応援部吹奏楽団はコンクール、ステージドリル、体育会各部の応援など様々な場面で演奏を行っている。約80名の吹奏楽団をまとめあげている野島洋一朗吹奏楽団責任者(創理4=東京・学習院)に応援部に対する思い、早慶戦への意気込みを伺った。
※この取材は10月16日に行われたものです。
「勝つことの難しさ、負けることの悔しさ」
神宮球場にて応援する野島
――ワセダに入ったきっかけは
野島 私は出身高校が大学まで付いている私立高だったのですが、理系の勉強をしようと思って、付属の大学よりワセダの方が理工系のほうが強いなと思い、(付属の大学に)上がらずワセダに入ろうと思いました。
――実際ワセダに入学して、理系の勉強はいかがですか
野島 下級生の頃は(応援部の)仕事などで勉強にあまり身が入らなかったのですが、最近ようやく身を入れ始めた感じです。
――高校時代の部活動は
野島 中高で陸上競技の中長距離をやっていました。(応援部として)競走部の箱根駅伝で応援に行く機会があるのですが、それは毎年楽しみにしています。
――ワセダの応援部の存在は入学前からご存じでしたか
野島 たまたま高校の友達のお兄さんが東京大学運動会応援部に入ってらっしゃいまして、その子の紹介でワセダの応援部を知りました。新歓期にたまたま応援部の野球観戦ツアーに参加させてもらって、そちらをきっかけにして入部しました。
――入部前の印象というのは
野島 入部前は正直吹奏楽っぽいところしか見てなかったので、入部してから初めて学ランを着るということも知りましたし、野球部に熱い思いを持って活動していることも、入部してから知りました。
――入るきっかけとなったのは、応援部の野球観戦ツアーのほかにありますか
野島 先輩とのお食事会があって。そこでかなり親身に話を聞いてもらいました。1つ上の学年の先輩が(同じ)理工学部で、「理系でも大丈夫だよ」とおっしゃってくださいまして、恐る恐るなんですけど入部することに決めました。
――勉強との両立が1、2年生の頃は大変とおっしゃっていましたが、具体的にどう大変でしたか
野島 課題でしたね。それと単純に授業のコマ数も多かったので、活動との両立がかなり難しかったのはあります。
――下級生の仕事などは多いのですか
野島 譜面の準備であったり、楽器を車に積んだり下ろしたりと、そういうところは全部下級生の仕事ですね。
――西早稲田キャンパスという点で何か不便を感じたことはありますか
野島 応援部の本拠地が戸山キャンパスにあるので、往復するだけで一コマの3分の1ぐらいかかってしまって。下級生時代、仕事は他の同期に少し任せて、少し楽させてもらいました。
――同期で理工学部の人は少ないのですか
野島 中谷(篤人、創理4=静岡・掛川西)がたまたまことしは理工学部ですけど。吹奏楽団はあと同期が3人で、全体としては結構少ない方ですかね。
――1、2年生の頃は神宮球場で演奏できるのですか
野島 初心者で始める子が多いのですが、基本的には全員で演奏して全員で応援するのが応援部のスタンスです。
――ご自身は楽器経験者でしたか
野島 私はまるで(楽器を)やってなくて、大学から始めました。
――大学から初めることは大変ですか
野島 応援部は結構上級生がこまめに面倒を見てくれるのであまり苦労したことはないのですが、私自身が新人の秋まで、『チャンスパターンメドレー』とか『紺碧の空』も吹けなくて。新人の秋の早慶戦で吹けるようになったのですが、その時は結構嬉しかったです。
――応援部入部前と、入った後で印象は変わりましたか
野島 応援ということに対して入部前、高校生のときはなにも知らなかったのですが、入部してから、人に思いを伝えることの難しさとかそういうのをすごく感じました。
――吹奏楽団の責任者というのはどのようなことをされるのですか
野島 仕事という仕事はあまりないのですが、約80人いる吹奏楽団の部員が何かの試合とかや定期演奏会にむけて1つ同じ方向に行けるように声をかけたりするのが自分の役目かなと。
――具体的にどのようなことばをかけられますか
野島 このまえ明治戦で連敗して、久しぶりに負けを味わって。特に新人はほとんど初めて負けを知ったといいますか。そちらについて、勝つことの難しさだったり、負けることの悔しさをしっかりバネにして次の試合に向かって行こうという話をしましたね。
