【連載・番外編①】『新時代―New Age―』浅井龍雅副将×平林智弥主務

庭球男子

 圧倒的な強さを誇る早大庭球部。その強さの裏側には、試合には出場せずとも、陰ながら部を支える選手たちの存在がある。チームをまとめ、盛り上げてきた浅井龍雅副将(スポ4=兵庫・明石城西)。部の運営にかかせない仕事を数多くこなす主務の平林智弥(教4=東京・早実)。今回は、全日本大学対抗王座決定試合(王座)9連覇を目指す庭球部をサポートしてきた4年生のお2人にお話をうかがった。

※この取材は10月13日に行われたものです。

裏方としての役割

和気あいあいと取材に応じる浅井(左)、平林

――主務、副将のお仕事は具体的にどのようなことなのでしょうか

浅井 毎年、副将って具体的な仕事は与えられていなくて、その年その年でその人の色がある感じで。自分ははじめ、役職に就いた以上、怒るとかキャラ作りしないといけないかなと思っていたんですけれども、やっぱり仮面かぶってそれやるのも自分の中で嫌だったし、自分は冗談言ったり、ふざけたりして盛り上げることの方が向いているなあと思って。練習中はそんなことはできないですけれど、オフタイムとかに積極的にいろんな人に絡んで、そういうところで部を盛り上げるのが自分のスタイルかなと。役割として与えられているわけじゃないですけれど、それが自分がやっていることかなと思います。

平林 主務は、まず高校生の勧誘活動と、部の予算とかを扱っている会計と、あとその他雑務が山ほどあって。部活外の人と接することが多くて、例えば、テニス協会とかそういう方との間で窓口みたいなのをやったり、とにかくいろんな分野にわたって手を伸ばさなくちゃいけなくて、なかなか難しいですね。僕のほかにも、4年の女子ひとりと、3年の男女2人で一応4人で手分けしながらやっているんですけれど、その3人のほうが僕よりできるので、僕がその4人の長みたいになっているのが、よくわからないんですけれど、主務の仕事はそういう、部の裏方です。普通に卒業していく人は、多分マネージャーの仕事がどんなのかというのを分からずに巣立っていくと思うんですけれど、それはちょっと悔しいですね。

――新体制がスタートする前にチームについて何か話し合いはされたのですか

浅井 1つ上の代がすごくまとめてくれて、去年の王座でいい感じで終わることができたので、それを継続しつつ、まあ自分らの代は陰キャラ多くて(笑)、盛り上げ上手は正直あんまりいないんですけれど。個性はあるので、その色を出していけたらいいなという話はしてたんですけど、やっぱり自分を出せないやつらが多くて。

平林 4年生としてみんなを引っ張っていくやつはあまりいなくて、どちらかというとみんな裏にまわって、結構真面目にサポート。

浅井 実はやってるけど、それを表には出さない。真のサポーター的な。

平林 コンセプトみたいなのはそんなにないんですけれど、個々でできることはみんなやっていって、自分にできることでチームを支えていく感じです。

浅井 前の主将の横山さん(良輔、平25スポ卒=佐賀・龍谷)っていう人が、自分らの代のことを例えたら、「おまえらの代は生デニムだよ」って言われて、「何言ってるんすか」って思ったんですけれど(笑)。意味があって、「はじめは、しょうもないっていうか味はないけど、こうやって3年間やってたら、徐々に味が出てくる。お前らの良さが分かってきたよ」って言われて。新体制になった時もはじめは、みんな自分が最上級になってよく分からんし。けど最近になって、相当時間かかったけど…

平林 いい感じに色が出てきたのかなって。

――裏方としてやってきて1番つらかったことは何ですか

平林 僕は、高校生の勧誘活動ですね。勧誘するだけだったら、お手の物なんですけれど、勉強も教えなくちゃいけなくて、小論文とか面接とかの対策を、さっきもずっとやっていて。インターハイが終わった8月末から12月くらいまでひたすら勉強を教え続けるんです。ことしは僕も、選手としては終わっていたのでよかったんですけれど、去年はまだ選手兼マネージャーみたいな感じなので、自分のテニスもやりながら、でも高校生たちの勉強も教えなくちゃいけない。高校生の受験になんで自分がこんな時間さかなくちゃいけないんだろうって。特に去年の今頃の時期は思っていて。3年生にして、あー部活やめてーって毎日思いながら。

