早稲田スポーツ新聞会では10月1日発行の新聞より、全6回のラグビー蹴球部に関連した連載を掲載しております。今年は『Innovation』というラグビー蹴球部のスローガンにちなみ、部にもたらされた変革について特集します。10月31日発行の早慶野球(秋)号に掲載した特集第2回では、今季からヘッドコーチ(HC)に就任した銘苅信吾HC(国際武道大卒)について執筆しました。今回は銘苅HCに伺ったお話を、紙面に掲載しきれなかった部分を含め、インタビュー形式でお伝えします。
※この取材は10月17日に行われたものです。
変革のために
銘苅ヘッドコーチ
――早大のコーチに就任された経緯を教えてください
僕は沖縄の名護高出身なのですが、名護高と早大のラグビー部がずっとつながりがあり、僕が3年生でキャプテンをやっていたときも後藤監督(後藤禎和監督、平2社卒=東京・日比谷)もコーチとして来てくれていたので、後藤監督とコミュニケーションを取っていました。自分は千葉の国際武道大に進学したのですが、卒業する際に後藤監督からラグビーを勉強しないかと誘われて、最初は(NPO法人)ワセダクラブに入社しました。そこで小学生や中高生を指導していて、4年前に後藤さんが監督になるタイミングで、大学のコーチに就任しました。
――最初の3年間はBKコーチとしてどのチームを指導していましたか
最初はコルツというE、Fチームを見て、2年目がジュニアというC、Dチームのコーチ。昨年がA、Bチームのコーチをして、主にディフェンスを指導していました。
――いまもスクールでは指導しているのですか
いまもラグビースクールは毎週日曜日に6年生を指導させていただいています。
――小中学生を指導したことで大学生の指導に生きていることなどありますか
ラグビーの大切な部分である、自分よりも大きかったり強かったりする相手と対峙したときに仲間のために勇気を持って体を張れるかどうかは、小学生も中学生も高校生も同じです。また、自分よりも弱い立場にある人間に対してどういう風にふるまえるかも大切にしているのですが、そこもまた小学生も大学生も同じだと思っています。
――今季からHCとなりましたが、練習はどのように担当されているのですか
メニューに関しては後藤監督や上田コーチ(上田一貴ヘッドコーチ補佐、平21教卒=大阪・啓光学園)、村上コーチ(村上貴弘S&Cコーチ、平8人卒=東京・早実)と毎練習前にミーティングをして決めて、全体練習に関しては後藤監督が仕切っています。その中で私がドリルをやりますが、大きな部分は後藤監督が仕切っています。自分はBKを担当しています。
――BKのメニューもミーティングで決めるのでしょうか
BKのメニューは僕がすべて決めています。
――メニュー考案の際に後藤監督からリクエストなどありますか
基本的には後藤監督がやりたいラグビーからぶれないように意識して、また今年のBKがどういう風に攻めたり守ったりしていくのかということを考えてメニューを作っています。
――今季からHCになって感じた難しさはありますか
自分がチームとしてこういう戦術をしたい、こういうプレーをしてほしいとなったときに、自分では伝えたと思っていても選手にはなかなか芯まで伝わっていないことが一番難しいと感じます。あとはケガ人が出るので、メニューを作る際の練習の強弱やマネジメントの部分で、村上コーチのアドバイスを受けながらメニュー作りはしています。それらが難しいと思うのですが、楽しくも感じています。
――今年28歳ということで、年齢が近いならではの利点はありますか
1、2年目はあまり学生とコミュニケーションをそこまで取っていなかったのですが、Aチームを指導したこともありますし3、4年目はこちらから選手とコミュニケーションを取るように心がけています。選手も僕と年齢が近いということもあってかフランクな感じでコミュニケーションを取ってくれます。ラグビー以外の私生活や勉学でうまくいっていないこともグラウンドにつながってきますが、そういうところも話してくれるので、選手のメンタル的な部分もコミュニケーションを取りながら、グラウンドに来た時に顔色や元気を見て「こいつ体調よくないな」とか感じられるように意識しています。
――他の首脳陣の年齢層が高いだけに、若い銘苅HCの存在は大きいのですね
後藤監督とのパイプ役になれればと思っています。後藤さんはまさに監督という感じの方なので、選手からはなかなか言いづらいこともあると思いますが、そこで僕が潤滑油としてさらにうまくコミュニケーションを取れればと考えています。
