第5回に登場するのは、金子銀佑(教2=東京・早実)と瀧澤虎太朗(スポ2=山梨学院)の2年生コンビ。共に1年目はケガで長く戦列を離れていたが、苦しいリハビリの日々を二人で乗り越え、2年目にはレギュラー奪取に手の届く位置まで這い上がってきた。瀧澤は上位打線の一角として、そして金子は鉄壁の守備を誇る二塁手として、覇権奪回へのラストピースとなりうる存在だ。昨秋70年ぶりに最下位の屈辱を味わった早大。逆襲を期すチームに、新たな風を吹かせることはできるか。
※この取材は8月31日に行われたものです。
「二人で過ごす時間が多かったので、その分なんでも知ってる」(瀧澤)
辛い故障の期間で金子(左)と瀧澤(右)の絆は深まったようだ
――お二人は同期ということで、普段から仲は良いですか
金子 仲良いよな?
瀧澤 はい、仲良いですね(笑)
――なにかエピソードなどあれば
金子 自分は実家暮らしなんですけど、(瀧澤選手が)よく来ます。ゲームしたりとか。
瀧澤 (金子選手の)実家が飲食店をやってるんですけど、そこでごちそうになったりもします。一人で行くときもあるし、もう一人連れてくときもありますね。
金子 結構遠いので、たまり場にはなってないです(笑)。
瀧澤 あ、あと毎日キャッチボールもここで(金子選手と瀧澤選手で)してます。
――では同期内で一番仲良いのはお互いということになるのでしょうか
金子・瀧澤 そうですね。
――いつ頃から仲良くなったのですか
金子 やっぱりケガしてからかな。
瀧澤 そうだね、同じ腰をケガしていたので。
金子 一緒にリハビリをしていて一緒に過ごす時間も増えて、「どうすればいいかな?」って話し合ったり、悩みも相談したりして。
瀧澤 二人で過ごす時間が多かったので、その分なんでも知ってるというか、仲は深まりました。
――高校時代はお互い面識はなかったのですか
金子 自分はそんなに知らなかったです。山梨学院っていうチーム自体はテレビで見た記憶があるので、まあそこで見てたかも(笑)。
瀧澤 あんまり他県のこと気にしてなかったので・・・知らなかった(笑)。
――お互いの第一印象は
金子 初めて会ったのここ(安部寮)だよな?
瀧澤 うん。
金子 自分が初めて練習に参加する前から瀧澤は参加してて、そこで初対面で、「練習どう?走りヤバい?」みたいな会話をした記憶はあります(笑)。第一印象は、明るいヤツだなと思いました。早川(隆久、スポ2=千葉・木更津総合)とか吉澤(一翔、スポ2=大阪桐蔭)もいたんですけど、一番ラフに話せる印象はありました。
瀧澤 (金子は)当時筋肉がすごくて(笑)。すっげーゴリゴリだなっていうのが第一印象でしたね。
――2年間生活を共にして、第一印象から変わったことは
金子 (瀧澤選手は)結構チャラいです(笑)。
瀧澤 いや、そんなことないっすよ(笑)。
金子 でも野球のことになるとすごい考えてやってるし、それが結果にもつながっていて、日に日に「やっぱりすごい選手なんだな」っていう思いが強まってます。
瀧澤 (金子選手は)野球に対しては熱いものを持っていて、自分のスタイルとかこだわりを曲げずに貫いていて、そういうぶれないところは一選手としてすごく尊敬しています。私生活は・・・結構頭おかしいです(笑)
――頭おかしいエピソードはここで話せますか
瀧澤 ここじゃ言えないよな(笑)。
金子 言えないね・・・
瀧澤 今話してる感じとは全然違うんですよ、普段は(笑)。
金子 同期といると素を見せちゃってるんです、きっと(笑)。
――おすすめの同期部員を挙げるとしたら
金子 同期みんな仲良いんですよ。こないだサマーリーグっていう試合に新人中心で行かせてもらったときとかもすごく感じました。八田(敦司、人2=岡山・金光学園)っていうヤツがいるんですけど、試合中ベンチですごく声出してくれるんですよ、選手が和むように。(八田選手は)今のチームにいるようでいない感じの選手だなってサマーリーグを通して感じました。一歩間違えたらふざけてるって言われると思うんですけど、そこまではいかずに、試合に出てる人が気持ちよくプレーできるような雰囲気をつくり出す中心になってるのが八田だなって思います。サマーリーグには早川が来たんですけど、自分は後ろで守ってて早川がすごく楽しそうに投げてるなって感じて、そういうふうに普段1軍でやってる選手にもいい影響を与えられていて、プレー以外ですけど尊敬する選手です。
瀧澤 自分も八田ですね。同期のムードメーカ-です。
――春には後輩が入部してきたと思いますが、仲の良い後輩などはいますか
金子 (瀧澤選手の方を向いて)お前仲良いんじゃない?
