早慶戦で宿敵から劇的な2連勝を挙げ、10季ぶり46度目の優勝を果たした早大野球部。本記事では、スタッフ、選手たちの歓喜の声を紹介します!
※インタビューは早慶2回戦の翌日(11月9日)、または翌々日(10日)に電話等で行われたものです。
優勝記事はこちら!
泥臭く、粘り強く、最後までやり抜いた早大ナイン 『GRIT』体現し10季ぶりの賜杯奪還!/早慶2回戦(11/9)
早川隆久主将(スポ4=千葉・木更津総合)
――まずは優勝おめでとうございます
ありがとうございます。
――一晩経って実感などは湧いてきましたか
「終わっちゃったんだな」っていう方が強いかもしれません。
――優勝したことよりも、学生野球が終わってしまったという実感の方が強いと
はい。そうですね。
――ゲームセットの瞬間を振り返ってみていかがですか
何が起きたか正直わからなかったというか。優勝したというのは分かるのですが、「え、本当に?」というような感じでした。展開が急すぎたというのもあって。
――ここからは試合を流れに沿って振り返っていきます。まずは2試合連続で4年生3人(金子、吉澤、瀧澤)の活躍で先制点を挙げましたが、振り返ってみていかがですか
やっぱり、試合の均衡を破るのはこの4年生なんだなというのは感じました。結果論かもしれないですけど、やるべき選手がこのように仕事をしてくれたことで優勝に近づいたのかなと思います。
――その後逆転されて、ビハインドのまま試合が進んでいく状況をどのように見ていましたか
きっと必ず野手がやってくれるだろうという気持ちでブルペンで待機はしていたのですが、なかなか思うように点が取れない状況だったので、いつ行ってもおかしくない状況で準備はしていたのですが、不安というか、焦りというのが自分の中でも見えていたのかなと思います。
――そのような不安な気持ちが表れ始めたのは6、7回くらいからですか
自分がブルペンにいた時くらいなので、それくらいですね。
――その後、8回にピンチの場面で登板しましたが、どのような気持ちでマウンドに上がりましたか
柴田もいいピッチングをしていたのですが、監督(小宮山悟監督、平2教卒=千葉・芝浦工大柏)も言っていた通り不運なヒットが立て続けに起きてしまったので、悪い流れのまま最終回に行くのではなく、しっかりと(流れを)断ち切って 、これ以上多くの失点をしたくないという気持ちもあったので、そういう面では押さえたいなというか、いいかたちで(9回の攻撃に)いけるようにということでマウンドに立ちました。
――そして、9回二死から蛭間拓哉選手(スポ2=埼玉・浦和学院)がホームランを放ちましたが、どのような気持ちで打球を見ていましたか
「あれっ?」という感じで。「入ってくれれば」と思って打球が上がったのを見ていたのですが、(中堅手の)渡部遼人選手(3年)の追い方を見ていると「フライで終わっちゃうんじゃないかな」っていうように見えていたので、ちょっと心配でした。頼もしい後輩だなあというのが率直な感想ではありますね。
――蛭間選手は泣きながらホームベースに帰ってきていましたが
うーーん。まあ、本当に、何が起きたかっていうのをゆっくり冷静に分析できるほどの状況ではなかったので…。
――試合終了後には、ベンチの方を振り向いた時に早川選手も涙を流していましたが、あれはどのような感情の涙だったのでしょうか
うーん。優勝できたっていうのもありますけど「これで終わってしまう」っていう方の涙も混ざっていましたね。
――ライトスタンドに礼をした後、後輩などと抱き合っていましたが
「来年も頼むぞ」という意味も踏まえて、抱き着いていろいろコメントというか、後輩たちに託すような声掛けをしました。
――具体的にはどのような言葉を掛けられたのですか
3年生に伝えたのは「最終学年がどれだけ頑張れるか」というのもそうですし、2年生や1年生には「下級生が、逆に上級生を勝たせてあげられるような選手になるんだよ」というようなことを伝えました。
――早大野球部で過ごした四年間はどのような四年間でしたか
波乱万丈な四年間でした。このような(優勝というかたちで)幕を閉じて終われるというのはなかなかないことだと思うので、本当にうれしいことだと思いますし、この四年間、切磋琢磨してきたライバルでもある同級生は、今後の人生の中でも1番長く付き合っていく仲間なんじゃないかなと思います。
――後輩たちにかけたい言葉はありますか
伝説が始まったという言い方はおこがましくはなるのですが、まだまだ強い早稲田になる発展途中というか、そういうところなので、ここからもう一度気を引き締めて、また天皇杯を何回も(取り続け)、ずっと早稲田の元にあるようなチームになってくれればなというように伝えました。
――同期に対しての言葉はありますか
最高しかないので、それ以上の言葉はないかなと思います。
――早川選手にとって早大野球部とはなんですか
野球の奥深さと共に、人間性と野球の技術力の関係性というのを学ぶことができたのかなと思います。
――今後への抱負をお願いいたします
また次のレベルがもう一段回上がると思うので、そこでしっかりと結果を残せるように準備をして、早稲田大学野球部に負けないような活躍をみんなの元に届けられるというか、そういう報告ができればなと思います。
吉澤一翔副将(スポ4=大阪桐蔭)
――優勝した今の率直な気持ちを聞かせてください
初めての優勝で、よくわからない感情です。
――優勝の要因は何だと思いますか
やはりチームが一つになっているような感じがしたので、チーム力かなと思います。
――前回の対談で、キーマンは1、2、3番の4年生(金子、吉澤、瀧澤)だとおっしゃっていましたが、早慶戦の1回戦も2回戦共にその3人で先制点を挙げられていました。振り返っていかがですか
本当に上手いこといって、やっと最後に仕事できたなという思いがあります。
――やはりつなげる意識や4年生の意地を見せた結果でしょうか
そうですね。優勝しか見えていなかったので、なんとかチームのためにやりたいなという思いからだと思います。
――8回裏まで慶応が優勢の状況でしたが、その時の心境をお伺いできますか
正直、相手のピッチャーが木澤(尚文、4年)で簡単には点は取れないなと思っていたので、最後ああいうかたちで勝てて本当に奇跡に近いなと思っています。
――蛭間選手がホームランを放った瞬間はどのような気持ちでしたか
もう信じられないというか。本当にうれしかったです。
――優勝が決まった瞬間はどのような思いでしたか
本当にうれしくて、全てが報われた感じがして、本当に最高でした。
――改めて早稲田での4年間を振り返っていかがですか
正直、個人的にもチーム的にも全然上手くいかない日々が続いたのですが、最後は最高のかたちで終われたので、大学野球人生は良かったんじゃないかなと思います。
――今まで一緒に戦ってきた4年生に一言いただけますか