――選手起用についてはどのようにしているのですか
最終的に判断するのは後藤監督で、その中で上田コーチや僕の意見も昨年よりも聞いてくれると言いますか、僕らに相談してくれるので、自分たちの意見も通しています。
――岡田一平主将(スポ4=大阪・常翔学園)にお話を伺ったところ、SHからCTBへの転向を銘苅HCに打診されたとのことでしたが、詳しい経緯を教えてください
僕から岡田をCTBにしたいということを後藤監督に相談して、本人がよければということだったので相談したところ、前向きな答えを出してくれたのでコンバートすることになりました。
――他にも勝浦秋選手(スポ3=愛知・千種)がCTBからWTBへ、杉本頼亮選手(スポ2=京都・桂)がSHからSOへ移動しましたが、これについても提案されたのですか
勝浦に関しては本人からで、毎年ある時期にやっている個人面談の時に、自分の強みをよりWTBで生かしたいということで言ってくれたので、それじゃあ自分の思うようにチャレンジしてみろということでした。杉本頼に関しては後藤監督から話をして、本人がSOでということだったので、彼については僕は何も関与はしていないです。
――早大OBではないということで1年目は苦労などしましたか
特に1年目は早大のラグビー部がどういう組織か全くわからないので周りを見ながら手探りでという感じだったのですが、今年は4年目で、自分が1年目のときの1年生がいまの4年生になるので、ずっと見てきたこともありますし特別に意識することはないですね。OBの方も自分がOBじゃないからと言って何かあるわけでもないですし、激励してくれています。
――逆にOBではないからこその強みはありますか
他のコーチがどうかは分かりませんが、思い切り出来るといいますか、ワセダの伝統もあるのですが、いい伝統は引き継ぐべきだと思いますし、いい伝統ばかりではないと思うので、そこに関しては僕も感じたことを後藤監督やスタッフに伝え、さらにいい組織になるようにできたらなと思っています。ですが、僕が早大ラグビー部から学ぶことの方が多いですね。
――コーチを4年間務めて、特に学んだところはどのようなところにありますか
僕は上井草って日本一青春と情熱が集まった場所だと思っています。毎日これだけの学生が全員が同じ目標に向かってボールを追いかけている姿があって、その中に自分がいられるのは幸運なことだと思います。特にワセダで僕が学んだことは何度でも立ち上がるということで、学生たちが何度失敗しても立ち上がって、前を見て走り出すその姿に特に1年目は印象深くて。こんなにも人って努力できるのか、諦めずにここまでできるのかと感じました。
――コーチとしての理想像はありますか
僕の理想像は後藤監督で、ただラグビーの指導者であるだけでなく教育者であるところが理想です。ラグビーのプロではない学生にラグビーを通じてどう育ってほしいのか、社会に出た時にどうなってほしいのかということを常に考えながら、それを強制するのではなく自主的にできるように投げかけてということを上手くバランスを取りながらできているので、隣にいるだけで毎日が勉強ですね。
――後藤監督に出会う前からこのような理想を持たれていたのでしょうか、それとも後藤監督とともに過ごすことで理想ができあがったのでしょうか
元の理想像は名護高の恩師の先生だったのですが、後藤監督と似た部分もそうでない部分もありました。僕は指導者として後藤監督の元で始めてラグビーのコーチングを学ばせてもらっているので、後藤さんの隣にいたことで僕はこういう人になりたいと思うようになりましたし、人生においても後藤監督に感化された部分が大きいです。
――後藤監督からコーチングについてアドバイスなどされることは多いですか
そこまで他人がやることにどうこう言う方ではないですが、道を逸れそうになったときや後藤監督がやりたいラグビーから外れそうになったときはしっかりと指摘してくれます。また、僕も1、2年目に比べて後藤監督とのコミュニケーションが何倍にも増えたかなと思います。
――選手に話を聞くと後藤監督の第一印象で「怖かった」という感想を耳にするのですが、銘苅HCから見てもそのような印象はあったのでしょうか
最初はそういう印象もありましたが(笑)、いまはそんなことはなく、憧れの人ですし、そんな方と実際に一緒に仕事できている毎日に感謝ですね。
