近年、日本サッカー界は飛躍的に成長を遂げている。海外の第一線で活躍する選手も増え、強豪国を倒すことも珍しくはなくなった。一方で、W杯やアジアカップといった主要コンペティションでは、ここぞといった試合を落とすことが多く、その際によく論じられるのが「チームを勝たせるエース」の不在だ。実際に世界一に立つような強豪国には、どんなにチームが苦しくても何かをやってくれそうと思わせる、絶対的な存在がいることが多い。ただ点を取るストライカーではなく、チームが欲する時に点を取れるエースという存在。そんな存在になるべく、日々己に磨きをかけているのが、早稲田大学ア式蹴球部(ア式)の9番・FW駒沢直哉(スポ4=ツエーゲン金沢U18)だ。早大に入学してはや4年。チームのトップスコアラーでもある駒沢が目指すのは、まさにチームが苦しい時に得点を決められる「真のエース」。プロ内定が決まった今、チームを救う存在になるべく真価を発揮する駒沢に迫った。
ゴールを決め喜ぶ駒沢
幼少期にサッカーと出会った駒沢は、小学校入学後、地元の美川FCジュニアに所属。この時から既に「得点というのはずっとこだわり続けていた」と、ゴールを狙う駒沢のプレースタイルの原点が培われていた。中学に入ると、地元のJリーグクラブであるツエーゲン金沢の下部組織に身を移す。試合出場のために慣れないサイドバックを経験することもあったが、中学3年時から再びFWを任されるようになると、北信越リーグでの得点王も経験。高校に入ってからも、ツエーゲン金沢U18のストライカーとして活躍し、U17日本代表候補にも選ばれた。そして大学では、「レベルの高い関東に行きたいという気持ちがあった中で、練習参加をして、ますます早稲田でサッカーをしたくなった」と、ア式に入部することを決めた。
大学入学後、駒沢は6月にリーグ戦初出場を飾った。10月にはスタメンに抜擢。その後は2戦連続ゴールを挙げるなど目に見える結果も残し始めた。決勝点を挙げた拓大戦の試合後には、当時の指揮官であった外池大亮氏(平9社卒)に、「駒沢は今のチームにとって一番の起爆剤」と言わしめた。そんな活躍の背景に、「大学に入ってから、背後への抜け出しやクロスへの入り方、シュートといった自分の武器を明確化できた」ことを挙げた駒沢。今までと比べ通用しなくなった部分も増えたからこそ、自身のプレースタイルの核がより確立された。
「FWとしての信頼感」。自身の武器が明確になった大学1年目に、駒沢は自身の課題もまた明確に感じ取っていた。その背景には当時の4年生、加藤拓巳(令4スポ卒=現清水エスパルス)の存在があった。加藤と言えば、2019年の早慶クラシコでの劇的決勝点をはじめ、チームを救うゴールを決める、まさに「エース」とは何かを知らしめてくれるような選手。実際に駒沢が入学した年、加藤がシーズンを棒に振るケガを負ったこともあり、ア式は得点力不足、シーズン終盤の失速という苦しい状況に陥った。そんな加藤の存在を受け、「ゴリ君(加藤)が前線にいてくれる時の安心感が、チーム全体にもたらすものの大きさを感じた。自分もそういう選手になっていきたい」と自身の力不足を痛感し、同時に目指すべきFWとしての選手像が鮮明になったのだ。
1年時の拓大戦でゴールを決め、チームメートの元に駆け寄る駒沢
「チームを勝たせるエースの欠如」。加藤が卒業した駒沢の2年時に、ア式はまさにこの課題に直面していた。プロ内定者も多く在籍しており、リーグ戦優勝候補とも目されていた当時のア式だったが、蓋を開けてみれば6月まで開幕8戦勝ち無し。内5試合が無得点と得点力不足が顕著で、駒沢も前期のリーグ戦ではわずか1ゴールと、全く思うようにはいかなかった。夏に行われたアミノバイタルカップでは、2回戦でカテゴリーが2つ下の専大相手に0-2と完敗を喫する。試合後のインタビューで駒沢は、「簡単に言えば自分の責任。自分自身、今シーズンは天皇杯含め2ゴールしか取れていないというのは本当に不甲斐ないし、ずっと『次こそ、次こそ』と言っているけど、同じ状態が続いている。後期リーグが始まってからは『次』という言葉は使えない」と相当の悔しさと危機感をにじませた。
