【連載】関カレ特別企画 新体制対談『一新』 第2回 片山大地×平田和

陸上競技

 今年も障害ブロックと跳躍ブロックに期待のルーキーが入学してきた。昨年の全国高校総体(インターハイ)400メートル障害2位の平田和(スポ1=鹿児島南)と、走幅跳を主戦場としながら100メートルでも10秒5台の自己記録を持つ片山大地(スポ1=東京・八王子)。そんな2人に今の種目に出会ったきっかけや早大進学の理由、さらには大学4年間での目標まで語っていただいた。

※この取材は5月4日にオンラインで行われたものです。

自分で考える練習


――入学前からお互いのことは知っていましたか

片山 いや、知りませんでした。

――大学の顔合わせで初めてという感じですか

平田 そうですね、入試とかで(顔を)合わせて、そこで知り合い、合格が決まった後の合宿とかで一緒することがあって、そこで仲を深めていったという感じです。

――お互いの第一印象は覚えていますか

平田 第一印象は、結構クールな見た目だったので、静かなイメージでした。

片山 第一印象・・・。優しそうな感じがめっちゃしました。

――そこから印象が変わったことはありますか

平田  ブロックが違くて、あまり同じ練習をこなすということはないのですが、練習自体を一緒に過ごす時間も増えた感じでは、面白いやつだなというふうに思うのと、結構しっかりしているイメージが自分の中ではあります。そういうイメージは新しく、入学してからついたかなと思います。

――しっかりしているというのは行動面ですか

平田 そうですね、礼儀正しかったりとか、1年生がしないといけないことをしっかりやっているというイメージはあります。

――それを受けて片山選手はいかがですか

片山 やっぱり競走部は怖いイメージがあるので、ちゃんとしないとなというので、そこは少し意識しています。

――片山選手から見て、平田選手の印象が変わったところはありますか

片山  第一印象のままというか、優しくて、第一印象から変わったことは特にないです。

――大学の練習と高校の練習で大きく異なる点をどのような部分に感じますか

平田 メニュー自体が変わるというのは当たり前のこと、新しいことをやるというのはあったのですが、先輩とかを見ていて、一人一人がすごく考えて練習しているという印象が強くあります。高校でも自分なりに考えながら陸上をするというのはやってきてはいたのですが、それ以上に先輩方の競技力も高いですし、その分考えて練習をしていて、内容の濃さがすごいなというのを入学してとても感じました。

片山  高校では先生からメニューを出されてやるという感じでした。今の時期は大会があって、練習のメニューが各自なので、自分で考えてメニューを組み立ていったりとかもしないといけず、考える力が養えると思います。あとは内容で言ったら、ウエイトとか重い物を持ち上げるというのは高校ではしてこなかったので、新鮮というか、楽しくやっています。

――大前祐介監督(平17人卒=東京・本郷)にはどのような印象を持っていますか

平田 大前さんの印象としては、やっぱり監督ということで、怖いという感じではないのですが、近づきにくいという感じはあります。ですが、アドバイスは、自分の感覚がないものへのアドバイスというか、そういう意識があるんだという気づきをもらえるものがとても多いんです。自分の課題、悪いところを的確に教えてくださることが多いので、とても勉強になるというか、自分のためになるなというアドバイスを頂きます。

片山 少し怖いなというのはあるのですが、意外と選手とコミュニケーションをしっかり取っている先生と感じています。見ていても4年生と練習中でも話していて選手と距離が近いというか、選手思いな監督だなとは思っています。

――片山選手は跳躍ブロックで活動されていますが、大前監督とは普段どのくらい関わりがあるのですか

片山 自分は幅跳びと100メートルもやっているので、最近は100の方に力を入れているので、結構毎日喋ったりとかはしています。比較的関わりはあります。

――次に、陸上を始めたきっかけを教えてください

平田 小学校の頃は、体育、スポーツ系のことは何もしてこなかったのですが、兄2人と父が陸上をしていました。自分が小6の時に、400メートルハードルでインターハイに出場した高3の兄を間近で応援しにいきました。兄もそうですし、全国の速い選手を見ていて、いつか自分もすごく大きな舞台で速く走りたいなと思い、翌年の中学1年のころに陸上を始めました。何の種目をするのかというのも自然と、迷わずハードルをするようになったという感じです。

――そこからずっとハードルをやられているのですか

平田 そうですね、中学は400メートルハードルがなくて、110メートルハードルと100メートルハードルなのですが、それをやっていて、高校に入って400メートルハードルが出てくるので、そこでもやりたいという気持ちだったので、110メートルハードルと400メートルハードルのどちらもやったという感じです。