瀧澤 うん、俺は結構後輩と仲良いです。ここ二人と共通して仲良いのは、森田(直哉、スポ1=早稲田佐賀)です。森田と一緒に金子の家行きました。
金子 あ、来たね。後輩が来たのは森田が初めてでしたね。
瀧澤 二人で誰か呼ぼうってなって、「じゃ森田でいいか」って(笑)。突然呼んだら来てくれました。
――では仲の良い先輩部員は
瀧澤 自分は最近上のチームに入れさせてもらってて、加藤さん(雅樹、社3=東京・早実)とか福岡さん(スポ3=埼玉・川越東)とか岸本さん(朋也副将、スポ4=大阪・関大北陽)そういう主力の選手にすごく良くしてもらっています。特に誰とかはいないですけど、みんな仲良くしてもらってます。
金子 自分も練習は一軍でさせてもらうことが増えて、最近は福岡さんがすごい優しく声掛けてくれて、よく話します。
――話は変わりますが、ことしは平成最後の夏ですが何か夏らしいことはできましたか
金子 海行きました、数人で。バーベキューしました。
瀧澤 7人くらい?でしたね。
金子 あと瀧澤はブラジル行ってていなかったですけど、サマーリーグのメンバー15人くらいで川行きました。それもバーベキュー(笑)。
――瀧澤選手はブラジル遠征に行ったそうですが、いかがでしたか
瀧澤 楽しかったです。フライトが長いのだけがしんどかったです。
――どれくらい長かったのですか
瀧澤 最初10時間乗って、乗り換えてそこから14時間です。ケータイゲームやるか映画見るか寝るかしかやることなくて、帰りはブラジルでケータイが壊れてしまったので本当に地獄でした。ずっと寝てましたね。
――ブラジルでの一番の思い出は
瀧澤 観光でイグアスの滝に行って、それがもう、「世界にはこんなところがあるのか」って思いました。すごかったです、感動しました。
――お二人はこれまで海外に行った経験は
瀧澤 初めてでした。
金子 自分は行ったことないんですよね。
――行ってみたい国などはありますか
金子 イタリア行ってみたいです。純粋に観光したい(笑)。
瀧澤 今回ブラジルで初めて海外に行って、海外いいなって思いました。どことかはまだないですけど、大人になったら海外旅行とかしてみたいです。
金子 大学生の間は厳しそうですね。
一同 (笑)。
長いリハビリ生活を乗り越えて
上位打線の一角として期待が寄せられている瀧澤
――ここからはお二人のこれまでの振り返りに入ります。まず先ほど話にも出てきましたが、お二人が腰のケガを負ったというのはいつ頃ですか
瀧澤 二人が一斉にケガしたのは10月頃だっけ?
金子 そうですね。
――そこからどれくらいリハビリが続いたのですか
金子 3、4カ月くらいですかね。お前は半年くらいやってたよね?