その後、再開した後期のリーグ戦でもチームは連敗続き。攻撃では全く迫力を出せず、守備では大量失点と崩壊の一途をたどっていた。後期は途中出場が続いていた駒沢だったが、流れを変えるどころか何もできない試合が続いた。結果を出せない状況にもどかしさを感じる中で駒沢は、もう一度自分が向けるべきベクトルを整理するようになる。「自分としても焦りがあって、途中交代の時も、自分が何とか1点を取ろうという自分さえ良ければいいみたいな考えになっていた。だからこそ、もう一度チームのために走ったり、声を掛けたり、チームのためにプレーしようとした」と、自分にばかり向けていた矢印を、エゴを、もっとチームに派生させていくことを意識した。そして、その結果が表れたのが10月に行われた桐蔭横浜大戦。この試合も序盤にあっけなく先制点を奪われ、またダメかという雰囲気が一瞬流れた。それでも、この日久しぶりのスタメンに名を連ねた駒沢は、チームの意識を前に向けるべく最前線で声を張り、走り続けた。その姿に呼応されるかのごとく、試合の流れは徐々にア式へ。そして、後半に駒沢の起死回生の2ゴールで逆転し、この年のインカレ王者相手にリーグ戦4カ月ぶりの勝利を手にした。試合後、興奮気味にミックスゾーンに訪れた駒沢の口から飛び出したのは、「早稲田大学ア式蹴球部全員でつかんだ勝利」という言葉。ピッチで戦う選手、ベンチ入りしたメンバーだけでなく、スタンドに駆け付けた部員全員の声や思いを、プレーという形にし結果で示したこの日の駒沢の姿は、チーム全員から信頼され、チームを勝たせる、新たな「ア式のエース」の誕生の第一歩となった。結局このシーズンは、チームとして状況が好転することなく2部降格を味わったが、駒沢自身はラスト7戦で6ゴールの活躍。「自分が点を決めてチームを勝たせた試合もあったので、信頼されるFWになれたという実感はあった」と、徐々に思い描く選手像に近付いていった。
2年時の桐蔭横浜大戦で相手と競り合う駒沢
2部での戦いとなった昨季。新たに就任した兵藤慎剛監督(平20スポ卒=長崎・国見)が掲げる攻撃サッカーの下、駒沢は14ゴールとリーグトップタイの数字を挙げる。チームを勝たせるゴールを決めることも多々あった。一方で、チームは昇格圏に勝ち点2及ばず、1年での1部復帰はかなわなかった。特に上位との直接対決で引き分けが続いたこともあり、「ギリギリで負けた試合だったり、引き分けた試合が多い中で、自分のゴールでチームを勝たせられて、もう一つ勝ち点を取れれば昇格につながったかもしれない」と、「ア式のエース」としての自覚があるからこそ、もっとできたと感じる自分への不甲斐なさを口にした。ただ点を取るでけはない、チームを救うゴールを決めてこそ、「エース」と呼べる存在になれるのだ。
そして、迎えた大学最終年。今まで以上にチームを勝たせる「ア式の真のエース」になるべく、駒沢は進化を続けている。新体制最初の大会であった天皇杯予備予選では、2点ビハインドの状況からラストプレーでの得点を含む2ゴールを決め、チームを勝利に導いた。オフシーズンのトレーニングマッチでも得点を量産し、3月の天皇杯予選では、1部の国士舘大相手に試合の均衡を破る決勝点を挙げた。そして開幕から3戦勝ち無しと苦しんでいたリーグ戦では、第4節・城西大戦で苦しいチーム状況を打破するかのようなゴールを決め、今季初勝利に貢献。先日行われた第6節・産業能率大戦でも、1ー1で迎えた終盤に値千金の勝ち越し弾を決めた。今季のリーグ戦では6戦5ゴール。チームが挙げた2勝の決勝点はいずれも駒沢と、「ア式の真のエース」としての風格が漂い始めている。
今季からエースナンバーの「9」を背負う駒沢
結果で示し、文字通りチームを勝利に導く活躍を見せる今季の駒沢。それでも「去年もそれぐらい決められたし、全然足りていない」と、まだまだ納得がいっていない様子だ。チームを勝たせるゴールを決めているとは言えど、6試合の内2試合とその数はまだ少なく、目標である1部昇格や日本一には到底及ばない。やはり、昨年なしえなかった1部昇格や日本一を置き土産にプロの世界に飛び立つことで、自他共に認める「チームを勝たせるア式の真のエース」になるのだろう。そして、それはあくまでも通過点に過ぎない。プロの世界に入り、横浜FCを、ゆくゆくは日本代表を勝たせるゴールを決め、「駒沢直哉」という名を日本に世界に轟かせた時こそ、きっと自身が描く理想のエース像にたどり着くのだ。日本を代表する「真のエース」の誕生の瞬間を、我々は今か今かと待ちわびている。
(記事 髙田凜太郎 写真 橋口遼太郎氏、和田昇也)
プロへの意気込みを色紙に書いていただきました!
◆駒沢直哉(こまざわ・なおや)
2002(平14)年5月17日生まれ。178センチ72キロ。ツエーゲン金沢U18出身。スポーツ科学部4年。関東大学サッカーリーグ1部通算29試合出場9得点。2部通算27試合出場19得点。