【連載】競走部 東京箱根間往復大学駅伝(箱根)前特集 『UPSET』 第13回 伊福陽太

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 前回の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)では8区区間5位と好走し、2月の初マラソンでは2時間10分切り(サブ10)で優勝するなど、確かな実力を見せてきた伊福陽太(政経4=京都・洛南)。マラソン後は不調に苦しんだが、徐々に本来の調子を取り戻した。学生最後の晴れ舞台にどんな思いを懸けるのか。1年の振り返りと、箱根への意気込みを伺った。

※この取材は12月10日にオンラインで行われたものです。

走るのもしんどくなる感じが続いた

関東学生対校選手権(関カレ)のハーフマラソンを走る伊福

――改めて前回の箱根を振り返っていかがですか

 前回は箱根の前の全日本(全日本大学駅伝対校選手権)で脱水というかたちでシードを自分のせいで逃すということがあって、そこから一旦気持ちが途切れてしまって。それで日体(日体大競技会)を経て臨んだ箱根でしたが、タスキをもらった位置が全日本の時と似ていました。シード争いに巻き込まれるかもみたいな状況でタスキをもらったのですが、その中でも焦らずに自分のレースができました。結果的に、花田さん(花田勝彦駅伝監督、平6人卒=滋賀・彦根東)とも話していた最低のラインではあったのですが、区間5位でしっかりまとめることができて、自分としてはそこそこ満足していたのかなと思っています。

――2月には延岡西日本マラソンで日本人史上最年少サブ10で優勝されました。ご自身の初マラソンを振り返っていかがですか

 マラソンは今回の延岡が初めてで、もともと長い距離が得意というのもあって、花田さんとも相談して、「大学3年の箱根が終わってからマラソンも挑戦しよう」という話をしていた中での出場でした。30キロを超えるレースを今までしたことがなかったので不安な部分はあったのですが、逆に初めてだし、うまくいっても、途中で失速するようなことがあっても、どっちに転んでも経験だなと思っていて。失うものはないというか、チャレンジする気持ちを持てていたので、25キロ過ぎから自分で飛び出してレースをつくることができて、結果的にタイムとか順位もついてきました。あのレースは本当に自分の中で一つ自信になったというか、いい経験になったレースだと思っています。

――マラソンからのリカバリーは具体的にどのような部分が難しかったですか

 自分の前年に佐藤航希(令6スポ卒=現旭化成)さんがマラソンを走っていて。航希さんもマラソンが終わってからの立て直し、リカバリーのところですごく苦労しているのを近くで見ていたので、自分もダメージは想像しているよりもあるんだろうなと思って結構身構えて過ごしてはいました。やはりそれが4月とかになって顕著にあらわれ始めて、特に足が痛いとか体調を崩すとかそういうことがあるわけではないんですけど、調子がずっと上がってこないというか。体が重い日が続いたり、夜あまり寝れなかったり、逆に日中ずっと眠かったり。ほんとに体に疲労がたまっているんだろうなというのをずっと感じながら過ごしていましたね。

――4年生になってから気持ちの面で変わったことはありますか

 4年目はまず自分の学生としての競技生活が最後ということで、終わり良ければ全て良しというか、関カレとか駅伝もそうですけど最後は全部いい形で締めくくりたいなと思っています。4年目の、最後という気持ちが、個人としては一番強いです。チームとして見た時に、4年生は上の学年ということで何かしら見られる立場になってくるので、練習の姿勢も気をつけました。自分だけじゃなくて大志(伊藤大志駅伝主将、スポ4=長野・佐久長聖)が中心に引っ張ってくれていたのですが、引っ張るところはしっかり引っ張るというか、そういうことも意識しながら取り組んでいました。

――ご自身は最高学年として、走りで後輩を引っ張っていく立場ということでしょうか

 そうですね、あまり大志みたいに口でいいこと言うとかそういうタイプの人間ではないので、コミュニケーションはしっかり取りながら、自分の練習をコツコツやっていくのが自分なりのやり方かなというふうに思っていましたね。

――ここから今シーズンについて伺っていきたいと思います。まずは関カレの前後を振り返っていかがですか

 マラソンの後、4月から結構調子が上がらない時期が続いていて、その中で迎えた関カレでした。3年の時に関カレのハーフに出て、その時にアクシデントで順位がついてこなかったので、今年最後の関カレということでどうしても点数は取りたくて。本当に調子は全然上がってこなかったのですが、なんとか間に合わせて出た、そういうレースでしたね。その中で5位入賞で、タイムや順位はそんなに満足できるものではないのですが、あの時の自分の状態というか調子からすればまずまずの走りだったのかなと思っています。

