チーム全員で成し遂げた!12年連続日本一

庭球男子

 「ほかの大学よりも自信を持ってやってきたと主将である俺が言い切れるのだから、あとは自分を信じて仲間を信じるだけ」。小堀良太主将(スポ4=東京・大成)は決勝前、チームメイトに対しこう呼び掛けた。4年生にとってはもちろん、3年生以下にとってもこのチームで戦う最後の試合。選手、サポート、応援が一体となって栄光をつかみ取るべく、明大との大一番に挑んだ。

試合前の円陣で気合を入れる男子部

 ここまでの道のりは決して平たんなものではなかった。新体制となって迎えた最初の対抗戦では関大に敗北。ほろ苦いスタートを切り、関東大学リーグ(リーグ)でも苦しい戦いが続いた。明大戦、慶大戦ともに5-4と紙一重の差で接戦を制してきた早大。リーグ全勝優勝を果たしたものの、「まだまだ甘さがある」、「チームが一つにならなければ」といった厳しい声が多く聞かれた。チーム一丸となって戦い抜くことを第一の課題として日々の厳しい練習に取り組み、迎えた全日本大学対抗王座決定試合(王座)の舞台。準決勝ではダブルスで1-2と負け越し、後がなくなった状況からシングルスで5-1と挽回。全体スコア6-3で関大に春のリベンジを果たし、連覇に王手をかけた。

仲間の声援にこたえる河野・坂井組

 いよいよ迎えた決勝戦で王座を争うは4年生を中心とした関東第二代表の明大。ダブルス2の小堀・松崎勇太郎副将(スポ4=神奈川・湘南工大付)組の試合は4年生の意地と意地が激しくぶつかり合う白熱したものとなった。サービスキープの展開から先にブレークされ1-4とリードを許したが、そこから3ゲームを連取。両者互いに譲らず迎えたタイブレークをものにできず、このセットを落としてしまう。セカンドセットで巻き返しを図ったが、あと一歩が及ばず悔しい敗戦となった。他の2試合に先立ち、いち早く1勝目をもたらしたのはダブルス3の齋藤聖真(スポ2=神奈川・湘南工大付)・髙村佑樹(スポ1=千葉・東京学館浦安)組。序盤は硬さも見られたものの、役割をしっかりと果たした。フルセットに及ぶ接戦となったのはダブルス1の河野優平(スポ3=福岡・柳川)・坂井勇仁(スポ2=大阪・清風)組。ファーストダウンの展開から「がむしゃらにやっていくことを意識していた」(坂井)とギアを入れて臨んだセカンドセットを6-1で奪取した。ファイナルセットは4-5とされるが、ゲームポイントを握られた場面をサービスエースで切り抜けカウントを5-5に戻す。「気持ち的にはいい状態で臨めていて、だからこそ接戦を勝ち切れた」(河野)と、気迫のこもったプレーを貫き、自陣に2勝目を持ち帰った。

単複で2勝を挙げた坂井

 『俺たちが王座だ』――。シングルスの試合前に行われる円陣で4年生がそれぞれの思いをこの言葉にぶつけ、選手に託した。まずはシングルス5の巽寛人(スポ4=福岡・柳川)が抜群の安定感を披露し、ストレートで相手を下す。そして古田伊蕗(スポ2=静岡・浜松市立)は準決勝に引き続き、逆転劇を演じて白星を挙げた。シングルス4の松崎は明大の主将・切詰魁と対戦。「(明大の)主将として引っ張ってきた彼を止めることができれば流れを崩せるのかもしれない」(松崎)。ファイナルセットまで勝敗の分からない展開となったが決めきることができず、最後の団体戦では単複共に白星を挙げることはかなわなかった。これにより残りの3試合のうち、先に一勝を挙げた時点で早大の優勝が決まる運びとなった。チームの中では唯一リーグから単複全試合に出場している坂井。この日の相手は過去2回の対戦でいずれも負けているという澁田大樹(明大)だ。ファーストセットを先取すると、勢いそのままに5-1と勝利に王手をかけた。しかし「勝ちを意識してしまった」(坂井)と、4ゲームを連取され追いつかれてしまう。昨年からペアを組んできた小堀もベンチコーチとして声をかけ、最後まで坂井を鼓舞し続けた。相手の追い上げに苦しみながらも仲間の声援にこたえ、勝利をもぎ取った。優勝を決定づけたのは、リーグに引き続きまたしてもルーキーの島袋将(スポ1=三重・四日市工)。「思い切って自分のテニスができた」(島袋)と序盤から相手を圧倒し、チームの12連覇目を手繰り寄せた。またシングルス1の小林雅哉(スポ1=千葉・東京学館浦安)もエース対決を制し、7-2で明大を撃破した。

 さまざまな苦しみを乗り越え、王座12連覇で有終の美を飾った男子部。輝かしい功績の裏には血のにじむような努力や仲間の支えがあるだろう。優勝後にはそれぞれが「うれしい」、「ホッとしている」と顔をほころばせた。「このチームで王座優勝を」という全員の気持ちがチームの一体感を生み出し、栄冠を手にすることができたのかもしれない。4年生はこれで引退となるものの、早大の王座での挑戦はこれからも続いていく。王者にしか味わえない感動を、再びつかみ取るために。新たなチームで、気持ちを新たに、ここから日本一を目指していく。

(記事 佐藤亜利紗、写真 田中佑茉)

結果

▽決勝 優勝(12年連続24回目)

○早大7-2明大

ダブルス1
○河野優平・坂井勇仁4-6、6-1、7-5諱五貴・澁田大樹(ともに明大)
ダブルス2
●小堀良太・松崎勇太郎6-7(6)、4-6切詰魁・西脇一樹(ともに明大)
ダブルス3
○齋藤聖真・髙村佑樹6-4、6-3田鍋佑輔・合戸廉太朗(ともに明大)
シングルス1
○小林雅哉6-4、6-3諱
シングルス2
○島袋将6-3、6-4西脇
シングルス3
○坂井6-3、7-5澁田
シングルス4
●松崎3-6、6-3、4-6切詰
シングルス5
○巽寛人6-3、6-4本城和貴(明大)
シングルス6
○古田伊蕗2-6、6-4、6-0中村彰浩(明大)

チャンピオンスピーチ

王座12連覇を果たした男子部

小堀 まず始めに、この素晴らしい大会を運営してくださった全日本学生テニス連盟の皆さま、そして協賛してくださった株式会社ダンロップスポーツマーケティングさま、大塚製薬さま、そしてコート提供してくださった有明テニスの森さま、ありがとうございました。そして、少しでも時間を見つけて部を支えてくださった土橋さん(登志久監督、平元教卒=福岡・柳川)、嶋崎さん(徹夫監督代行、平元商卒=神奈川・桐蔭学園)、本当にありがとうございました。そして一緒に汗水を流して戦ってくれた隼さん(渡辺ヘッドコーチ、平19スポ卒=静岡・庵原)、本当にありがとうございました。そしてコーチ陣の方々、この王座(全日本大学対抗王座決定試合)のために戦っていただき本当にありがとうございました。また、朝早くから夜遅くまでたくさんのOB、OG、そしてご父兄の方々、大勢の支えによってこうやって王座で優勝することができました。また、1年間部員として全員で戦ってきたこの38名でこの王座を優勝することができ、本当に感謝をしております。私たちこのチームは、大会があるごとに課題が多く見つかり、本当に苦しいことばかりでした。リーグで優勝することができたのですがいいものではなく、悔しさが多くあり、そしてこの1か月間、リーグを終えて勝負と本気で向き合うことを隼さんから教わり、私は主将としてこのチームを引っ張ってきました。その結果、こうやって王座12連覇を達成することができたので、本当にうれしく思っております。また来年、3年生以下の後輩たちが、13連覇に向けて王座の舞台に帰ってくると思います。また新しいプレッシャーであったり、困難なカベであったりとぶつかると思いますが、新しいチームと、また新しい仲間とを信じて、もう一回この舞台で戦ってほしいなと思います。また、王座に限らず大学テニス界を引っ張っていき、日本を背負い、そして世界でも活躍できるような選手がワセダから生まれれば、本当にうれしいです。今後、僕たち4年生が卒業したらいちOBとしてワセダの庭球部を応援しますので、どうかこれからも早稲田大学庭球部の応援のほどよろしくお願いいたします。本日はありがとうございました。