瀧澤 うん、ずっとリハビリしてました。半年くらい、沖縄でもやってたんで。
金子 自分は瀧澤よりはちょっと遅れてケガして。
瀧澤 自分がケガした2週間後くらいに、すぐに俺のところに来てくれて(笑)。
金子 いや、ケガしたくてしたわけじゃないから(笑)。
――本格的な練習は長期間できていなかったのでしょうか
瀧澤 全くできなかったですね。しんどかったね…。
金子 呼吸だけをするリハビリとか、ひたすら筋肉をほぐすリハビリとかがあって、それが自分はすごくしんどくて。「腰痛いのにこんなことやるの?」って、関係ないって思っちゃってたんですよ。けどトレーナーの方のメニューを信じてやるしかなかったので、それをやるだけの毎日だったんですけど、自分は結構続けられないタイプで、飽きちゃうんですよ。でも瀧澤はずっと黙々とやってて。瀧澤が真面目にやってるのを見て励まされて、自分もなんとか毎日続けられたかなと思います。
――沖縄キャンプでも別メニューをこなしていたと思いますが
金子 暖かいところの方が治りが早いので、野球はできないですけど沖縄には行って、しっかりリハビリに励めてよかったと思います。
――長いリハビリ期間はどのようなモチベーションで乗り越えたのですか
瀧澤 二人で結構語り合ったというか(笑)。「今はこうやってリハビリやってるけど、いつか一緒に神宮でプレーしよう」とか、「家族も応援してくれてるし自分たちがここで腐っちゃダメだ」とか、そういう熱い話を結構しました。
――現在は完治しているのでしょうか
金子・瀧澤 はい。4月くらいには。
――長期間リハビリ生活が続き、他の選手たちに後れを取ったという意識もあったのでしょうか
瀧澤 そうですね。でも、自分の体のことも理解できたし、ケガしてるときは裏方の仕事も多かったのでそういう高校までは経験してこなかった裏方の思いも実際に経験して理解できたので、後れは取ったんですけど、それ以上に得たものは大きかったと思います。
金子 これまで自分の身体について全然理解してなかったので、自分の体と向き合う時間がケガしてる期間で取れて、自分を見つめ直すことができました。あとは瀧澤と同じなんですけど、裏で補助する人の気持ちというか、正直「なんで自分がこんなことしなきゃいけないんだ」って思うこともあったんですけど、裏方の人たちがいないと成り立たないんだなっていうのも理解できたので、今は前よりもっといろんな人のことを考えながら野球ができてるかなと思います。
――ここからは春シーズンについて個別に聞いていきます。まずは金子選手から。春季オープン戦終盤から一軍に合流し、二塁手で起用されました。慣れないポジションということでしたが、振り返っていかがですか
金子 学生コーチの方にも一軍で出るならセカンドじゃないかって言われていて。自分はセカンドをこれまでやったことがなくて不安もあったんですけど、やってみたら結構やりがいがあるポジションだなと思いました。もちろん守備にはこだわりを持ってやってきてたので、それをどうセカンドというポジションで生かせるかって考えながら守備はやっていて、バッティングに関しては、得意じゃないんですけど、とにかくいいピッチャー相手にも食らい付こうという思いで試合してました。
――これまで遊撃、三塁と守ってきて最初は二塁を守ることへのやりづらさもありましたか
金子 そうですね、最初はやりづらかったです。打球の角度も投げる向きも違いますし、指示によって自分の動きも変わってくるので。最初は本当にできるのかなとも思いましたが、今はだいぶ慣れてきました。一つまた守れる場所が増えたことは良かったと思います。
――リーグ戦で開幕ベンチ入りを果たし、守備で1軍デビューを果たしましたがいかがでしたか
金子 失うものはないので、見せてやろうという気持ちで入って、二遊間に飛んできた球を取ってグラブトスをしました。これからリーグ戦に出る上では、エラーなども出てくると思いますが、そういう時にもあのプレーを忘れないようにしたいです。自分はあそこしか出番がなかったのですが、思いっきりやればああいうプレーができると分かったので、そういう意味でもあそこで出させてもらったことは大きかったと思います。
――その後のカードではフレッシュリーグで攻守において活躍されました
金子 最初の方は・・・。あれ、瀧澤いたっけ?