――海外遠征を取りやめた時の心境は

 自分でしっかりつかみ取ってきた海外遠征の権利だったので、どうしても出たくて、本当にギリギリまで花田さんと相談してどうしようか決めていました。そこで無理やり海外行ってレース出たとしても、その後に控えている夏合宿とかでしっかり走り込みできなかったりするとやっぱり駅伝シーズンには響いてくるので。3大駅伝ももう今回が最後なので、そっちにフォーカスしようということで、ほんとに悔しかったですけど海外遠征は取りやめて、秋以降の駅伝シーズンに備えるという選択をしました。

――あまり走れない中で休養期間はどのようなことをされていましたか

 6月末くらいから花田さんに一旦ちょっと走るのはやめようというふうに言われて、少し休みをもらいました。そこから温泉に行くなど、のんびりリラックスする時間に充てました。それが1週間くらいで、その後からは徐々に練習を再開していきました。

――夏合宿も含め、夏全体を振り返ってご自身の中での達成度はどのくらいでしたか

 休んでいた期間を経て、ポイントを含め全体と同じ流れに合流したのがちょうど7月末の一発目の合宿の菅平からだったのですが、夏合宿自体は例年よりもしっかり練習することができました。特に昨年はいろいろ体調を崩したりとか、足をちょっと痛めたりとかが重なって全然練習が積めませんでした。今年も、調子自体は夏もあまり良くはなくて、4月からの調子の悪さをずるずる引きずってしまった感はあったのですが、調子が悪いなりに自分で考えてしっかり練習を積むことができましたし、夏合宿の走行距離自体も、8月は1000キロ弱は走って割と足作りはできました。周りが結構夏(合宿の練習)はできてたので、周りと比べたらそこまでだと思いますが、自分の中では今年の夏は練習積めた方なのかなと考えてます。

――今シーズン一番つらかった、苦しかったのはどの時期ですか

 やはり関カレが終わったぐらいかなと思います。体の状態が上がらない中で、結構無理やり合わせて関カレに出たので、その疲労というか反動が関カレが終わって1週間ぐらいからバーンと来てしまいした。ちょうど関カレが終わってから予定していた海外遠征のためのマラソン練習をスタートして、そこで40キロ走を一回やった後ぐらいから疲れがどっと出てきて。本当に走るのもしんどくなるような感じが続いたので、6月7月、その時期が一番しんどかったかなと思います。

――その乗り越え方はやはり休養を取ることだったのでしょうか

 そうですね、体は休ませないと、そこで無理に練習しても絶対戻ってこないので。その時は思い切って休むしかなかったですね。

――駅伝シーズンはどのような目標をもってスタートしましたか

 海外遠征を取りやめた段階で、駅伝シーズンにしっかり活躍するために今はしっかり休んで夏に備えるということを考えていました。出雲(出雲全日本大学選抜駅伝)はメンバーも充実していてもう走れないだろうなと自分の中では考えていたので、全日本からのスタートができればいいかなと考えて夏は過ごしていました。前回ああいうかたちでシードを逃してしまったので、どこの区間を走るか分からなかったですが、最後リベンジして4年目の全日本を終えられればいいかなとまず思っていました。箱根に関しては、今年チームがスタートした段階で3位以内というのを一つ目標に掲げてやっていたので、そこに向けて自分は復路だと考えていたので、そこで区間賞争いができる走りをしたいなと考えていました。

――昨年悔しい思いをされた全日本では、今年は6区を走られました。今年と昨年のレースを比べて、変えた点や変わった点はありますか

 昨年8区だったんですけど今年は6区で、距離もほぼ2分の1くらい違って、どちらかというとスピードが求められるレースでした。そんなに変えた点は特になくて、ほんとに自分の今持ってる力を出し切ろうということしか考えていなかったです。

――改めてお聞きしますが、今年の全日本を終えた時の心境はどのようなものでしたか

 区間10位で、花田さんから出されていた想定タイムの下限のタイムだったので、自分の中でタイムとか区間順位自体は全然満足してないというか、悔しい結果でした。でも、チームとしては5位で、ずっと定位置と言われ続けていた6位を一つ抜けることができたというか。自分もなんとか、タイムは悪かったですが順位を最低限維持するような走りはできたので、まあまあかなと思いました。あと夏や夏前の、体の状態がほんとに悪かった時期からそこまで戻せたというのは一つ、箱根に向けては良かったと思っています。