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コメント

小堀良太主将(スポ4=東京・大成)

――優勝おめでとうございます!いまのお気持ちは

率直に言うとホッとしている気持ちの方が大きいですね。もちろんうれしい気持ちもありますが、1年間振り返ってみて王座(全日本大学対抗王座決定試合)の準決勝だったり、リーグ(関東大学リーグ)の時の明大戦であったり、不安要素だらけで。その中で王座の決勝を迎えて、果たして王座優勝して笑って終えることができるのかと思っていました。いろいろと不安も多い中、自分のダブルスは負けてしまって。でもチームが一丸となって戦えていたので、うれしい気持ち半面、ホッとしている気持ちもあるという感じですね。

――決勝前にチームメートに対してはどのような言葉をかけられましたか

1年間この日のためにやってきて、リーグに関しては優勝というかたちで終わったのですが、(その時の)明大戦は正直負け試合というか。何とか勝たせてもらった、神様が勝たせてくれたというような勝ち方でした。リーグが終わってからみんなで話し合って、練習も王座までの日数を調べて追い込み期間をつくったり、授業と授業の間にいつものプラスの練習時間を設けたり、朝の7時から夜の10時まで練習したり、部室に泊まって一体感を出したり、ダッシュを100本以上やったりしました。1日1日少しずつですが、各学年共にリーグから見違えるほどの成長を遂げたのかなと。そういう話をして、あとは表現するだけだと。「選手もサポートもこれ以上ないくらいやってきたわけだし、ほかの大学よりも自信を持ってやってきたと主将である俺が言い切れるんだから、自分を信じて仲間を信じるだけだ」ということは伝えました。

――リーグを終えてから「まだまだ甘さや隙がある」ということを何度かおっしゃっていましたが、王座で戦う中で一体感は感じられましたか

リーグでは選手とサポートの距離感が少し感じられていた分、練習の中でもいつもより掛け声を掛けたり、ささいなことであってもサポートから選手へ、選手からサポートへ、話し合ったり、コミュニケーションを取るようにしていました。王座は拍手のみの応援になってしまったのですが、拍手の中でも気持ちが伝わるような拍手であったり、音や体を使ったジェスチャーであったり、それがサポートからの心の声というか、選手に伝わった結果、優勝につながったのかなと思います。

――きょうのご自身の試合は振り返ってみていかがですか

負けましたね。松崎(勇太郎副将、スポ4=神奈川・湘南工大付)とこうやって組んで、準決勝でも負けて決勝でも負けて。お互いに主将・副将という立場でやる最後の一戦でしたし、考えれば考えるほど深みのある大きな一戦だったのですが、悔しさが残りますかね。やり切ったというのは確かで、緊張した場面でこうやってチームを背負って戦う時にいつもの自分を出せなかったというのは後悔になるんですかね。後悔という言い方は寂しい気もするんですが、勝負の世界は結果が全てなのかなと思います。結果がついてこないというのは、やり切ったといってもその中にまだまだ甘さがあったのかなと。技術がどうこうというより、情けない気持ちですね。

――隣のコートでやっていた2試合のダブルスの戦いぶりはどう振り返りますか

スコアを見る限りでは、ダブルス3はいつも通り力を出し切ってくれていたのかなと思います。ダブルス1は最後のファイナルセットを見ることができたので、覇気のあるプレーであったり、ベンチコーチを含め3人で一体感を出していたり、かつコート外でのサポートからの熱い応援が見られました。残りの2試合は3年生以下のらいねんまた戦える選手だったので、先のことを見ればまだこれからが楽しみだし、もう一度ここからしっかりやっていってほしいなとなぜか先のことを考えていましたね(笑)。もちろんこの試合を勝ってほしいという気持ちもあったのですが、頼もしい後輩に恵まれたのかなと思いました。

――きょうの試合ではこの2戦とはダブルスのオーダーを入れ替えられていましたが、何か意図があったのでしょうか

小堀・坂井(勇仁、スポ2=大阪・清風)で組んでいた時に、諱(五貴)・澁田(大樹、ともに明大)にずっと勝っていたのでペアを戻すのかとかという話もあって。坂井の左利きからのプレーや河野(優平、スポ3=福岡・柳川)のボレーといったところをいろいろと計算したうえで、河野・坂井を諱・澁田に当てた方が勝率が高いんじゃないか、小堀・松崎でいけばリーグのような負け方をせずにチャンスがあればいけるんじゃないかという話があって。そういう考えでこの対戦が決まりました。

――シングルスの戦いはどのように振り返りますか

ベンチコーチに入っていて見れなかった試合もあったんですが、みんな本当によく戦ってくれたなと思います。新チームとなって最初のほうはインカレインドア(全日本学生室内選手権)や春関(関東学生トーナメント)で(ダブルス)2本ともしっかり決勝に行っていて、ダブルスを軸にシングルスをどうとるかというのが課題だったのですが、逆にダブルスが最後の最後にドタバタなってしまって。最終的にはシングルスの頑張りによってダブルスが支えられていたり、シングルスの選手みんなが頑張ってくれたのでうれしいですね。

――シングルスではきょうも坂井選手のベンチコーチに入られていましたが、どのように試合をご覧になっていましたか

坂井はすごく繊細そうに見えるんですが、(ポイントが)ほしいときにただフォアになってしまう分、相手に単調なリズムを与えてしまうことがあって。ずっとペアを組んできたので他の人以上に分かっている部分があったので、途中土橋さん(登志久監督、平元教卒=福岡・柳川)から「行ってこい」と言われて。僕なりに伝えることはしっかりと伝えて、個人的にはダブルスは負けていたので、ベンチコーチの立場ではありましたが、坂井にはシングルスも勝ってほしいなという思いが伝わるようにプッシュしていました。

――その思いというのは坂井選手にもしっかりと伝わっていたんじゃないでしょうか

そうですね、最後まくられてしまったりとかして、坂井自身も大変な試合だったと思うんですが、見てるこっちも複雑な気持ちでした。みんなが坂井を勝たせてあげたいという気持ちが浸透した結果、ああやって強気なプレーができていたんじゃないかなと思います。

――リーグの明大戦と同様に島袋将選手(スポ1=三重・四日市工)がチームの勝利を決定づけましたね

(シングルス)1、2、3の誰かが勝負を決めてくれるという風に思っていて、まず島袋と坂井がファーストアップで、その後に小林(雅哉、スポ1=千葉・東京学館浦安)もファーストアップして。その2試合で決めて王座を取りたいなと思っていて、セカンドは最初坂井の方が5-2でアップしていたので、そのまま坂井が行くのかなと思っていたのですが、相手も4年生の意地というか、簡単にやらせてくれない部分もあったので。それでも全員取ってほしいなと思っていたので、取ることができて結果としてシングルスは5-1、全体で見れば7-2ということで、いい結果で終えることができたかなと思います。