――責任者としてやりがいを感じる時は
野島 責任者としてというよりは一応援部員としてなのですが、例えば勝った時の楽しさだとか負けた時の悔しさなどを周りの人と分かち合えた瞬間というのがやりがいを感じる時です。
――責任者として気をつけている点や工夫している点は
野島 責任者として、周りから一目置かれる存在だと思うので。常に見られているという意識を持って、部員の誰よりも声を出すということをこだわってやっています。
――1年生を育てるという役目もありますか
野島 応援部は基本的に1つ上の学年に育てられて4年生まで育っていくので、私が新人に直接何か指導をするというのはあまりないのですが、4学年に向けてしゃべるという機会も多いので、そういう場で自分の思いを新人に伝えようと思って喋っています。
――応援部の一員として大変なことは
野島 純粋に活動量ですね
――4年間を通して一番大変だったことは
野島 個人的には自分の力がどれくらい場の力になっているのかとか。応援というのは、応援が良かったから、悪かったからによって勝ち負けに直接関わることはないので、自分の頑張りがどれだけ結果に結びついているのかがわからなくて、悩んだ時期などはありました。
――どのように乗り越えましたか
野島 上級生の方に、自分の応援が周りの人たちに広がっていって、それが部員全員の頑張りになり、観客の方に伝わり、スタンド全体に広がっていくんだと。そして一人一人の力は小さいけれどしっかりスタンドとして、選手を支えることができるというのは、応援としていい応援なのだとおっしゃっているのを聞きました。自分の力は小さいけれどしっかり頑張ることに意味があるのだなと感じて、自分の悩みが晴れたような気がします。
――9月の合宿はいかがでしたか
野島 1年生のころから今回で4回目の夏合宿だったのですがいままでで一番地元に歓迎された印象が強いですね。(夏合宿は)松山県の氷見市で行ったのですが、地元の方たちから熱烈な歓迎を受けまして。練習中も地元の方がたくさん練習を見に来てくださり、部員に声をかけてくださって。本当に地元の暖かさを感じるとともに、私たちが背負っている看板の大きさを感じる合宿でした。
――12月には定期演奏会がありますが、それに向けての練習はされていますか
野島 いま演奏練習が週に二回とマーチングの練習が週に二、三回ぐらいあるのですが。今年のテーマが「アドベンチャー」で、私たちの成長を普段支えてくださるお客様に披露する場として定期演奏会があると思っています。来ていただいた方に楽しんで帰っていただけるように、練習を重ねています。
――ともに活動しているリーダーやチアリーダーズの印象は
野島 リーダーは結構マイナスなことをあげればきりがないんですけど(笑)、声が大きい、とかうるさいとか(笑)。でも本当に頼れる時は本当に頼れる存在で。あとは意外と細かいところに気がついたりして、優しい一面も持ち合わせていて。そういうところが応援をリードしていく上で出てくる気がして。例えば劣勢の時に選手に色んな声を掛けたり、そういうところがいいところかなって思います。
――チアリーダーズのみなさんはいかがですか
野島 自分は男子校だったので、チアに会った時はちょっとチアのキャピキャピしたところに押されたりしたんですけど(笑)。彼女たちもチームで何か1つ作り上げていく団体ですので、私たちも同じようなことを大切にしています。結構(チアリーダーズ同士が)目と目を合わせてしっかりアイコンタクトをとって応援中とかもお互いを励ましあったりしていて。そういうところは私たちも見習いたいところです。
――具体的にリーダーやチアリーダーズから学ぶことは
野島 一緒に応援部という団体の中でそれぞれ違う活動をしているのですが、それぞれの良さっていうのがあって。声を出している姿に吹奏楽団が刺激を受けけたり、あとはチアが限界まで自分を追い込んでいる姿を見て、私たちも刺激を受け、頑張ろうって思うことがたくさんあります。
――リーダー、チアリーダーズのみなさんと普段交流はありますか
野島 練習はそれぞれ違う場所で違うことをやるんですけど、応援はもちろんそれに向けての準備だったりと結構いろいろなところで交流はありますね。
「今まで通りの自分の全力を出す」
