【連載】『令和2年度卒業記念特集』第43回 渡邊有希乃/軟式庭球

軟式庭球

人との縁を大切に

 「人との縁が大学4年間で1番大きかった」。渡邊有希乃(社=愛媛・済美)はこう振り返った。目立った戦績こそ残すことはできなかったが、かけがえのないものを手に入れることができた渡邊の4年間を振り返る。

 ソフトテニスを始めたのは小学5年の頃。高校の先生と縁があり、ジュニアでの練習と高校生に交じっての練習環境でレベルアップし、小学生ながら全国大会も経験。中学校では熱意の高い顧問の指導で、猛練習の毎日を過ごし、中学2、3年の頃には全国大会でも結果を残した。その後、高校では途中での転校などもあり、部活動は不完全燃焼だったこともあり、大学日本一の常連校だった早稲田での高いレベルでプレーができることに惹かれ、早稲田に進学した。

  入学後は大学を背負うことの重みを感じたという渡邊。また、自分たちで考えて動かないといけない雰囲気も、中高までの顧問主体の部活動とは違ったものだった。そのような状況で、特にお世話になったのは1個上の先輩。同期が少ないこともあり仕事の面などで手伝ってもらい、プライベートでも仲が良かった。そして仕事をしながらも、レギュラーとして活躍する姿に渡邊は尊敬の念を覚えた。1年生時は関東学生秋季リーグ戦(秋リーグ)に出場。経験も実力も少ない中で、できることは場を盛り上げることだと考え、試合に臨んだ。気の知れた仲だった先輩とペアを組んでいたこともあり、緊張よりも楽しさの方が勝り、プレーできた。

 2、3年生時もインカレには出られなかったが、応援する中で見届けた先輩の姿は印象に残っている。2年生時には4年生になるまでは試合に出られなかったペアが格上相手でも奮闘する姿に感動した。3年生時にはインカレまでの団体戦には出場したが、特にお世話になった先輩の最後の大会であるインカレに出られず、悔しい思いがあった。それでも先輩方が最後までやり切り、どんな相手にも真摯に立ち向かう姿を見て、団体戦の良さを改めて感じた。そして、お世話になった先輩だからこそ自分も頑張らないといけないと思った。

秋リーグの東女体大戦でハイタッチをする渡邊(右)

 渡邊の主将就任が決まったのは8月の終わりから9月頃だった。今までの先輩と比べて実績も経験もなく、不安は大きかった。技術や実力で引っ張ることはできない。チームのサポートや雰囲気づくりに重きを置いた。そして時には1個上の先輩にアドバイスをもらいつつ、自分自身が努力することでついてきてもらえるような主将を目指した。インカレ後、日本一になるために、どうすればいいかを全員で考えて取り組み、秋リーグや東京六大学秋季リーグ戦(六大学)ではそれぞれ3位、2位という結果に。やってきたことは間違っていないという自信を持って2020年を迎えた。

 しかし、2020年は新型コロナウイルスの影響で多くの大会が中止に。インカレも中止になり、悔しい思いはあったが、後悔はなかった。そして4年生が少ないこともあり、後輩の代に早く引き継いだ。その後、自粛期間を経て、秋リーグの開催が決定。そこに向けて全員が練習する姿を見て自分の思いは引き継げたと感じた。最後は六大学に出場。出た試合では、敗れはしたものの、「有希乃さんと出たい」と後輩が言ってくれたことがうれしかったという。この1年間を通して、自分から発信できるようになり、周りを見られるようになったという渡邊。主将としての経験によって大きく成長したのだった。

 大学4年間を通して得られたものとして渡邊は人との縁をあげる。尊敬して憧れる先輩や自分を信じてついてきてくれる後輩、苦しい時に支えてくれた同期、テニスを真摯に教えてくれる監督やコーチなど様々な縁に恵まれた。今後は趣味としてソフトテニスを続けるという渡邊だが、社会人になってもテニスを通じて得られた縁は切れないものだ。今後も早稲田での4年間で得られた縁を大切に、時にはその縁に支えられながら、渡邊はこれからの人生を歩んでいくことだろう。

(記事 山床啓太 写真 河合智史)