【連載】水球部門 インカレ直前対談『Rise to the Top』最終回 醍醐裕也監督×飯塚哲司S&Cコーチ

特集中面

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インカレ直前対談最終回は、醍醐裕也監督(平22スポ卒=埼玉栄)と飯塚哲司S&Cコーチ(平22スポ卒=東京・城北)が登場する。20年の時を超え、今なお水球という同じ道で歩みを続けるお二人に、過去、現在、そして指導者として感じる学生たちへの思いなどを伺った。

※この対談は、9月5日に行われたものです。

ーーまずは、他己紹介をお願いします

醍醐 インドネシアバリクパパン市出身の・・・。

飯塚 やめろやめろ(笑)。

醍醐 飯塚てっちゃんです。サトシ(哲司)と書いてテツジ(哲司)と読みます。

飯塚 読みません、逆です(笑)。

醍醐 詳しい飯塚のプロフィールは、早稲田水球部門のブログの2009年から2010年に僕らの同期の竹内が「哲司の履歴書」を5回ぐらい書いているのでそこに全てが載っています。

飯塚 95パーセント嘘です(笑)。そこに書いてある内容は(笑)。

醍醐 そんなことないでしょ(笑)。誕生日は、4月27日で、38歳のAB型です。城北高出身で、それ以外のところは、その「哲司の履歴書」に書いてあるので、この記事を読む皆さんには、ぜひそれを見て欲しいなと思います。

飯塚 醍醐裕也さんです。早稲田大学水泳部水球部門の監督をしています。埼玉栄高等学校出身です。1988年10月30日生まれのAB型で、天才の一歩手前だという風に噂になっております。水球がとても上手で、今年も選手として試合にも出ていますし、同い年なのですが、ここまで水球をしているある意味変態です。

ーーお互いの尊敬しているところ、直して欲しいところはありますか

醍醐 尊敬しているところは特にないかな・・・(笑)。飯塚は本当に几帳面で、基本的にこの世の中の全ての中で、自分が一番正しいと思っているタイプの人間なんです。もう少し心を広く持ってくれたら良いと思います。よくキレているからね。一緒に寮生活をしていた時にもいつも飯塚の叫び声が聞こえてきました。

飯塚 そんなことないだろ(笑)。

飯塚 尊敬しているところは、大学の時からですが、本当に水球に関しては頭が良いところです。水の中に入ると人が変わったように頭が切れるので、すごいなと思います。また、ご覧の通りいつもふざけているのですが、この明るさは、僕にはないので、学生ともすぐに打ち解けますし、同時に、いい歳なのでそろそろ落ち着いたら、と思います(笑)。大学生の時から変わっていなくて、むしろはっちゃけ具合がエスカレートしているので、そこは、年齢に応じて落ち着いて欲しいなと思います(笑)。

醍醐 ガチ注意(笑)。

ーー逆に飯塚さんが大学生の頃から変わったなと感じるところはありますか

醍醐 変わってない(笑)。見た目も変わってないからね(笑)。18歳の頃からこれだから、やっと見た目が年齢に追いついたよね。

飯塚 もともと老け顔で、高校生ぐらいからずっとこの感じです。

醍醐 よく「俺は40までしか生きない」と言っています(笑)。

飯塚 あと2年しかない(笑)。

醍醐 本当に変わんないよな。

飯塚 18の時に出会って。

醍醐 出会って20年になるのか。

飯塚 やばいね。

醍醐 あの頃からこんな感じでしたね。

ーー大学時代の同期ということですが、特に印象に残っているエピソードなどはありますか

醍醐 記事にできないことが多いよ(笑)。書ける範囲で印象に残っている出来事を話します。大学で初めて飯塚と出会いました。高田馬場で入学式をした後に同期でマクドナルドに行ったんですよ、その時に飯塚がナゲットの空き箱にみんなのゴミを折りたたんで詰めていて、すごい几帳面なやつなんだなというのは今でも覚えています。

