キャプテンとして1年間チームを引っ張ってきた伊藤大志駅伝主将(スポ4=長野・佐久長聖)。伝統校のリーダーを担い、その重責と戦いながらも走りで結果を残してきた。最後の箱根駅伝を前に、駅伝主将として駆け抜けたここまでの今シーズンを振り返ってもらった。
※この取材は12月11日にオンラインで行われたものです。
「競走部全体で戦っていく」
全日本大学駅伝対校選手権(全日本)選考会で走る伊藤大
――ご自身であらかじめリーダー像などを決めて、今シーズンを臨まれたのでしょうか
そうですね。ある程度はビジョンというか、こうなったらいいなという理想像は結構考えていて。高校3年生のときにキャプテンをやっていたのですが、伝統校のキャプテンというプレッシャーであまりうまく動けなかった部分が多かったり、自身で全部をやろうと頑張りすぎてしまって、結果的に空回りしたことがありました。今回は、できるだけ自分でできることと、人にお願いをしてうまく動かすということをしっかり明確に決めることは意識していました。加えて、早大のチームカラー的にトップダウンのような上からの指示はあまり向かないかなと思っていました。なので、できるだけ選手やスタッフなどメンバー、一人一人が自分の頭で考えて、行動に移せるような取り組みを多く行いました。
――春先に出場された、織田幹雄記念国際陸上競技大会(織田記念)でいきなり自己ベストの走りをされました
そこは正直ほっとしたというか、安心した気持ちの方が強くて。大学2年生で自己ベストを更新してからとんとん拍子に、大学3年生の頃には13分30秒を切るくらいまで行って、4年生では13分25秒までいけたらなと思っていました。ですが、思った以上に大学3年生のシーズンが伸び悩んでしまって。練習が本当に実を結んでいるのかなという不安もあったのですが、織田記念で1回13分30秒を切ることができたので、一安心の方が強かったです。念願の30秒台というよりかは、これからトラックを戦っていくうえで13分30秒切りというのは確実に必要になってくるので、ここからがスタートだなというイメージでした。
――その後、6月に全日本選考会が行われました。調整の点で難しさはありましたか
かなり難しかった記憶があります。トラックシーズンは、都道府県対抗駅伝から連戦をしていて、だいぶ試合が続いている中で疲労が溜まっていたり、日本選手権との兼ね合いがあったりなど、かなりハードなスケジュールでした。あまりコンディションが整わない中での(選考会の)1万メートルだったので、かなり条件が悪いなと思いながら準備はしていました。ぶっちゃけ、もう経験したくないなという思いが一番大きいですね(笑)。
――その中でチームとしては、全体3位通過でした
とりあえず通れて一安心というところが一番大きいです。何にせよ、(選考会を)通らないと話にならないのが大前提ではあったのですが、例年だったらチーム力を上げるのが、トラックシーズンや夏場で。その完成形が駅伝シーズンになるように持っていくスケジュールだと思います。ですが、6月に全日本大学駅伝の選考会を挟むと、前倒しをしなければならないので、その分チームビルディングのスケジュール感が変わってくるという点で難しいなと思っていました。今振り返れば、全日本選考会を迎えるまでは不安の方が大きかったかなと思っています。
――チーム全体として、夏合宿を振り返るといかがですか
全体的に層が厚くなるきっかけになった合宿だと思っています。正直トラックシーズンは、成果を出した選手も多かったのですが、目標と比べると今一つというか。爆発力が足りないなというイメージではありました。ですが、今回の夏合宿では、Aチームの合宿でもそうですし、Bチームでの合宿もかなり例年に比べてできたという感触が恐らくあったように思います。それに加えて、走り込みや貯めをつくっていく練習を一人一人ができていたので、全体として今年はかなりいいところまでいけるような感触はあります。個人でもかなり自信をつける夏にできたと思っています。
――その後に日本学生対校選手権(全カレ)の5000メートルで日本人トップを獲得されました
