波乱万丈
186センチの長身、100キロを超える恵まれた体格。村橋洋祐(スポ=大阪・豊中)。関東の古豪・早大で主将を務め、5シーズンぶりに関東大学秋季リーグ(リーグ戦)を制覇、そして甲子園ボウル出場。結果を見れば、間違いなく順風満帆の4年間だ。しかし、華々しい功績の裏には、村橋自身も「まさに波乱万丈」と語る、苦難の道のりがあった。
村橋がアメフトを始めたのは高校生のとき。ウエイトルームは無く、使えるグラウンドと練習時間も限られており、他の強豪校とは程遠い環境だった。だがそれゆえ、選手たちに「自主的に、できることを考える」という意識が醸成され、村橋もまた、このメンタルの中で育っていった。
常に最前線で戦い続けた
日本一を目指したいという望みと、かねてからの漠然とした憧れから早大へと進学。1年時には世代別代表に選出される。周囲のレベルの高さに驚きながらも、「自分たちも通用する」と手応えを感じた。そして2年からはDLの庭田和幸(創理=東京・早大学院)とともに、ツインタワーとしてBIG BEARSの守備陣を支える。大きさとスピード、さらには駆け引きにも長けたクレバーさを武器に、3年時のリーグ戦ではQBサック王を獲得するなど、チームの中心選手へと成長していった。
「自分らの代でやるしかない」。村橋はなかなか結果を出せなかったチームを日本一に導くため、自ら立候補し主将に就任した。170人を超える組織、全員に同じ方向を向かせるのは容易なことではない。それでも自分が全ての物事をストイックにこなすことで、言葉に説得力を持たせ、信頼を勝ち得てきた。迎えた最終シーズン。春を目標通りの全勝で終え、リーグ戦でもここまで黒星なし。最大の正念場となった日大戦で、村橋は大けがに見舞われてしまう。主将不在の中、チームをまとめたのは、村橋が高い要求をし続けてきた上級生たちだった。「主将が良い形で引っ張ってくれた。(けがをしていても)甲子園まで行けば出場できるので、恩返しをしたい」(RB北條淳士、社3=東京・佼成学園)。リーダーとは明確なビジョンを掲げ、集団を導くもの。村橋が掲げ、行動で示した「覚悟」は集団の隅々まで行き渡り、逆説的にも自ら動くチームを作り上げていた。
けがを押して出場した甲子園ボウル。聖地でプレーすることの楽しさを存分に味わった。敗れはしたが、歩んできた道のりを後悔してはいないだろう。卒業後もアメフトを続ける村橋。果敢に最前線で戦い続けた彼の雄姿は、人々の目にしっかりと焼き付けられたに違いない。
(記事 井上陽介、写真 大槻竜平)