完全燃『勝』
昨年10月の全日本大学対抗王座決定試合(王座)。宿敵・慶大との決勝で、大会17連覇の偉業達成を決定づける、最後の1勝を持ち帰ったのは、主将として名門をけん引してきた丹下将太(教=東京・早実)だった。部員からは『熱い男』と形容され、その思いを伝染させることでチームを結束させてきた丹下は、大学卒業、そして新たな舞台の入り口を目前に何を思うのか。4年間を振り返るとともにその思いに迫った。
テニスを始めたのは5歳のころ。幼馴染が始めたタイミングでついて行ったことがきっかけだった。高校まではコーチによるスパルタ教育を受けていたこともあり、テニスはあまり好きではなかったという。高校は早実高へ進学。「中学校の時に早慶戦(早慶対抗試合)を見て早稲田か慶應でテニスをしたいなと思って。(そのために)一番楽な道は高校から入ることだったので」と話す。高校入学時には既に早大でのプレーを思い描いていたのだ。
入部当初に抱いていた庭球部へのイメージは「猛者の集まり」。それでも1年時から団体戦での出場機会を得た。9月の関東大学リーグ(リーグ)では亜大戦に出場。実力が互角の相手との試合中、足がつってしまったが、それでも戦い抜けたのは「先輩や仲間が全力で応援してくれたから」。団体戦の見えない力を体感する1戦となった。
4年時のインカレで渡部将伍(教4=東京・早実)(右)との試合を終え、握手をする丹下。同期をはじめ、常に部員たちと高め合ってきた
2年時は、新型コロナウイルスの影響を強く受けた。練習が制限され、最大の目標である王座も中止となってしまった。当時の4年生について、「全員が部を離れる時期が長かったので、そこからまとめなおすのは大変だったのかな」と振り返る。そして、この代で臨む最後の試合となった早慶戦では、王座がなかった分、上級生の1戦に懸ける強い思いをプレーや応援から感じた。
3年時は個人戦、団体戦ともに結果を残した。インカレでは、当初「テニスの状態は良くなかった」というが、勝ち進むにつれて勢いづき、シングルスで準優勝を果たす。続く秋の団体戦シーズン。リーグを勝ち抜き進出した王座では「テニス人生で一番良い試合ができた」。リーグの慶大戦では「自分の負けでチームに負けをつけてしまった」中で、王座決勝の慶大戦では単複ともに勝利。個人として慶大にリベンジを果たし、チームとしても王座16連覇を決めるというシチュエーションは「最高だった」。
その後、チームは代交代を迎え、丹下は主将に就任することになった。目指した主将像は「部員にとって近い存在」。テニスの実力差に関係なく、オンコートでもオフコートでもコミュニケーションが取れる存在を志した。目標としたチーム像は「メリハリのあるチーム」。やるべきことをしっかりと行う、文武両道の集団を理想形とした。主将に就任した当初は、テニスから心が離れてしまう部員へのケアなどに苦労したという。それでも一選手としてしっかりと結果を出し続け、8月のインカレでは3位入賞。この結果については、個人戦では全国で優勝したことがなく、強い思いでインカレに臨んでいたことや敗れた相手が前年と同じ選手だったことから、「非常に悔しい思いをした」と振り返った。
最後の王座、慶大との決勝戦でガッツポーズを見せる丹下。上下赤の『勝負服』で優勝を決定づけた
9月に入ると最後のリーグが始まる。その戦いは決して楽なものではなく、初戦の明大戦から苦戦を強いられた。最終的には勝利したものの、「(試合に)出ている選手と出ていない選手の温度差が感じられた」という。試合後にはミーティングを開き、「悪い部分ができてきている」ことを全部員に伝えた。その甲斐あってか、残りの試合では次第にチームの状態、雰囲気が良くなり、全勝でリーグ優勝と王座進出を決めた。それから約1ヶ月後、ついに王座を迎えた。初戦、準決勝と快勝して進出した決勝の相手は慶大。リーグでは勝利したが実力は拮抗(きっこう)していた。ジュニア時代からペアを組んできた白石光(スポ4=秀明大秀明八千代)と出場したダブルスでは惜しくも敗れたが、あと1勝で早大の勝利が決まる場面でシングルスの出番がやってきた。「風が強くて、テニスの調子も良くなかったけど、調子が悪いと思って試合をしていたら勝てる試合も勝てないと思ったので、泥臭くても絶対勝ってやるという気持ちで」臨んだという丹下はフルセットの末勝利。早大の17連覇を決定づけた。大会終了後、共に戦った部員に伝えたのは、「感謝」。「僕だけ勝ってもだめですし、他のみんなが試合に勝って、試合に出ていない人も応援だとか審判とかボーラーとかしてくれて。そういう人がいたからこそ闘志に繋がった」という思いからだった。
大学卒業という節目を迎えようとしている今、これまでのテニス人生で身についた力を問うと『完遂力』を挙げた。「スパルタ教育も受けましたし、辛いこともたくさんあった」というが、それらを乗り越えてきたことが自信になっている。主将として駆け抜けた最後の1年間で学んだことは「組織の上に立つ人の素養」。目指す主将像の達成度については「完璧ではなかった」と話すが、「行動で示すことの重要性」や「仲間の本音を引き出す力」など組織のトップとして活動したからこそ得られた学びがあった。卒業後は企業で働きながら、実業団でテニスを続けていく。「試合も年に何試合かあるので、やるからには一生懸命やって試合に勝てるように頑張りたい」。これまでのテニス人生、そして庭球部での学びを胸に、新天地での『完遂』を誓う。
(記事 佐藤豪 写真 佐藤豪、横松さくら)