感謝しかないです。今まで野球してきた中で一番いいチームに巡り合えたんじゃないかと思っていて、チームが一つになると優勝できるんだなというのを確信したというか。やはりチームの力ってすごいなと思いました。
――最後に、後輩に向けてメッセージをお願いします
優勝したので、これからは五大学が早稲田を倒しにくると思います。だからこそ勝った時の喜びは早稲田にしか味わえないですし、そこで大事になるのが練習かなというふうに思います。とことん突き詰めてしっかり練習していってほしいなと思います。
瀧澤虎太朗副将(スポ4=山梨学院)
――まずは優勝から一夜明けた今のお気持ちをお願いします
数分の出来事だったので逆転したとき何が起きたかわからなかったのですが、朝に優勝した瞬間の動画や蛭間のホームランの動画を見て本当に優勝したのだなということが実感してきています。
――以前対談でもおっしゃっていた『優勝するにふさわしい代』が優勝することができました。それについてはいかがですか
本当に早川もインタビューでもずっと言っていましたがメンバー外のみんなが、本当に献身的に支えてくれて、そういう面でみんなの思いを背負ってグランウンドで戦っている選手達だけの力ではなくて全員の力で優勝したと思っています。優勝したことがなかったので本当に優勝するということに想像がつかなかったですが、優勝できるだろうという確信に近いものを持っていたので本当に実現して嬉しいです。
――試合では1回戦に続いて先制打を放たれました。そのことについてはいかがですか
やはり先制点というのは大事だと思います。前日同様吉澤が送りバントで送ってくれて、何としてでも返さないといけないという気持ちとチームを勢いづけたいという気持ちで打てたので良かったです。
――3回裏にはご自身の失策もあり同点にされてしまいました。
やはりチームの足を引っ張ってしまったのですごく申し訳ない気持ちになりましたがその時は下を向いていたら本当にダメだと思ったので前を向いてつぎの打席で見返してやろうと思っていました。
――9回表どのような気持ちで後輩たちの打席を見ていましたか
頼れる後輩たちでもあり4年生のためにという想いを持ってプレーしてくれていたので信じていましたが、本当にやってくれたのでびっくりしましたし、いい後輩を持ったと思いました。
――蛭間選手が本塁打を打たれたときに抱き合っていましたがどのような声を掛けましたか
本当に蛭間は、師弟関係というのかはわかりませんが、ずっとかわいがってきたので、ありがとうと伝えました。
――瀧澤さんの8回の守備や、9回表の熊田任洋選手(スポ1=愛知・東邦)の安打、蛭間選手の本塁打もそうですが最後まであきらめない姿勢が本当にたくさんの人を勇気づけたと思います。
蛭間も優勝のインタビューで言っていましたが飛田先生(穂洲氏、大正2法卒)の『一球入魂』という精神をずっと監督がおっしゃっていてそれを体現できたのではないかと思っています。
――学生最後の試合を楽しむことはできましたか
はい。本当に楽しかったです。本当に悔いなく終わったので次のステージにも前を向いて進めると思います。
――では改めて4年間を振り返っていただけますか
個人としては本当に1年の時にけがに苦しんで野球が出来ないような状況だったのですが、あきらめずにしっかり前向いてリハビリをして、最後優勝したいという気持ちでやってきました。それが報われて良かったです。また自分たちの学年のライングループがあるのですが、そのグループのプロフィール画像が4年間ずっと以前優勝した時の写真だったんですね。それをずっとこれを最後俺たちの代の写真にして卒業しようと言っていて、本当に実現できたので今自分たちの写真に代わって幸せです。この写真は一生の宝物ですし、自分たちがやってきたことが本当に報われた象徴なので嬉しく思います。
――後輩に何かメッセージをお願いします
やはり後輩たちにいいものを残したいという思いで1年間やってきました。最高のかたちで優勝を一緒につかみ取ることが出来たので、彼らもこれから自分たちの代以上にやらないといけないと思うのですが、自分たちの代の良いところを盗んでそれに加えて新しいものを加えていったらもっと良いチームになると期待しています。
――最後にこれからの野球人生への意気込みをお願いします
とにかく今は休んで、また少し経ったら次は社会人野球というステージが待っています。社会人野球ですぐにチームに使っていただけるよう準備して、2~3年後プロ野球選手に挑戦したいと思っているので、そこの目標に向かって日々成長していきたいと思います。
杉浦啓斗新人監督(文構4=東京・早実)
――早慶戦を連勝して優勝をつかみました。蛭間選手の打球がバックスクリーンに飛び込んだ瞬間の気持ちを聞かせてください
もう真っ白になって、まさか下級生がつないでくれるなんて。もう本当に幸せでした。
――正直、9回2アウトまで追い込まれた時は、勝利を信じることができていましたか
自分は正直8割くらいダメかなと思っていました。でも、熊田(任洋、スポ1=愛知・東邦)が食らいついて打ってくれて、木澤君が変わってピッチャーが生井(惇己、2年)君になったのですが、その投球練習を見ていていつものような勢いは感じなかったので、これはちょっといけるんじゃないかなと思いました。でも、まさかホームランを打つとは全く予想していませんでした。本当に蛭間がよくやってくれました。
――優勝の要因はなんだとお考えですか
要因は2つあると思います。ひとつは、チームとしてこれまでのことに後悔がないかというところ。自分たちは練習で全てやり切ったといえる境地までいくところですね。もうひとつは、試合は運が味方するかどうか。自分たち4年生のいろんなサポートの形だったり、いろんな人が自分たちの勝利のために動いてくれて、そういったところが運を呼び寄せたのかなと思います。
――優勝旗は重かったですか
物理的にも重かったです(笑)。これまでの苦労が本当に吹っ飛ぶくらい。手がずっと震えていました。
――普段感情を表に出さない小宮山監督が号泣されていました。その姿をみていかがでしたか
監督も背負っている物がものすごく大きいので。自分も去年は新人戦の監督をして采配をさせてもらったのですが、やっぱり監督って試合の中ですごくプレッシャーがかかるポジションだということはとても分かっています。そういったものがこみあげてきて、ああいうかたちで監督が泣かれていたのかなと思います。プレッシャーからやっと解放されたのかなという風に感じました。すごくうれしかったです。
――改めて、早大野球部として活動した4年間を振り返ってください
多分短かった、あっという間だったと言う人もいると思いますが、自分はこの4年間は本当に長かったです。チームみんなのモチベーションを上げながら試合で勝っていくチームを作るということを主に任されていて、その使命というのはやっぱりすごく重たいものがありました。やっと終わりました(笑)。
