【連載】ラグビー部 卒業記念特別連載『Bound by love』 中田未桜

特集中面

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犠牲と幸福の4年間

 「ラグビー以外全てのものを犠牲にした4年間だった。それでも幸せ」。その言葉は、決して誇張ではない。朝から晩まで上井草に通い、休日もパソコンを開けば仕事があった。一般的な大学生活とは程遠い日々。それでも中田未桜(政経4=東京・早実)は迷わずその道を選んだ。高校時代の「不完全燃焼」を胸に、日本一を目指す組織に飛び込んだ4年間。会計、取材対応、遠征運営、チケット管理。学生とは思えない責任と役割を背負い続けた日々は、静かに、しかし確かにチームを支えた。犠牲と幸福が交錯したその歩みを振り返る。

4年時、予餞会で4年間の思い出を振り返る中田

 早稲田実業高を選んだ理由は、大学受験に縛られずに高校生活を送りたかったからだ。そんな高校時代、ラグビー部との接点はほとんどなかった。早大ラグビー部は「日本一を目指す組織」。当時の中田にとって、その組織に所属しているスタッフも選手同様に「雲の上の存在、本当にレベルの高い人なんだろうなという印象だった」と語る。早稲田実業高では吹奏楽部に所属し、毎年の定期演奏会を励みに過ごした。しかし、高校2年時でコロナ禍が始まり、活動は大きく制限された。「演奏会はできたけれど、全体を振り返ると不完全燃焼だった」。吹奏楽を大学でまた続けるという選択肢もあった。しかし、まだ先が見えない状況の中、ある思いがよぎる。「4年間終わったとき、本当にやりきったなと自分が思えていたい」。その思いが、彼女を早大ラグビー部へと向かわせた。「日本一を目指したこともない私が、選手ではなくてもスタッフとして日本一を目指せる環境が整っているのは、自分自身の成長にも繋がると思った」。伝統あるクラブが積み重ねてきた歴史が確実に中田の心を捉えたのだ。

4年時、春季オープン戦・京産大戦で選手の入場を見守る中田

 入学前の3月に行われた早大ラグビー部の説明会に参加し、実際に先輩方の話を聞く中で、次第に中田の覚悟は固まった。ラグビーは好きだったが、専門知識はあまりない。だからこそ、「専門性が他の役職よりは少なく、自分自身が成長できる仕事」であるマネージャーを選んだ。こうして中田の大学4年間はスタートする。下級生の頃は授業と部の仕事の両立に苦しんだ。厳しい環境に身を置く中、もちろん覚えることも山ほどあり、授業が終わるとすぐに上井草へ向かう日々は「体力的にも精神的にも大変だった」と語る。「新人だから役に立てているのか不安だった」。そんな中で支えになったのは同期の存在だった。「同期と過ごしている時間が気持ちを切り替えてまた頑張ろう」と中田を力づけた。同期の存在は下級生の頃から大きかった。インタビューを進める中で同期について問うと、中田の表情が和らいだ。語る声もどこか弾み、その笑顔からは自慢の仲間への深い信頼と愛着が伝わってくる。菅平で滝に行ったオフ、同期会でカラオケで歌って踊った夜。短い時間でも、笑い合う瞬間がそこにはあった。

4年時、追い出し試合で駆け抜ける中田

 上級生になると、彼女の仕事はさらに増えていく。会計業務や取材対応、遠征運営、チケット管理など学生とは思えないほどの責任を背負った。最終学年となった春シーズンの北海道遠征では、飛行機での移動やその他諸々の調整、すべてを担当した。「試合はもちろん大事だが、遠征自体が無事に終わるかずっと心配で。でもやりきった経験が、その後のシーズンに繋がった」と当時を振り返る。そしてラストイヤーの菅平は、入山前に部内でインフルエンザが流行し、混乱の中スタート。感染者の部屋割りなどイレギュラー対応の連続で、毎日何かしらのハプニングが起こった。「対応力がすごくついた。4年間で1番大変だったし、1番あっという間だった」と振り返る。一息つく間もなく最後の関東大学対抗戦(対抗戦)が始まった。シーズンが深まり観客数が増えるほど、彼女の仕事量は次第に増えていく。臨機応変さが求められる日々。そんな中、彼女の心に強く残ったのは、部員席の一体感だった。今シーズンのスローガン『One Shot』は、菅平合宿から応援のコールとして始まっていく。その試みはまだ、秋の対抗戦の時点では観客席まで浸透してはいなかった。「少し寂しさを感じつつも、一体感を大事にする部員席の雰囲気には、すごく大きな意味があったと思う」と中田は振り返る。部員席の雰囲気のよさを感じながら、中田自身も共に『One Shot』と叫び、試合を見守った。3位で迎えた全国大学ラグビーフットボール選手権大会。無事初戦の関東学院大戦を突破し、次なる相手は天理大。大阪での準々決勝となった。中田は大阪遠征の担当となり、緊張感はこれまでとは桁違いだった。「自分のミスで最悪の場合、勝敗に関わってしまう。絶対に運営面でミスが出ないようにと意識していた」。対抗戦が終わってから、想定できることはすべて想定し、準備を重ねた。これまでの4年間の経験や知識が試されている遠征だった。そして天理大戦に勝利した瞬間、「今までの人生で経験したことのない感情になった」と振り返る。緊張の糸がほどけ、胸の奥が熱くなった。敵地大阪でアウェイ感はあったが、それをかき消す勢いで、乗り込んだ部員全員、そして多くの早大ファンによる『早稲田コール』や『One Shot』がヤンマースタジアム長居に響き渡った。