飯塚 今でもやってしまうのですが、ポテトの箱に包み紙とか全部入れたくなってしまって(笑)。どれだけ1つの箱にまとめて捨てられるのかを無意識でやっていますね(笑)。4月1日の入学式のことで、それは今でも覚えています。

飯塚 本当に初めて会ったのは、3月30日のスポ科ガイダンスの212教室で会った時です。彼は、水球会では有名人でスター選手だったので、一方的に知っていました。練習試合もしたことはあったので、完全な初対面ではなかったのですが、しっかりと話したのはその時です。212教室でトップアスリートの人たちがステージに残って、それ以外のみんなが帰っていく時に、醍醐裕也が212教室の上でずっとそのステージを見ていました。(醍醐は、)ジャージだったのですぐに「醍醐裕也だ」と思って、そこで「埼玉栄の醍醐だよね」と声をかけて、「いつから寮入るの」「明日からだよ」みたいな会話をしながら帰ったのが初対面です。そこから20年と考えるとすごく記憶に残っています。

醍醐 1年の前期は、寮で同じ部屋でした。4人部屋で。

飯塚 基本水球部門の中で、学年縦割りで部屋が割り振られていました。当時いたキャプテンが、「AB型変なやつ多いからまとめておいた」という理由で4人AB型の部屋が生まれました。すごい部屋だったよね、すごく楽しかったです。

醍醐 現日本代表女子監督をやっている筈井翔太さん(筈井翔太、平20年度スポ卒=京都・鳥羽、現日本代表女子監督)と僕らの1つ上の元日本代表のゴールキーパーをしていた棚村英行さんの4人部屋でした。

ーーすごいメンバーですね

醍醐 今考えるとすごいメンバーだったなと思います。

ーー飯塚さんに質問ですが、S&Cコーチとは、具体的にどのようなものなのでしょうか

飯塚 ストレングス&コンディショニングコーチの略です。経緯としては、醍醐裕也に、もう一度コーチとして戻ってきてくれないかと声をかけてもらったことがきっかけです。トレーナーは、すごく幅が広くて僕は大学の頃は選手だったのですが、そのまま大学院に進学したのをきっかけに大学院でトレーナーの勉強をしながらチームにトレーナーとして関わっていました。2019年に大学を離れるまでは、ずっとトレーナーをしていました。スポ科の助教もしていたのでずっとチームに関わっていて、学部終わって、修士、博士、助手、助教とずっと所沢キャンパスにいたので、部にもずっと関わっていました。2020年からは、早稲田を離れて別の仕事についたのですが、また戻ってきたという感じです。トレーナーには、怪我を見るトレーナーなど様々ですが、ストレングス&コンディショニングは、基本的には、ウエイトトレーニング等をみることが専門です。トレーナーと書くと意味が広すぎてしまうので、自分の専門性と役割を明確にするためにS&Cコーチと書かせてもらっています。

ーー醍醐さんの監督になられた経緯は

醍醐 元々は、2010年度に大学を卒業して、そこから2016年ぐらいまで社会人クラブの三建・30CLUBで選手を続けていました。そこから7年間ぐらいは水球を一切やっていなくて、プールにも入っていなかったですし、めっちゃ太っていました(笑)。それでコロナ禍が明けたぐらいの時に、嫁の実家が所沢に近くて、その時に久しぶりに練習に顔を出しました。その時に前任の監督の杉山さん(杉山哲也、平17人卒=埼玉・伊奈学園総合)がいらっしゃって、「コーチとか興味あるか」というお話をいただいて、そこがきっかけで、都田楓我(令6スポ卒=鹿児島南)の代が最上級生になるタイミングで、都田楓我の代と中村大智(令7スポ卒=埼玉・秀明英光)の代の2年間コーチをやりました。そして杉山さんから監督を引き継ぐという形で現在にいたります。

