【連載】関カレ特別企画 新体制対談『一新』 第1回 関口裕太×髙須楓翔

陸上競技

 高校時代、全国高校総体(インターハイ)や国民体育大会(国体)など全国の舞台で数々の実績を残してきた関口裕太(スポ1=東京学館新潟)と髙須楓翔(スポ1=千葉・成田)。早大競走部の未来を担うルーキーに、陸上競技を始めたきっかけから大学4年間での目標まで幅広く伺った。

※この取材は4月29日に行われたものです。

憧れの先輩を追って

対談は、終始和やかな雰囲気で行われた

――お互いのことは入学前から知っていたのですか

髙須 僕は知っていました。

関口 高3の国体前にほぼ入学先が決まっていて、その時に顧問の先生から「成田の髙須が一緒に入学するよ」みたいな話を聞いて。国体で初めて声を掛けてくれたのですが、「よ!」みたいな感じで(笑)。

髙須 最初はよっ友でした(笑)。

――その時の第一印象は覚えていますか

髙須 第一印象・・・(笑)。

関口 何だろう、陸上にはめっちゃ真面目そうなイメージがありました。

髙須 元々100メートルで結構タイムを出していたので、怖いかなと思っていたのですが、少し話してみて、怖くないって思いましたね。

――そこからの印象の変化はありますか

髙須・関口 そんなに(変わったところは)ないです。

関口 第一印象のままかなと。

――高校は寮生活でしかたか

髙須 高校は寮ではありませんでした。

関口 僕は寮でした。

――大学との違いはありますか

関口 全く違います。ルールも、高校の時はご飯が出る一人暮らしみたいな感じだったのですが、早稲田では当番とか掃除とか、早起きも頻繁にあって。それ自体に今は慣れてきたかなという感じですが、まだそんな環境には慣れていないです。

――髙須選手は初めての寮生活はいかがですか

髙須 聞いていた話はもっと厳しいのかなというイメージだったのですが、実際に入ってみると、先輩も優しくて。朝とかはきつい面もあるのですが、結構まだいけるかなという感じです。想像が厳しく見過ぎていたというか、それよりは少しマシなのかなという感覚はあります。

――同部屋の先輩はどなたですか

髙須 僕は池田海さん(スポ3=愛媛・松山北)と西徹朗さん(スポ2=愛知・名古屋)の2人です。

関口 僕は、眞々田さん(洸大、スポ3=千葉・成田)と寺澤さん(大地、スポ2=京都・洛南)です。

――どういう雰囲気の部屋ですか

関口 昨日か一昨日に部屋にゴキブリが出て、その退治でめっちゃ盛り上がりました。眞々田さんはもうめっちゃ高い声を出して、「キャー」みたいな感じで、ずっと「気持ち悪い」みたいな。結構面白かったです。

――結局どなたが退治したのですか

関口 寺澤さんが網で捕まえて、ゴキジェットみたいなもので退治しました。部屋は結構過ごしやすい環境というか、楽しいです。

――髙須選手はいかがですか

髙須 僕は寮に入って、(はじめは)同部屋の2人が背が高いので、怖いなと思っていました。ですが、本当にみんな優しくて。競技のことだったり雑談で海さんの部屋に遊びに行ったりすることは結構多いので、先輩ではあるのですが、すごく仲の良い先輩で部屋で過ごせるので、毎日がすごく楽しいですね。

――大学生活にはもう慣れましたか

関口 そうですね、友達も段々できてきて、最初よりは緊張感もなく楽しく授業に行けています。

髙須 僕はどちらかというとオンデマンドが多いので、頻繁(ひんぱん)に学校に来るという感じではないのですが、チュートリ(英語の授業)が対面になって、僕は本当に英語喋れないので、それが大変で(笑)。そこだけが大学入って、厳しいというか、きついなと思う唯一のことです。

――面白いなと感じる授業はありますか

髙須 僕は全ての授業が、高校だったら知っている人だけでしかクラス移動とかしないと思うのですが、(大学は)行く授業ごとで知らない人がいるというので、色々な人の意見とかを聞けるのが面白いなと感じました。どの授業がというよりは、行く場行く場で(色々な人がいる)というのが大学で楽しいことだなと思いました。