――今回の王座の総括をお願いします

王座は3戦の中で情けないことに課題はありました。でも完ぺきを求める上で課題はつきものですし、完ぺきなチームをつくるためには日に日に成長してやっていくしかなかったので。苦しい場面や困難、大きなカベに対して全員でぶつかりながらもがいてがむしゃらにやった結果、チームの一体感が出せていたのかなと。選手として出てチームに貢献するというやり方もありますが、それが全てではなくて。選手として出ている人たちをサポートして勝たせるというのも立派な仕事だと思います。そういったことを4年生中心に全員でやれた結果、より一体感が生まれて。この一年間で一番まとまっていましたね、この日のためにやってきたというのはありますが。いいかたちでまとまって一体感を出せていたんじゃないかなと思います。

――主将としてのこの1年間を改めて振り返ってみていかがですか

主将としての1年間は本当にいろいろ大変でしたね。というのも結果が出なかったらいろいろ言われ、勝てなくなる選手がいればもちろん僕が責任を取ることもあって。部内で何か問題が起これば主将という立場で責任を取らなきゃいけないですし、何か悩みを抱えている選手がいれば、寄り添って話を聞く必要もありますし。主将になってから結構人を見るようになったのかなと思います。僕自身あまり他のことに興味がないというか、なかなか必要以上に情報を取り入れようとしないタイプだったので、かといって自分のことでいっぱいいっぱいというわけでもなかったですが。テキトーではないですけど、ふらーっとした人間だったので主将になってから人を見るようになって、悪い部分も良い部分もさまざまな部分を見るようになって。もっと人を見ることを最初からやっていれば良かったなと思いました。というのも主将になってから、それぞれの良いところを引き出して、よりテニスを向上させてというようにうまくつなげてやっていて。もちろん人とコミュニケーションを取らなければいけないですし、時にはぶつかっていかなければいけないですし。人と接して人を成長させるというのは、そう簡単にはいかないことだなと身をもって感じました。かといって、いままでもいろいろなタイプの主将がいて、その主将や4年生のカラーによっていろんなかたちで王座優勝を迎えていたと思います。小堀主将として4年生をまとめて、全員で勝てたことは主将としての最低限の仕事は果たせたのかなと思います。

――庭球部で過ごした4年間を振り返っていただけますか

本当に長かったなと思います。長いようで短いとか4年間あっという間とかいう人もいますけど、僕自身長いなと感じていました。4年間ですからもちろん、なにもかもうまくいく時もあればうまくいかない時もあり、悩む時もあり、それは個人戦でも団体戦でもそうなのかなと。4年間をまとめて話すのは難しいですね(笑)。上に先輩がいたときは先輩にいろいろ教えていただいていて。僕が1年生の時の遠藤さん(豪、平26スポ卒)、2年生の時の大城さん(光、平27スポ卒)、3年生の時の今井さん(慎太郎、平28スポ卒=現・東通産業)といった主将の下でいろんなチームを経験させていただいて、アドバイスを受けて、成長させてくれたなと思います。それを今度は主将という立場から後輩に伝えていかなければいけないなと深く考えれば考えるほどいろいろ出てきて。楽しいこともありましたが、苦しい、つらい時のほうが多かったですね。それが結果につながった時は最高にうれしかったですけど、勝負の世界はそう簡単にはいかないので。でもやり切った感はありますし、楽しかったなと思います。というのも本気で勝負と向き合って、それも一人ではなく全員で向き合っていて、チームとして優勝したいという気持ちがみんなあって。部室やコートで過ごした時間はとても有意義だったなと思いますし、振り返ってみるとその時間は宝物というか。他の学生がどれだけ他のことに一生懸命になってやっているか、その度合いは分からないですが。早稲田大学庭球部としてコート上でも、それ以外でも勝負と本気で向き合って、選手としても人としても磨き上げようとしている中でのこの4年間は、主将としてはつらかったりきつかったりすることもありましたが、それを含めいろんな重みがあって楽しかったのかなと思います。

――同期、後輩の皆さんへ向けたメッセージをお願いします

まず同期に対してはありがとうという気持ちでいっぱいですね。全体ミーティングで嶋崎さん(徹夫監督代行、平元商卒=神奈川・桐蔭学園)から役職の発表があり、「小堀」と呼ばれて、立ち上がって一言っていうやりとりが1年前にあって。同期の中で主将をやりたかったやつや不満があったやつもいたと思うんですが、いろんなカベにぶつかりながら時には言い合うこともあって。でも成長しながらチームのためにやってこれたのかなと思います。8人8通りそれぞれ考え方があって、それを主将としてまとめて、みんなに伝えるということが難しかったですね。でもこうやってチームとして最後優勝できたということは4年生がしっかりまとまってやってこれていたのかなと思います。4年生の同期には感謝の気持ちでいっぱいです。後輩たちは同期と同様に、主将含め最上級生8人についてきてくれてありがとう、うれしかったです。このチームで迎えた王座は初めてでしたし、何が優勝への道なのか、何が正解なのか、何が間違っているのか、全部が全部分からない手探り状態でした。厳しいトレーニングや練習は「ここまでするの」と僕たちが思うほどやらないといけないというのは分かっていて。4年が王座を一番経験していて、バカみたいに練習して、バカみたいに走って、バカみたいに吠えて、そうやっていくことが王座優勝に近づけられるというのをどの大学よりも知っていたので。それを信じて、4年はいろいろ予定をつくったりしていました。まあきついので文句や愚痴もあったとは思うのですが、その中でもしっかりやり遂げて、結果もこうやってついてきたので、なんと言われようと良かったかなと思っています。その時の自分にみんな負けないで、きつい練習にも立ち向かっていった結果、こうやって最高の瞬間を味わうことを経験できたと思います。それを4年生として、卒部する立場として伝えることができたので、それを生かして3年生を中心に新しい仲間と共にまた最高の瞬間を味わってほしいなと思います。

岸田海副将(社4=東京・早実)

――全日本大学対抗王座決定試合(王座)12連覇おめでとうございます。いまの率直なお気持ちを

素直にうれしいという言葉に尽きます。今年は厳しい戦いになるという予想でリーグ突破できるか不安な中で、苦しみながらも王座に進むことができていました。この王座では絶対に悔いの残らないように、リーグから1カ月練習をしてきて、みんなが4年生についてきてくれたおかげで1カ月間濃い時間を過ごせたことが、この王座優勝につながったと思います。1カ月間、苦しくつらかったけどやってきてよかったなと思いました。

――きょうの試合にはどのような気持ちで臨みましたか

僕はコート上でプレーしてチームに貢献することはできなかったんですが、リーグでは5-4だった明大で、きょうはきょうなので、9-0でボコボコしてやるという気持ちで臨みました。2本落としてしまったのが小堀(良太主将、スポ4=東京・大成)と松崎(勇太郎副将、スポ4=神奈川・湘南工大付)だったのはとても悔しいし、本人たちが一番悔しいと思うんですけど、チームとしてはリーグより遥かに相手を圧倒しての7-2で勝つことができたのはよかったです。リーグでの苦戦があったからこそ、きょうの結果だったんじゃないかなと思います。

――島袋将選手(スポ1=三重・四日市工)のベンチコーチに入ったときはどのような言葉をかけましたか

1年生なので試合中に元気がなくなったり、空回りしてしまったりすることが必ずあるので、自分は厳しくというよりは笑顔で島袋をリラックスさせるということを意識していて、きょうは今までで一番の試合をしてくれて、4年生のために勝ちたいという思いがすごく伝わってとてもうれしかったです。島袋と一緒に戦えたな、と思います。

――結果として島袋選手の勝利で早大の優勝が決まりましたが

隣の坂井(勇仁、スポ2=大阪・清風)が先に決めてくれると思ってたんですけど、思ったより長引きましたね(笑)。島袋にも坂井が競ってることはベンチで伝えたので、島袋自身も自分が決めなきゃという思いも強かったと思います。結果として島袋が優勝を決めてくれてうれしかったですね。

