覚醒の2番
2番打者。打線のつながりを生み出すため、犠打や盗塁など様々な役割が求められる重要な打順である。その役割を昨秋の東京六大学リーグ戦(リーグ戦)で任せられた男、それが福本翔(社4=東京・早実)だ。春はけがに悩まされたものの、夏のオープン戦で好調を維持し、迎えた秋に覚醒した。10試合全てで安打を放ち、打率は4割に乗せ、ベストナインにも選出された。チームの中心として準優勝に大きく貢献した福本だが、大学で競技の第一線を退くことを決めている。福本の大学4年間、そして競技引退の決断に迫る。
秋のリーグ戦では打線を牽引した福本
高校時代、センバツで甲子園の舞台を経験した福本だが、入学前は早大野球部への憧れはほとんどなかったという。しかし、そんな思いは大学に入学してまもなく一変する。1年時に観戦した早慶戦、その舞台ではプレーする選手も応援する観客も誰もが熱く見え、実際に試合に出場したいという思いを強くした。それでも1、2年生のときはなかなか出場機会に恵まれない時期が続いた。念願のリーグ戦デビューを果たしたのは3年の春。当時を福本は「一個上の大会だったので負けられないという思いが強かった」と振り返る。その気持ちの強さが裏目に出たのか春のリーグ戦では無安打。苦しんだデビューシーズンとなった。しかし同年の秋、福本は開花の糸口を掴む。8試合に出場し、初安打を含む4安打を放ち、優勝も経験した。
そして迎えたラストイヤー。連覇を期待されたチームは春のリーグ戦5位と苦しんだ。福本自身も「最後の1年ということで焦って無理をしてしまった」というようにけがに苦しみ、限定的な出場にとどまった。しかし、けがを治し夏のオープン戦では好調をアピールし見事に外野のスタメンを獲得。そして迎えた秋のリーグ戦で福本は大きく飛躍する。6番打者として開幕戦を迎えると初戦から安打を放ちつづける。その勢いは明大1回戦で2番に打順が変更後も止まらない。結果として全試合で安打を記録し、打線を牽引した。自身が後に「集大成」と語ったシーズンを最高の形で締めくくった。
自身の大学4年間を「やりきった」とにこやかに福本は語る。高校で競技を離れることも考えていた。しかし、野球を始めたきっかけでもあるプロ野球の選手たちと同じように木製バットを使用したい。この思いを胸に大学での競技続行を決めた。大学でやりきろうという気持ちはプロや社会人の舞台を見ても揺らぐことはなかった。それでも大学まで野球を続けたことに後悔はない。4年間で色々なことを試し続けた。そしてその根底にある「考える」ということは変わらなかった。
2番に座りながらも勝負強さが光る場面は多かった
福本にとって早大野球部とは「人生で1番高く何回も訪れた壁」だった。下級生の頃は試合に出れない時期が続き、ラストイヤーはけがにも苦しんだ。それでもその壁にぶつかり、越えていくことで野球だけでなく、人間的にも成長することができた。野球を通して得た様々な経験を胸に、大学で見つけた新たな夢に向かって福本は飛び立っていく。
(記事 山本泰新、写真 山崎航平)