早大庭球部が誇るエース島袋将(スポ3=三重・四日市工)が、アジア競技大会(アジア大会)男子ダブルス銅メダルを引っ提げてチームに帰還した。学生大会と並行しながらプロの試合でも結果を残し、学生で唯一日本代表に選出された島袋。世界トップレベルの選手たちを相手に果敢に挑み、勝利も、そして惜敗も経験した。45億人の頂点を決める戦いから帰ってきた大エースは、早大にどんな好影響を及ぼしてくれるのか。アジア大会の振り返り、そして9月から始まる団体戦シーズンへの意気込みも伺った。
※この取材は8月30日に行われたものです。
「こんな経験はめったにできない」
日本代表選出を知らされた時を振り返る島袋
――まずはアジア大会ダブルス銅メダルおめでとうございます!反響などはありましたか
ありがとうございます!部員のみなさんはもちろん、これまでお世話になった高校の監督、テニスクラブのコーチなどいろんな人からお祝いのメッセージを貰って、うれしく思います。あ、あと日本帰ってきてからツイッターに目撃情報を書かれました(笑)。
――いつ頃実感が湧きましたか
実感が湧いたのは表彰式ですね。初めて表彰台に立って、メダルを頂いて、その時にやっと、「こんな大きな舞台で結果残せたんやな」って実感が湧きました。
――これまで日本代表の経験はありましたか
高校の時に日中韓交流試合の代表に選んでいただいたんですけど、あれは公式戦ではなくてあくまで交流試合だったので、今回のような日本の代表に選ばれたのは初めてでしたね。
――代表選出の知らせはいつどのように受けたのですか
話を頂いたのは、早慶戦(早慶定期戦)のシングルスの日(5月13日)ですね。僕が羽澤くん(慎治、慶大1年)に負けて落ち込んでるときに、たまたまケータイを見たらナショナルチームの方からメールが来ていて。何とも言えない感情でしたね、あの時は。
――その時の心境は
早慶戦シングルス1で勝てなくて、でも日本代表に選んでいただいて、正直複雑な気持ちでしたね。でも早慶戦から何日か経ってナショナルトレーニングセンターで練習した時に直接、「ダブルスで出る可能性が高いから、準備をするように」って言われて、それで頑張らなきゃなって切り替えましたね。
――代表チームとしての活動はどんなものでしたか
チーム全体でまとまって練習できたのは大会直前の合宿が初めてで、それまでは伊藤雄哉くん(University of Texas at Austin)と上杉さん(海斗、江崎グリコ)の3人でナショナルトレーニングセンターでちょくちょく練習してました。内山さん(靖崇、北日本物産)とか綿貫(陽介、日清食品)とは合宿で初めて一緒に練習しました。
――全日本学生選手権(インカレ)は出場を見送るかたちとなりましたが、迷いはありませんでしたか
迷いはなかったです。こんな経験はめったにできないので、絶対出たいなと思いました。でも学生大会に出ないので、その分頑張らないといけないなという気持ちはありました。インカレの結果の速報見て、「みんな頑張ってるな」と思いながらそれを励みに自分も頑張ろうって思ってました。
――代表には伊藤雄哉選手、綿貫陽介選手と同世代ながらそれぞれ別の環境でプレーしている選手たちが選出されていましたが、刺激を受けることはありましたか
雄哉くんはアメリカの大学でやってるんですけど、すごく真面目だなという印象で。テニスに対してすごく前向きに取り組んでいて、そういう部分で自分ももっとしっかりしようって刺激を受けました。あと雄哉くんは英語がペラペラで、カッコいいんですよ(笑)。審判ともめたときとかも、僕とか上杉さんは全く英語喋れないので何も講義できないんですけど、雄哉くんは英語でしっかりと会話して自分の意見を伝えていたので、選手でやる以上英語は喋れないといけないなとも感じました。綿貫は、とにかく強いっていう印象です。合宿とか現地の会場とかでも練習したり試合したりして、彼のテニスにすごい圧倒されたというか。全くポイント取れないときもありましたし、ボールの質も違くて。すごい選手だなって率直に思いましたね。
――直前合宿前にはインドネシアフューチャーズに出場されていましたが、どれくらいの期間の遠征だったのですか
フューチャーズ2週出て、日本帰ってきてすぐに合宿でした。
――個人での遠征だったのですか
千頭(昇平、スポ2=愛知・誉)と二人で行きました。最初は千頭と部屋をシェアしてたんですけど、2週目のシングルスの予選で早めに負けてしまって先に帰っちゃったので、そこからは上杉さんとシェアしてました。上杉さんとはダブルスも組ませていただいて、お世話になりました。
――インドネシアF2フューチャーズではダブルスで初タイトルを獲得しましたが、大会を振り返っていかがですか
上杉さんと久々のダブルスで、初戦とかはかみ合わない部分もあったんですけど、試合数を重ねるごとにどんどん息も合ってきて決勝でもすごくいいプレーで勝てて、アジア大会につながるいい大会になったなと思います。