――杉浦さんにとって「野球」とはどのような存在ですか
「宝物」ですかね。野球に泣いて、野球に育ててもらったので。日本一を目指すということが出来なくなるのはちょっと寂しいなと感じるくらい、どっぷり浸かっていました。野球で出会えた人たちとか、ものすごく宝物です。
――今後野球部での経験からの学びをどのように生かしていきますか
監督と選手のつなぎ役として、自分はすごく勉強できました。この140名の組織を一つにまとめよう、みんなのモチベーションを高めて同じ方向にもっていこうとリーダーシップを発揮するには、一人ひとりとの信頼関係が必要です。そういったものをしっかり構築して早稲田大学野球部の『一球入魂』の精神を、一つのことに命を懸けて取り組むということを学ばせてもらったので、生かしていきたいです。
――後輩にはどのような言葉をかけられますか
こんな事あまり取材で言いたくないのですが、これまで優勝を経験したことがないチームというのはどこかしら欠点があって、そこをなんとか自分たちでつぶして強いチームの基盤を作ろうとしてきました。学年ごとにカラーは違うと思うので、それを引き継いで新たな早稲田の野球部のカラーをつくって頑張ってほしいです。
――最後に、4年間を共に戦ってきた同期にメッセージをお願いします
昨日もみんなで泣きながら話していたのですが、ものすごくみんなから「杉浦が(新人監督に)なってくれてありがとう」と言ってもらえていました。こうして自分を記事にしてもらって、最後に有終の美を飾れたのはもちろん自分が頑張ったというのもありますが、4年生一人ひとりが自覚をもって何かチームに貢献しようとしてくれたので、そのおかげで自分は晴れた気持ちで引退できるので、そこはみんなに感謝しています。ありがとうございました。
結城壮一朗投手コーチ(教4=大阪・早稲田摂陵 )
――4年生の最後の最後に優勝をすることができました。優勝した感想を教えてください
自分たちの四年間の集大成ということで、さまざまな困難がありましたが、最後に優勝というかたちで自分たちのやってきたことが結果に表れてすごくうれしいです。
――優勝の一番の要因は何だと思いますか
小宮山監督もおっしゃっていましたが、やはり4年生を中心に、メンバー、メンバー外関係なく優勝するという目標にまっすぐに進み、協力して目標達成のためにできることを毎日やっていたというのが一番の要因だと思います。
――慶大2回戦の9回表2死の場面はどのような心境で見ていましたか
かなり(早稲田が)劣勢ではありましたが、少しでも(逆転できる)可能性があるということで自分は選手を信じて見守るしかありませんでした。なので精一杯声を出していました。
――早慶戦でも投手陣が素晴らしいピッチングを見せました。投手コーチとしていかがですか
先発が今西(拓弥、スポ4=広島・広陵)ということで、普段とは違う継投になりましたが、それぞれが与えられた場面でしっかりと自分の能力を発揮して、投手陣全員の思いを背負って投げてくれた結果が好投につながったのかなと思っています。
――今西投手の先発を決めたのはいつでしょうか
前日の夜に小宮山監督と杉浦と話し合って、そこで決めました。
――これまで投手コーチとしてチームを支えてきました。振り返っていかがですか
投手コーチになった当初は、練習メニューをどうするかや練習の仕方を選手たちと話し合うというかぶつかって、苦労した部分がありました。ですが最後は選手それぞれが自主的に練習に対して真摯(しんし)に向き合い、いい練習を早慶戦まで続けられたので選手にとても感謝しています。
――来年の投手陣に期待することはなんですか
早川という大黒柱が抜けて、今西、柴田(迅、社4=東京・早大学院)という経験豊富な救援陣が抜け、戦力的には今年に比べて少し厳しくなるとは思います。ですが徳山(壮磨、スポ3=大阪桐蔭)、西垣(雅矢、スポ3=兵庫・報徳学園)を中心に新チームには期待できる投手がたくさんいるので、徳山と西垣の練習にしっかりと食い付いて、いい投手陣を作ってほしいです。
――四年間を振り返っていかがですか
素直にやり切ったなと思っています。
――この早大での経験を今後どのようにいかさていきたいですか
元々自分自身はまとめ役というよりは周りに流されるような人間でした。でもここの部で投手コーチというのを任されてできたたくさんの経験を生かして周りをまとめて、一つの目標に向う集団を作れるような、そういう社会人になっていきたいなと思います。
豊嶋健太郎主務(スポ4=愛知・南山)
――優勝おめでとうございます!改めて、優勝を振り返っていかがですか
優勝という実感があんまりないです。まだ実感が湧かないです。今日も目が覚めて、昨日の出来事は夢じゃなかったのかなって思って。優勝できて良かったなと思います。
――しびれる展開が続きましたが、どのような思いで試合をご覧になっていましたか
慶大2回戦は自分ではなく牛島(詳一朗副務、社4=大阪・早稲田摂陵)がベンチに入っていたので、牛島に「俺の分まで死ぬ気で声を出してくれ」と言って自分は気を送り続けてテレビ越しで眺めていました。
――蛭間選手が逆転本塁打を放った瞬間の気持ちは
その時ちょうどベンチ裏に行っていて、打った瞬間を見ていなかったんですけど、みんなが「わー」ってなっていて、見たらホームランになっていたので、うれしくてずっと叫んでいました。
――試合中は主務としてのお仕事があったのですか
昨日は勝った場合は優勝報告会だったり、納会という野球部の今年のチームの締めの会があって、そういったところでいろいろと準備をしないといけなかったので、あまり試合には集中できなかったです。
――優勝の余韻に浸る余裕もないという感じでしょうか
できれば浸りたかったんですけど、次の仕事が控えていたのでそこはなるべく気持ちを抑えてやらないとと思ってやっていました。
――優勝を果たした一番の要因は何だと思いますか
みんなが言っていると思うんですけど、チーム全体が『絶対に勝つ』という気持ちを持って、本当に一つになれたことが大きいと思います。そうなれたのは、4年生の杉浦を中心とした人たちが本当に熱心に動いてくれて、そのことで周りも動くようなチームづくり、組織づくりができたからだと思います。
――以前の対談で「引退までに思い残すことなくやりたい」とおっしゃっていましたが
思い残すことはないです!本当に1年生はどん底から始まって最後は優勝という最高のかたちで締めくくることができたので、経験できることは全部経験したのかなと思います。
――改めて、早大での4年間を振り返っていかがですか
自分は高校の時に早稲田を志して入部したんですけど、昨日は本当に早稲田で良かったなって心の底から思えた瞬間でした。
――最後に、4年間一緒に戦った仲間への気持ちを聞かせてください
仲間か…。僕を六大学優勝チームのマネージャーにさせてくれてありがとう。その気持ちが一番です。
牛島詳一朗副務(社4=大阪・早稲田摂陵)
