早大が最後に明治神宮大会を制した2010年。決勝のマウンドに上がったのは、11番を背負った福井優也(平23スポ卒=現福島レッドホープス)だった。済美高で2004年にセンバツを制覇し、その後1年の浪人を経て早大へ入学。早大では大学日本一に大きく貢献し、ドラフト1位で広島へ入団するなど、輝かしいキャリアを送ってきた。そんな福井の早大野球部での学びや思い出、現在の独立リーグへの挑戦に迫る。
2015年楽天3回戦、7回1失点の好投で5勝目を挙げた福井
愛媛県・済美高校から早大に入学した福井。一度はドラフトで指名されるも拒否し、1年の浪人を余儀なくされたが早大への進学を選んだ。その決め手は東京六大学で野球をやりたいという思いと、應武篤良監督からの熱心な誘いだったと言う。大学では、福井を含め後に「早大三羽烏」として知られる斎藤佑樹(平23教卒)、大石達也(平23スポ卒)らと共に四度のリーグ優勝を経験。特にエースナンバーである11番を背負った4年時には、明治神宮大会決勝で先発し、勝利投手になるなど、素晴らしい成績を残した。福井自身もこの明治神宮大会が最も印象に残っている思い出だと言う。この早大時代の4年間を振り返り「すごく良かった」と語る。野球の上手い下手関係なく部員全員で努力し、優勝を勝ち取るという雰囲気や、学業も怠らずに文武両道に努める姿勢など、大学での4年間は福井自身への刺激となったことも多かった。また、学生主体で練習に取り組むことなど、自分で考える力が付いていったと言う。仲間たちと切磋琢磨し、野球選手としてだけでなく人としても成長できた4年間を過ごした。
2010年のドラフトでは広島から1位指名を受け、プロの世界に飛び込んだ。福井は1年目から先発ローテーションに入り、8勝を挙げる。また、5年目には自己最多となる9勝を挙げるなどの活躍を見せた。しかし、安定して勝利を挙げることができないときもあり、苦しいシーズンも多かった。18年オフには楽天にトレードで移籍。2022年オフに戦力外となった。
試練も多かったここまでだが、福井の中で一貫していたのは「野球が好きだ」という思いだった。「打たれることもあるし負けることもあるけど、そこはやっぱり悔しいと思えるし、そういう気持ちがまだ(野球を)やりたいって思わせるのかなと思う」。こうした思いから、福井は再びNPB復帰への道をあきらめなかった。東北に家族がいること、そして同じ愛媛県出身でかねてから親交のあった福島レッドホープス監督・岩村明憲氏からの誘いもあり、独立リーグの舞台で福井の新たな挑戦が始まった。独立リーグ1年目は10勝、防御率2.28で最優秀防御率獲得、ノーヒットノーランも達成。NPB復帰はかなわなかったが、安定した成績でチームに勝利をもたらした。
福井はプロでの13年間を振り返り、「やっとピッチングが分かってきた」と語る。これまでの成功や失敗を続けてきた。その経験を経て、自身の投球が完成されてきている。これからさまざまな経験をしていく学生に向け、こう語る。「いつ何が起こるか分からないから、今を一生懸命やって楽しんでほしい」。酸いも甘いも知り尽くしたからのエールだ。
(記事 田中駿祐、写真提供 共同通信社)