浅井 でも僕も自己推薦で入って、今平林とかが指導している高校生側で入ったので、今と昔が比較できますね。こいつは普通に早実からぬくぬく育って入ったので(笑)。

平林 いやいやいや(笑)。

浅井 自分の時は、そんなに高校生指導が充実した体制ではなくて、自分は東京に近くないのもあったんですけれど、FAXでやりとりして、ちょっと添削してもらって、あとは自分でやれ、みたいな感じで。

平林 みんな結構地方から泊り込みで来たりもするんですよ。

浅井 自分が来たのも高3の時、1回だけで、面接練習と小論指導ちょっとやってもらって帰ったくらいだし、それに比べたら今の主務・副務は、毎週のようにやっているし、多いときは7,8人だし、忙しい。

平林 切実にお給料ほしいなって思いますよね(笑)。

浅井 でもその甲斐あって、今の1,2年くらいからやっぱり、合格率はあがっているかな?

平林 結構、戦力自体は充実してきているなって思うので、そこはやりがいがあるんですけど、それを差し引いてもちょっと…。

浅井 自分らが引退しても、こいつらが入れた学生が勝ってくれるということを祈ってやるしかないよな。僕は、体力的にきつかったのはやっぱり1年生の時。例あげたら、インカレ(全日本学生選手権)が僕らが1年生の時まで有明で、夏休みなので、毎日、朝から晩までずっとサポートでいて。朝始発ぐらいで行って、帰ってくるのが10時とかで部室の掃除とかして、みんなで部室に泊まって、朝に陣地をとって、みたいな感じで。それがめちゃくちゃきつくて、きつすぎて選手も泊まってなかったのに、僕ともう1人で、有明のワシントンホテル泊まったんですよ(笑)。精神的にきつかったのは、やっぱり自分が最上級になってからで、副将になったけど自分が引き金となって全体を巻き込んで起こした問題もあったし。それでほかの人が怒られるのも自分の責任と思って、すごく苦しかったですし、それに対して下の学年から言われるのもしょうがないことだったけど、それがやっぱり悔しかったし、苦しかった。あとは(春の)早慶戦(早慶対抗試合)の時期に、土橋さん(登志久監督、平元教卒=福岡・柳川)に怒られ続けて、「お前いる意味ないよ」みたいな感じで言われて。確かに自分はその時何もやってなかったし、言われるのももっともだと思って、コーチにも怒られて、部室で泣いた。

平林 2人で号泣。二十歳すぎて、情けない限りですね。

浅井 僕ら2人しか知らない。

平林 あの時が、春の早慶戦前が一番ピリピリしていたっていうか、雰囲気的にもいろいろあったので、チームがまとまりにくい状況で、僕らも何やったらいいか、分からなくて。なかなかその時期は思い出すとつらいことがありますね。

――逆にやりがいを感じる時はありますか

浅井 やっぱり自分ら主導でやっているんで、早慶戦の頃と比べて、確実に良くなってきているというのが一番身近に感じられる。3年生までは、上の人が引っ張ってくれているところに、ついて行って、盛り上がってという感じだったんで。今度は自分らが主導になってみんなを巻き込むっていうことができているので、その点はやりがいもあるし、楽しみでもありますね。まあ、悪かったから(笑)。もとから良かったら良かったんですけど。

平林 まあそんな感じでしょ。

浅井 たしかに。ずっと良い時なんてないし。

――ベンチコーチに入るときや応援の際に意識していることは何ですか

浅井 ベンチコーチは選手からの指名なんですよ。遠藤(豪主将、スポ4=三重・四日市工)が、レギュラーの試合出る可能性のある選手に、希望を聞いて、決まっていくんです。自分がやりたくて、勝手に入っているわけじゃなくて、指名されてやっているので、その分責任もあるし、その選手のことを分かってあげないといけないなと思いますね。