――優勝の感想をお願いします
1年生の、個人的にはマネジャーになった時から学年として最終目標を日本一と定めていました。残念ながら神宮大会が無くなって日本一ではないけれど、リーグ戦を優勝というかたちで最後締めくくれたので、学年としての目標を達成に近いかたちで終えることができたので、素直にそこは幸せです。
――優勝の要因は何だと思いますか
4年生をはじめ、チームの団結力につきるかなと思います。
――マネジャーとしてこれまでどのようなことを意識してきましたか
豊嶋マネジャーと2人でやってきた中で、スタッフは結構嫌われ役を買って出て、チームを引き締める立場です。豊嶋とかがそういう言うべきところは言って、引っ張っていってくれました。杉浦学生コーチもすごくまとめて、嫌われ者を買って出てでもチームを動かしてきてくれました。逆に自分はスタッフが先走って選手との距離が出てくるのはまずいなというのは下級生の頃から思っていたので、そうやって締めてくれる人がいるのならば、極力選手の声を拾う役回りというか選手と近い距離感というのを意識して、なるべくみんながどういうことを考えていて、何を求めているのかというのを拾って運営にバランスよく反映させられるようにというのを意識して取り組んできました。
――早大での4年間を振り返っていかがですか
入ってきた時は選手としての辛さを味わって、1年目で最下位というのを経験して、大学野球の世界は甘くないなと痛感しました。マネジャーに転向してからもそれはそれでしんどいことも多くて、目的を見失うではないけれどもすごく遠くのもののように思ってしまうこともありましたが、5年ぶりの優勝を最後の最後に飾ることができて、今まで自分だけでなく同期のみんな、今の部員全員がいろんな大変な思いをしながら取り組んできた結果が優勝という形で最後に報われたという部分は本当にこの4年間には感謝しかないなと思っています。
――4年間ともに戦ってきた仲間への思いをお聞かせください
こんなに素晴らしい仲間というのは今後いるのかどうかわからないくらいみんなには恵まれたと思っているので、この優勝の経験をこれから社会に出てから、みんなそれぞれの方面で活躍してこれからもみんなそれぞれが共に頑張っていければと思います。今までありがとうございました。
柴田迅(社4=東京・早大学院)
――優勝した今の気持ちはいかがですか
正直、まだふわふわしている部分があって。実感をちゃんと持てているというのは、まだないと言う方が正しいと思います。やはり、自分たちはずっと優勝を経験してこなかった代なので、経験が無かったということもありますし、あのようなドラマチックな終わり方というか、伝説に残るような終わり方ということも、実感があまりない要因かなと思います。今、実感がないと言ったのですが、日が経つにつれて、時間が経つにつれて、「俺たちは優勝したんだな」という実感が、すごく増えてきたなということが、率直な感想ですね。
――試合を振り返っていかがですか
本当にどちらも壮絶な試合だったなということが、率直な感想です。早慶戦という特別な舞台で、早慶両校が意地のぶつけ合いというか、特に2試合目に関しては、ピッチャーも総動員で相手も総動員でという、チームとチームがぶつかり合っていることが、刺激的でしたし、すごい試合だったなと、今でも鳥肌が立つぐらい感じています。
――優勝できた要因は何だと思いますか
技術の差は、ほぼ無かったと思うので、最後はチームの結束力というか、自分たちは負けないんだという気持ちが一つになっていたというところが、慶大もその気持ちは絶対あったと思うのですが、自分たちはその点で負けていないということを信じてずっとやっていたので、そのような気持ちの一体感、チームの一体感、結束力が最後、勝敗を分けたのではないかなと思います。
――第2試合では追う展開となりましたが、どのように試合を見ていましたか
追う展開というのは、夏のシーズン(春季リーグ戦)もそうでしたが、このチームは何回も経験している中で、負けないで早慶戦の2試合目までやってきていたので、確かに追う展開というところで苦しい部分もあったのですが、あまり負ける気がしなかったというか、「自分たちはまだいける」というプラスの気持ちでいたのが、自分の個人的な感覚でしたね。
――第2試合の8回裏で出る時は、どのような心境でしたか
8回はまだ早稲田が追う展開で、野球人生最後のマウンドということもあって、すごく気持ちも入っていました。同時に、追う展開のチームを後押しできたらいいなと思って、早稲田の歴史ある教えでもある『一球入魂』ということを体現しようと思って、一球一球に気持ちを込めて投げようという決意を持って、マウンドに上がりました。
――ご自身の投球を振り返っていかがですか
あの時の投球は、岩本(久重、スポ3=大阪桐蔭)のリードも、今までも自分の4年間を引き出してくれるようなリードだったなということは、今でもずっと思っていますし、何か一番自分の武器であるストレートを前面に押していって、全てをぶつけるような投球ができたので、最後に2本ヒットは打たれてしまいましたが、自分の中では悔いの無い投球ができたのではないかなと思います。
――早川隆久主将(スポ4=千葉・木更津総合)に交代する時に声を掛けられていましたが、何とおっしゃったのですか
あの時は、早川の顔が一瞬見ても本気の顔というか、ヒット2本許して申し訳ないという気持ちも正直あったのですが、あとはチームのエースの早川に託そうというところで、「頼むぞ」という一言を最後に掛けて、マウンドを降りた覚えがあります。
――優勝が決まった時の心境はいかがでしたか
これがまた意味が分からないような感覚で、なんだろうな…夢の中にいるような、本当に何かよく分からないぐちゃぐちゃした感覚が、あの瞬間マウンドに集まっている最中とか、最後、早川が三振取った瞬間とかあって、本当に言葉では表せない、よく分からないぐちゃぐちゃな感情があの瞬間はあったと思います。
――今季を振り返っていかがでしたか
4年生が中心となってチームが一つとなって、このシーズンずっと毎週、戦ってくることができたと思いますし、下級生がチームのために、4年生のためにという気持ちを持って、最後の蛭間のホームランであったり、本当に数多くの逆境や苦しい場面を下級生の力も借りながら、チーム一丸となって乗り越えていけたというところは、すごく良かったなと思いますし、本当に自分たちのチームは4年生を中心として、ベンチに入っていないメンバーも一つとなって戦えた、ものすごく素晴らしいチームだったと思うので、そういう点で最高のシーズンだったかなと思います。
――最後に、後輩にメッセージをお願いします
今回、明治神宮大会は無くなってしまって、六大学の覇者というところで、日本一という目標を達成することができなかったというか、その機会が与えられずに終わってしまったので、やはり後輩たちには、自分たちが成し遂げることができなかった日本一というところを目標に掲げて、達成してもらいたいなというのが一番強いですね。