――早大庭球部で過ごした4年間を振り返って

話せば長くなるんですけど(笑)。1年生の時の王座優勝と今回の優勝は全然違うなという印象です。学年が上がるにつれて、連覇というもののプレッシャーや重みを感じるようになって、より達成感があります。格別です。1年生の頃はただがむしゃらにボーラーをやっていたのは懐かしいです。最後こうやって優勝できて、4年間の庭球部生活に悔いはないです。最高の4年間でした。

――監督、コーチ陣への思いをお聞かせください

1年生の頃はレギュラーの練習にも参加していたため、渡辺隼ヘッドコーチ(平19スポ卒=静岡・庵原)や土橋登志久監督(平元教卒=福岡・柳川)との練習はとても良い経験になりました。上級生になってからでも、土日に時間を空けて練習を見てくださるコーチ陣がいることは当たり前のことではないので、そのことに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。このことを後輩にも伝えていきたいと思います。

――4年間ともに戦ってきた4年生への思いは

他学年からはよく仲が良くないと言われてきた学年でしたが、僕はそうは思っていなくて。確かにみんな良い意味でも悪い意味でも個が強くて、衝突は何度もあったんですけど、
そうやって本音で自分の思ったことを言い合える仲間に恵まれたことはとてもよかったです。小堀、松崎、巽(寛人、スポ4=福岡・柳川)は試合に出て活躍してくれて、他のメンバーサポートとしてチーム引っ張っていけたと思います。僕らが1年生の頃は小堀が主将をやるなんて思ってもいませんでしたが、主将になってからは小堀らしくチームをまとめて、優勝まで持って行ってくれたと思います。同期の仲間たちには感謝の気持ちでいっぱいです。

――最後に、これからの庭球部を引っ張っていく後輩たちに向けて一言お願いします

13連覇を期待されるプレッシャーはあると思いますが、毎年チーム変わっていくものなので、新チームで初優勝するという気持ちで臨んでほしいと思います。そんなに連覇のプレッシャーを感じずに、今年よりも良いチームを作って、最高の瞬間を味わってほしいと思います。

松崎勇太郎副将(スポ4=神奈川・湘南工大付)

――優勝、そして12連覇おめでとうございます。今の率直なお気持ちをお聞かせください

正直複雑でした。自分の結果が伴わなかったところがこの思いにさせているのかなと思っていて。12連覇したのはうれしいですし、4年間王座(全日本大学対抗王座決定試合)で負けることなかったのはすごくうれしかったのですが、(自分が)きょう2敗してしまって、チームに迷惑をかけてしまって、というのがすごく心残りで。悔いが残るかたちで終わってしまいましたが、もう取り返せる機会は絶対に来ないので、本当に周りに助けられて達成した結果かなと思います。

――きょうの明大戦にはどのような意気込みで臨まれましたか

リーグ(関東大学リーグ)であそこまで追い込まれてから、本当に僕らは信じられないくらい練習もしていましたし、いろいろな意味で(自分を)追い込んできていたので、それは練習とかトレーニングだけじゃなくて他の面でもレベルアップを図ってやってきました。ドローが決まった時に関大、明大になると大体予想はできていて、(春の対抗戦で)関大にも負けているし、明大なんて特に4年生が4人強いやつがいて、彼らも最後なので今までにない力で本気で懸けてくるはずというのはもう予想がついていたので、絶対にいけるというよりかは少し恐怖の方が大きかったです。試合前の心境としては少し不安感がありながら、勝てるかどうか分からない試合になるだろうなというのは予想していました。

――王座には小堀良太主将(スポ4=東京・大成)とのダブルスで臨まれました。きょうの試合を振り返っていかがですか

チャンスがなかったわけでもないですし、本当に強気な選択一つで結果は変わっていたかもしれないですし、もっと他の選択をしていればという場面は何回もあって。正直それをできていればスコアも逆になっていてもおかしくはなかったですし、彼と組むのも最後でしたし、勝ちたいという気持ちは、お互い言うことはなかったですけどすごく強く持っていたと思います。彼は主将として、僕は副将としてやってきた中で二人が組むということがどういうことなのかというのが求められていましたし、そこは絶対意地でも取らなくてはいけないというのが僕らの役目だったと思うのですが、2日連続で達成することができなくて。特に明大戦に関しては、明大対策としてペアリングしていたペアだったので、それがうまくいかずに僕らが負けてしまったというのは少し後悔ではあります。まあでも、やれることはやったのかなとは、今ふと考えて思います。

――シングルスはいかがでしたか

シングルスに入った時点でダブルスが2-1で、オーダー発表の後に、巽(寛人、スポ4=福岡・柳川)は相手が誰であろうと絶対にやってくれるというのを信じていましたし、心配もしていませんでした。古田(伊蕗、スポ2=静岡・浜松市立)も今までいろいろな思いをしてこのチャンスをつかんだので、古田も絶対にやってくれるという思いで僕はあのコートに入って。そうなったときに、相手の主将である切詰(魁、明大)を止めるのが僕の役目だとは分かっていましたし、僕が出るとなった時点で当たるのはほぼ切詰だとは確定していたので、じゃあ相手に4人強い選手がいる中で、主将としてそれを引っ張ってきた彼を止めることができれば明大の流れも崩せるのかもしれないというのは感じていました。本当に必死に食らい付いて、自分も彼もぎりぎりのところでやっていたと思いますし、体的にも精神的にも今までやってきたことが全て問われる試合だったと思うので、彼も本当にリスペクトしたいですし、彼を中心にやってきたいいチームと最後戦う中で、ああやって切詰と対戦できたことを僕はすごくうれしく思います。最後の最後2敗してしまって本当に悔しいですけど、それはもうどちらかが負けてどちらかが勝つというのはテニスの条理で、終わってしまったので仕方ないですし。2敗してしまったけれど周りが勝ってくれたというのは本当に良かったなと思います。

――松崎選手にとっては大きな存在であった去年の4年生が抜けた後、ご自身は副将としてこの4年目を過ごされました。以前「チームを引っ張るのが難しい」ともおっしゃっていましたが、どのような1年間でしたか

そうですね、みんなも薄々気づいているように、去年の4年生の影響が大きかったというのは僕の個人的な意見ですが、僕は1浪して1個落ちているので本当に長年を共にしていた同い年のやつらであって、特に今井(慎太郎、平28スポ卒=現・東通産業)、栗林(聡真氏)という大きな存在がいて。ずっとライバルであり、親友である彼らにできることといったら彼らを優勝させて卒業させることだなというのは思っていたので、去年の王座はそれを信念として持てていましたし、強い気持ちでそのために頑張れていた自分がいました。そこが終わってからが本当につらくて、別に同期を同期だと思っていないというわけではないですが、彼ら(去年の4年生の代)と過ごしていた時間の方が長かったので、どこか空っぽな感じになってしまった期間があって。一人で孤独感みたいなものも生まれましたし、去年大きな目標を達成して、少し抜けてしまった期間も少なからずあったのかな。そう考えた時に、2人の存在が僕にとってどれだけ大きかったのかというのは思います。その後に、どこかこのチームのために頑張れないとか、何のために頑張っていいのか分からないというのはずっと問題として僕の中にあって、どこかやはり仲間として見られないというか、どこか自分で勝手に孤立している部分もありましたし。それは勝手に自分で思っていただけかもしれませんが、何のためにこんなに頑張るんだろうというのが4年目が一番難しくて。本当にそれはずっと見つかることはなかったのですが、でもシンプルに、自分のやることだけやるということにしか至らなくて。このチームのために、みんなのためにというのは本当に思ってはいたのですが、どこか自分で自分を孤立させていたというか。チームに属せていないというのが一番正しいかもしれませんが、そういった意味ですごく苦しんだ1年間だったと思います。僕のやり方は小堀とも何回も対立したこともありますし、うまくいかなかったこともいくらでもありますけど、やはり何かを引っ張るとか、自分たちについてきてもらうとか、何か大きな1つの目標に向かってこれだけの人数を動かすということはどれだけ大変なのかというのがこの1年で分かったことであって、やはり当たり前のことですけど、人に言うときは自分ができていないと絶対に伝わらないですし、自分が一番に行動しないとみんながついてきてくれないというのは本当にシンプルなことだけれど本当に難しいことだったなと1年間思って。言うからには自分がやらなくてはいけないけど、言わないわけにはいけないというのが本当に続いて、それは苦しかったですね、正直。でも、僕らのチームというのは王座で優勝すること以外にあまり喜ぶこともないですし、これが本当の最大の目標なので、この瞬間のためにああいう苦しい長い期間があるのかなと思います。前の取材でも言っていますが、早慶戦に勝ったりリーグ(関東大学リーグ)で優勝したりしてもこのチームは喜ぶこともないですし、みんなで「良かったね」って言ったりすることもないのですが、本当にこの瞬間以外に喜ぶ瞬間はなくて。やはり苦しい時間も長い分この感動は大きいですけど、そこまでの道のりが長いから、すごく大変なことをしているのだなということを1年間通して感じました。周りからは「勝って当然でしょ」とか、「何連覇懸かって大変だね」とか、プレッシャーももちろん与えられますけど、やはりそれは周りが勝手に言っていることであって、本当に中身の詰まったことをやることがどれだけ大変なのか、連覇が懸かったチームが勝つことがどれだけ大変なのかということを本当に思い知らされた1年間だったなと思います。