平林 僕は田川(翔太、教4=神奈川・湘南工大付)のベンチコーチなんですけれど。どう考えても、僕より田川のほうがテニス上手いじゃないですか。

浅井 まあ上手いよね(笑)。

平林 どう見てもね。なんですけど、ベンチコーチなんで僕がコーチングしなくちゃいけなくて、何言ったらいいか最初のうちは分からなくて。

浅井 それは俺らの代は全般的に…正直、層は薄いから。上が突出していて、その下ががくんと落ちるので。

平林 僕ら遠藤(豪)と田川が強いんですけど、あとは雑魚みたいな人多いんで(笑)、ベンチコーチはみんな結構悩んでると思います。あと、僕は田川・遠藤(豪)のダブルスのベンチコーチに入っていて。田川はガッツ出して吠えるタイプなんですけど、遠藤(豪)は、結構クールにプレーするタイプなので、1番最初に僕がベンコ入るときに田川・遠藤(豪)に言われたのは、とりあえず「遠藤(豪)の分も叫んでくれ」。

浅井 田川に?

平林 田川に言われました。なので、2人がポイントとると、田川が「うわー」って叫んで、僕も「うわー」って言うんです(笑)。あの2人結構アップダウンが激しいので、その分僕がアップアップし続けるというのが、自分の一番の役割かなって思ってます。ビデオ撮ってるじゃないですか。あれ見ると結構僕の声しか入ってないですもん(笑)。

浅井 僕は古田(陸人、スポ3=愛知・名古屋)のシングルスと今井(慎太郎、スポ2=神奈川・湘南工大付)・古田のダブルスに入ってるんですけれど。まあなる前も、古田に指名されるだろうなっていうのは思っていて。その理由は、仲がいいというか、プライベートでも一番時間を過ごしているし、だいたいベンチコーチは4年生がなりやすいんです。1,2年はボーラーとか審判の仕事があるので。多分、指名されるだろうなと思っていたらやっぱり指名されたので、言いやすいといったら言いやすいですね。

平林 何意識してやってんの?

浅井 褒める。声と褒めることかな。悪い時は、あいつは気持ち的にふてくされることがあるから、怒ったらあかん。我慢しよう、待ったらチャンス来るから、とかなんとか気持ちが折れないように努めること。今井・古田の時は、(今井)慎太郎がめっちゃうるさいから、それにのっかって一緒に盛り上げる。でも、やっぱりダブルスのほうが盛り上がりやすいよね。2人も声出してくれるし。

平林 あと田川は、試合の時めっちゃきょろきょろしてるんですよ。あいつ視野が広くて、とにかくいろんなやつのこと見てて、僕がよそ見してるとすぐ分かるんで。あいつがぱっとこっち見たときに、目を合わせて、(うなずく動作)ってやらないと、ちょっとふてくされることがあるので、常に田川を見続けることを意識していますね。ちょっと気持ち悪いですけど(笑)。

サポートされる側からする側に

ベンチコーチでは一番大きな声を出す平林

――4年間を通して印象に残っている試合は

平林 去年の(秋の)早慶戦で、一つ上の只木さん(信彰、平25教卒=神奈川・湘南工大付)と西さん(優馬、平25スポ卒=福岡・柳川)のダブルスの試合があって盛り上がりが半端じゃなかったです。

浅井 そのとき僕、審判に入れられました(笑)。

平林 僕が入学してからたぶん一番盛り上がった試合で、実力も拮抗(きっこう)していて勝てるかわからなくて、西さんと只木さんはずっと試合(団体戦)に出てなかったんです。サポートの立場でお世話になることも多くてその分僕たちの思い入れも強くて、その2人が最後試合に出て活躍している姿は、めちゃくちゃ感動しました。