今西拓弥(スポ4=広島・広陵)
――早慶2戦目で先発することはいつ頃伝えられていたのですか
なんとなく1週間前くらいから可能性があるとは言われていたんですけど、正式に伝えられたのは、土曜日の1試合目から帰ってきた日の夜ですね。
――それが伝えられたときはどのように感じられましたか
最初から短いイニングだということはわかっていたので、自分のできることをしっかりとやって後ろにいい形でつなげるようにということを第一に考えていました。
――最初にマウンドに上がった瞬間はどのようなことを感じられましたか
やはり早慶戦は特別だというのを一番感じました。その中でしっかりと抑えていい流れをつくりたいと意気込んでいました。
――具体的に特別だと感じられたのはどのような部分でしたか
1回裏に登板するということで最初はブルペンにいたんですけど、そこからマウンドに行くときに、東大戦で先発したときとは全く異なる応援だったりとか声援を受けて、勇気をもらえて上がれたので、そこがやはり特別だなと感じました。
――登板時はダブルプレーを複数取るなど、打たせて取る投球が目立ちました。ご自身の思い描いた投球ができたのでしょうか
このリーグ戦は本当に状態がよくなくて、立ち上がりも先頭に四球を出してしまって不安になりました。ですが、最後の早慶戦ということで仲間を信じて一つ一つアウトを積み重ねようと考えていたので、バックに助けられながら思い描いたような投球ができたのかなと思います。
――早慶戦前の対談では、試合に出ない立場としてできることをやりたいとおっしゃっていましたが、実際に先発としてグラウンド内で勝利に貢献されました。このことに関してはどのように考えていますか
正直自分が立ち上がりにばたばたしてしまったというのもあって、プレーヤーとして勝利に貢献したとは全然思っていないです。直後に西垣が点を取られてしまったのも自分の責任かなと思っています。自分の投球が長引いたせいで彼が準備する時間も長くなってしまって集中力を保つのを難しくさせてしまったと思います。なので、自分が勝利に貢献したというよりは周りに助けられたという側面が強かったと思っています。
――この登板がご自身の大学での最後の登板だったと思います。悔いの残らない登板になりましたか
自分の内容自体は良くはなかったんですけど、本当にチームのメンバーと一つになって優勝を分かち合えたのが一番嬉しかったので、悔いなく終われたと思います。
――このチームで優勝できた要因は何だとお考えですか
早川を筆頭に4年生がまとまって引っ張ってくれたのが一番の要因だと思います。
――大学最後の早慶戦で悲願の優勝を決めたことに関してはいかがですか
自分自身は正直迷惑をかけることの方が多かったので、それでもやっぱりスタンドで応援してくれていた4年生だったり下級生のためにもなんとか優勝することができて、感謝の言葉を伝えられたのは良かったです。
――改めて早大野球部での4年間を振り返ってください
自分としては、周りの助けがあってやってこれた4年間だったなと思います。正直なところ3年生の秋に結果を残せなくて、野球に集中しきれなかった時期があったのですが、同級生のみんなは見捨てずにいろいろな話をしてくれて、自分にもう1回頑張ろうと思わせてくれました。下級生からも、もう1回抑えてるところを見せてくださいと言ってもらえたので、本当に人生の中で一番素晴らしい同期と後輩を持てたかなと思います。
――特にどの選手からの言葉が身にしみましたか
みんなからの言葉がすごく響いたので選ぶのが難しいんですけど、やっぱり早川からの言葉が特に身にしみたかなと思います。同じスポーツ推薦というかたちで入学してきて、彼自身は1年生のころからみんなのお手本となるようなプレーや練習態度を続けてきた中で、僕自身が新チーム発足したての頃に野球に集中しきれなかった時に、「そんな状態でチームが1つになれるわけがないし、一緒に先頭に立ってチームを引っ張っていってほしい」と声をかけてもらいました。その時、早川がどれだけチームのことを考えているのかを感じましたし、背中で引っ張り続けてきた姿勢もずっと目の当たりにしてきたので、自分も変わらなければならないと思わせてくれました。
――早大での4年間で一番学んだことは何でしたか
「一球入魂」の精神と、自分たちの代が始まるときに自分たちで決めた「GRIT」というスローガンがあるんですけど、それの通り最後まであきらめることなく、やるべきことをやりきれば、最後の早慶戦のときのようにドラマみたいな逆転劇などもあり得ることがわかりました。なので、この先どのようなことがあっても最後の最後まであきらめることなく、結果が出るまでやりきることの大切さを4年間でもそうですし、特に最後の1年で学べたかなと思います。
――卒業後は社会人でプレーをされると思いますが、そこではどのようなプレーをしたいですか
社会人でも大学で学んだ「一球入魂」の魂と「GRIT」というやり抜く精神というのは継続して意識しつつプレーしたいと思いますし、それをすれば2年後のドラフトに挑戦できる選手になれると思っています。「期待してるから絶対プロに行ってくれよ」と言ってくれる同級生もいるので、気持ちの部分を大切にして、社会人野球を頑張りたいです。
――最後に後輩たちへのメッセージをお願いします
他の4年生が背中で示してくれたものを引き継いで、良い部分をどんどん吸収してほしいと思います。下級生たちにも自分たちの代の戦いぶりを見て、「一球入魂」だったり、最後まであきらめない気持ちというのは伝わっていると思うので、早川が最後のインタビューでも言っていたように「強い早稲田」を取り戻してほしいと思います。
村田大誠(文構4=福井・高志)
――優勝おめでとうございます!改めて、優勝を振り返っていかがですか
ずっとこの優勝というのを目標にやっていたので、結果につながって良かったなと思います。
――ブルペンで投手の球を受けている時、どのような思いでいましたか
とりあえず今まではピッチャー陣に助けられていた部分があったので、最後は気持ちの部分で少しでも和らいでもらえるような声掛けを意識していました。
――早川主将からは何か特別なものを感じましたか
日曜日にリリーフの準備をしているときは人一倍頼もしい雰囲気が出ていました。
――優勝の一番の要因は何だと思いますか
監督さんとかは「4年生が中心になって」と言ってくれるのですが、それに後輩がちゃんと気持ちを持って付いてきてくれたことが良かったのかなと思います。
――出場機会はあまり多くない中、ご自身の役割は何だと思われていましたか
自分は左ピッチャーの代打と誰よりも声を出すとことです。4年生のミーティングで、一人一人できることを言うミーティングがあったのですが、自分はムードメーカー的存在と右の代打として貢献すると誓って、それを全うしました。