――上杉海斗選手とのペアリングは昨年10月の楽天ジャパンオープン予選以来でしょうか
楽天オープンで初めて組んで、そのあとは神戸のチャレンジャー(兵庫ノアチャレンジャー)で組ませていただいて、それ以来でしたね。
――そのままアジア大会までペアを組むこととなりましたが、上杉選手との相性などはいかがですか
すごく組みやすいです。相性的にもすごく合うと思っていて。僕はネットプレー得意じゃないんですけど、上杉さんは前ですごく動き回るタイプで、僕が後ろでゲームをつくって上杉さんが前で決めるっていうダブルスなので、ペアリングとしてすごくバランスが取れてるのかなと思ってます。
――昨年までの早大と慶大のエース同士がペアを組むということについては
全然遺恨とかはないですよ(笑)。(楽天オープン出場にあたって)現役の早慶の選手でペアを組むのは初めてだったと思いますし、僕はすごくワクワクしてました。ライバル校のエースとペアを組むなんて新鮮でしたし。
――インドネシアフューチャーズではシングルスでも予選から本戦ベスト16まで勝ち上がりましたが、調子はいかがでしたか
シングルスの調子自体はあまりよくはなかったです。1週目は体調崩してしまったというのもあるんですけど、2週目も勝てた試合、マッチポイントもあった試合で負けてしまって、ダブルスはいい試合できたんですけど、シングルスは満足のいくプレーはできなかったですね。
――その後日本に帰国して、直前合宿という流れだったと思います。直前合宿はどんな内容なのですか
今回は早稲田(東伏見)でやったんですけど、大会直前ですし、そんなに激しい練習はせずに基本的な練習が多かったです。直前の調整っていう感じでしたね。
――日本代表結団式は豪華でしたね
すごかったです、盛大でした。僕の前の席が池江選手(璃花子、ルネサンス)でした。
――他競技の選手と交流などは
基本チームで動いてたんで、交流はなかったですね、残念ながら(笑)。でも現地行ってからは、選手村が一緒だったサッカーの応援に行きました。いろんな競技を見に行こうと思ってボウリング観に行こうとしたんですけど、セキュリティがどうたらこうたらで入れなくて見れなかったです(笑)。あとは選手村で食堂とかも一緒なんで、そこで他の競技の選手たちと話したり、挨拶したりはしましたね。
――テニスの会場であるパレンバンとメイン会場であるジャカルタはどんな位置関係なのですか
ジャカルタとパレンバンに分かれてて、パレンバンはジャカルタから飛行機で1時間くらいのところです。テニス、サッカー、射撃、カヌーとかの会場はそっち(パレンバン)って感じです。ジャカルタよりは全然少なかったと思います。
――ちなみにオフの日に外出したりはしませんでしたか
パレンバンの周りは本当に何もなかったので、基本部屋にいました。何もしてないです(笑)。
――日本代表は男女、年齢も様々な選手たちが選出されていましたが、代表チームの雰囲気はいかがでしたか
チームの雰囲気はすごくよかったです。キャプテンが内山さんで、すごくリーダーシップがあってチームをまとめるのがすごくうまくて。テニスって基本個人競技じゃないですか。僕とか上杉さんは大学出身なので団体で行動する経験もあると思うんですけど、内山さんとか綿貫とかは大学行かずにそのままプロになった方なのでずっと個人でやっていて、それだからこそ内山さんが、「チームジャパンで来ている以上、チームとして動く」っていつも言っていて。一人勝手に行動するようなことがあったらすぐに止めたり、すごく頼れるキャプテンでした。
――チームの方々とは仲良くなれましたか
元々知ってはいる人たちだったんですけど、結構長い時間一緒に過ごしたので、確実に大会前よりも仲は深まったと思います。
世界トップを体感した4試合
メダルを受け取りコーチ(中央)と記念撮影する島袋(右)と上杉(左)
――今大会は4試合全て接戦だったと思います。その中で収穫はありましたか
収穫は、自分のサービスゲームをほとんどの確率でキープできたことですね。上杉さんが前で動いてくれたというのもあるんですけど、自分のサーブは世界トップ相手にも通用したなと思いました。あとはノンプレッシャーで臨めたので、いつも以上に動けていたし、いつも以上のプレーができてよかったと思います。
――一番印象に残った試合は
準々決勝勝った時はすごくうれしかったですね。中国のデ杯(デビスカップ、テニスの国別対抗戦)代表ペアで、チャレンジャーで何回もタイトル獲ってるすごく強いペアというのは分かっていて、その相手にフルセットで勝てたのはすごく自信になりました。
――準決勝もスコアとしては相手を追い詰めた印象です