――4年間を通して一番印象に残っている試合は
野島きょねんの立大戦かな。キャッチャーの土屋(遼太、平26教卒=東京・早実)選手が逆転ホームランを打って。リーグ戦の佳境だった時期に苦しい試合展開から逆転できたときの喜びがすごく印象に残っていまして。周りの上級生や観客の方々も涙を流すくらいいい試合展開でした。喜びを分かち合えた瞬間というのがとても印象的です。
――4年間を通して早慶戦の思い出とはどのようなものですか
野島 特に春の早慶戦というのはバックスクリーンの方までお客さんがいっぱいに入って。普段行っている応援よりもスケールが大きく展開できるので、早慶だけの特別な一戦というのを毎年春はすごく感じます。両校の伝統というものをすごく感じますね。
――ことしの春、優勝したときはどのようなお気持ちでしたか
野島 特に3年生の早慶戦のときは、優勝がもつれ込んで。それで早慶戦の末優勝を逃すという悔しい思いを春、秋としたので、三度目の正直ということで優勝できて良かったです。
――優勝パレードはいかがでしたか。
野島 やはり春ということもあって、大勢の方が後ろについて来てくださって、歩いて早稲田に帰れたことを通して、ワセダの母校愛を強く感じました。
――マーチングしながらの演奏というのはやはり大変なのですか
野島 二日間早慶戦で吹いた後のパレードはかなり(大変で)、もう一度やれと言われればちょっと(笑)。
――祝賀会はいかがでしたか。
野島 そちらも新人の時に吹かさせていただいて、それ以来だったのですごく懐かしかったのと。あとは野球部の同期が上でインタビューに受け答えしている姿を見て、すごく誇らしく思いました。
――1年生の頃も優勝を経験されていますが、そのとき実感はありましたか
野島 ワセダの野球部は六大学の中で特別なものだと思って入部していたので、ある意味優勝があたりまえだったと思っていました。新人の春に優勝した時はあたりまえのように優勝したのだなって思っていて。それから5シーズン優勝から遠ざかって。いかに勝つ、そして優勝するということが難しいのかと感じました。
――幹部として臨む早慶戦は、やはり1年生として臨む早慶戦とは違いますか
野島 最後ということもあって、全力で頑張ろうと思うのですけど。最後だから頑張るというのではなく、今まで通りの自分の全力を出して応援したいと思っています。
――試合展開に合わせて応援をするというのは大変なことですか
野島 例えばチャンスの時や要所では早めに『コンバットマーチ』を入れたりですとか、ピンチの時、ランナーが溜まってしまった時に『ダイナマイトマーチ』という曲を最近は演奏するようにしています。攻撃と守備でしっかりメリハリをつけることを意識しています。
――早慶戦の魅力はどのようなものだと感じていますか
野島 早慶両校ともに、ケイオーには負けられない、ワセダには負けられないという強い思いを持って野球をしていたり、お客さんの熱もとても感じますので、観客をリードしていかなければと思います。
――慶大應援指導部との交流はありますか
野島 六大学の中でも日頃から仲良くしていて。6月には合同演奏会があったりして、合同のバンドを組んで演奏会を行ったりしています。
――今回の早慶戦での応援の見どころは
野島 今年はリーダーの幹部が多くて、それだけ応援に対する思いも部内ですごく高くて、例年にないくらい応援の練習というのも取り組んでまいりました。平成27年度の応援の集大成を見せられる場かなとも思います。春から変わった応援などもございますので、そちらもぜひ注目してみていただけたらなと思います。
――最後の早慶戦になりますが、どのような気持ちで挑みますか
野島 もう自分の4年間をすべてぶつけるつもりで全身全霊で頑張りたいと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 中村朋子、吉澤奈生)
早慶戦への思いを書いていただきました
◆野島洋一朗吹奏楽団責任者
1993(平5)年7月19日生まれ。東京・学習院高出身。創造理工学部4年。大学に入ってスポーツ観戦にはまっているそうです。応援に夢中になりすぎて先日のサッカー代表戦は応援の音だけ聞いていたとか!これまでの応援活動、早慶戦への強い思いを語ってくださいました!