長距離にとっての全カレというのはあまり重要度の高いレースでもないですし、ふたを開けてみたらやはり出場選手も強豪選手が多くない中での試合でした。正直、出ても出なくてもという試合ではあったのですが、1つは長距離だけではなく、競走部として一般種目ともしっかり戦っていくという意思表示もありました。さらに、やはり駅伝シーズンに入っていくタイミングで、逆に一般種目の選手はオフシーズンに入っていて。試合がない中でも、ある種協力してもらうような体制になります。そのために、ある程度トラックシーズンも重要度の高い試合でなくても協力するという協力体制を、事前につくっていくことを意識しました。そのことで、駅伝シーズンは長距離だけでなく、競走部全体で戦っていくという雰囲気もつくれるのかなと思っていました。その点は、明確に意図を持って全カレに出場しました。
――全カレでの走りを振り返っていかがでしょうか
トラックの練習を全くしていない状態で、全カレ前の残り1週間ほどで、とにかくトラックが走れるようにスピードをボンッと入れて出た試合でした。具体的な走りの良し悪しは、正直トラックの練習をしていないため、こんなもんだよなというイメージの方が強かったです。かといって、日本人トップを手放しで喜べるかと言ったら、やはりそういった結果ではなかったと思います。駅伝シーズンでは絶対にライバル校となる創価大で、主要区間を走るであろうスティーブン(スティーブン・ムチーニ、創価大)選手には力負けみたいな感じでした。その点は、やはりもったいないなと思いますし、ここで勝ち切らないと駅伝シーズンで3番以内を狙うんだとしたら1つピースが足りないなと思いました。逆にそこで勝ち切れれば、3番以内も手繰り寄せることができるのではないかなと思っています。
――対校戦での応援も含めて、今年は特に短距離、長距離がチーム一丸となって戦っているように感じました
競走部として活動しているのであれば、やらなければ損だなという気持ちが僕にもあって。正直大学陸上となると、長距離と短距離はほぼ別の競技といっても過言ではなくて、そういったスタンスになってしまいます。しかし、競走部という体制で活動する以上、お互いのメリットやデメリットをうまく使っていかなければ損だなと考えていましたし、その方がお互いの活動がしやすいのかなと思っていました。前々から思っていたのですが、僕たちの学年は幸いなことに(短距離と長距離で)壁がない学年だったので、それをやるなら今年かなと思っていましたし、おそらく主将の池田(池田海主将、スポ4=愛媛・松山北)や駅伝主務の相川(相川賢人駅伝主務、スポ4=神奈川・生田)もそのように思っていたと思います。やはりこれを率先してやるのは4年生だなと思っていますし、ありがたいことに下級生もついてきてくれたので、改めてありがたかったなと思います。
――長距離と短距離で共に協力し合ったのは、対校戦の集団応援の他にありましたか
今年、特に例年と変えているのは、通常12月に入ってからの寮の感染症対策として、普段より門限を早めたり外出の範囲を狭めたりなど、長距離だけ少しルールを決めていたところなのですが、短距離にも感染症対策をお願いしていて。昨年、直前に体調不良者が出て、その感染経路が寮内だったかなというのも否めなかったので、今年は万全を期すということで、寮に入る全員で感染症対策ができるようにお願いをしています。トラックシーズンの頃から、感染症対策は今年やらなければいけないなというのは思っていたのですが、現主将の井上(直紀、スポ3=群馬・高崎)がすんなり受け入れてくれて。ここまでの協力体制の雰囲気が結果として現れているのかなと思っています。
「主将の走りに徹する」
箱根前合同取材で意気込みを語る伊藤大
――駅伝シーズンの話に移ります。出雲全日本大学選抜駅伝(出雲)でのチームの振り返りをお願いします
やはりチームとしては順位自体は、例年通り最低限の順位といったところだと思います。ですが、前半3区間があまり振るわなかった中での6位だったので、その点はむしろ安定感が増してきたというか、やはり層の厚さは非常に感じました。加えて、昨年(の出雲で)区間上位で走っていた長屋(匡起、スポ2=長野・佐久長聖)は1人いますが、3大駅伝初出場の藤本(進次郎、教3=大阪・清風)や昨年は出雲、全日本(全日本大学駅伝対校選手権)で振るわなかった工藤(慎作、スポ2=千葉・八千代松陰)が平地でもしっかり走れた点で、収穫の多い駅伝になったと思います。逆に言えば、個人の走りがもっとうまくいけば、上位に食い込めたような結果だったので、マイナスというよりかは、これからの改善の余地が大きい駅伝だったと思っています。個人の走りは、全カレからの連戦であったことで、コンディションの整え方に問題があったかなと見つめ直すきっかけになりましたし、夏と同じように、僕個人としてチームに目を向けすぎたことによって自分自身の走りに目を向けれていなかったなと気づかされました。出雲で、チームは意外と層が厚くて、あまり心配する必要がないなと思えたので、他の選手や4年生に任せて、全日本からは自分の走りに集中しようと思うことができました。