――その中で同期の皆さんとは4年間一緒に過ごされてきましたが、どのような気持ちがありますか

正直、こんな思いを伝えたことはないですが、彼らは彼らなりに僕の立場を分かっていて、すごくやりづらかったのだろうなと入った当初から思っていました。彼らにとって僕は1個上で、ジュニアの時からみんな知っていて、それが急に同期になったときの難しさであったり、変にカベがあったりで最初僕もどうしていいか分からなかったですし、彼らもそれ以上にどうしていいか分からなかったと思います。たぶん本当にやりづらかったやつが1人いたというのは思っているので、僕は。それでも彼らは僕を見捨てることなくやってくれましたし、これだけ濃い4年間を一緒に過ごすということもなかなかないのかなと思いますし、これだけ長い時間をいろいろな問題に立ち向かいながら苦しい練習に立ち向かいながら過ごした仲間というのも、そんなに多くないのかなと思って。本当にだめな同期ばかりでしたが、みんなが自分の立場を分かってしっかりやって、本当によくやってくれたのかなと思います。

――監督、コーチ陣の皆さんへはどのような思いがありますか

そこに関しての思いが僕は一番強くて。僕は土橋さん(登志久監督、平元教卒=福岡・柳川)や幹事長にも本当にお世話になっていますし、こんな僕を1年遅れてまで推薦で取ってくれたというのも僕の中ではすごくありがたい話であって、本当に感謝してもしきれない存在の人たちだなと常に思っていました。特に土橋さんも、あれだけ忙しい中で僕たちと向き合ってくれて、隼さん(渡辺ヘッドコーチ、平19スポ卒=静岡・庵原)も毎日ぎりぎりのところまで自分を追い込んだ上で自分を追い込むというのがどれだけ大変かというのも肌で感じていて、この人はどれだけ頑張ってくれるんだろうなといつも思っていて。隼さんも隼さんでやはり勝つことに対する難しさであったり、本当にこれでいいのかという不安であったり毎日立ち向かっていたと思います。どれだけやればいいという答えもマニュアルもない中で、僕らとテニスだけじゃなくて人間としても向き合ってくれて、これだけ厳しく接してくれて。最後はこうやって終わらせてくれるありがたいコーチ陣がいて監督がいて、隼さんだけじゃないですが、コーチ陣も本当にいろいろな人がいていろいろな刺激を受けていろいろな指導を受けました。やはり全てはこの日のために、この後の人生を生きていく上ですごく大切なものをテニスを通して教えられているのかなという気がするので、本当に一生忘れることのない恩師というか、そういう存在であることは間違いないです。僕らがコーチ陣に恩返しできるのは勝って結果を出して王座で優勝すること以外何物でもないのかなと思っているので、ささいではありますが、連覇をつなげて恩返しをした上で、その後に少しずつ違うかたちで僕も手助けして恩返しできればいいかなと思っています。それが今まで濃い4年間を経験させてくれた皆さんに対する感謝という気持ちであって、いちOBとなる上でやらなくてはいけないことなのかなと。僕は陰ながら後輩たちをサポートしていきたい気持ちもありますし、応援していきたい気持ちもあるので、そういった面でもまだまだ監督、コーチ陣を始めとする人たちといい関係で続けられたらいいなと。学生として触れ合うのはこれで終わりですが、いち大人として何か小さなことでもいいので恩返ししていけたらいいかなと思います。

――庭球部で過ごした4年間はどのようなものでしたか

正直苦しかったです。それが一番印象に残っています。ワセダに憧れて、テニスを本気で強くなりたいのであれば一番強い大学でやりたいという気持ちでワセダに入って。すごく希望を持てていたのですが、いざ入ってみるとやはり自分も年々年を重ねる上でいろいろ見えてくるものも変わりますし考えていることも変わってきて、少しずつ大人になっていく上で、テニスと4年間向き合ってきてテニスが苦しいものになっていた時期がすごく長かった。最初は好きだったのにやることが苦しいというのがすごく長く続いた4年間だったというのは印象としてあるので、僕は別にテニスをやるのは嫌いとかではないのですが、少し嫌いになってしまったのかなというのがあって。苦しい分こういう喜びもあるのですが、やはり苦しい方が長くて。テニスばっかりやっていましたけど、まあ、長く苦しい4年間を終えたなというのが今率直な感想です。自分も苦しいながらもよくやったのかなとは思いますが、基本的には誰も褒めてくれないので(笑)、自分が良くなっているのか悪くなっているのかも分からないですし、自分が自分で問いただすしかなくて。そういった中で難しかったのかなとは思いますが、苦しい中でも少なからず成長はしていると思うので、それはテニスだけじゃなくて。テニスじゃない部分が成長することが一番大事なのかなと思うので、テニスも人間力も、苦しいながら成長できた4年間かなと思います。

――3年生以下はまだ庭球部生活が続くわけですが、後輩の皆さんに声を掛けるとしたらどのような言葉になりますか

全員に伝えるとすれば、こんな4年生とかこんな僕についてきてくれてありがとうと言いたいです。本当にいろいろ言ってきて、これだけ頼りない4年生が多かったのですが、嫌々でも信じてついてきてくれて、結果を出してくれたことは本当に感謝したいと思います。僕らだけの力では絶対に成し得なかったことですし、残りは彼らに託したいです。もちろん今はみんなうれしくて連覇してほっとしている部分もあるとは思いますが、連覇が続くということは年々彼らにかかる期待やプレッシャーが大きくなっていくということでもあって、そういう苦しみに彼らもこれからどんどん直面していくんだろうなと思います。苦しみながらも自分のできることを淡々とやっていくことが結果への近道ではないですが、つながるのかなと思うので。こうやって連覇を続けていくということが彼らへのミッションだと思いますし、たとえ途切れてしまったとしても、ワセダとして堂々と振る舞うことを続けてほしいなと思います。彼らを応援して、どんなかたちでもいいのでサポートして、今度は違う立場で関わっていけたらいいなと思います。

――最後に、来週の全日本選手権(全日本)についてお聞きします。特にダブルスは河野優平選手(スポ3=福岡・柳川)との最後のダブルスになると思いますが、どのような意気込みで臨みますか