ーーお二人は、学生との距離感がすごく近い印象です。学生とのコミュニケーションで意識されていることはあるのでしょうか

醍醐 僕は、元々の性格はありますが、学生と同じ目線で楽しむことは意識しています。一緒にプールに入って練習をしていることが一番大きいと思っていて、上からただ指示を出している監督という感じではなく、チームメイトであり、立場上は監督というイメージです。だからこそ自然と距離感も近くなりますし、お互いに言いたいことも言い合えるような関係性を築けているのかなと思います。素の延長線上でやっています。

飯塚 僕も学生たちと離れたくないなという思いがあるので、話しやすい近くの大人という存在でいたいなと思っています。自分が現役の時にしょうもない話をコーチや年上の大人にしなかったのですが、自分が当時大人に知ってもらいたかったことや自分の経験などもコミュニケーションをとる中で学生たちに伝えたいなと思うので、(学生たちから)話しかけやすいようにはしています。醍醐裕也が迷惑をいっぱいかけていて、部員からも「裕也さんどうにかしてください」と言われたりもするので、結果的に距離が近くなっているのはありますね(笑)。

ーー試合に出られない選手たちもいると思います。そのような学生との関わり方やコミュニケーションはどのように取られていますか

醍醐 今年は、チームの制度や進め方を大きく変えました。去年までは、試合に出れない子の方が少なかったので、Aチーム、Bチームと分けることができなかったのですが、今年は、一般の子が多く入ってくれたので、2チーム体制にしました。本番の試合に出られない子に関しても練習試合を組んだり、Aチームと時間を分けてやっています。Aチームが社会人チームや1部の大学と練習試合をする時は、Bチームの子は出れなくなってしまうので、去年までだとただ上から見ているだけで練習が終わってしまいましたが、そういったことが無いように別の時間に練習の時間をつくったり、Bチームだけで2ピリだけやるとかをするようにしていて、モチベーションを維持できるようにしています。また、先のことをしっかりと話してあげるということも大事にしています。来年で言うと今年の4年生が3人抜けるので、誰かBチームから一人は、試合に出ないといけなくなり、Bチームの中でのスタメン争いも生まれてきます。練習を頑張れば頑張るだけ本番の試合に出れるかもしれないといった先を見据えた意識づけは、すごい強く言うようにしています。今年のインカレの初戦の沖縄大学の試合については、日本選手権が終わった直後から「スタートは、Bチームで行くよ」と伝えてあるので、なぜそうするのかと言う背景も説明していて、非常にプレッシャーをかけています。今多分すごいドキドキしながら過ごしていると思いますね。体制を変えたりしながら頑張らないといけない環境を与えるようにしています。

飯塚 醍醐、めっちゃ考えてますよね。僕も現役の時は、試合に出られないタイプで、いざ試合に出られた時もミスを多くしてしまい、よく怒られていました。裕也からも「なんでこういうプレーしたの」とかよく聞かれたのですが、全く嫌味がなくて本当に教えるのが上手で、すごく的確で、どうして水の中に入るとこんなにクレバーになるのだろうと思っていました。今もそれは変わっていなくて、監督としての醍醐裕也と話すとチーム全体を見ていて、先のチームの底上げのことも考えていて、改めて見直しましたし、水の中にいなくても水球に関わることだと・・・。

醍醐 何回水球が出てくるかな(笑)。水球だけっていう(笑)。

飯塚 試合に出ることが全てではないですし、学生スポーツのこの4年間は、チームの一員なので、自分の役割や目標を自分たちで見つけて欲しいなと思っています。僕たちの代は、それぞれが自分にできる役割、目標を作って本当に良いチームだったという自負があるので、そういうことを伝えられるようにしたいです。そういった立場でいた僕だからこそ伝えられることがあるとは思うので、今後もっと伝えていきたいです。

