打ち破れ、セオリー
団体戦が目玉のソフトテニスだが、早大の軟式庭球部は女子の部員が少ない。苦しい環境の中、下江遥花(スポ=和歌山信愛)は主将として部を支え、まとめてきた。その活動は、自分らしさや部員を信じる気持ち、そしてプレーの中で学んだ柔軟な発想力に支えられていた。
フォアハンドを打つ下江
ソフトテニスをはじめたきっかけは、小学校2年生の時にテレビで見た硬式テニスだった。球を打ち合う駆け引きに魅了された下江は硬式テニスを習える環境を探した。しかし近くにあったのはソフトテニスクラブ。そこでソフトテニスを始めることにした。地元の中学で競技を続け、高校は強豪の和歌山信愛高校へ。2年生からレギュラー入りし、エースとして部を引っ張ってきた。
大学卒業後のことも視野に入れ、大学は早大で競技を続けることにした。1年時は膝の手術とリハビリでコートに立てない日々が続いたが、冬に復帰。学業と部活を両立でき、教職課程も取れる早大の環境で、下江の競技と学問の二本柱の毎日が本格的に始まった。規則の厳しかった高校時代とは一転、早大の軟式庭球部は自主性が求められる。考えて練習に取り組み、メニューを消化する環境は下江にとって新しかった。2年になりレギュラーの座を獲得。ペアは当時4年生だった花園優帆氏(令2スポ卒)。従来のプレースタイルやダブルスのセオリーにとらわれない柔軟な考えを持つ花園に刺激を受け、下江も失敗を恐れなくなった。2年生らしいフレッシュさも武器に挑戦を続けた1年は、実りあるものだった。
早大の女子軟式庭球部は部員が少ない。下江が3年生になると、後衛の中では最上級生となった。新型コロナウイルスの影響で大きな大会の中止が続く中、開催されたわずかな団体戦の中で痛感したのは、少数精鋭で戦う難しさだった。多くの部員がいる部活なら、団体戦は出場メンバーとサポートメンバーで役割を分担し、総力を結集させることができる。しかし早大は出場するメンバーがサポート役もこなさなければならない。そんな厳しい状況で、下江は主将に就任した。
下江にとって主将は初めての立場だった。当初、自分らしいチームをどう作ればいいか悩んでいた。しかし、わざわざ探していた自分らしい部活の色は、気づけば仲間とともに織り上げられていた。自分を信じ、ありのままでいる中で「背中で語る」まとめ方を選んだのだ。少数精鋭の早大は、役割なくまとまれる早大だ。発言しやすい環境を作り、互いを信じきれるチームワークを大切にした。
練習の精度の向上にも積極的に取り組んだ。従来の部活を見直し、メニューの量、練習量を増やすことに注力した。また、個人で行っていたトレーニングもメニューを組むように変更。プレー中のみならず、部活の運営においても、新しいことに挑戦し続ける柔軟さの結果だった。
ラストイヤーも、試合は十分に開催されなかった。多少のさびしさはありつつも、「悔いはない」と語る下江の表情は晴れやかだ。1月に開催されたソフトテニスのイベント、『と或る世代の祭の日』で勝ち負けのないソフトテニスを楽しんだ下江は、しばらくは競技から離れる予定だ。飾らない自分らしさを、そして部員を信じることで前に進んできた部活動。失敗を恐れず挑戦し続けた。これからの新しい生活も、自分らしさを信じ、壁を打ち破っていく。
(記事 田島璃子 写真 ご本人提供)