シングルスは予選で、ダブルスは本戦からになります。河野とはあれだけ一緒に苦しんできて、一緒に頑張ってきて、二人で結果を出したときもあったり学生の試合で勝てなくて悩んだ時期もあったり。フューチャーズで結果を出して、学生ではタイトルが取れなくて、いろいろ二人で言われることもありました。プライベートでも彼とは同じ部屋なので、本当に嫌なときも一緒にいるし、いろいろな話をしたり、全く話さないで二人で過ごしたり、本当に彼とは濃い時間を過ごしていて、それは彼も感じてくれていると思います。王座も最後河野と組みたかったなというのが少しあるのですが、(全日本では)楽しくできればいいかなと思います。彼と組むことも、何かの機会があったら話は別ですが最後ですし、全日本という大きな大会で最後彼と組めるというのは僕にとってはすごく幸せなので、いろいろ二人で経験した分楽しく。まあもちろん、勝ち進めるところまでは勝ち進みたいですし、プレッシャーから解き放たれて僕たちが逆の立場になってプロに立ち向かっていける、自分たちより力のある選手にプレッシャーなく思いっきりぶつかっていける大会なので。古田(陸人、平27スポ卒=愛知・名古屋)・今井が成し遂げたベスト4以上を狙えるペアではあると思うので、フューチャーズで結果を出しているということを自信にして、まず二人で上位を狙って、負けてしまったとしても二人で楽しいダブルスだったねと言って追われれば僕はそれで幸せなので。もう1週間後なので、気持ちを少し落ち着かせて頑張りたいと思います。

平尾優主務(政経4=埼玉・早大本庄)

――全日本大学対抗王座決定試合(王座)12連覇おめでとうございます!いまの率直な感想をお願いします

うれしいです。

――きょうはどんな思いで試合をご覧になっていましたか

今までやってきたことをやるというだけで、シンプルですけれど1年間自分たちがやってきたことをきょう1日にぶつけるという、本当にそれだけの思いでやっていました。

――特に大会初日のダブルスが終わった際、チームに一喝する場面がありましたが、どのような思いから出た言葉だったのですか

正直に言うと、あの試合のダブルス1の試合態度がチームのために戦っているのかという点から見ると、すごく遠いもので。2人のコミュニケーションや応援に対して拍手のみで応援が盛り上がれない中で、選手が一番声を出さなければいけなかったのに全く声を出していなくて。初戦の勝ち方が2戦目、3戦目にどれだけ大きい影響を与えるのかという話をしていた中で、4年生2人のペアがもっとチームのために戦わなければいけなかったなと試合を見ていて思っていて、応援の全員がおそらくそのように思ったと思います。そういった中で応援がすごく士気が下がったというか、もっと元気を出してやってほしいという思い、もっとチームのために戦ってほしいという思いが応援の中にあって、はたから見たら選手が一番しっかりやらないといけないですけれど、ただもう王座はトーナメントなので、試合が全部終わってから後悔する、反省するという余裕はなくて、そういった中で選手が全力ができていない中で、応援がそれにつられて落ちてはだめだという思いがすごくありました。確かに選手は駄目で一喝しなければいけないけれど、それならば応援は100パーセント、120パーセント出し切って、完ぺきに出し切って選手に言う、選手に一喝する、選手が悪いから応援が頑張れないではなくて、応援が完ぺきにやった上で、選手に言わなければチームとしてやっている良さ、魅力がないので。誰かが駄目だったら他の人がカバーする、選手が駄目だったらサポートが、というようにしていかなければ絶対に勝てないと思いました。、あの段階で一番一喝しなければならないのは選手でしたけれど、それはベンチコーチで入れ替わった際に選手には言って、「おまえらがチームのためにやらなくてどうするんだ」と。ただそれにつられて応援(の士気)が下がるなと、厳しく一喝しました。

――1年を通しても簡単な道のりではなかったと思いますが、振り返ってみてどの時期が一番大変でしたか

1年間本当に大変でした。チームはやはり4年生が一番しっかりしなければいけない中で、それがなかなかできていないままリーグ(関東大学リーグ)まで来てしまったのが事実で。なかなか4年生で意思が、気持ちが一つになっていなかったり、実際に4年生よりも下級生が試合で活躍している中で、やはりいい時期ではなくリーグまで来てしまいました。4年生がどうするかがチームにとって一番大きいのは1年間ずっとわかっていたことなので、試合の結果として4年生がどれくらい活躍したかはわからないですけれど、リーグが終わってからの最後の1カ月間、4年生が本当にリーダーシップを持って打ち込めたことは、王座に少なからず影響があったのではと思います。

――部のマネジメントを行っていく中で、何か心がけていたことはありましたか

一つは、監督、コーチ陣が本当に朝早くから夜遅くまで誰よりも背中で見せるところが、ワセダの監督、コーチ陣のいいところであって。だからこそ、自分自身も人をまとめる立場として、誰よりも部活動に、王座という目標に対して真剣に向き合わなければいけないなとすごく意識していました。あともう一つは、自分が選手として活躍できていないというのもあるので、だからこそ部員一人一人の個性を発揮してほしいなという思いがすごくあって、強い選手だけが目立つ部活ではなくて、自分の持ち場で力を発揮できる、そういったことを含めて総力戦だというところを意識していました。

――平尾さんにとって、庭球部はどのような場所でしたか

すごく格好つけて言うと、日本一になり続けることを唯一知っているチームだと思います。やはり、他のチームはワセダと戦う時に失うものはない気持ちでぶつかってくると思いますけれど、僕たちはそういった気持ちで戦えないというのはあって。伸び伸び戦えないというか、やはり失うものはあるチームだと思うんですよ。なりふり構わずチャレンジャーの気持ちでぶつかるというのが理想ですけど、実際難しくて。失うものがあるからこそ、毎日大事に大事に過ごしてきて。疲れたから終わりたいという時でも、あと少しやろうぜとか、終わってもいいけれど少しミーティングをやろうぜとか、失うものがあるから毎日後悔しないように打ち込んでいく、そういったのが早稲田大学の庭球部だと思っています。

――それでは最後に後輩に向けたメッセージをお願いします

仲間を大切にということと、後悔しないように。13連覇に向けて応援しています。

遠藤実(スポ4=三重・四日市工)

――12連覇おめでとうございます!今の率直なお気持ちをお願いします

僕自身で言えば1年生から続けてきて、4回優勝させてもらったんですけど、今回の優勝が一番うれしいなと思います。1年生の時は自分たちで何かやったというよりも先輩に引っ張ってもらったというのが大きかったんですけど、今年は下を引っ張って、自分たちでチームをつくって優勝したので、自分たちが優勝したというのが実感が強く、今までにないものがあってすごくうれしい思いです。

――きょうの決勝戦をどのような思いで戦況を見つめられましたか

僕はベンチコーチとして今までのリーグ(関東大学リーグ)とか入っていたんですけど、きょねんの王座は最初からOBの方がベンチコーチに入っていてコートの中で巽(寛人、スポ4=福岡・柳川)と一緒に戦うことができず、ことしもOBの方が入ったのですぐ真後ろから応援しました。拍手しかできない状況の中でしたが、同じ4年ですし一緒に勝って終わりたいという気持ちがあったので、なにがなんでも死に物狂いで応援して、巽を勝たせられたことができて良かったなと思います。

――今おっしゃったように、今季ダブルスを組んだ巽選手の試合への思いが1番強かったのでしょうか

そうですね。3年生の時からベンチコーチに入って、丸2年ぐらいベンチコーチをしていますし、ダブルスを組んだりもしていたので。もちろん他の後輩たちもかわいいですけど、一緒に頑張ってきた同期に頑張って欲しい、一緒にやってきた仲間に勝ってほしいというのが1番ありましたね。

