以上に素晴らしい仲間、素晴らしい方たちと自分を繋いでくれたのは早稲田です。そう考えると、早稲田に来て良かったな、早稲田は素晴らしいなと感じます。

 

――4年前早大への進学を決める際には、他の大学への進学も考えていたのですか

 

がっつり考えていました。どこまで言っていいのか分かりませんが、僕はプロになりたかったので、試合に出られるところ、可能な限り高い環境でサッカーに集中できるところがいいなと思っていて。その中で(候補として)早稲田が挙がりました。高校の時から各大学に何人キーパーがいて、どのような選手たちなのか調べていて、僕が高校2、3年生の時早稲田はキーパーが少なかったのです。そこで、チャンスがあるだろうなと思って早稲田に行きたいと伝えました。ただ、調べるうちにキーパーをスポーツ推薦で取るということが分かって。それが今考えると千田(奎斗、スポ4=横浜F・マリノスユース)でした。推薦で取るということはスタートで差があるんだろうなと感じてしまって。やはり早稲田やめようかなと考えた時期もありました。高校の時のスタッフに早稲田のOBの方がいらっしゃって、(うちの)キーパーが早稲田受けるからと伝えてしまっていたらしくて。受けない訳にはいかない上、その方のメンツを潰さないためにも手を抜くという選択肢はないという状況になりました。じゃあとりあえずやるかと思っていた中で、早稲田とご縁があって。

 

――他の大学との迷いがある中で早稲田が決まったということですね

 

そうですね。終わったから言いますが、1年生で入った途端厳しくてというか全然自分のサッカー観と違うと思いました。ただでさえ乗り気ではないのに、入ってからも全然乗れないような環境だったので。正直、やめるという選択肢が1年生の間結構何回も出てきました。そのような感じで始まった大学生活でした(笑)。

 

――浦和レッズユースから早大に進学されました。当時はどのようなサッカー観だったのですか

 

1つは、もっとサッカーを教えてほしいな、もっとサッカーを細かく話せる環境がいいなと思っていて。Jユース出身で、すごく理屈っぽいというか論理的にサッカーを語る傾向があるチームにいたので。(早大は)あまりそのような話がなかったので、それが今までの環境と少し違うなと思いました。また、1年生の時の監督が古賀さん(古賀聡氏、平4教育卒、前ア式蹴球部監督)で、サッカー選手である前に人として1番であれというような言葉が掲げられていました。でも、当時の僕は上級生が全然そのように思えませんでした。4年生になった今はあのようなやり方も1つの選択肢だったと思えます。当時は、練習よりも練習をするための環境(に重きを置いており)、ボール拾いやラインズマンを1年生の選手がやっていました。結果的に1年生がそのような作業に時間を取られてしまって練習ができていない状況だったのですが、それを見て何も言われませんでした。私物をチーム荷物と一緒に運ばせる一部の選手もいたので。もちろん全員ではないですが。そのような人たちになぜ言われなきゃいけないのか、筋が通ってないのではないかと(思ってしまいました)。筋さえ通っていればどんなサッカーチームでも自分は良いと思っていたのですが、その筋の通し方が少し気持ちが悪いなという印象が1年生当時はありました。なので、1年生時は違うなと思ってしまったのだと思います。

――1年生当時はそのようなことを考えていた中で、4年生になって副将に就任されチームをまとめる立場になりました。その間の2、3年間で考え方の変化などがあったのですか

 

変化は間違いなくあったと思います。言ってしまえば、1年生の頃はとてもわがままだったので、自分がやりたいことやありたい姿以外は受け付けない、間違っていると思っていました。でも、このようなあり方、考え方もあるんだなと同期とミーティングをして気付かせてもらったり、先輩方の姿を見て気が付いたりしました。そういった点では、変化がありました。その一方で、変わっていないから副将になったというところもあって。それこそ、下級生の頃に持っていたチームの不満を少しでもないチームにしたいなと思いました。そのために、チームの上の方に立って、チームを変えたいと思った時に変えられるところにいたいと思い、副将という役職に就きたいと立候補しました。変わっていないから今この立ち位置にいるという気もします。

 

――先ほど名前が挙がった千田さんとのエピソードはありますか

 

環境が一気に変わったので、多分奎斗も苦しんでいて。奎斗とは、最初の指導日からずっと一緒だったので苦しんでいるんだろうなという風に思いながらも一緒に切磋琢磨しながらやってきました。あとは奎斗だけじゃなくて谷口(智洋、商4=近大和歌山、鈴木(怜、スポ4=駒澤)含めて同期のキーパー4人がみんなひょうきんというか面白いので。楽しい時は一緒に笑い合いましたし、誰かが苦しい、悩んでいる時にはその4人で遊びに行ったり話したりして乗り越えてきました。奎斗は最初から交流があって一緒に楽しいも苦しいも乗り越えてきて、谷口と鈴木も自分にとっては大きな存在だったなと思っています。