――今季は『Innovation』をテーマに掲げましたが、コーチから見ても変革は感じますか
治療院(ワセダクラブ接骨院・鍼灸(しんきゅう)マッサージ院)ができたり、S&Cの村上コーチがフルタイムコーチとして入ったり、GPSが導入されたりとか選手を管理する部分では変わってきていると思います。ですが、選手もいい方向に変わりつつもまだ本気で頑張らないといけない部分もあって、特に馴れ合いと言いますか、もっと選手同士で人のことに興味を持ってほしいです。自分のプレーがどうかというのはどの選手でも反省して次はこうしようとか考えるのですが、自分のチームメートがどういうプレーをしているのか、それに対して必要な時はもっと話し合っていいと思うんですよね。けれど、それを流してしまっている。岡田主将や佐藤穣司副将(スポ4=山梨・日川)くらいしかできていないので、いいプレーをしたらみんなで盛り上がる、やっちゃいけないプレーをしたらみんなで「何やってんだ」と言い合うように、チームが一つになるためにも、遠慮せずにチームメートでも思ったことを言い合ってほしいです。それができて初めてチームが変われると思います。色々な外的要因が変わっても試合に出て勝つのは選手たちです。あいつら自身が変わるために周りも変わっていったと思うので、まだまだ選手には変わってほしいですし、変われるチャンスも時間もあります。そこでどうアプローチしていくか、監督やコーチも自分に矢印を向けて、選手と向き合っていきたいと思います。
――変わる契機として、筑波大戦のあとは多くの選手が変わらなくてはいけない仰っていましたが、変わりそうな兆候などありますか
筑波大戦は悪いところばかり出たと言いますか、選手たちに聞くとメンタル的な弱さが大きかったという話で、もちろんメンタルも大事なのですが、どういったスキルがなくて、どういったプレーをしたから点を取られたのか、どういうことが原因で得点できなかったのかということも重要です。スキルとシステムと気持ち、どれも必要になってくるので、システムだったり個人のスキルだったりというところにも僕は目を向けて、選手には気持ちも必要だけど、勝つ為にはこういうスキルが必要で、だからこういう練習をいつまでにやろうと明確にしてあげることが大事だと思います。僕はBKの選手に「BKで負けた」と言っているので、彼らがどう受け止めているかですね。
――筑波大戦でうまくかみ合わない状況を上から見ていていかがでしたか
チームがうまくいかない状況になったとき、ここ何年かもそうなのですが、その流れを断ち切れずにズルズル試合終了までいってしまうことが多く、全くそれと同じで、自分たちがうまくいかないまま終盤までいって、結局あの点差になったということがありました。そこで本当にシンプルだと思うのですが、僕はラグビーでタックルが一番大事だと考えていて、ビッグタックルが起きた時はチームや会場の雰囲気を変えられます。でもいまのチームはいいプレーが起こったときも他人行儀みたいにすぐ次のプレーに行ってしまっているので、そうでなくて、岡田主将や久富(悠介、文構4=福岡・小倉)がいいタックルをしたとき、みんなで集まって「ナイスタックル!次行こうぜ!」という雰囲気になれれば、悪い流れを断ち切って、もう一回自分たちのペースにできると思います。そこが他人のプレーに興味を持ってほしいということにもつながっています。
――ここから先シーズンはわずかですが、どのようなことが最も必要でしょうか
一番必要なことは筑波大戦で負けてチームとしても大きなインパクトを受けているのですが、まだまだシーズンは続きますし、負けたことを引きずらないためにまずはなぜ負けたのか、今年やりたいラグビーのうち何ができて何が出来なかったのかを首脳陣含め選手も明確にして、その次には負けを引きずらないでいい方向に切り替えるため、勝つためにいつまでに何をやらないといけないかというのを、コーチ陣が選手に提示して、選手が納得した上で限られた時間で質の高い練習をすることだと思います。
――最後に、銘苅HCの将来のビジョンを教えてください
4年前に取材して頂いたときは体育の先生と答えていて、いまももちろん体育の先生にならないと思っているわけではないのですが、現在はラグビーのプロの指導者としてラグビーに携わっていきたいと思っています。最終的には沖縄で、中学から大学などどのカテゴリーでもいいので日本一を目指せるチームを作り、沖縄から日本一のチームを作ることが僕の目標です。
――ありがとうございました!
(取材・編集 菅原拓人)