――その後の全日本では久しぶりのトップ5入りという結果でした。やはり出雲後の調整がうまくいって出た結果ということでしょうか
そうですね。出雲の反省として、調整方法と言うより自分の感覚に頼ってしまうことが大きかったとトレーナーさんと話しました。特に、全カレから出雲に向けて疲労を抜いて調整するということを時間がない中で行ってしまい、駅伝を実力通り走り切るくらいのスタミナが足りなかったということは花田さん(花田勝彦駅伝監督、平6人卒=滋賀・彦根東)と話し合いました。(出雲から)全日本までは3週間ほどであまり時間がない中ではあったのですが、全日本は他のメンバーに負荷の大きい区間は任せて、個人としての照準はあまり全日本に合わせず、少し負荷の高いポイント練習のイメージで、全日本まで向かっていくというスタンスでいきました。あまり、自分の中で合わせすぎてプレッシャーになる必要がなかったなと気づきましたし、4区という主要区間ではない区間だったのですが、あまり調整をせずにしっかり練習を積んだうえで区間5番で走れたのは、非常に収穫になりました。
――今年は、全日本の選考会、出雲と全日本を経験されましたが、駅伝主将として振り返っていかがですか
正直、出雲で6位になった時は大丈夫かなとは思ったのですが、全日本の本戦を踏まえて、しっかりリカバリーができるチームだなというところは分かりました。あとは、さらに上を目指すだけというか。多分平均点を出したのは、全日本だったのかなとは思いますが、全員はある程度調子が合って、想定通りの走りをしたら多分平均点以上になると思います。その平均点以上を出したら、3位以内だったり、全日本より上の順位になるとは思うので、あとは本当にやるだけのチームだなと思っています。やるべき練習を積んで箱根に向かえば、おのずと結果は出るだろうなというところまでチームは成長したと思います。
――今シーズンのご自身の走りや、チーム全体を評価するといかがでしょうか
100パーセントのシーズンというか、順風満帆にここまで来たというわけではないです。ですが、振り返ってみれば、チームや個人ともにでこぼこしたシーズンではあったのですが、そこまで悪いシーズンではなかったと思っています。良くも悪くも、終わりよければというところでいうと、箱根でうまくいったらなんだかんだ良いシーズンだったなと多分思えます。今シーズンなんだかんだ良かったなと思えるように、箱根ではもうひと踏ん張りしたいなと思います。
――高校3年生以来のキャプテンという立場でしたが、駅伝主将として過ごした今シーズンを振り返っていかがですか
やはり主将特有の苦悩というのは、チームは変われど本質は変わらないのだなというところは正直あります。佐久長聖高の方針としても、主将とエースを分けるというのはあったのですが、それは割と僕も同じことを思っている節があって。どうしても主将の走りとエースの走りは兼任できるものではないなとこのシーズンを通して感じましたし、逆に僕もここまで主将の走りに徹してきたという部分はあります。最後までチームを引っ張る者として、この部分は徹底していかなければならないと思いますし、キャプテンの走りに徹することができているのは、それ以外に支えてくれるメンバーや、それこそエースとしての走りを目指してくれる者がいるからこそだと思っています。高校時代のキャプテンと比べても人間的に厚みがでてきたなと思いますし、周りをしっかり見ることができるキャプテンになれたなと思います。
――駅伝主将として、チームに接するうえで意識していたことはありますか
できる限り一人一人の考えや個性を引き出すチームビルディングにしたいなと思っていました。チームの人数が多いわけではないので、その分特性を理解して、一人一人が活動しやすく、力を発揮しやすい取り組みをしました。そのことによって、スムーズにチーム運営をすることができたなと思っているので、部活という場にはなってしまいますが、社会に出る上でも役立つスキルになっていればいいなと思います。
――個人としてレースに出場しながら駅伝主将も務めるということは、バランスをとることが非常に難しいのではないかと思います