4年時、ジュニア選手権・東海大戦で試合運営をする中田

 そして迎えた準決勝の帝京大戦で、中田はカメラを持って国立競技場のグラウンドに立った。視界に入るのは、選手の背中と、観客の熱気。天理大戦に続き、準決勝の帝京大戦も勝敗の行方が最後の瞬間まで分からない紙一重の攻防が繰り広げられた。決勝進出を決めた瞬間は「嬉しさのあまり手元がぶれて、ブレブレの写真もあった」と当時の嬉しさを笑顔で振り返った。360度どこからも響く早大コールが、中田自身の力になった。「選手たちにもこの応援が届いているんだ。早大が雰囲気を掌握したんだな」と語る。そして運命を決める決勝の日、「もう最後かと思いつつなんだかんだ楽しんでいた」と振り返るように、特別な緊張感はなかった。しかし、実際に会場に入り、国立に響く校歌を聞いたとき、胸が熱くなった。「こんなにたくさんの人に応援されているチームなんだ」と改めて感じた瞬間だった。出場する選手、応援する部員、支えるすべてのスタッフ、会場の早大ファンのみんなで最後まで一緒に戦っている光景を目で見て、声援を耳で聞いて全身で感じられたのは本当に熱い瞬間だったという。そしてノーサイドの笛。野中組は、ここまで積み重ねてきた長い旅路の終着点にいた。早明戦での敗戦から立て直し、天理大、帝京大を勝ち抜いてたどり着いた舞台。中田の目に涙は浮かばなかった。「とにかく終わったんだという感じで、現実を受け入れたくなかったのだと思う」。チームの歩みがここで一区切りを迎えることを、静かに受け止めながら仲間の勇士を見つめていた。

4年時、追い出し試合で笑顔をみせる中田

 毎日上井草にいた生活が終わり、急に訪れた暇。「何をしたらいいのか分からない」。忙しさが、彼女の生活の一部になっていた。それでも、野中組の追い出し試合で多くのファンの皆さん、同期や後輩の保護者の皆さんに声をかけられ、4年間の終わりを実感した。そして、この言葉が生まれた。「ラグビー以外全てのものを犠牲にした4年間だった。それでも幸せ」。犠牲にしたものは多かった。しかし、それ以上の価値を手に入れた。4年間で積み重ねてきたものは、膨大な仕事量だけではない。日々の中で磨かれた対応力、責任を背負う覚悟、そしてどんな状況でも前に進もうとする強い意志。それらは、早大ラグビー部という環境だからこそ得られたものだった。「忙しいのが自分には合っていた」と語るように、彼女は常に動き続ける中で成長してきた。今はふと訪れた静けさに戸惑いながらも、4年間で得た経験が確かに自分を支えていることを感じている。ラグビー以外のすべてを犠牲にしてでも追い求めた日々は、決して無駄ではなかった。むしろ、その犠牲の先にこそ、手に入れることができた幸福があった。あのとき不完全燃焼だった高校生活から一歩踏み出し、勇気を持って選んだ道。その選択は、間違いなく彼女を強くした。4年間で培った力と、仲間と過ごした時間、そして「やり切った」と胸を張れる経験が、中田の未来を確かに照らしている。

(記事 吉田さとみ 写真 安藤香穂、大林祐太、伊藤文音、吉田さとみ)