浅井 自分は逆に負けた試合が印象に残っています。去年の王座の準決勝の相手が関大で、シングルス1のいま社会人の福田(健司)っていう人が居て。田川はインカレで優勝してチャンピオンとしてシングルス1で出たんだけど、すごく緊張しちゃって相手もどんどん乗ってきて。結局田川が負けてしまって、負けた田川が一番悔しかっただろうけど、その試合ずっと応援していて、見ていた自分もすごく悔しかった。その夜田川に、決勝には上がったので「あした法大と対戦するときに頑張れよ」ってメールを送って、結局負けてしまったんですけれどそのやりとりと試合をすごく覚えています。

――試合に出たいという気持ちはありますか

浅井 いやもちろん、初めはありました。高校時代も全国大会とか出てたし、日本一目指してやってたんですけれど、なれなくて、大学時代に団体戦で日本一になりたいと思って、早稲田大学受けたので。自分が選手として出たいっていう気持ちはあったけれど、それは勝負の世界で、強い人が出るのが当たり前だし、その戦いで自分は負けたので。そこで自分がレギュラーになれなかったからって、もう嫌ってやめたらただの根性なしだから。1、2年生の時は実感わかなかったけど、徐々に裏方でも王座優勝したらすごい達成感あるってことが分かったからそれをモチベーションにしています。実際出たいけど、でも出たら負けるし(笑)。

平林 僕、いつでも出る準備できてますよ(笑)。僕も高校時代それなりにテニスやっていて、全国大会たまに出たりしてたので、選手として活躍っていうのが一番でこの部活入ったんです。たしかに、入って3日くらいでこれ絶対レギュラー無理だって思ったんですけれど、そこは諦めちゃうと選手としてどうなのかなって思うこともあるので、現実問題厳しいのかもしれないですけれど、ある程度そこを目標にして選手時代はずっとやってきたかなっていうのはあります。

浅井 まあ届かなかったね。

平林 まあ届かなかったね(笑)。だからってふてくされるわけじゃなくて、僕は高校の時も部活中心でテニスやっていたので、チームで一つのことに向かうっていうのがすごく好きだったんです。そういう意味では選手じゃなくてもどの立場にせよ、チームや集団に貢献するっていうのは、裏方でもすごくやりがいのあることなのかなって考えてますね。

浅井 就職活動の時に言っていたんですけれど、王座優勝しました、みたいなこと書くじゃないですか。試合に出てるのって聞かれて、実際出てないですって言うと、それについて聞かれて。高校時代は、自分が選手として出てて勝って、それで嬉しかったけど、自分が出てる傍らで支えてくれる人がいて。でもそれが大学時代で、自分は出られなかったけど支える側になって優勝とかいろいろ経験できて。そういう人のありがたみを分かることができたし、(試合には)出れなかったけれど、そういう面で人間的に成長できましたって言ってて。それは悔しいけどよかったかなって思う。

平林 これ僕も言ってましたね、就活の時。かぶったね。

浅井 鉄板?でも実際ほんまにそうで、高校時代に、口悪いけどテニス弱いから出れてないんやって思ったけれど、その子らは必死になって応援してくれてたし、その人たちの気持ちが分かったから、逆に今のレギュラーたちを応援できるっていうのはありますね。

平林 高校生の時は、自分がサポートされてて、あのまま自分がここにも入らず普通の大学生活していたら、どんな人間になるのかと考えるとちょっと怖いです。

浅井 でもワセダは、レギュラーでも雑用とかあるし、プロの人が全員そうとは言わないけど、テニスが強い人はプレーだけしていればいいわけじゃないから。ワセダは、そういう面でレギュラーの人もテニスはもちろん強いけど、そういうサポートがいるありがたみを知れるのは、いいところだと思います。

――ここまでの4年間はどのような4年間でしたか

平林 苦しいことの方が多いですけれど、8が苦しいとしたら2の楽しさは半端じゃないなと感じます。苦しみ続けることは多いですが、その分部活や高校生の勧誘活動などの成果が出たときはうれしいですね。