――慶大2回戦の打席が野球人生最後の打席となりましたが、振り返っていかがですか
試合前から「スタンドを見て(打席に)入れ」とベンチに入ってないやつらとも話していて。何とかリラックスしてとりあえず出塁できたことが良かったと思います。
――大学での4年間を振り返っていかがですか
辛いことの方が何倍も多かったのですが、それを全部払拭できるような優勝で終われて良かったと思います。
――辛いことの方が多いとありましたが、その中で支えになったものはありますか
「杉浦とか豊嶋とか選手を引退したやつらの分も背負う」と吉澤をはじめミーティングで話していたので、そこは4年生が一つになった結果だと思っています。
――最後に、早大野球部で学んだことを今後の人生にどのように生かしていきたいですか
今後自分は指導者になるので技術もそうなのですが、チームの一体感を生かしていきたいと思います。
真中直樹(教4=埼玉・早大本庄)
――優勝した瞬間の気持ちはいかがでしたか
(9回表は)2死まで追い込まれていたので、逆転できるとは信じていたのですが、本当に蛭間(拓哉、スポ2=埼玉・浦和学院)が本塁打を打ってくれるとは思わなかったので、今までの野球人生で一番感動しました。最後マウンドに走っていったときは最高の瞬間でしたし、つらいこともありましたけど、野球を続けていて良かったなと思いました。
――早慶2回戦前のチームの雰囲気はどう見ていましたか
1回戦をいいかたちで勝てたので、勢いや「勝つぞ」という雰囲気はありました。早慶戦前に安部球場で打撃練習をしていたのですが、ベンチを外れてしまった選手の雰囲気も良かったので、これはいけるぞと思って神宮に入りました。他のメンバーも同じだったと思いますが、雰囲気はすごく良かったと思います。
――東京六大学春季リーグ戦(春季リーグ戦)と比較して優勝の要因はなんだと考えていますか
春季リーグ戦はタイブレークで2試合落として、3位で終わってしまいましたが、優勝まではあと一歩だったと考えていて。秋季リーグ戦まで1カ月ちょっとしかない中でチームを修正していくには、技術面でバントなどの自分たちのミスを無くすこともそうだったのですが、チームとして同じ方向を向いて、小宮山悟監督の下で作戦に忠実にこなしていけば、必ず優勝できると信じていました。そういう意味では早川主将や学生コーチといったメンバーが中心となって、短い時間でチームを修正してくれたのはすごくありがたかったですし、修正のおかげであと一歩の部分を乗り越えらえられて、優勝につながったのかなと思います。
――下級生にも積極的に声は掛けていったのですか
そうですね。今までもこういうことはありましたけど、春季リーグ戦を終えて、何が足りなかったのかと、4年生にとって最後の大会になるので、悔いだけでは残したくない思いは強かったです。一人一人が何ができるかを考えた結果、選手をやめる4年生もいたのですが、個人の自己犠牲というか自分の立場を考えた行動が、下級生たちの原動力にもなったのかなと思っています。
――今年一年を振り返っていかがでしたか
この1年はあっという間で。昨年の秋季リーグ戦も3位で優勝したい気持ちは強くて、今年は『GRIT』という、泥くさく最後までやり抜くという目標を掲げてはいたのですが、コロナウイルスであったり、球場の人工芝の張り替えだったりで、思うように練習が行かない中で、目標を見失わないようにできたのは良かったかなと思います。個人としては中々試合に出場できなかったので、悔しい部分はありました。でも最後の優勝で全て報われたというか、本当にやってきて良かったなと思えましたし、背番号『1』に見合う活躍はできなかったのですが、チームを裏から支える部分では活躍できたと思っているので、頑張ってきて良かったなと思っています。
――改めて早大野球部での4年間を振り返ってください
正直つらいことの方が多かったです。つらいことがあったからこそ、最後の瞬間は最高のものでしたし、自分としても成長できた4年間だったと思います。素晴らしい同期や先輩、後輩にも出会えて、かけがえのないものになると思うので、濃い4年間を送ることができました。
金子銀佑(教4=東京・早実)
――優勝おめでとうございます!
本当に良かったですね。いやもう劇的でした。
――優勝の感想をお願いします
やっと実感が湧いてきたというのが正直なところです。
――今季優勝できた要因はなんでしょうか
グラウンドに出て試合をするのは自分たちなのですが、まずは出ている人の中で下級生に本当に助けられたなと思います。最後の早慶戦だけでなくこのシーズンを通して、すごく下級生に助けられたなというシーズンだったというのが野球において一つのところです。もう一つはチームづくりの面で本当に4年生一人一人が自分の役割というのをちゃんと最後までやり切った結果、最後ああいうかたちで、奇跡というように取り上げられていますけど、早稲田に運が向いてくれたのかなと思います。
――最後、蛭間選手が本塁打を打たれた時はどのようなお気持ちでしたか
いやぁ、もう「え?負けてたよね?」みたいな感じでした(笑)。本当に崖っぷちに立たされた状況だったので、自分とかもうベンチにいたので祈ることしかできなかったんですけど、本当にもう頼もしいですね。
――慶大2回戦で安打を放たれましたが、その打席を振り返っていかがですか
実はあの試合、自分の学生最後の試合ということで叔父さんであったり父であったり、家族が駆けつけてくれて。その中で祖母が初めてグラウンドに駆けつけてくれて、自分の野球を観に来てくれました。何としても普段やっている練習を最後結果というかたちで神宮球場で(示すには)、やっぱり一番わかりやすいのがヒットを打つことだと思っているので、そこでおばあちゃんの前で打てたことは本当にうれしかったですね。
――守備でも併殺などいいプレーがたくさん見られました
特になのですが、この早慶戦の2日間は遊撃手の熊田と(会場の雰囲気に)飲み込まれないよういっぱい会話をして、自分たちのペースでできるように守ろうということ言っていたので、それが本当に相乗効果を生んでいいプレーがお互いできたんじゃないかなと思います。
――試合後、ベンチから出てきたところで熊田選手に声を掛けているように見えましたが、覚えていらっしゃいますか
なんだろ・・・(笑)。優勝して少し落ち着いて、待機している時にベンチの中では話したんですけど。ベンチの外で掛けた言葉は多分「良くやってくれた、ありがとう。」とかだったと思います。興奮してたんでうろ覚えなんですけど(笑)。
――ベンチの中ではどんなお話をされたのでしょう