関口 僕は、スポーツ解剖学です。体の構造や動きを詳しく聞けて、陸上に生かせそうな学びができるので、個人的には今のところスポーツ解剖学が一番面白いです。

――次に、早稲田を志望した理由を教えてください

髙須 眞々田先輩(洸大)が僕の高校の先輩で、それでいろいろ話を聞いていく上で、自分には考えて陸上をやりたいという意志があったので、まず部活面では先輩とか監督とかとのコミュニケーションという面で選びました。あとは将来コーチになりたいと思っていたので、そういう面でも一番勉強できるのが早稲田だと思って志望しました。

関口 僕は、高校の顧問の先生が、早稲田の競走部のOBで。僕は稲毛さん(碧、スポ4=東京学館新潟)と同じ高校で、顧問の先生もまた同じ高校で。同じ高校から早稲田という流れというか、田村先生と稲毛さんの後を継いで、早稲田でも競走部の歴史自分の名前を刻みたいので、田村先生の夢を叶えるのと、稲毛さんとも練習や大会で一緒に競い合いたいというのがあって、早稲田にしました。

――高校時代に、関口選手は稲毛選手とはお話しする機会はあったのですか

関口 そうですね、コロナ禍の時に、稲毛さんがちょくちょく大学の部活動が停止になって、学館に練習に来ていて。その時に早稲田の競走部の環境がどういう感じなのかなという話とか、練習でいろいろなアドバイスをして頂いて、ザ・先輩という感じでした。

入学後に感じた早稲田の「強さ」

4月のレースでデビューを果たした関口

――大学に入学する前のイメージと入学後のイメージで変わったことはありますか

髙須 勝手なイメージだったのですが、めちゃめちゃ厳しいというか、上下関係というのも結構あるガチッとしたイメージが強かったです。ですが、実際に入って寮生活や練習をしてみて、そういうのがいい意味で無いなと思いました。先輩にアドバイスを聞いてもすごくいいアドバイスが返ってきたりというので、怖いイメージから優しいイメージに変わりました。

関口 入寮したての頃は、ただ厳しいイメージだったのですが、先輩方が優しくて。アドバイスももらえたり、寮内でのルールとかも細かく優しく教えてくれたので、今では接しやすいというか、優しい先輩方なんだなと思います。

――そのなかで、大前祐介監督(平17人卒=東京・本郷)にはどのような印象を持っていますか

髙須 そうですね、僕は(高校時代)結構大会でも会う機会が多くて、そのとき、当たり前のことだとは思うのですが一人一人の選手を大事にするというか、その人について考えているというイメージが強かったんです。大学に入ってきてから、それをもっと強く思うようになりました。一人一人に真剣というか、僕が陸上をやる上でこういう人を求めていたなという印象が強いですね。

――何かエピソードはありますか

髙須 基本的にスタブロをやる時とか、僕が「見ていてください」とか言わなくても、見ていてくれて。僕ができないと思っていた位置と大前さんがくれるアドバイスがすごく噛み合うので、そういうところですごく見ていてくれるんだなと実感します。ただちょっと見ているだけで思ったことを言うのではなく、見てまとめてアドバイスをくれるので、分かりやすいなと、学生個人(日本学生個人選手権)前の調整で思いました。

関口 僕はまだ高3の6月くらいの時に、声をかけていただいて。その時点で早稲田に入学したいと決めていたのですが、(入学の)条件が全国入賞と厳しくて。イメージとしては、全く別の話になってしまうのですが、僕の父と相対的に似ているような気がします。インターハイの北信越(予選)の時とかもわざわざ見にきてくださったり、インターハイでも会場にいて、決勝後に声をかけて頂いたのですが、僕の父に似ていて、安心感がすごくありました。声をかけやすいのもあるのですが、とにかく安心感があります。信じてやっていけそうだなというのがあります。

――田中天智龍主将(スポ4=鹿児島南)はどのような主将ですか

髙須 主将として、幹部としての天智龍さんと普段の天智龍さんは全然違うというイメージが強いです。主将として見た時は、競技面、試合に臨む姿勢もすごくかっこいいなと思う部分が多くて、でも(私生活では)すごく気軽に話してくれて、優しいです。出掛けたりも1、2回していて、そういう時は本当に優しさに溢(あふ)れているような、そこのギャップがすごいなと思います。