――片山選手はいかがですか

片山 小学2の冬ぐらいに、それまでは何もスポーツをやってこなくて、そろそろ習い事をやらないとねと親と話していて、元々足が速くて、運動会とかでもリレーの選手で選ばれたりとかしていて、親が近くにあるクラブを見つけてくれて、そこから練習に参加してというのがきっかけです。

――今の種目はいつからやっているのですか

片山 幅跳びは、中学に入ってからやりました。

――跳躍を始めるきっかけは

片山 中学の時に見てもらっていた先生が幅跳びを教えるのが得意で、とりあえず足の速い選手は、まずは幅跳びをやらせるという指導をしていました。それでとりあえずやってみたら、結構跳べたので、続けてみたら全国に行ったという感じです。

――高校時代に一番思い出に残っている試合を挙げるとしたらどれですか

平田 高3のインターハイです。やっぱり高校生の目指す大会というか、みんなインターハイに懸けてくると思うのですが、地区から始まって、県総体、ブロック大会を経てインターハイにつながるという感じで、みんなそこに向かって頑張るというのがあると思います。自分も高校2年生の秋に初めて全国大会の決勝に残って、それがシーズン最後の大会で、(その)シーズンが終わって、来シーズンどんな選手になりたいか、どういう結果を残したいかという目標を立てるという時に、インターハイで、110メートルハードルと400メートルハードルで二冠をするという目標を立てて、冬季頑張ってきました。冬季も順調ではなくて、体調を崩したりとかもあったのですが、その中でもインターハイで二冠をするという目標をぶらさずにやってきて、初めて一つの目標に向かって全力で取り組んだということもあって、インターハイというのは自分の中でも心に残る大会でした。チームとしても4継とマイルのどちらもインターハイに出場することができたので、チームとして全国大会を経験したのもインターハイが初めてでしたし、チームとしても個人としてもインターハイという大会に向けて必死に頑張ってきたので、インターハイは一番思い出に残る大会です。

片山 2年前、高2の時のU18日本選手権です。理由は、中学で全国2位とかいろいろ好記録を残して、高校で注目されていたのですが、コロナ禍で練習をサボったりとかしてしまって、高1で記録が全然伸びなくて。中3で7メートルは余裕で跳んでいたのですが、高1で7メートルは跳べないし、100メートルも10秒台でも走れないしという感じで、中学までは毎年記録が伸びていたのですが、初めて伸び悩んだというか、挫折を経験しました。高2のU18で幅跳びのベストを出して、全国で2位になって、自分の殻を破れたきっかけになった試合で、その試合がなかったら、早稲田にも行けていないですし、なのでいろいろと思い出がある大会だなと思っています。

大学4年間の目標


――早稲田を志望した理由を教えてください

平田 最初は他の大学を目指していたので、早稲田に行きたいという思いも最初から持っていたわけではありませんでした。主将の天智龍さん(田中、スポ4=鹿児島南)が鹿児島南出身で、同じ400メートルハードルということで、憧れの存在にはしていたのですが、当時は大学で走ってみたいというのはあったのですが、自分が行ける大学ではないと現実的に考えていて、そこで他の大学に行きたいなと思っていました。ですが、7月ごろくらいに大前さんが自分を招いていてくれて、そこからは早稲田一択というか、いろいろな大学と比べてみても、自分が今まで考える陸上をしてきて、考える陸上の延長線上でできるのが早稲田だと自分の中で考えて感じたので、その延長線でできるのはとても大事なことだと思いました。もっと競技力が高い選手が集まる高いレベルの環境で陸上をしたいと思ったので、早稲田を選びました。

――田中選手とは高校時代から関わりはありましたか

平田 そうですね、自分が中学3年生のころに進路を迷っていて、その時に天智龍さんは鹿児島南の3年生だったのですが、自分も鹿児島南にも行きたいと考えていたので、鹿児島南の監督さんから声を頂いた時に、天智龍さんも誘ってくれたという感じでした。結局、天智龍さんと入れ替わりになってしまいますし、自分に合った学校が他にも見つかったので、鹿児島南には行かなかずに、松陽高校に行きました。そこでも関わりができて、自分が高2の時に、ブロック大会で優勝したのですが、その後の県選手権で、早稲田のユニホームを着た天智龍さんとまた再開するきっかけがあって、そこで自分が話しかけに行くと、すごく優しく接してくれて、そこで仲が深まったというか、憧れの先輩だなと思うようになりました。天智龍さんは鹿児島の県記録をギリギリ超すことができなかったという先輩で、自分が天智龍さんが達成できなかった目標を抜いてやろうというきっかけにもなって、それを目標にすることもできたので、超えたい先輩というイメージがついて、目標の存在になりました。