 

――全体としてはどのような同期だったと思いますか

 

自分も含めてですが、暴れん坊な同期だったと思います(笑)。1年生の時から先輩の文句を言いながらも自分の思いのまま振る舞っちゃうみたいな。それでも反省しないでみんなそれぞれ思っていることを言い合って。流されたり、誰か1人の意見にいつも賛同したりして学年が動いているというより、各々言いたいことを言い合ってどうするどうするとなりながらやってきて。遊ぶときも結構みんな暴れん坊だったりするので(笑)。具体的な話は出せないですが、それぞれがそれぞれのところで派手に振る舞っているなと(笑)。暴れん坊な同期だからこそ楽しかったですし、生み出されるパワーは大きかったです。また、違う考え方だとしても自分の考えをしっかり伝えてくれて多くの気づきを与えてくれました。一言で表すと暴れん坊な学年で、自分は良かったなと思っています。

 

――熱いと暴れん坊にはどのような違いがありますか

 

熱いは、多分ですが社会的なポジティブな見られ方で、ポジティブとは思われない部分は暴れん坊だと思います(笑)。あとは、熱いの方がみんなの前に立つ、みんなでの前で話すなど分かりやすいのではないでしょうか。暴れん坊は、みんなの前でやるようなことではないけれど、しっかり縁の下で暴れているということが含まれるのかなと。パッと思いついたのはこのような感じです。

 

――学年を内側から見ているからこその暴れん坊という表現なのでしょうか

 

(そう)かもしれないですね。

 

――このあと、休む間も無くキャンプが始まると思います。新たな道へ向けてどのような心境ですか

 

ワクワクしています。長年の夢であったサッカー選手になれたこと、自分がサッカー選手になることを支えてくれたたくさんの人たちに、もちろんこれまでも恩返しをしたいという思いはありましたが、それでもやはりアマチュアの選手で支えてもらうことの方が多かったです。でも、これからプロになって1人の社会人としてサッカーに向き合い続けるということは、少しは恩返しというかこれもおこがましいですけど。今まで私を支えてきてくださった人たちに笑顔を返せるのかなって。そのような立ち位置になれるのは本当にワクワクしています。

 

――プロの世界では、ア式でのどのような経験を生かせそうですか

 

1つは、人と話してコミュニケーションを取るというところで。考え方が違う同期の中で、お互いを尊重し合いながら最適なあり方を探していった4年間だったので。それは絶対にプロの世界に行っても通じることだと思います。また、早稲田のトレーニング環境として、ゴールキーパーコーチが仕事を抱えていて、週末だけ(お会いできる)という状況の中で、自分が成長するためにどのように振る舞うべきなのかを考えることが非常に多かったです。それは、これからプロの世界でも絶対に必要になることだと思います。コミュニケーションのところと自主的主体的なところはプロに行っても求められること、プロになって力になってくれる部分だと思います。

 

――改めてプロへの意気込みを教えていただけますか

 

先ほども言いましたが、支えてくれる人、自分の周りにいる人を少しでも笑顔にできるようにしたいです。笑顔にするためには、結果を出さなければいけないですし、全力でプレーするという当たり前のようで意外と難しいことも絶対にやらなければなりません。ただサッカーをするだけではいけない世界だと思うので、そのようなものも全部背負ってやっていきたいです。

 

――最後に、日本一の目標は後輩たちに託すこととなりました。後輩へのメッセージをお願いします

 

1つは、自分を労わることを忘れないでほしいということがあります。シーズンが始まると難しいことですが、早稲田にいる人たちはみんな基準が高いので、側から見たら頑張っていても(自分では)頑張っていないと解釈し、自分で自分にムチを打って走り続けてしまう人が多いと思います。時にはそれが非常に苦しいことにはなるのですが、自分を労わることを忘れないでほしいというのが終わった身からして伝えたいことです。もう1つは、戦術やタレント(才能)、環境や用具などのハード面はチームの外面でしかなく、その外面をいくら取り繕っても内面が強くないとチームとして強くなれないということです。これは杉山と西前に気付かせてもらいました。人とのつながりや仲間同士の絆、チームの雰囲気などは目には見えないため重視しづらいのですが、そのようなチームの内面を大切にしてほしいなと思います。これを伝えたいです。