熊田は1年生とは思えないほど頼もしくて、日本一の二遊間を組めたのでないかと胸を張って言えるくらいのコンビだったと思います。クマ(熊田)についてはまず優勝を経験させてあげられて良かったなというのと、今度はクマが守備の要として引っ張っていくべきだということを話しました。あとは、自分はプロ野球選手を目指していた時期もあったのですが、現実社会人に進むことになって。自分はもう熊田は絶対プロ野球選手になれると思っていて。残りの大学(生活は)長いと思うんですけど、その中で絶対うまくいかない時もあると思うので、そういう時こそこういう経験だったり目標を見失わないようにしてほしいということを(伝えました)。自分がそれで少しつまづいてしまったというか、プロ野球という夢を諦めたではないですけど、少し方向を変えて野球人生を歩むことに決めたので、自分の分も背負ってではないですけど、あいつ(熊田)はそれ以上の実力を持っている選手なので、困ったらいつでも電話しろと(笑)。すぐ駆けつけるからということをベンチの中では伝えました。
――慶大2回戦後、小宮山監督が「人生で一番感動した試合だった」と仰られていましたが、金子選手にとってどのような試合でしたか
自分の野球人生の中で本当に大一番。1番の大一番として臨んでいた試合だったので、そんな試合でまさか劇的な(笑)。あんな展開になるなんて誰も思っていなかったと思うんですけど、本当に感極まってしまいましたね。
――水久保佳幸選手(慶大、4年)と早慶戦で戦う夢もかないましたね
そうなんですよ。いやぁなんすかね。絶対勝ちたい、絶対負けたくないという気持ちはぶれないつもりでグラウンドに立ったのですが、自分が打席に立った時に水久保がレフトの守備について。なんか、面白いなとかすごいなっていう。それは勝負とかではなくて、やっぱりまずその空間に一緒に入れることをすごいありがたいな、幸せだなと感じましたね。
――4年間共に戦ってきた同期、そして後輩にメッセージをお願いします
同期については本当に感謝しかないです。1年生の時から本当に一緒にいろんなことをやってきて、出ている選手出ていない選手が4年生にいる中で、本当に一人一人が自分の立場でやるべきことをちゃんとやってくれたので、同期には感謝しかないです。これからもいろんなことがあると思うんですけど、そういう時の一番の相談相手じゃないですけど、一生の宝物だと思います。後輩については、見ての通り本当に素晴らしい選手がそろっているので、次の岩本(久重、スポ3=大阪桐蔭)だったり丸山(壮史、スポ3=広島・広陵)、徳山(壮磨、スポ3=大阪桐蔭)、西垣(雅矢、スポ3=兵庫・報徳学園)だったり、その辺が自分たちの良かったところを引き継いでもらって、全部優勝してほしいです。
――早大野球部での4年間を振り返っていかがでしたか
振り返るといろんなことがあったと思います。けがをして、1年生の間はほぼ棒に振るというかたちでした。2年生になって少し野球ができるようなり、けどなんかそこで自分の結果をすごい大事にしてたというか、「自分が自分が」というのがすごい強かった2年目だったと思います。というのを経て3年目、スタメンに定着して(試合に)出続けて結果を出し続けることの難しさと、優勝するにはどうしたらいいんだろうってやっとその辺で優勝に対して本気になり始めた時期でした。気付いたらあと1年という風になって、自分たちの代にいざなった時、自分はキャプテンでも副キャプテンでもなかったんですけど、自分の立ち位置をしっかり考えて、他のキャプテン副キャプテンを信じて自分ができることに没頭できたというのが、最後こういうかたちで終われたことにつながったのかなと思います。
延命秀太郎(人4=神奈川・桐光学園)
――9回2死まで追い込まれました
このまま負けるという気持ちは正直全然なくて、ただ勝てるという気持ちもなかったですけど。泣いている選手も何人かいる中でしたが、まだいけるという期待感だけはありました。
――そこから熊田選手がつなぎ、蛭間選手の本塁打で逆転しました
野球人生の中でこのような試合は経験してこなかったので、驚きというか、変わったテンションになりましたね。それと、この2日間の試合は終始楽しかったのですが、最後にこんなクライマックスがあるとは、といった気持ちです。
――早川投手が抑え、優勝が決まった瞬間はいかがでしたか
最高でした!
――多くの選手が4年生の支えが大きかったと振り返っていますが、ご自身では秋季リーグ戦をどのように振り返りますか
試合中は下級生による助けがほとんどでしたが、試合以外。例えば練習の補助やデータ分析、スタッフ陣による練習メニューづくりなど、周りから見えない部分の支えでは、今までの4年生と比べても、自分たちの代が1番率先して、一人一人が責務を全うできたと思います。だからこそ下級生が伸び伸びとプレーできたのかなと思います。
――野球部での4年間は、どのような時間でしたか
小学生の低学年から野球をずっと続けてきました。ここまで野球を続けると、野球以外の大切さ、例えば私生活はですが、早大野球部という組織に所属する中で、組織に甘えずに、後ろ指を刺されない私生活をできているかであったり、長い伝統があり歴史を後世に伝えていかなくてはいけない中で、後輩に対して先輩としての姿を見せなくてはいけなかったり。野球を追求するからこそ、それ以外のこともおろそかにできない、ということを学びました。
――4年間を共にした同期への想いをお聞かせください
誰一人が欠けてもこの結果にはならなかったと思います。運もよかったですし、感謝しています。
――最後に、後輩へのメッセージをお願いします
自分たちの代は、あまり実力がない代と言われていた中で、他の5大学に勝つためには、一致団結や一人一人のやるべきことを、周り以上にやっていかなければならないということで、一年間やってきました。下級生は今年からずっと試合に出場している選手も多いですが、実力に甘えずに、自分たちの代で良かった点は吸収して、そして後輩たちの良い点は潰さずに、掲げた目標を降ろさず最後まで貫いてほしいと思います。
眞子晃拓(教4=早稲田佐賀)
――優勝おめでとうございます
ありがとうございます。
――優勝が決まったときの率直な気持ちを教えてください
「うれしい」の一言ですね。
――蛭間選手が本塁打を放ったときのベンチの雰囲気はどうでしたか
正直2アウトとられて、ベンチで涙を流している選手もいたのですけど、蛭間の前の熊田が一本出してつないで、いけるという雰囲気が出たところで、蛭間の本塁打が出たので、自分も何が起きたのかわからない状況でわけもわからずベンチを飛び出して行きました。
――優勝から2日経ち、今の心境はいかがですか
納会も終わり、優勝した直後はなかなか実感が湧かなかったのですけど、2日経ち優勝したのだという実感とともに、野球生活が終わったな、というのを徐々に実感しています。
――3月に対談を行った際、「今年はがむしゃらにチャレンジする年にしたい」とおっしゃっていましたが、チャレンジする年にすることはできましたか