関口 僕も全く一緒です。ギャップがとにかくすごいです。(普段の)天智龍さんとしてはすごく優しいのですが、主将としては全てを背負っているというか、主将のあるべき姿という感じで振る舞っていて、そのギャップがすごいです。

――高校と大学の練習で異なる部分はどういったところに感じますか

髙須 僕は成田にいる時は、キャプテンで高校の中で成績的にも上の方だったこともあり、練習も考えながら、動画を見て何がだめだったかをまとめて、次の動きに活かすことを結構好きでやっていました。ですが、僕にアドバイスをしてくれる人がいなかったのが高校で、言い方は悪くなってしまうのですが、僕より陸上を分かっている、走りを理解している人がいなかったので、自分でまとめる感じでしかありませんでした。ですが、早稲田に来て今まで高校でやっていたことのレベルが低かったと感じたぐらい、先輩の知識の差がすごくて。そこで一番高校の練習との違いを思いました。意識の差が全然違うと思いましたし、それが強い理由だなというのも感じました。

関口 僕も、アドバイスをもらえるのもそうなのですが、自分で考えて練習をするというのが大きな違いだと感じています。高校では、顧問の先生から与えられたメニューをこなし、その後自分でうまく行かなかったところを修正するという流れでやっていました。ですが、大学では一から十まで自分の考えできっちりやるので、知識の量がまず違うというのと、自分が走りに対し自分ならこうアドバイスするというときも、(僕は)3つぐらいしか思いつかなかったのですが、先輩はどんどんアドバイスが出てきて。見る目というか、ちゃんと的確にアドバイスをしているのはすごいなと思います。

――次に、陸上競技を始めたきっかけを教えてください

関口 僕は、ただ単に小学校までは運動会でちょっと足が速かったかなぐらいで、全然女性の選手にも負けている時がありました。兄が高校で陸上をやり始めていて、夜走るのが怖いからという理由で僕も一緒に走っていたのですが、そしたらちょっとずつ足が速くなっていって、運動会もいい順位を取れるようになってきました。中学校では友達が大半野球部に入ってしまったのですが、僕は小学校の頃にクラブチームでドッチボールもやっていたのですが、もう投げるのはいいかなと、ちゃんと自分がやりたいことをやろうと思って。本当に最初はただ足が速いからという感じで始めました。

髙須 僕は父親の影響で、結構小さい時から中学2年生ぐらいまでサッカーをやっていました。中学生からサッカーはクラブチームだったので、陸上を部活として入っていて。中学生になってサッカーも陸上も中途半端な状態だったので、それで父親が中途半端なのが嫌いだからどっちかに専念しろというように言われました。そこでずっとやっていたサッカーを切り捨てて陸上に決め、やるからには全力でやろうと決めていたので、そこから考える陸上を始めました。中学3年では、全国に行ってやろうという気持ちでシーズンに入ったのですが、県4番で終わってしまって。そこで火がついて、本当だったら(県4番だと)入れないと思うのですが、たまたまいろいろ流れとかもあって成田に入れることになりました。成田は千葉県の中で強いイメージがあったので、絶対に全員に勝ってやろうという気持ちで、高1から本格的に陸上を始めました。

――それぞれ、今の種目はいつから始めたのですか

関口 中学1年生からずっと6年間ぐらいやっています。

――きっかけは何かありましたか

関口 きっかけはもう短いからです(笑)。長いのはもうきついので。今でもそんなに好きではないのですが、中学校の頃は200メートルも嫌いでした。でもやっぱり100メートルの良さって、かっこいいじゃないですか。限られた8人しか立っていないレーンで、同じスタートラインからスタートして最後の最後まで競い合うという、そういう理由もあって、かっこいいかなという理由で始めました。

髙須 僕は、100と200は中3から始めました。きっかけとしては、最初は100はかっこいいと思ってやっていたのですが、ずっとタイムも出なくて、全中の標準も、その時は県大会の記録も切れていなかったので、出られませんでした。その時に中学の担任の先生に、「100は遅いから200をやれよ」と言われて、始めた200で県大会の標準が切れてというのがきっかけで200を始めました。