そうですね。トラックシーズンではかなり自分の走りに集中できていた部分は大きかったので、本当に自分の結果を追い求めて突き進むようなスタンスではありました。そこから駅伝シーズンに入るにあたっては、考えを切り替えて、いかに自分を核にしてチームをつくり上げるかというところを考えて。特に夏合宿はその点を肝にして走っていたので、トラックシーズンとは異なる考えを持って走れていたかなと思います。
――最後に箱根駅伝について伺います。まず、早大に入学してからここまでの4年間はどのようなものでしたか
僕たちの学年が一番どん底というか。スポーツ推薦も結果的に僕のみになってしまいましたし、もとからスカウトがうまくいっていなかった学年であったり、僕たちが1年生の箱根でシード落ちを経験してしまったりなど、正直一番下まで落ちた経験をしたのは僕たちの学年かなと思っています。それを振り返ると、山あり谷ありの4年間ではありました。ですが、それを踏まえたうえでも早大を選んで良かったなと胸を張って言えるくらいの4年間ではありました。いい結果が出たから早大が良かったとか、悪い結果だったから早大は違ったというよりも、それを超える達成感というか、充実感を味わうことができたのは早大だったなと思います。加えて、それを味わわせてくれたのは、4年間ここまで一緒に仲良くやってこれた同期のおかげですし、後輩たちを交えてチーム全員で何か一つのことを追い求めていく経験をできたこと自体が、早大で良かったなと思えた要因なのかなと思っています。
――差し支えなければ、早大を選ばれた理由をお聞かせください
割といろいろな大学から声をかけてもらってはいました。ですが、一番自主性を重んじたチームで、自分の思い描いた陸上ができそうだなと思ったのが早大だったので選びました。中谷先輩(中谷雄飛、令4スポ卒=現SGホールディングス)もいましたけど、たとえいらっしゃらなくても、早大に行っていたと思います。それくらい、一人一人に合った陸上ができるという点が一番大きかったかなと思います。
――駅伝主将として過ごすに当たって、同学年の存在はやはり大きかったのでしょうか
かなり大きかったと思っています。僕たちの学年はやはり1年生のころから他の学年の先輩に比べてパンチが足りなかったので、スター性のある学年とは言えませんでした。ですが、その分非常にまとまりのある学年だったなと思います。それを4年目のチームリーディングにも生かせたなと思います。具体的には、今年は副将を置かずに僕以外はみんなフラットな立場でチームに関われるようにして。それがうまく功を奏して、一人一人が副キャプテンというような仕事をしてくれて非常にありがたかったなと思います。それがなかったら、トラックシーズンは自分の走りに集中することができなかったと思いますし、特に全日本の選考会はいろいろな場面で4年生が盛り上げてくれました。このチームの完成度にはならなかったかなと思います。
――その中で、後輩の選手も今年かなり成長されたように感じます
かなりチームビルディングが安定してきたからこそ、後輩の走りが安定してきたと感じています。もちろん、慎作や智規(山口智規、スポ3=福島・学法石川)もそうですが、一人一人が高みを目指してトレーニングをしているからこそのものだとは思っています。ですが、それをするにはある程度安定しているチームでないと、そこまで集中できないなというのはここまでの3年間で僕もそうですし、きっと智規も感じていると思います。その点では、個人を成長させることができたチームになったという安心感と、ここまでできたんだなという感慨深さがあります。同時に、やはりチームの戦力として考えても、僕の最後の箱根もそうですし、これからの早大の駅伝もまだまだ落ちることがないなと。これからも躍進していくだろうなと思っています。非常に頼もしい後輩たちです。
――今年は山口竣平(スポ1=長野・佐久長聖)選手も加わりましたが、佐久長聖高の後輩選手に関してはどのようにご覧になりますか
長屋も昨年からですし、竣平も今年から入ってきて、かなり佐久長聖ファミリーが増えて単純にうれしいなと思います。佐久長聖という非常に特殊な環境で3年間過ごしてきたメンバーなので、やはり他の強豪校に比べても超えてきたものが違いますし、その分の強固な連帯感は今でも感じています。あとやはり、思い出話ができるのも高校の後輩がいないとできないことなので、単純にうれしいです。
――ここから箱根について伺います。現在のチームの状態と個人の状態はそれぞれいかがでしょうか