――早大庭球部での4年間はどのようなものでしたか

1年生の時は4年生に引っ張ってもらって、朝の掃除から夜の掃除までいろいろな仕事を覚えたり、長いこと部室で過ごしたり、辛いことや大変なこともいっぱいあって何度も辞めたいなと思ったこともあったんですけど、同期や先輩が頑張っていて。僕自身、人が好きなので、テニスを置いておいても仲間と一緒にやってこれたのが一番かなと。友情だったり、監督たちに教えていただいたことだったり、人とのつながりというのが一番の宝物なのかなと思います。

――同期という立場から、小堀良太主将(スポ4=東京・大成)はどのような存在でしたか

正直僕たちの代はキャプテンを誰がやるかギリギリまで決まっていなくて、一浪していて年齢的に一つ上の松崎(勇太郎、スポ4=神奈川・湘南工大付)がやるのか小堀なのか、練習熱心の村松(勇紀、社4=青森山田)なのかと。みんな個性がある分、誰がキャプテンになってもまとまるのかなという中で小堀になりました。本当にあいつはカッコいいこととかよく言うんですけど(笑)、それでまとまっているのかよくわからなくなった時期もあって。それでも、最近になっちゃうんですけど夏を経てリーグや団体戦をみんなでやっていく中で、やっぱり小堀が一番ファイトして練習したり、元気を出していたり、みんなに声をかけていて、終わって考えてみれば、みんなを引っ張っていたいいキャプテンだったなと思います。

――ではそのほかの同期にはどのような言葉を掛けたいですか

1年生の時にはもう3人いたんですけど、みんなきついと言って辞めてしまって。そんな中残った8人でやってきて、いろいろぶつかったこともあったんですけど、それを乗り越えるごとに仲が深まって絆も強くなっていきました。みんな優しく、いい同期に恵まれたなと思っています。

――後輩はどういった存在ですか。またどのような言葉を掛けますか

人とのつながりとか仲間の大切さを庭球部生活で感じたと言いましたが、この4年間で過ごした仲間というのは将来ずっと付き合っていくと思いますし、一生の宝物になると思うので、同期を大切にしていい絆を作ってほしいなと思います。

――最後になりますが、庭球部でのこの4年間は今後どう生かしていきますか

上下関係だったり、正直理不尽なことを耐えることだったり(笑)、精神的に相当鍛えられたことは4月から社会人として働く中でも糧になると思います。そしてまた同期と集まったり付き合っていけたらなと思います。

木島駿(スポ4=東京・日野台)

――優勝、そして12連覇おめでとうございます!今のお気持ちをお聞かせください

本当に率直にうれしいです。

――きょうはどのようなお気持ちで試合をご覧になっていましたか

例年の王座(全日本大学対抗王座決定試合)と違って拍手しかできない中でベンチコーチしか声を出せないのですが、ベンチコーチとしても入れなくて。なかなか選手に思いを伝えるのが難しかったのですが、それでも必死に思いを伝えて選手も応えてくれたのがうれしかったですし、最後島袋(将、スポ1=三重・四日市工)が(勝利を)決めた時は本当にすごく感動して、4年間で一番良かったなと思ったので。本当にそれだけですね。

――ベンチコーチに入られた関東大学リーグでは、選手より声を出している姿が印象的でした

僕の中では、練習の時もそうですけど、周りの雰囲気を盛り上げるであったり士気を上げるということであったりを重視してやっていました。自分はチームの中ではテニスの実力はなくて、できることは何かなと思って探してやった結果があれだったので、自分のスタイルを貫いて、チームに少しでも貢献できたのかなと思っています。

――ことしのチームはどのようなチームでしたか

みんなが言うように4年生がなかなか試合で勝てないチームだったとは思っていて、同期も結構バラバラな部分があったりとか、本当に大変だったのですが、その分3年生とかそれ以外の学年がすごく問題意識を持ってやってくれて。総力戦だとずっと言っていたので、それができてよかったかなと思っています。

――同期の皆さんにはどのような思いがありますか

すごく中途半端な個性があって。個性が強すぎて手をつけられないとかではなくて中途半端に個性があって、それぞれ我が強かったりしてなかなかまとまらないのですが、でもどこかに、松崎(勇太郎副将、スポ4=神奈川・湘南工大付)を含めてですが、この代も優勝したいよねという思いは必ずあったので。まとまらなくても一人一人が頑張っていたと思いますし、自分たちらしかったのかなとは思います。

――庭球部で過ごした4年間はどのような4年間でしたか

自分自身としては高校時代にテニスを終わろうと思っていたのですが、最後悔いが残ってやり切れなかった、目標を達成できなかったというのがあって。日本一のチームでやりたいなと決めて大学に入ったので、そういった意味では自分が最後に過去最高の成績を出すことができましたし、日本一を4回も連続で経験できたのは本当によかったので、そういった意味では日々悔いないように過ごすことがやり切れて、今は本当に後悔がないというのが最高なのかなと思います。

――後輩の皆さんにはどのような言葉を掛けますか

きょうの一日を忘れないでほしいなと思います。僕が1年生だった時もきょうのこの日を迎えるまで何のためにやっているのかつかめないままだったのですが、この日があってやってきたことが証明されると思うので、きょうを経験した1、2、3年生は、忘れずにまた頑張ってほしいなと思います。

巽寛人(スポ4=福岡・柳川)

――優勝おめでとうございます。今のお気持ちは

優勝できて本当に良かったと思います。去年のこの試合で僕は負けて、それから1年間練習試合も含めて負けなしでこれたことは特にやり切れたという思いでいっぱいです。

――巽選手にとって最後の王座となりました

最後の王座(全日本大学対抗王座決定試合)ではあるんですけど、だからといって特に何か特別な思いがあるわけでもなく、やってきたことを出し切るだけだと考えていました。この大会三日間は特に、連覇もかかるということでいろいろなプレッシャーや感情に左右されるかなと思いましたが雑念がない良い状態でプレーできて精神がそういった部分で上回ることができました。2年で初めてリーグ(関東大学リーグ)で出場してからここまで試合に出させていただいて、場数を踏んだというか周りからのストレスにも慣れましたし、自分の保ち方とか4年生でやっと得られる部分もあったので緊張はしていましたが、冷静に臨めた王座でした。

――ダブルス2-1でシングルスに回ってきました。ダブルスの活躍を見てどのように感じましたか

やっぱり、昨日は1-2となって苦しい場面もあった中きょうは2-1で勝ってきてくれてきのうより気合が入っているなと感じましたし、ダブルス1が競った試合内容の中で勝ち切ってくれてその姿にすごく僕も勇気をもらいました。ダブルス2-1となったからこそ、シングルの大きな流れにできたと思うので本当にダブルスのみんなには感謝しています。

――ご自身の試合を振り返って

そうですね、落ち込む場面はあったんですけど仲間の応援やサポートを受けて持ち直すことができましたし、冷静に勝ち切ることができました。今までで一番の試合内容という訳ではありませんが、大学生活最後のテニスとして自分の大きな収穫となる試合でした。

――セカンドセットから相手の調子も上がってきました

相手の調子が上がっているのは理解していたんですけど、常にゲームを通して自分が主導権を握っていましたし、リードする展開だったので、そういった部分がアドバンテージとなって最後まで余裕を持って戦い抜くことができたのが勝因だと思います。

――リーグから今回の明大戦にかけて大きくチーム力が向上しました

リーグから話し合いを重ねてきたり、練習でも王座に向けての雰囲気にそぐわないことがあったらささいなことでも修正するようにこの1カ月間努力してきました。そういったことで課題であったチーム力が補ましたし、それが要因となって人と人とのつながりといいますか、チームが一丸となることができました。たしかに明大は4年生が主軸となってかなりチーム力が高い相手ですが、王座でもさっき言ったことが自分たちで意識づけてできていたことでリーグよりも差をつけて優勝できたと思います。