――新チームが発足した昨年の10月から現在にかけて、チームとして成長したと感じた部分はありますか

醍醐 AチームとBチームに分けて進める方針を部員たちが意味を理解しながら進めてくれているのは、一つ大きい部分です。何かを変えることは、すごくストレスになるのですが今は当たり前のようにしてくれています。AとBでバディー体制を取らせて、練習終わりに30分間Bの指導の時間をやりなさいと話した時も、単純に30分時間が伸びるのでどうかなと思った部分はありましたが、部員たちがこれは必要なことだとしっかりと理解して、続けてくれているので、チームを育てる意識は、成長した部分なのかなと思います。水球の実力どうこうに関しては、数値で出るものでは無いですし、シーズンが終わった後の結果でしか無いので、それ以外の部分かなと思います。高校までは、「上手い奴が強い」みたいな風潮があるのですが、それが僕は好きでは無いので、今年のチームが揃った全体ミーティングでしっかり学生たちに伝えましたし、それを理解してくれて別の物差しで物事を判断できるようになり、人間性の面でどんどん成長してくれているなと思います。

飯塚 個々で話していく中で、学年が上がるとその学年らしさがしっかりと身についているなとは思います。去年3年生だった子たちも4年生になれば、最上級生らしい振る舞いをしています。特に今の3年生は、2年生の時は自由奔放で、醍醐に注意されたり、色々な経験をしたりする中で、3年生になり、チームのことを考えるようになっていて、全部の学年においてですが、大人になったなと思います。全員が学年が上がるにつれて、考え方も振る舞いも成長していて、嬉しいなと日々感じています。

ーー今の4年生、特に主将の加納恒心選手(スポ4=東京・明大中野)の成長を感じた部分はありますか

醍醐 去年の最上級生の代が6人いて、一致団結してやっている良いチームで、ごそっと6人が抜けて大変になるだろうなとは思っていましたが、その中で、まず恒心がキャプテンをやりたいと手を挙げたところが本当にすごいことだと思います。前の代を見ている中で覚悟を持って立候補してくれて、覚悟がないとキャプテンはできないので感心します。恒心は、水球に関してだと一番僕に怒られているのですが、精神面的には、彼はすごく強くて、信頼しています。だからこそ怒りますし、それでもめげずにチームの顔として引っ張り続けているのはすごいなと思いますし、結果論ではないですが、なるべくしてなったと思います。大事な本番の試合ではしっかり点を決めるし、ミスして僕にプールからあげられるし(笑)味があってすごく良いキャプテンです。キャプテンなんて手をまず上げなかったよね俺ら(笑)。

飯塚 そうだよね。ここ何年かの話を聞くとみんなやりたいと手を挙げていて本当にすごいなと思います。

醍醐 考えられないよね(笑)。めんどくさいじゃん。

飯塚 本当にキャプテンになるとチームをまとめないといけないですし、外部との窓口にもなる大変な立場だと思うので、やはり成長を感じます。醍醐が先ほど人間性の話をしていましたが、彼は大学2年生の時に不貞腐れて練習途中で帰ったり、大学4年生の時のシンガポール遠征で相手が遅刻したのにイライラしてラフプレーをして没収試合になったりとか、その後に竹内からガチ説教を受けるっていう(笑)。今だったら醍醐はラフプレーにめちゃくちゃ怒るのですが、監督として醍醐もすごく成長しました。

ーー日本選手権は醍醐監督も選手として出場していました。振り返っていかがですか

醍醐 単純に楽しかったです。去年から一緒に出ていて、公式戦は2016年ぶりに出場しました。すごく緊張したのですが、また臙脂色のガウンを着て、選手紹介をやって、みんなと一緒に試合に出れたのは自分の人生経験の中でもすごくよかったなと思います。その延長線上で、長男が水球を始めたのですが、長男の目標が「中学生までに僕を倒すこと」になっているので、じゃあちょっとやめられないし、負けたくないなと思うのでまだ選手として貢献できるのであれば出ようかなと、今年も出場しました。無事日本選手権も2年連続出場できましたし、なおかつ試合に勝てたのが本当に久しぶりだったので、良かったなと思います。

