【連載】『平成27年度卒業記念特集』 第44回 船水雄太/男子ソフトテニス

軟式庭球

二つの立場で目指した頂点

 「見えないところで人一倍努力して、一歩先に行く。そして背中を見せる」。船水雄太(スポ=宮城・東北)は主将としての自分をこう振り返った。常勝軍団の早大軟式庭球部を率いる主将として、幼き頃からの夢だった日本代表として迎えたラストイヤー。誰よりも熱い闘志を燃やし、常にその瞳は頂点だけを見つめ続けていた。

 ソフトテニスだけをするのではなく、社会に出てからも通用する人間になれる四年間を過ごしたいと早大への進学を決意。総体での団体と個人ダブルスの二冠という看板を背負って、名門・早大軟式庭球部の門をたたいた。期待に違わぬ活躍を見せ、1年時から全日本大学選手権(インカレ)の団体戦に出場し、優勝に貢献する。しかし2年生になると全く思うような戦績が残せない。スランプに陥り、「何をやっても勝てない」という八方ふさがりの気持ちが頭の中を支配した。しかしそんな時に支えになってくれたのが、ペアを組んだ九島一馬(スポ=宮城・東北)である。中学3年の冬からペアとして8年間を共に過ごしてきて、お互いの考えていることが口にせずとも分かる。周りには決して見せようとしなかった自分の弱い部分も、九島にだけは見せることができた。ペアに支えられて、迎えた3年でのインカレ。団体戦優勝、そして九島とのダブルスでの優勝という二つのタイトルを獲得したことで、気持ちに余裕が生まれた。

九島とのダブルスでは磨き抜かれたコンビネーションを発揮した船水雄太

 ラストイヤーは早大を率いる主将として迎えることになる。常に勝つことを期待される早大軟式庭球部の主将となることには、もちろん大きな重圧が伴う。全国の強豪が早大を倒そうとして向かってくるため、「隙は見せられない」、そう何度も自分に言い聞かせた。隙のないチーム作りのために船水雄がスローガンとして掲げたのは、『総合力』だ。一人一人が何をすべきか理解し、その目的に対して各自が努力することで結束を深めようとした。「このチームが好きだから、たとえ自分を犠牲にしてもチームが勝てればいい」。陰で努力を重ねる主将の背中を見て周りの仲間たちもより一層練習に励むようになった。試合に出られないメンバーも応援でチームを支え、下級生は『先輩のために』という気持ちを持ち、仕事面でサポートをした。そのチームの結束の固さは、8月に山形の地で証明されることとなる。インカレでの団体決勝戦。早大軟式庭球部は、部員31人全員の『総合力』で大学日本一の称号を得た。自身のシングルス優勝により全冠で締めくくったインカレを振り返って、「こんなことを成し遂げた年に、最上級生そして主将であることが幸せ」と笑顔を浮かべた。

 船水雄にはもう一つの顔がある。それは日本代表としての顔だ。中学生でまだ無名だったころから『世界一』という目標を掲げていた。その目標を達成するために、代表に選考されていない頃からその年の世界大会までの日にちをカウントダウンしながら日記をつけていたという。そのノートが10冊以上溜まり、残りの日にちが0になった時。船水雄は日本代表に選抜され、『世界一』という目標へと大きなはじめの一歩を踏み出した。インド・ニューデリーで行われた世界選手権の国別対抗、中華台北との決勝戦。幼き頃からの夢がついに現実となる。弟の船水颯人(スポ1=宮城・東北)が勝負を決め、『世界一』を手にした瞬間だった。センターポールに掲げられた日の丸のもと、日本代表として君が代を歌いうれしさが込みあげたという。

 船水雄は今春、ソフトテニスの名門・NTT西日本広島へと就職し、再び『世界一』へと突き進んでいく。「自分が一番になれるもの、自分の力を示せるもの」。船水雄は16年間続けてきたソフトテニスをそう表現した。再び世界の舞台で金メダルを首にかけるまで。これからもその瞳が頂点から逸れることはない。

(記事 吉澤奈生、写真 三佐川唯、和泉智也氏)