――本日でチームが代替わりとなりますが、最終学年の1年間を特に振り返っていかがですか

そうですね、僕は人の前に立つとかコートの中心で何かを言ったり示すということが苦手なので、そう言った意味でこの1年間はかなり居づらい部活生活でした。しかし卒業して社会に出るに当たってそういったスキルは必要となるものなので、後輩にしっかりと伝わったかは分かりませんが、人の前に立つだとか行動で示すということを苦手ながらもやってきたことは大きな経験となった1年間でした。

――庭球部の生活の中で成長した点は

何かをやり遂げたという訳ではありませんが、自分のとった行動が結果となるということを信じて、ではそれに向けてどれだけ正しいことができるかということを常に考えてやってきました。そういった意味では自分のモットーである自因自果を貫けました。

――4年生の同期にはどういった思いがありますか

いままでずっとどこか、1つになるとかまとまるということができなかった分、最後の王座でようやく1つになることができました。僕らはどうしても個が強いので先輩方にもご迷惑をおかけしましたし、上級生になってからもなかなか下級生に行動で示すことが思うようにはできなかったのでこの日があって良かったです。

――一言でことしの4年生を表すとどのような代でしたか

ある意味でカラフルですかね。

――この代で良かったと感じることはありますか

代替わりしてから今まで公式戦の団体戦では負けが1つもなかったことが良かったことですね。

――競技生活は今後も続きますか

はい、会社に実業団があるので続けます。やっぱり自分にとってテニスとはそう簡単に離れられるものではないというか、幼い頃からやってきたテニスを通じて競技力だけでなく人間的にも成長してきました。今後は社会人として仕事と両立しなければならないので今までと環境は変わりますが、実業団で頑張りたいです。テニスは好きですし、やはりやっていて楽しいし、勝てるとうれしいので。具体的な目標はありませんが、自分の中で好きなものの1つとして続けていきたいです。

――ことしも12連覇を成し遂げてこれからも王座の伝統が続いていきます。後輩へ向けて最後にメッセージをお願いします

本当に僕たちの後輩は才能がある子ばかりで、技術面でも体力面でも僕より秀でている子たちです。そういった部分を発揮して今年も勝つことができたので来年以降もそういった自分たちの良い部分、取り組みを信じてやっていただければと思います。

村松勇紀(社4=青森山田)

――王座優勝おめでとうございます!今のお気持ちは

疲れましたね(笑)。最後の3日間で1年間分の力を振り絞りました。本当に勝ちたいという気持ちが出たなと思っています。

――12連覇という数字に対してはいかがですか

普段は王座優勝という目標に向かって必死に練習するということを考えていたんですけど、やはり本番となった時に、自分はコートに立てませんでしたがコートに立っている人は自分たち以上だったと思います。コートに立っていなくてもどこかで相手に流れが行ってしまいそうになった瞬間はこれまでの11連覇というのを思い返して、先輩方はこのプレッシャーの中でやってきたんだなと。それが自信というか、「先輩方がやってきたんだから自分たちもやらなきゃいけないんだ」という気持ちになってやれたというのは大きかったと思いますね。

――日に日にプレッシャーも増していく中で、どんなお気持ちで試合をご覧になっていましたか

2回戦、準決勝、決勝と日を追うごとにプレッシャーは高まってはいったんですけど、その分自分たちにやれることを精いっぱいやろうという気持ちにもなっていったというのが事実あって。僕の中では準決勝が本当にしびれたというか、プレッシャーを背負いながら自分もやっていたなという印象があります。その一方で決勝では準決勝の厳しい試合があった分、選手を信じて自分のやるべきことをやるという目標が明確だったので、劣勢の場面でも不安になることが少なくみんなを信じてサポートできたかなと思います。

――一番印象に残った試合などはございますか

王座を決めた決勝戦シングルス2、島袋の試合を応援していて、優勝が決まった瞬間は本当にほっとしたなという印象があります。それと同時に、ダブルス1でずっと小堀と松崎が出ていて、どうしても勝たせてあげたくて。準決勝では本当に必死で戦っていたんですけど、隣の2も負けてしまって、あわよくば0-3になりそうだった場面がすごく印象的で。同期を応援しながらこの4年間を思い返して、すごく不安になるところもあったんですけど、自分たちのやってきたことを信じて応援することができたと思います。

――これで4年間の競技生活が終わりましたが、改めて振り返っていかがですか

かなりいろいろな立場を経験させていただいたというのがこの4年間であると思っています。1年生の頃は本当に裏方で、試合に全く関わることのない立場を経験させていただいて。2、3、4年生では選手候補であったり、試合に出る選手として活動させていただいて。それぞれで感じることは多くあって、それを語ると多分日を越えてしまうと思うんですけど(笑)、どちらの難しさも感じることができたかなと思っています。サポートしてくれるメンバーというのは体を動かすこともできず、特に今回の王座であれば拍手だけのサポートということで、声を掛けたりしたいのに拍手しかできない中でも選手を応援してくれるという難しさを自分も今回経験することができました。選手として王座優勝に貢献したいという気持ちも1年生の時からすごくありました。表彰式で毎年MVPが発表されるんですけど、ワセダの先輩方がMVPになっていて、すごくかっこいいなと思って。自分も単複でチームに貢献して、いつか絶対MVPを取りたいなという思いがずっとありました。それはインカレ(全日本学生選手権)で優勝することよりも自分の中では大きな目標でもあったんですけど、最後まで王座では試合に出ることができなくて、そこは正直すごく悔しさが残る4年間で。何か自分であと少しの工夫があれば出られたんじゃないかなと思うと、あと4年間やってもいいのかな(笑)。とは思わないですけど、そう思うくらい悔しかったですね。ただ現実を認めなきゃいけないということも今後はあるかと思います。この悔しさを忘れないでやっていければ、この4年間も無駄じゃなかったなと思える気がします。

――これから競技を続けるご予定はございますか

テニスは一旦終わるかなという方向ではいます。自分の可能性を感じたらもしかしたら続けるかなとも思いますけど、今のところはその予定はないです。

――4年間共に戦ってきた同期の皆さんにはどんな思いがございますか

本当に同期は大好きで、4年間年を追うごとに好きになっていけたと思います。試合をしていても同期の存在というのはすごく心強くて、試合に出ていれば応援してくれるのは同期、試合に出ていなければ試合に出ている同期を必死に応援して。普段も常に一緒にいて、4年間同じような経験を一緒に味わえた仲間というのは本当に大切だなと感じています。どれだけ仲が悪くても、これだけ一緒にいればけんかもしますし、けんかして初めて仲が深まっていくなというのは庭球部生活を終えてすごく感じていて。だからこそ同期はこれからも大切にしていきたいですし、後輩にもそういった心持ちを持ってほしいと思います。

――監督・コーチ陣の皆さんについては

隼さんにはリーグの中日で強く叱られた日があって、そこで自分の弱さを気付かせてもらったというのが自分の中ですごく大きかったです。土橋監督はじめコーチ陣の皆さんが支えてくれて、4年間王座を連覇し続けて終われてすごくうれしくて。そういった支えがなければこの瞬間も味わえていないと思うと、自分は本当に周りの人に支えられて、仲間とのかけがえのない瞬間を迎えられているんだなと感じたので、そういった方々への感謝の気持ちを忘れないで行きたいと思います。

――最後に、これから部をつくっていく後輩たちにメッセージをお願いします

それぞれの代によってカラーもありますし、僕らの代は散々怒られて後輩たちから頼ってもらえるチームになり切れずに、王座優勝はできましたが自分たちで考えて行動していればもっといいチームができたんだなと今思っています。後輩たちにはそういうことに早めに気付いて、王座を迎えるまでの1年はもうスタートしているので今すぐにでも本気で本音の話をチームでして、課題を克服して、いいチームをつくっていってほしいなと思います。