浅井 苦しいことも多かったし、すごく時間に追われ続けた印象があります。いままでもそうだったけれど、性格的にそういった生活の方が合っているかなと。頑張った後に楽しいことや喜びが待っていた方が、この部に入らないで普通に学生としてぬくぬくやっているよりは充実した4年間を送れていると思いますね。

――何か印象に残っているエピソードはありますか

平林 春先って新入生が入ってくるんですけれど、雰囲気が合わないとかすぐに辞めちゃったり出入りが激しいんです。1人ことしも初心者の子が入ってきたんですけれど、すごくやる気に満ち溢れている子で。僕らとしてはテニスの技術よりもテニスに対する情熱がある部員が入ってくるとうれしくて、うまい下手は関係なく、そういう子が1人でも多いといいんです。すごく真面目だったんですけれど、この部バイトできないんで、金銭面の問題で家庭の事情もあって、「どうしても部活を続けるのが厳しいので、心惜しいけど辞めます」という話があって。辞めてほしくなかったですけれど事情があるので引き止められず、「もし戻ってきたくなったら戻ってきてほしい」と言いました。そいつが最後部を去るときがちょうど春関(関東学生トーナメント)で、田川の試合を僕と彼の2人でずっと応援していたんですけれど、その日に辞めることになっていたんです。辞めるやつってだんだん影が薄くなって、すーっと居なくなるやつが多いんですけれど、そいつはその日に辞めるって分かっていても最後まで心を込めて田川を応援していて、「なんでこういうやつが部活続けられないんだろうな」って。僕も部活辞めたいと思うこともあるんですけれど、続けさせてもらっているということは親に感謝しなきゃいけないと思いましたし、最後の年にして自分の部活に対する姿勢を改めて考えされられました。この前たまたま銀だこの前で会ったんですけれど、「おお、元気?」って言ったら、「ああ、元気っす!平林さん、頑張ってください!」って言われて、なんかよくわかんないなって(笑)。

浅井 そいつが辞める報告を部員の前でしたときも、(平林は)泣いた。

平林 情けないことに号泣した。

浅井 泣いてばっかりやな。ださ(笑)。

平林 泣き芸みたいな(笑)。

――遠藤豪主将はどんな主将ですか

平林 表に出るタイプじゃないので最初は相当悩んでいました。

浅井 やりたくないって言ってたよね。でもなるだろうって雰囲気はあった。

平林 なんだかんだでやりたいんですけど、別にやりたくないし、っていうのがかっこいいと思っている節はあります。そういうやつだよね。

浅井 でも俺とか田川と違って、そんなに自分からしゃしゃって出てきたり、ふざけたりするタイプではない。

平林 言葉で表現するっていうのは本人もすごく難しがっているので、その分をプレーや姿勢で模範といいますか、他の部員を引っ張ってくれているので頼もしいです。

浅井 これは主将になる前からだけど、オンとオフが良い意味ですごくしっかりしている。部にいるときは絶対部に尽くすし、オフのときはリフレッシュして、やるときは本気でやっていて、オンとオフの切り替えは見習いたいです。

平林 ちょっと上からになっちゃいますけれど、上の代になって役職を与えられた中で一番変わったのは遠藤(豪)だと思います。いままで他の学年の部員とあんまり関わろうとしなかったけれど、積極的にコミュニケーションを取ったり、参加しようとする姿勢はだいぶ変わったと思います。

浅井 練習表作って、みたいな誰かやってっていう仕事あるじゃないですか。それも昔は絶対やらなかった。主将になってからは積極的にやってくれるようになったと思う。

4年間の集大成へ

選手を支える浅井

――お2人にとっての王座とはどんなものですか

浅井 一番楽しいし、リーグ戦(関東大学リーグ)ってめっちゃきついんですよ。中1、2日で2週間弱あって5戦なので、特に下級生の頃は体力的にもきつい。でも王座は3日だけで、しかもその代の最後なので、きついけれど楽しいっていうイメージが強い。感動するし、大学に入ってからは年末年始ではなく、10月の末が1年の集大成っていう感じですね。ことしに関しては最後なので、4年間の集大成です。