――高校時代の勉強と部活の両立はいかがでしたか

関口 高校は文武両道をモットーとして掲(かか)げていたのですが、(高校の)入部式の時にも、勉強と部活動は一緒だからどちらかを疎(おろそ)かにしないようにと言われて。授業は3年間寝た記憶はないです。

髙須 僕も、成田高校が文武両道を掲げていて、中学の時からずっと勉強は苦手だったので、高校は頑張ろうと思っていたのですが、特に英語と数学ができなくて。授業中に解けても、テストになると解けないという病気が発生してしまって(笑)。その病気に苦しめられて3年間終わったというイメージが大きいです。

関口 病気なの(笑)。

髙須 病気(笑)。それはもう病気。

――高校の時に一番思い出に残っているのはどの試合ですか

関口 僕は高3の地区大会です。高1、高2ではケガ続きで、秋シーズンにやっと記録が出せて、冬季でまたケガをするというのが続いていました。3年に移り変わる冬季ではすごく順調に練習も積めて、シーズンインも追い風参考で10秒5だったのですが、高1の頃から顧問の先生の県記録は絶対に塗り替えてやろうと思っていて、それが叶ったのが5月頃の地区大会でした。そこで50メートルくらいから流しても、10秒7とかで走れて、「これ出るんじゃね」と思って、決勝までためておいて、決勝で一気にパワーを爆発させたら、県記録を塗り替えることができました。その瞬間、1、2年とつらい思いをして我慢してきたものがそこで一気にタイムとして出たので、すごくうれしかったです。あとはレースが終わった後に顧問の先生が駆け寄って来てくれて、握手と抱きしめ合ったのがすごく印象に残っています。

髙須 僕は、中3の時に気合を入れて冬季を過ごしてきたのですが、高1の時に200として出たのが22秒5で、全然タイムが出なくて。高1、高2は結構ケガで苦しめられて、ずっとハムストリングスの肉離れとか、うまく練習も積めないし、タイムも出せないというので1年が終わってしまいました。それで高2の県大会である程度力が付いてきたと確信があったので、今年は絶対にインターハイに行こうと先生とも話していたのですが、県大会の100でまた足を痛めてしまって、本種目としていた200を棄権せざるを得ないという状況になってしまって。またここで出られないのかと悔しくなった県大会のちょうど1カ月後くらいにあった試合で、それがU20の日本選手権に出るための最後の資格記録突破のチャンスで。「ここでしっかりとまとめて走ってこい」と監督に言われて走った時に、大幅ベストで21秒18で、約1秒くらいタイムを更新できました。そこで陸上競技をやっていて、初めてガッツポーズが出て、全国の切符を手にしたというのが一番印象に残っています。

――ご自身の走りの強みはどんなところですか

関口 僕はやっぱり勝負強さという部分が一番かなと思っています。その自信になったのが高2くらいからで、予選7位通過とかでも決勝ではしっかり2位でまとめられたり。そこから自信がきて、インターハイでも予選は全然勝てる相手と競っていたりしていたのですが、決勝では体2枚分ぐらい離して優勝できました。そこから自分の強みは、しっかり決勝にパワーを持って来られる、僕も意識しているわけではないのですが、絶対に勝ってやろうという思いからどこかにスイッチが入って、勝負強さが発揮されているのかなと思います。

髙須 自分の強みなのですが、その強みが逆にケガとかの要因にもなっていて、僕は股関節とかが結構動いて、ストライドが大きいのですが、その大きさがうまく自分のポジションに捉えることができていないので、ケガとかにつながっているという部分があります。強みと言っていいのかは分からないのですが、肩甲骨と股関節の連動という面かなと思っています。

世界で戦える選手に

4月の六大学対校で200メートルのレースを走る髙須

――大学入学後1カ月程度経ちましたが、競技面は順調ですか

関口 全然です。うまく環境慣れしていないというのと、ちょっとケガが続いていて、その影響で練習ができていないというのもあるのですが、先輩たちに聞いたら、1年生病みたいな伸び悩む時期なのかもしれないです。ですが、大学での練習は自分で考えてできるので、楽しいですし、1カ月経って、楽しいこともあれば、伸び悩んでつらく感じる時も多々あります。