チームの状態はかなり戦える状態まで上がってきているかなと思っていて。例年になく層が厚いのは箱根になっても変わらないかなと思っています。やはり出雲、全日本などは、距離的に躍進しづらいメンバーもいたと思うのですが、宮岡(凜太、商3=神奈川・鎌倉学園)や伊福(陽太、政経4=京都・洛南)、菅野(雄太、教4=埼玉・西武学園文理)など箱根の距離だからこそより輝けるメンバーも早大にはいます。出雲や全日本とはまた一味違った駅伝になるかなと、今のチームを見て思います。個人の方だと出雲や全日本と少しでこぼこした駅伝になってしまいましたし、ちょうど12月の頭まで卒論の執筆がありました。かなり調子を落としてしまった部分ではあるので、チーム自体は勢いに乗っている中で、逆に僕はやるべきことをやって調子を上げていくフェーズで。チーム状態は熟成度がかなり高いかなと思うので、あまり心配せずに自分の走りに集中していく期間かなと思います。
――チームの雰囲気はいかがでしょうか
かなり盛り上がりもあると思いますし、かなり緊張感のある期間に入ってきているかなと思います。特にポイント練習では、ちょうど12月の頭でメンバー選考で16人目まで決める状態だった中で、当落線上の選手なんかはかなり集中して練習に取り組んでいました。それがチームに広がっていって、良い雰囲気で練習は取り組めているのかなと思います。また、普段のジョグなどでは学年に固まるというよりかは、学年関わらず走りに行って練習できている側面があって。その点は、かなりバランスよくできているのかなと思っています。
――今の時点で、目指していたチーム像というのはある程度実現できているという感じでしょうか
そうですね。ここからどうしよう、とはならないくらいにできていると思います。高校3年間いたチームと大学4年間いたチームの雰囲気が違うので、試合に臨むにあたっての雰囲気はそれぞれカラーがあると思います。早大のカラーにあった試合にはなっているのかなと思っています。
――今年の早大の強みはどの点でしょうか
例年になく泥くさいことができるなと思っています。例年はどうしてもスター選手に目が行きがちで、スター選手の爆発力のある走りが強みだなというところが駅伝では多かっだと思います。ですが、今年はどこかが仮に失敗したとしてもしっかりリカバリーできるチーム力がある点で例年になく強いなと感じています。加えて、全体的に総合力がかなり高いチームになっていると感じます。これをつくっている要因として、スピードをかなり持っているスポーツ推薦組と、コツコツ地道に練習を重ねてきて、ハーフマラソンを中心に結果を出してきた一般入学組の融合が強いことが挙げられます。これが、層の厚さというか、総合力の高いチームになってきた要因かなと思っています。
――個人としてはどういった走りがしたいですか
どこの区間を任されても、最低限求められた走りというか、チームに貢献できる走りをすることは当たり前かなと思っています。今年はそれ以上に個人として他校のライバルたちに対等に渡り合いたいですし、一矢を報いたいなと強く感じています。どうしても篠原(倖太朗、駒大)や平林(清澄、国学院大)などのライバルたちに比べると、まだまだ足りない部分が多いかなと思います。ですが、陸上人生をかけて最後の最後で勝つために、まずはここで一矢を報いておきたいかなと。箱根のどの区間でもいいので、実現できたらいいのかなと思っています。
――改めてチームとしての目標はいかがでしょうか
ここはもう変えずに3位以内を目指そうと考えています。まずは最低限「1=1」と花田さんがよく言っているのですが、一人ひとりが100パーセントの力を出して、プラスアルファとして爆発力を出したいと思っています。
――最後に駅伝主将として、個人として箱根への意気込みをお願いします
今シーズン最後の駅伝となるので、目標の3位以内を最後まで淡々と追及する駅伝にしたいと思っています。例年とは一味違った、総合力の高さで戦う駅伝にしたいと思っているので、個人としてもチームとしても、最後に笑って終われるように頑張っていきたいです。
――ありがとうございました!
(取材・編集 廣野一眞、草間日陽里)
◆伊藤大志(いとう・たいし)
2003(平15)年2月2日生まれ。173センチ。長野・佐久長聖出身。スポーツ科学部4年。伊藤大選手に限らず、佐久長聖高出身選手がSNSで使う『#長聖ファイヤー』。高校時代に集合写真を撮る際、「長聖ファイヤー」というかけ声をするのが伝統になっていたことが由来だそうです!