ーー選手として活躍されていた醍醐監督を見ていかがでしたか

飯塚 彼が現役の時も、三建・30CLUBでプレーをしている時も本当に上手いし、尊敬するし、僕は彼のファンなので、同い年でよく動けるなと思いながらも、まだ裕也がプレーしている姿を目の前で見れてすごく幸せだなと感じます。この年でまだ現役でいる同期は周りにいないので、可能な限り頑張ってほしいです。日本選手権に関しては、僕らの時は、社会人チームが少なかったり、早稲田に代表選手が多かったりと出るのが当たり前でメダルも取れたりとしたのですが、最近は出れない年もあったりと日本一を決める大会の大きさを実感します。大会に出ることがまず、すごいことだと改めて思いました。オリンピック以降演出なども気合いを入れていて他に無い規模感の大会なので、水球に関わったからには、最高峰の日本選手権を味わってほしいなと思っていたので、今年も経験できてよかったですし、今後も続いてほしいなと思います。

ーー監督、コーチとして喜びを感じる瞬間はどのような時でしょうか

醍醐 試合の勝ち負けももちろんありますが、楽しそうにみんながやっている姿を見ている時が一番嬉しいですね。勝てば喜んだ顔をするし、負けたら悔しそうな顔をするし、その感情を一緒に共有できることが一番嬉しいです。社会人になって仕事をしていると家と会社の行き来だけなので、感情が揺れ動くことがほぼ無いのですが学生と関わると1年ごとにメンバーも変わりますし、毎年毎年色々な感情を与えてくれるので本当に幸せだなと感じています。

飯塚 同じですね。本気で喜んだり、悔しがったり喜怒哀楽を味わえるのは本当に学生と関わらないとできない貴重なことですし、幸せです。トレーナーとしては、選手が元気でいてくれたり、怪我から治って活躍をしていると嬉しい気持ちになります。今を全力で取り組んでいる姿を間近で見れることは本当にいつも嬉しく思っています。

醍醐 俺こんなに涙もろいと思ってなかったよ(笑)。毎回シーズン最後の挨拶とか絶対に我慢できなくなっちゃう。早慶戦の勝った瞬間とかも泣いちゃうからね。おじさんになったなと思います。

ーー現役の時は、あまり泣くことはなかったのですか

醍醐 試合に負けた時は、泣いていたかも。

飯塚 大学1年生の時の日本選手権で全日体に叩きのめされた時は、試合中に思わず涙をこぼしていましたね。今でいうKingfisherにボコボコにされて、20ー2くらいで負けたのですが、裕也が代表選手にボコボコにされて泣いていたのは今でも覚えています。

醍醐 今順大で監督をやっている長沼敦さんね(笑)。

飯塚 あのターミネーターと呼ばれている長沼さんにね(笑)。

醍醐 最近は、言葉に詰まって泣いてしまうこともあるので、おじさんになりましたね。

飯塚 でも泣けるだけチームに思い入れがあるということなんだなと思います。彼は平日も練習に来ていたり、本当に働いてるのか疑問に思うこともあるのですが(笑)だからこそ一緒に泣けるんだなとは思います。

ーー現在のチーム状況はいかがですか

醍醐 今年もインカレの仕組みがまた変わり、2回戦目で負けたとしても、また順位決定戦があるのでかなり難しい大会だなと思っています。当然初戦の沖縄大、そして専大、そしてそこに勝った場合の逆ブロックから上がってくる可能性の相手の対策や、さらに負けてしまった時に順大か中大か、慶應かと対策をしなければいけないチームがかなり多くて全ての場合を監督としても考えないといけないのでそこが難しいです。ここからは基本スペックが上がることはもう無いので、部員には、毎年ですが「どれだけ事前準備ができるのか」「当日どれだけミスをしないか」の二つだけを言っています。そこを徹底できれば結果につながりますし、できなければ負けるし、そこかなと思います。