 

正確な左足に加え、魂のこもった守備も光った阿部

(写真は11月29日、中大戦での阿部 インタビューはオンラインで実施)

DF阿部隼人(社4=横浜F・マリノスユース)

――シーズンを終えて、率直な感想をお願いします

 

今シーズンはちょうど一年前の2020年1月21日に始まって、コロナウイルスの影響によって難しいシーズンにはなりましたが、チーム全員で走り抜けた、戦い抜けたことが本当によかったなというふうに思っています。

 

――法大戦の話になりますが、けがや体調不良で主力を欠いてしまいました。どのような意識で試合に入りましたか

 

後期のリーグ戦最終節で法大には敗北を喫して、まずは相手をリスペクトする姿勢というのはチーム全体として持っていましたし、それを超えて日本一を絶対獲得したいという思いはあったので、何としても勝つということはチーム全体として意識して戦いました。

 

――外池監督からの指示は

 

チーム全員で戦うんだと、負傷者だったり体調不良者、全部員の思いだったり応援してくれている方の思いを背負って、一生懸命最後まで戦い抜かなくちゃいけないというふうな話がありました。

 

――試合を通じて相手SBが高い位置を取り、失点は結果的に阿部選手のサイドからというかたちになりました

 

法政大学さんの一人一人の技術と能力が非常に高くて、1点目も流れるようなボールさばきであっという間に点を取られてしまったなという印象でした。本当にうまいなと思いましたし、自分がこれからプロという世界で戦っていくうえでは、守備というのをもう少し改善して戦わなくては通用しないのかなと思いました。

 

――攻撃面では、得意なクロスだったりセットプレーの機会はほとんどなかったと思います

 

自分たちの戦い方として前半は無失点でやるというところで、苦しみましたが何とか無失点で行けて良かったなというふうに思いました。後半も入りは同じ戦い方でやって、残りの2、30分で前からどんどんいって攻撃をするというかたちだったのですが、そこがなかなか出せずに、個人としては本当に最後の試合で少しだけ悔いが残るようなかたちになってしまったかなと思います。

 

――昨日オンラインで解散式を行ったと伺いました。外池監督からはどのようなことばをかけられましたか

 

これまでにいろんな言葉をかけていただいたのでそんなに多くはなかったですけど、「本当に4年生ありがとう。これからは社会を担っていく仲間として一緒に戦っていきましょう」という言葉をいただきました。

 

――後輩にはどのような言葉をかけましたか

 

今シーズン、タイトルこそ獲れなかったですが、リーグ戦2位、アミノバイタル杯2位、全国大会ベスト4と、自分たちが目指すべき姿には近づいたかなと思っているので、今シーズンを基準に早稲田大学ア式蹴球部というのは、さらに上を目指さなくてはいけない集団だというふうに思うので、苦しい、きつい練習だったり試合だったりがあってもそこから逃げずに、ひたすら向き合って、走り抜けてほしいということを伝えました。

 

――ア式蹴球部として過ごした4年間を振り返って、一番の思い出は

 

1、2年生の頃にチームの仕事というのがあって、そこで同期の仲が深まっていって、本当に同期とぶつかったからこそ、今シーズン苦しい中でも同期と一緒に乗り越えられたというのが、自分のア式蹴球部での4年間の一番印象に残っている部分だと思います。

 

――同期の皆さんへの思いをお願いしてもいいですか

 

本当に最高の同期で、大好きです。苦しいときだったり、苦楽を共にして戦い抜いた4年間は一生の財産でもありますし、この経験を胸にプロの世界でも頑張っていきたいなというふうに思います。みんなにいい姿を見せられるように頑張りたいなと思っています。

 

――今仰っていたように、阿部選手自身はJリーグという舞台に活躍の場を移します。最後に今後の目標と意気込みをお願いします。

 

来季からJ2のザスパクサツ群馬に加入しますが、まずはやっぱりJ1を目指していきたいなというふうに考えています。群馬が非常にいいチームで大卒の選手が活躍しているので、自分もその後に続いて活躍をしてJ1で戦える選手になりたいと思っています。

 

――GK山田晃士選手(社4=浦和レッズユース)は同じ群馬、MF鍬先祐弥選手(スポ4=東福岡)は同じJ2の長崎に加入します。

 

ステージを変えて戦えるということは本当に楽しみですし、山田とはまた同じチームなので彼と切磋琢磨して、お互いが刺激しあえる関係をまた構築できればいいなと思います。

 

必ずや、ザスパクサツ群馬にも勝利を届けてくれることだろう

 

(写真 初見香菜子、山崎航平)

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