――早稲田の話を聞く機会もありましたか

平田 自分から天智龍さんに直接聞くというのは緊張もあってあまりできなくて、そういうのは天智龍さんから聞いていないです。

――片山選手はどのような理由で早稲田を選びましたか

片山 今4年生で400メートルハードルをやっている津川さん(瑠衣、スポ4=東京・八王子)が同じ八王子高校出身で、それをきっかけに早稲田も陸上が強いんだということを知りました。日大と早稲田で迷っていたのですが、八王子から日大に行く選手が結構多くて、仲のいい先輩とかもいるので、日大に行ったらふざけちゃうではないですが、やっぱり仲がいいので。なので、早稲田だったら知っている人も少ないし、人間性が一番成長できる場所だなと思いました。あとは、早稲田と言ったら短距離が強くて、自分は短距離もやっているので、足が速くなって、跳べるようにする、どちらも強くなれるようにしたいと思って、あとはもちろん他の大学と比べたらやっぱり就職の面とかも違うというか、ブランド的にも早慶はやっぱりトップレベルなので、そこも魅力的だなと思って志望しました。

――競技面における、ご自身の強みはどのような部分だと思いますか

平田 自分もまだまだ課題がいっぱいあると思うことが多くて、その中で自分の強みというのは感じることが少ないというか、自分より速い人の方がたくさんいるという環境なので、そういうところが見失いがちです。ですが、その中でも、自分は身長が周りの選手よりも高くて、そこがやっぱり走りにもつながるというか、身長が高ければ高いほど、ストライドも出やすいですし、400メートルハードルをする上でそこが大事なところにもつながってくると思うので、自分の体の特性と競技の特性がつながってくるというのが強みだと思います。走り方としても、真っすぐな走り方というか、あまり癖のない走り方を心がけているので、そこが自分の強みだと思うので、そこから新しい走り方というか、自分に合った走り方を追求できるというのはあると思うので、そこがこれからもっと強くなることにもつながると思いますし、それが強みなのかなと思っています。

片山 瞬発力と、100メートルのベストが10秒59なので、助走に関してのスプリント、助走の速さは他の人よりかは負けていないなと思っています。なので、短距離で伸びる環境が整っている、間近で10秒19とかを出している先輩もいますし、一番伸びる環境は早稲田だなと思うので、スピードを生かした跳躍をこれからもしていけたらなと思います。

――最後に、大学4年間での目標をお願いします

平田 競技力という面で、日本を代表できる、学生を代表できる選手になりたいというのは一番の目標で、そこで人間性、人としても4年間で成長していきたいというのはあります。どういう人間になりたいかというのはまだ定まっていないのですが、競技力のことばかりを考えていたら自分のことで一杯一杯になると思うのですが、周りにも目を向けられるようにというか、自分の成長したとこを周りに還元できる、今の天智龍さんがそういう感じというか、自分が経験してきたことを後輩たちに伝えて下さっているので、自分もそう成りたいというか、そういう選手に成りたい、こういうことをして、これを乗り越えたという経験とかをしっかり伝えていける選手になりたいです。そういういろいろな人に慕われるというか、結果を残して、いろいろな先輩方の記録を超えて、早稲田の400メートルハードル、日本を代表できる選手になりたいと思います。

片山 まず競技力で言ったら、インカレ優勝や、日の丸を背負うことです。あと自分は感覚で陸上をしてきて、言語化するというか、他者に指導をするときに感覚でしてきたので、人に教えられるようになりたいです。もちろん人間性も磨いていくというか、大前監督とか高校の顧問の先生にも人間性も向上していこうという話をされているので、競技力だけではなくて、人間性もしっかりと向上していきたいと思います。

――ありがとうございました!

(取材 戸祭華子、編集 加藤志保)

◆平田和(ひらた・あい)(※写真右)

2004(平16)年10月23日生まれ。182センチ。鹿児島・松陽高出身。スポーツ科学部1年。自己記録:400メートル障害51秒01。目標の存在でもあるという田中主将は、「ポテンシャルは僕よりも高い」と仰っていました。どこまで記録を伸ばせるか、4年間の活躍に期待です! 

◆片山大地(かたやま・だいち)

2004(平16)年11月24日生まれ。175センチ。東京・八王子高出身。スポーツ科学部1年。自己記録:100メートル10秒59、走幅跳7メートル47。自身でも強みだと言う100メートル10秒59のスピードを生かした大ジャンプに期待です!