第1シードで世界トップレベルのペアで、かなり格上の相手ではあったんですけど、ファーストセットはワンブレークアップで取って、逆にセカンドセットはワンブレークされて取られて、ファイナルセットも8-6までリードしてたんですよ。全然チャンスはあった試合でした。でも勝負所でのプレーは経験豊富なRohan Bopannna・Divij Sharan組(インド、ATP世界ランキングダブルス37、38位)に分があったなと思います。僕らは逆に大事な場面で力が入ってミスしてしまって、そこが差だったかなと思います。
――大会を通して見つかった課題は
やはり大事な場面でどうリラックスして、落ち着いて臨めるかがすごく大事だなと今回実感しました。あとはサーブですかね。サーブの確率、質、全てにおいてまだまだだなと思いました。
――ダブルスで銅メダルという結果についてはどうと捉えていますか
行く前はまさか自分が出れるとは思ってなかったので、終わってみてダブルスですけど銅メダルを獲れたのはすごくうれしいですね。
――やはりシングルスで結果を残したいというのが本音なのでしょうか
そうですね・・・。シングルスで結果を残したいというのが一番なので、今回ダブルスでアジア大会ベスト4に入れたというのは自信にして、今後は単複どちらも自信を持ったプレーができるように、単複で勝てるような選手になりたいと思います。
――今後の選手活動において、この経験をどのように生かしていきたいですか
シングルスのタイトルはすごくほしいです。でも今年でツアーの仕組みが代わるので、ランキングも気にしないといけないと思っていて、いきなり上げるのは難しいんですけど、いろいろと経験してきたので、それを生かして徐々に結果に残していきたいと思います。
「どの大学の1番手と当たろうと絶対に勝つ」
――話は変わりますが、インドネシアでもインカレの結果は気になっていましたか
すごい気になってました。トップシード陣が序盤で負けてしまってショックな部分はあったんですけど、齋藤さん(聖真、スポ4=神奈川・湘南工大付)だったり木元(風哉、社2=埼玉・早大本庄)だったりとこれまで上位まで上がっていなかった選手たちが勝ち上がっていたのはうれしかったですし、励みになりました。ダブルスも坂井(勇仁主将、スポ4=大阪・清風)・田中(優之介、スポ2=埼玉・秀明英光)組がしっかり優勝していて、それも励みになりましたね。
――今年の早大はまだシングルスでタイトルを獲得できていませんが、それに関してはどう考えていますか
団体戦なのでなにがあるか分からないですし、特に早稲田は今年まだシングルスでタイトルが獲れていないというのはあるので、相当プレッシャーはあると思います。でも団体戦はチームが一つになれば勝てると思うので、残り少しですけど、「チームで」という意識を高めてやっていきたいと思います。
――今年の他大の状況はどう見ていますか
望月(勇希、中大3年)がインカレ優勝して、羽澤が準優勝で、どこの大学もレベルが上がっているのは感じています。僕はシングルスに出るとしたらシングルス1で出ることとなるので、どの大学の1番手と当たろうと絶対に勝つことだけを意識してやりたいと思います。
――羽澤選手には早慶戦のリベンジをしたいという思いもあるのでしょうか
リベンジしたいというか、しなきゃいけないと思ってます。その前に望月とも当たりますし、1試合1試合頑張っていきたいと思います。
――最後に、チームに帰ってきてすぐに始まる団体戦シーズンへの意気込みをお願いします
このアジア大会銅メダルでチームにいい影響を与えられるように、自分がコート上でいいプレーをして、単複全勝でチームに貢献できるように頑張りたいです。
――ありがとうございました!
(取材・編集 松澤勇人)
銅メダルを懸けて撮影に応じてくれた島袋選手
結果
▽R32
〇6-2、4-6、10-2LY HOANG・NGUYEN VANP(中国)
▽R16
〇7-6(4)、6-3KHABIBULIN T・NEDOVYESOVA A(カザフスタン)
▽準々決勝
〇4-6、6-2、10-2GONG M・ZHANG Z(中国)
▽準決勝
●4-6、6-2、10-2BOPANNNA RM・SHARAN D(インド)
◆島袋将(しまぶくろ・しょう)
1997年(平9)7月30日生まれ。身長183センチ、体重75キロ。岐阜県出身。三重・四日市工高出身。スポーツ科学部3年。昨季の主な実績は、全日本学生選手権男子シングルス優勝。今季の主な戦績は関東学生トーナメント男子シングルス準優勝、インドネシアF2フューチャーズダブルス優勝。全日本学生ランキング男子シングルス1位、男子ダブルス8位(2018年6月付)、ATP世界ランキングシングルス1167位、ダブルス718位(2018年8月27日付)。早大OBの片山翔選手(平24スポ卒=現伊予銀行)に、「銅は『金に同じ』って書くから、それは金メダルだと思え」と言われたという島袋選手。このアジア大会での銅メダルを糧に、いずれは金色のメダルを目指します!
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