【連載】『令和元年度卒業記念特集』第72回 高村佑樹/庭球

庭球男子

順風満帆ではなかった早大での4年間。やり尽くしたと言えるラストイヤー

 「高校時代団体戦が苦手で、僕が毎回負けてチームが負けているみたいで、正直団体戦に苦手意識があった」。高村佑樹(スポ=千葉・東京学館浦安)の大学での成績から、団体戦を苦手としていたことがあるプレーヤーという印象を受ける者は、少ないはずだ。現在全日本大学対抗王座決定試合(王座)15連覇中のチームにおいて、1年時からダブルスのレギュラーとして優勝に貢献した高村。ラストイヤーとなった昨年は、主将としてチームを日本一へ導いた。

┃苦手だった団体戦

 1年時の早慶対抗試合。同期の小林雅哉(スポ=東京学館浦安)がシングルス1、島袋将(スポ=三重・四日市工)がシングルス3に抜擢される中、齋藤聖真(平31スポ卒=神奈川・湘南工大付)とのペアで高村はダブルス3に起用された。高校時代から切磋琢磨(せっさたくま)してきた2人がシングルス上位で勝利を挙げ、華々しい団体戦デビューを飾る中、高村も勝利し今後に向けて期待の高まる試合を見せた。このデビュー戦が、高村にとっては大きな転機となった。

「最初に出て勝って、そこから団体戦の嫌な思い出が消えていった」

 絶対王者の早大に入学したことで、『負けてはいけない』というプレッシャーが重くのしかかったことは事実。それでも大学の団体戦は高校の団体戦に比べて本数が多く、自身の敗戦がチームの敗北へ直結することは少ない。勝ちを重ねていったことで高村は自信をつけていき、苦手意識を完全に払拭したのだ。
 また小学校の頃からの付き合いであり、私生活の面でも仲良くしてもらっていた斎藤と、2年時までダブルスを組んだことは大きかった。「一番ダブルスがうまいと思っていた先輩」に引っ張ってもらうことで、高村は多くのことを吸収していったのだ。

4年時での王座。ダブルス3としてプレーする高村(左)

┃努力が身を結び

 中学・高校と全国の舞台で活躍を見せていた高村は、高校3年時に全国総体で準優勝するなど確かな実績を引っ提げ、早大へと入学した。ダブルスでは団体戦の一員として出場することができた反面、島袋や小林はシングルスのメンバーとして活躍。「もっとやらなきゃ、もっとやらなきゃ」と向上心を掻き立てられた。また古賀大貴(スポ=大分舞鶴)、佐藤祥次(スポ=大分舞鶴)、安上昂志(スポ=福岡・柳川)といった選手たちによる下からの突き上げがあったことも、高村にとっては大きかった。1年秋の全日本学生室内選手権、さらに2年時の全日本学生選手権でシングルスベスト4。『シングルスで勝ちたい』という強い思いが、徐々に結果として現れ始めた。順調だった大学でのテニス生活。しかしその先に待っていたのは、けがとの長い戦いだった。

┃けがとの長い戦い

 2年時のインカレでベスト4入りを果たした時には、けがを抱えていた高村。関東大学リーグ(リーグ)・王座では半数近くの試合に出場せず、「他に強いメンバーがいる中では絶対に起用されない」と割り切った状態で迎えた。その中で、王座決勝では単複両方に出場し、チームに2勝を持ち帰る。特にダブルスでは福田真大・今村昌倫組(慶大)を相手に完璧な試合運び。チームにいい流れを引き寄せたのだ。最高な形で2年目を締めくくった高村であったが、インカレを終えてから卒業するまでは、けがとの長い戦いとなった。「頑張った分が全て帳消しにされる感覚だった」と、モチベーションを保ち続けることに苦労。自分の思い描いていたプレーをすることができず、一球一球打つたびに考えてしまうこともあった。それまでは楽しいと感じていたテニスを初めて辛いと感じたのもこの時期だった。結局秋の団体戦ではリーグに2試合出場したのみ。「最後勝って引退して欲しくて、そこに自分がいたかった」。お世話になった1個上の先輩たちを、プレーで送り出すことができなかった悔しさが心の中にはあった。

┃主将としての姿

 『いろいろなことを許容しつつ、自分の信念をしっかりと残す』、それが主将としての高村の姿だ。坂井勇仁(平31スポ卒=現伊予銀行)前主将のような人を動かせる人間にはどのようにしたらなることができるのか。前主将の良さを取り入れることもあった。『上下関係』や『意識のずれ』、『応援してくださっている方々への対応』などに関して、高村はこの一年間誰よりも伝えてきた。「今後の人生でこんなプレッシャーを味わうことはない、王座のことを考えたくないくらいに追い込まれていました」。絶対に勝たないといけないというプレッシャーと、高村は最後の一年間戦い続けたのだ。
 「個人だけの力では駄目だと思うので、しっかり全員で力を合わせて、常に上を目指してチームをつくり上げていって欲しい」という高村からのメッセージを受け取り、後輩たちは王座16連覇。さらにはその先を目指してくれるはずだ。

(記事 大島悠希、写真 林大貴)