髙須 僕は、入学してから結構順調な方で、先輩の意見とかも聞いて、走りの修正はできていたかなと思っていました。ですが、高校と違ってシーズンが早かったので、このスピードまで持ってくるのが早かったかなというのもあって、ケガにつながってしまって。練習面だけで見たら順調だったのですが、順調すぎたが故になってしまったアクシデントが痛いというのはあります。

――目標としている選手はいますか

関口 中学校では、今は法政大学にいるインターハイ400メートルで優勝した鈴木選手(鈴木大翼)という方だったのですが、現在は日本国内で考えたら(高校の)顧問の田村先生です。海外で言ったら、アメリカのトレイボン・ブロメル選手という方です。すごくスタートが特徴的で、魅力的なので真似してみたいのと、スタートが速くても後半も落ちない能力、自分が求めているものがその選手はそろっているので、すごく尊敬しています。

髙須 僕は、去年の世界陸上で優勝したフレッド・カーリー選手です。その人のフォームが僕の超上位互換というか、僕の最大限突き詰めたら、こういう走りになるんだなという理想の形です。僕はその人を目標としてしまうとその人を越えられないという壁を作ってしまうので、あまり作りたくなかったのですが、作らざるを得ないほど綺麗なフォームで、その人が好きというか、芸術というような目で今は見ています。

――大学4年間での目標をお願いします

関口 ゼミなどをとっていくのにつれて、知識もついてくると思うので、自分で周りの方の意見も聞きながら、自分の走りを自分で突き詰められる選手になりたいです。また、誰にも負けないというか、明確な目標はオリンピックに出て、日本代表選手として世界の選手と競い合ってみたいなという思いがあります。

髙須 僕も同じく世界で戦っていきたいというのと、先ほど言ったフレッド・カーリーのような走りの理想に近づけるように努力していくのもそうなのですが、大会会場とかで、「あいつ出るのかよ」と言われる選手になりたいです。マイルとかでも「2走にあいついるのかよ」みたいに言われたら、それだけでも気持ち面で勝てているメリットもあると思うので、僕はそれを目指そうと思います。

――最後に、今年1年間の目標をお願いします

関口 まずは、最低限自己ベスト更新です。それと、稲毛碧先輩が競走部で走るのは今年でラストシーズンなので、何とかして自分もリレーメンバーに入りたいです。高校の時は稲毛さんとは被っていないのですが、時代を越えて学館の卒業生でリレーのバトンをつないで、田村先生にそういう姿と表彰台に登っている姿を見せるというのが目標です。

髙須 僕もまずは100でも200でも自己ベストを出すことです。それと、西さん(裕大、教4=埼玉・栄東)や、稲毛さんといった知識量がすごい先輩が今年の日本インカレ(日本学生対校選手権)とかまででお別れというか、会う機会も減ると思うので、そういう先輩から受け継ぐものをしっかりと受け継いで、技術面とか色々な面で奪えるものは奪うというのが目標です。

――ありがとうございました!

(取材・編集 加藤志保、戸祭華子)

◆関口裕太(せきぐち・ゆうた)(※写真右)

2004(平16)年11月4日生まれ。171センチ。東京学館新潟高出身。スポーツ科学部1年。自己記録:100メートル10秒37、200メートル21秒12。寮内でも一番食べるという関口選手ですが、髙須選手によると、減量期には昼食をフルーチェとバナナとみかんだけで終わらせたこともあったそうです。ちなみに今一番食べたい物はナンだそう。沢山食べて1年目からの活躍に期待です! 

◆髙須楓翔(たかす・ふうと)

2004(平16)年9月5日生まれ。177センチ。千葉・成田高出身。スポーツ科学部1年。自己記録:100メートル10秒48、200メートル21秒00。純粋な性格で、ありそうな嘘を言われると信じてしまうという髙須選手。同部屋で四国出身の池田海選手に、本州から四国に行く時には通行手形がないと通れないと言われて、1週間ほど信じてしまっていたそうです。1年生らしい可愛らしい一面も見せてくれました!