――全日本後の上尾シティハーフマラソン(上尾ハーフ)はどのような位置づけで走られましたか

 ハーフも関カレ以降走っていなかったので、あれはもう練習の一環という感じでした。全日本の2週間前にちょうど早大競技会で1万メートルのレースを走っていて、1万メートルを走って2週間空けて全日本走って、また2週間空けてのレースでした。その2週間の間にも練習はそこそこしていたので、練習を積みながら、ある程度体に疲労を残しながらのレースでした。どちらかというと練習の一環というか、疲労で体が重い中でもある程度のペースでハーフを押す感じでした。監督からの設定も63分から64分くらいだったので、ギリギリ設定もクリアという感じでした。

最後の箱根を楽しんで走りたい

箱根前合同取材で意気込みを語る伊福

――ここから箱根に向けてお聞きしていきたいと思います。部員日記で「今のチームが大好き」と仰っていましたが、伊福選手から見たこのチームの特に好きなところ、長所はどこですか

 一つは、仲がいいところだと思っています。僕らの学年ももちろん、下の学年も含めて学年超えた交流もしっかりありますし、でも皆が皆それぞれのかたちで頑張っているというか。全員が全員、それぞれ競技に対して真面目に向き合っているというのを見ててすごく感じるので、いい意味でやっていることは皆バラバラですが、しっかりまとまりがあるという感じかなというふうに思います。

――伊福選手にとって同じ一般入学組の菅野雄太(教4=埼玉・西武学園文理)選手はどんな存在ですか

 菅野も、偶然か分からないんですけど箱根2回とも同じ区間順位だったので、面白いなと思いますね。菅野は菅野で、一般で入学してきて1年目は僕と一緒にBチームで過ごして2年目から箱根ということで、常にいい刺激になっていますし、練習でも菅野がしっかり走れてたら自分もしっかり走らないとなと思うので、本当にいい存在だなと思います。

――2人ではどのようなことを話すことが多いですか

 割と練習のこととか。同じメニューをやることが多いのでその話もしますし、競技以外のこと、普段の学校生活のこととかも話します。ちょうど卒論をやったりしているので、そういうのもたまに話しながら、という感じですね。

――一般入学組としてこれまで苦労した、大変だったことはありますか

 1年目は授業も(たくさん)あったので大変でした。ポイントの日はなんとか授業を入れずに全体と一緒にやれることもあったのですが、それ以外の練習は朝練も含め自分の時間でというか、自分で(メニューを)考えて組み立てることが特に下級生、1年生2年生の時は多かったので、そこは苦労したと思います。(キャンパスまでの)移動も1時間半かかるので、テストとか入ってくると寝る時間がちょっと削られてしまったりして。そういった生活の中でどれだけ競技への時間を捻出するかという部分は苦労していました。

――現在のチームの雰囲気はいかがですか

 ちょうど今日(12月10日)エントリーの16名が発表されました。故障者もいなくて全員しっかりポイントが積める中で、花田さんは多分16名の選考をギリギリまで迷ったのではないかなと個人的には考えてますね。本当に全員がしっかり練習できているのでいい状態かなと思います。(箱根まで)あと1カ月弱ありますけど、その1カ月弱でしっかり調整していけばチーム全体としてもここからもっと状態は上がってくるのかなと考えています。

――現在のご自身の調子は

 上尾ハーフが終わってから調子が悪くなったのですが、そこから少しリカバリーして、割と今その(本番に向けてより高める)時期に入ってきています。箱根と、箱根後にマラソンを走る予定なので、今そこの2つを見据えた走り込み期間を過ごしています。練習自体は充実して取り組めていると思っていて、調子もここからしっかり調整していけば上がっていきますし、しっかり練習ができている状態ではあります。

――最後の箱根路となりますが、どのような走りをしたいですか

 8区か9区のどっちかで、区間賞争いができるような走りをして、チームの3位以内という目標に自分も貢献できればと思っています。あとは最後の箱根ということで、人生で最大4回しか出られないチャンスのうちの本当に最後なので、楽しんで。中学の時から走ってみたかった大会だったので、最後楽しんで走りたいなと思います。

――希望する区間はありますか

 8区か9区どっちかですかね。8区は2年連続走ってますし、昨年タスキを落としてつくれなかった早稲田記録を最後つくって終わりたいという気持ちもあります。9区は9区でロング区間で、自分が一番得意なのではないかなと個人的に思っている区間です。どっちを走っても早稲田記録をつくりたいなと思っています。

――最後に箱根への意気込みをお願いします

 最後の箱根になるので、チームの3位という目標に向けて頑張っていきたいと思いますし、区間賞争いができるような走りをしたいと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 田島凜星)

◆伊福陽太(いふく・ようた)

2002(平14)年12月23日生まれ。173センチ。京都・洛南高出身。政治経済学部4年。得意なことは長距離を走ることと、年齢関係なく仲良くなること。気さくで誰からも慕われる伊福選手の、力強い走りに期待です!