飯塚 選手全体の雰囲気は悪くないなと思います。チーム競技なので、チームの雰囲気はとても大事です。日本選手権で専修大学に負けた時も悲観的にならずに前を見ていて、醍醐が入っている状態で負けるとなると不安になるかなと思ったのですが、ポジティブで良い雰囲気になっているので、期待しています。

ーー注目している選手はいらっしゃいますか

醍醐 選手全員には期待をしていて、どれだけ自分の役割を全うできるかだけだと思います。だから、注目してほしいのは、僕ですね(笑)。どれだけ良い采配ができるか、勝てば僕のおかげですし、負けたら選手のせいなので(笑)。

飯塚 笑笑。みんな頑張ってほしいですが、強いて言うなら簗瀬亮冴(スポ2=鹿児島南)です。彼は、2年生1人ということもありますが、のびのびプレーができていない印象です。もっと化ける子だと思うので、もっとのびのびプレーをして欲しいです。期待をこめて、今回名前をあげたいなと思います。

ーー最後の学生水球の大会となる4年生にメッセージをお願いします

醍醐 僕がスタッフになってから、初めて4年間を一緒に過ごす代です。長く一緒にやってきたので、最後は、勝って終わって欲しいです。インカレの仕組みが変わって、2回戦目で負けてしまってもまだ次があるので、とにかく勝って終わって欲しいなと思います。最後が、早慶戦の可能性もありますし、中央だったら去年のリベンジになりますし、専修大学に勝てれば本当に久しぶりにベスト4にもなるので楽しんでほしいです。個人的には、恒心にはたくさん怒ってきたし、冬惺(永野冬惺、スポ4=東京・明大中野)には、散々怒られてきたし、先輩なんじゃ無いかと言うぐらいね(笑)。旺道(加藤旺道、スポ4=静岡・磐田南)とは個人的にもこの4年間たくさん話してきたので、その3人が笑って終わってくれれば、良いなと思います。数ヶ月後には社会人になるのでね。そっちの方が心配です(笑)。

飯塚 シンプルに楽しんで欲しいなと思います。最近はクラブチームも多いので、続ける人もいるかもしれないですが、仕事をしながらだと今の質と熱量ではできないので、どんな結果であろうと出し切って欲しいです。

ーー最後にインカレへの意気込みをお願いします

醍醐 勝つと思うので頑張って欲しいです!あとは、最後の土日のインカレ後に日本代表のテストマッチがあるんですよ、土曜日が日本代表対オーストラリア、日曜日が日本代表対イタリアのセリエAのプロ・レッコというチームとの対戦があって、そのYouTube配信の解説をやります!それを頑張りたいです。

飯塚 A代表の解説だからね。去年のラジオの副音声とはわけが違うからね(笑)。大丈夫(笑)?

醍醐 大丈夫大丈夫。好きなこと言って良いって許可もらっているので(笑)。去年の日本選手権の決勝の解説もやっているんですよ。僕はそこも頑張りたいと思います!

ーーありがとうございました!

(取材・写真・編集  指出華歩)

♦︎醍醐裕也(だいご・ゆうや)監督(※写真左)

1988年、10月30日生まれ、埼玉栄高等学校出身。水球の技術はもちろん、選手たちの人間性までも成長に導く醍醐監督。競技者としても活躍し、選手たちを一番近くで見守っているからこその熱い思いが印象的でした!

♦︎飯塚哲司(いいづか・さとし)S&Cコーチ(※写真右)

1988年、4月27日生まれ、城北高等学校出身。トレーナーとして選手一人一人を丁寧に見ている姿が印象的でした。醍醐監督との大学時代の思い出を楽しくお話ししてくださいました!