個人的には色々打撃フォームであったり、守備でも積極的なプレーを心がけて、最上級生ながらも色々チャレンジしました。怪我もあり思うようにプレーができない時期もありましたが、トータルで考えるとチャレンジすることができました。野村(健太、スポ1=山梨学院)が出てきて、後輩のサポートでも4年生の役割ということで、しっかりできたかなと思います。
――先日の試合で引退となりましたが、4年間の振り返りをお願いします
絶対神宮でプレーするという目標を立てて入部して、でも3年生までは結果が出なかったり、怪我などにも苦しみましたが、自分たちの学年はよく練習する学年で、同級生の同じ外野手のライバルが先に結果を残し、先にリーグ戦メンバーに入るなど苦しい思いはしてきました。それでもこういう競い合える同期に恵まれて自分も4年間努力することができましたし、選手だけではなく学生コーチやマネジャー、副将、主将を中心にまとまった代で4年間プレーできたことは誇りです。個人的にも最後の最後でリーグ戦メンバーに入れてもらえて、優勝の瞬間をグラウンドで経験できたということは最高でした。
――最後に4年間戦った同期に一言お願いします
1年生の頃は大変な思いをして苦しい時期もあったのですけど、お互いのことをよくわかりあった学年でもありましたし、どの代よりも練習する学年で、ミーティングでも活発に意見を言い合えた仲間であったので、ありがとうと伝えたいです。
宮﨑大地(商4=東京・早大学院)
――優勝の感想をお願いします
やっと4年間やってきたことが結果として出たというか、4年間やってきてよかったなと素直にうれしいです。
――優勝の要因は何だと思いますか
もちろん早川や蛭間など活躍した選手がいると思いますが、みんなが言っているように出ている選手出てない選手関係なく、一人一人がチームのことを思って役割を全うできた。そのチームのことを思う気持ちが最後あの結果になったかなと思います。
――アンケートで「どんな形でもチームに貢献して優勝したい」という回答をいただきました。具体的にはどんなことをされましたか
もともとスターティングメンバーで出るような選手ではなかったので、自分であれば足の速さなどでチームのワンポイントとして、具体的に言えばバッティングより走塁の代走や守備固めなどチームで任される役割を全うできるように、そういうところを磨くように努力しました。
――早大での4年間を振り返っていかがですか
正直1年生の時は辛くて野球をやめたいと思ったこともありましたが、4年生の最後にあのような結果が出たので報われたというか、やってきてよかったなと思います。最高の仲間に出会えて感謝です。
――競技の継続なしということですが、この経験をどのように生かしたいですか
自分の役割を全うしてチームのために役に立つというのを非常に実感できた4年間だったので、社会に出てもその自分の役割を全うしたいです。あとは仲間のことをどれだけ思えるかというのが本当に大事だなと思えたので、社会に出ても人付き合いじゃないですが仲間と一緒に仕事をしていくというところは、仲間を持ってやっていきたいなと思います。
――宮﨑選手にとって早大野球部とはどんな場所でしたか
難しい質問ですね。一番怖い場所であり、なくてはならない場所だったのかなと思います。
太田雅之(スポ4=東京・早大学院)
――優勝おめでございます!優勝が決まって率直な感想お聞かせください
4年間やってきて、念願の優勝というのが率直な感想です。試合終わった時はまだ実感できない部分もあったんですが、色々な人からコメントだったり、実際に自分たちの記事が載っているのを見たりして、日付を超えてからやっと実感湧いてきた感じです。
――試合の方、最後は蛭間選手が2戦連続の劇的本塁打を決められましたが、どのようなお気持ちでご覧になっていましたか
蛭間に関しては、日頃の練習から誰よりも早くグラウンドに出て準備運動しているを見ていたので、先輩のためにというのも口に出してくれていましたし、最後は何かやってくれるんじゃないかと思って、一塁コーチだったんですけど、打席を見守っていました。
――太田選手から見て、優勝の要因というのはどこにあったと感じていますか
自分たちの学年のことを自分で言うのもなんですが、本当に4年生の力の結集だったと感じています。自分たち以外のベンチに入れなかった4年生が最後まで腐らずにチームのために働いてくれたというのが、140人いるチームなんですけど、それが一つになって優勝につながったのかなと思います。
――慶大2回戦は9回表2死まで追い込まれていましたが、チームの雰囲気はいかがだったんでしょうか
流石に熊田が安打で出るまでは、もう無理かなという雰囲気も多少はあったのですが、そこで熊田が先頭切って塁に出てくれて流れが変わったんだと思います。
――ご自身最後の打席は中飛でした。どんなことを考えていらっしゃいましたか
本当にこの早慶戦までの2週間は木澤と森田(晃介、3年)のことだけを考えて、データをやってくれている4年生の協力も得ながら、1打席集中とたくさん準備してきました。昨日の打席もカウントはデータ通りに、自分の良いかたちで持ってこれたので、結果的には中飛でしたが、最善の準備をして臨めたので、悔いはないと思っています。
――では、太田選手の早大野球部での4年間を振り返ってみていかがでしたか
本当に長いようで短い4年間でした。この4年間で早稲田の歴史や伝統を身に染みて感じていましたし、そういった歴史の中で4年間野球できたというのが何よりの財産だと思っています。
――では最後に、来季以降も六大学で戦っていく後輩たちに一言お願い致します
少なからず4年生として良いかたちを後輩たちに残せたと思うので、自分たちの背中を見てじゃないですけど、良いかたちで、特に3年生(来季の4年生)たちには最高の1年間を送ってほしいと思っています。
山下拓馬(法3=埼玉・早大本庄)
――優勝されましたが、率直な感想をお願いします
うれしいですね。先輩が最高のかたちで終わることができて良かったです。
――優勝後、チーム内でお話しされたことは
5年ぶりに優勝を手にしたということで、ここからは強い早稲田を取り戻して連覇していくというようなことを監督や早川さんから全体に向けてという感じでありましたね。
――5回では、1点ビハインドでの登板でした。どのような心境でマウンドに上がりましたか
春のときはすごく緊張してがちがちになっていたのですが、今回は緊張よりは楽しいという方が大きくて、投げる前から打たれないのではないかなという感じで投げました。
――最終回、チームの雰囲気はいかがでしたか
結構いいところまでランナーが出ていて点が取れないというのが続いて、今までだったらちょっと雰囲気も悪くなっていたはずですが、最後ベンチの人たちも沈むことなくずっと声を出して、バッターボックスに向かう人たちに声をかけ続けられました。打ったバッターもすごいですけど、それだけじゃなくて、やっぱりチーム一丸となって出た1本ではないかなと思います。
――4年生への思いを改めてお願いします
自分はピッチャーだったので、