平林 お祭り的な感じかな。選手に勘違いされるかもしれないですけれど、僕の中ではお祭りというか集大成みたいなものでもありますし、全てを出し切る場所だと思います。特に最後ということもあるので、全て置いていこうかなと思います。

――注目する選手はいますか

平林 僕は1年生の村松(勇紀、社1=青森山田)ですね。

浅井 コアなところ突いてきたな。

平林 どなたも知らないと思いますけれど、彼すごくて12歳以下のときは日本代表でテニスやっている人で知らない人はいない選手です。

浅井 アメリカで錦織圭(プロ、日清食品)がやっていたプログラムと同じのをやっていたんです。

平林 将来有望な選手ですけれどなかなか爆発しなくって、でもテニスを見ているとすごくセンスを感じるのでテニス面での今後の爆発に期待できます。あとギャグセンが高いっていう。

浅井 あの見た目で。

平林 見た目はすごく暗くて文化系っぽいんですけれど、みんなが見ている前で堂々とやってのけるので肝っ玉座っているなと思って。僕が指導して合格してもらったというのもあるんですけれど、ぜひ彼には今後チームを引っ張っていってほしいです。

浅井 僕はベタだけど田川かな。去年王座で準決勝、決勝負けたというのもあるし、高校時代から試合したこともあるし、でも高校時代の田川はクソ野郎だと思っていて、こいつと同じチームとかマジ嫌だと思っていて。

平林 いまも大概ですけどね(笑)。

浅井 いまも一番嫌いですけれど(笑)。個人でインカレ3連覇しているし、王座は優勝するのは絶対で個人でも全勝してリベンジしてほしいですね。

平林 これ王座に出る選手の方が良かったですか?村松カットですか(笑)?

――王座までにチームをどのような状態に持っていきたいですか

平林 いまレギュラーは試合形式の練習が多くて、毎週練習試合をしたり対抗戦を組んだりしています。そういう意味ではリーグ戦終わってから1カ月経っているんですけれど、レギュラー選手をはじめ全部員含めて試合モードに切り替えることが重要かなと思います。この期間が長ければ長いほど試合で良いパフォーマンスができると思うので、特に僕らサポートする側がもっとスイッチを入れて部を盛り上げていきたいです。まだまだ甘いところもあるので。

浅井 レギュラーに関しては自分たちも自負があるだろうけれど、僕たちから見ても間違いなく日本で一番練習してきていると思うので自信を持ってやっていってほしいです。プラスアルファとして万全の状態で臨んでほしいから、王座では心身ともに100%で臨んでほしいと思います。サポーターに関しても試合の当日に誰かが休むのは嫌なので、全員で参加できるように体調管理をするのと、僕らサポーターが盛り上がったら選手たちも絶対に盛り上がる雰囲気になるので、試合に近い雰囲気づくりをしていきたいと思います。

――最後に王座への意気込みをお願いします

平林 これ一番シンプルで難しいなあ。さっきも言ったんですけれど、有明テニスの森に全てを置いてきます。

浅井 過去3年間たぶん全部泣いているので、泣きません。

平林 無理でしょう。すぐわかる(笑)。

浅井 意気込みや。

――ありがとうございました!

(取材・編集 細川香衣、吉原もとこ)

王座がどういう場所かを一文字で表していただきました

◆平林智弥(ひらばやし・ともや)

176センチ、64キロ。 東京・早実高出身。教育学部4年。自らを宴会部長的な立ち位置と評するが、真面目な部分もこの部で養うことができたと語る、主務。記者の王座注目すべき選手は、ベンチコーチでの大きい声援が特徴の平林主務です!

◆浅井龍雅(あさい・りょうが)

165センチ、63キロ。兵庫・明石城西高出身。スポーツ科学部4年。副将として、部を引っ張る浅井選手。終始明るく、時には関西弁での鋭いツッコミもまじえ、対談を盛り上げてくれました