【連載】『令和2年度卒業記念特集』第5回 清水映里/テニス

庭球男子

感謝と恩返し

 高校時代に全国選抜2連覇、全日本ジュニア選抜室内優勝と圧巻の成績を残し、清水映里(スポ=埼玉・山村学園)は鳴り物入りで早稲田に入学した。するとルーキーイヤーから実力を遺憾なく発揮。2学年先輩の大矢希元主将(平30スポ卒=愛知・名経大高蔵)と組んだダブルスで関東学生トーナメント優勝。そして全日本学生選手権はノーシードから一気にトーナメントを駆け上がり、1年生優勝という快挙を成し遂げた。その後も全日本学生室内選手権を連覇するなど学生トップ戦線で活躍。全日本大学王座決定試合(王座)では単複共に出場し、12連覇、13連覇の偉業に貢献。女王早稲田の歴史に新たな1頁を加え続けた。早大の看板を背負い続けた清水の大学での4年間、そしてジュニア時代を振り返る。

ルーキーイヤーからインカレ優勝するなど活躍を見せた清水

 近所のスクールでテニスを始めたのは小学1年生時。当初はダンス、水泳と両立していたが、テニスの楽しさにはまるにつれ、テニス一筋の生活を送るようになった。中学時代は最高戦績が全国ベスト8に留まるなど、世代トップクラスの選手として鳴らしていた訳ではなく。全国出場は全中の1回だけと関東の高い壁に悩まされていた。転機となったのは高校時代。環境の変化も影響したのか、練習の成果が結果に結び付くようになったことで一気に全国トップレベルの選手へと飛躍を遂げた。プロになるか、大学に進学するか。高校3年時を前に清水は大きな岐路に立たされていた。

 『大学の4年間をプロに行くまでの準備期間として使いたい』

 清水は将来をしっかりと見据え、大学への進学を決意した。外部からは厳しいとも言われる早稲田庭球部の環境。練習量も多く、高校時代に部活動中心の活動をしていなかった清水にとっては慣れない部分も多かった。そのような厳しい環境に大学での4年間身を置いたことで精神面は成熟された。最終学年は主将という重責を担い、チームの中心として周囲を牽引する場面を見られた。清水は部での4年間を終え、「社会に出た時に意味のある厳しさだった」と早稲田の環境を振り返える。技術面もさることながら、多くのことを吸収した実りある時間となった。

3年時には王座連覇が途切れるなど悔しいシーズンとなった

 3年時以降は、団体戦で慶大の後塵を拝するようになる。昨年の関東大学リーグでは3位に沈み、17年ぶりに王座進出を逃した。単複全試合に出場するも計6敗を喫するなど万全の調子でなかった清水。王座連覇を『13』で途切れさせてしまい、自責の念に駆られることもあった。

 その後チームは新体制となり、『王座奪還』という目標を掲げ練習に臨んでいた。しかし新型コロナウイルス感染拡大の影響で、春先から大会は軒並み中止、延期が決定。王座も7月28日に中止が発表され、清水にとって昨年の雪辱を果たす舞台がなくなった。無力感を感じる選手も数多くいたが、早大、慶大の両チーム幹部陣が動き、10月に早慶対抗試合(早慶戦)の開催が決定。選手は一丸となって早慶戦に向けた調整を行った。その中で清水はけがの影響もあり、将来を見据え早慶戦を欠場することを決断。サポートメンバーとしてチームを支えたが、エース不在の影響は大きく、慶大に2-5で敗北を喫することとなった。

 プロテニスプレーヤーとして4月からは活動する清水。栄光だけでなく、挫折も味わった4年間の経験は、今後の人生においてかけがえのないものとなるはずだ。最後の早慶戦に出場できずチームに貢献できなかった申し訳なさも相まってか、『早稲田に少しでも恩返しできる選手になりたい』という新たなモチベーションもできた。プロテニス選手としての今後の活躍には期待しかない。

(記事 大島悠希、写真 熊木玲佳氏、林大貴氏)