瀧澤 ずっといたよ(笑)。
――3、4番でご活躍されてました。打撃で意識したことはありますか
金子 特にないんですけど。瀧澤と2人で、1軍に入れなかった分、俺らの代でもやれるってことを証明しよう、あんまり僕たちの代はうまい選手がいないのですが。それでもここまでできるってことを証明しようということは言っていました。
――高校の時から逆方向への打撃を意識しているというお話がありました
金子 逆を言えば引っ張れないということでもあるんですけど(笑)。そこは長所なのか短所なのか分からないですが、あの時は調子が良かったということだと思います。長打が出るときは大抵調子がいいです。
――早慶戦のときのアンケートには加藤雅樹選手(社3=東京・早実)にバットをもらったというお話がありました
金子 そうですね。あのときバットをもらったのですが、中盤くらいで折れてしまって・・・。バットのせいにするのは良くないのですが、いい道具を使って初めていいプレーが成り立つと思うので。バットのせいではないですが、それも少しはあるのかなと思います。
――その後はもらったりはしてないですか
金子 そうですね。もらってないですね。また言えばいつかくれると思います(笑)。
――フレッシュリーグでは守備位置が再び三塁に変わりましたが、守っていていかがでしたか
金子 高校の2年の春まではずっと三塁だったので、抵抗はありませんでした。二塁に対してはやばい、という感じもありましたが。三塁は得意で自信もあったのでそこは大丈夫でした。
――フレッシュリーグは優勝とはなりませんでしたが、全体として振り返っていかがですか
金子 すごく雰囲気がいいんですよ。お客さんの方から見ていても分かると思うのですが、ミスしても打てなくてもベンチが「大丈夫、大丈夫!」みたいな。東大戦で苦戦してしまったのですが、そこは東大も自分たちと同じように元気だけは負けないというチームだったので、すごくやりづらさがありました。あと、自分が一番悔しかったのは、慶大戦で最後にホームランを打たれて、同点で終わってしまったことが悔しくて。自分だけ立ち直れないというか、切り替えられないくらい悔しい試合ではありました。
――1軍のリーグ戦は金子選手から見て、どのように映っていましたか
金子 やっぱりまだ色々な部分で定まっていないのかなということはスタンドで感じていました。その分、自分もどこかでチームの役に立てるのではないかということも考えましたが、それに伴うだけの実力がまだないです。上を見て練習しなきゃなという気持ちになりました。
――続いて瀧澤選手に伺いたいと思います。リハビリを終えて実戦に復帰されたのはいつ頃でしたか
瀧澤 フレッシュリーグが始まる2週間前くらいでした。ギリギリでしたね。
――実戦から離れていた分、感覚のズレなどもどかしい部分もありましたか
瀧澤 全くバットも振っていなかったので全然違いました。打撃でも全然タイミングが合わなくて、守備もうまくできないしという感じだったので、かなりもどかしかったです。
――実戦の中で徐々に慣らしていったかたちですか
瀧澤 練習、練習、練習、という感じで量はやりました。
――そんな中でフレッシュリーグは4番も務めるなど、チーム引っ張る立場でもありましたが、意識したことなどはありますか
瀧澤 主将は別の人がやっていたので、自分はプレーの面で頑張ろうという感じでした。自分が打って、チームを勝たせるための役に立とうと。3、4番を打たせてもらっていたのですが、正直自分たちの代はあまり実力がないので、3、4番を打たせてもらっている自分たちでなんとかつないで1点でも多く取ろうという意識はずっとありました。
――打撃の面で活躍されましたが、ご自身のプレーを振り返って
瀧澤 1、2、3番が出塁してくれて、好機で回ってくることが多かったので、ここで何とか自分がかえしてやろうという気持ちで毎回の打席に立っていました。自分一人では点を取れないので、前の打者が塁に出てくれていたからこその打点だと思います。
――高校時代にも4番を打った経験をお持ちですが、4番という打順へのこだわりなどはありますか
瀧澤 特別なこだわりはないですね。4番だから大きいのを狙おうという気持ちはないです。その場面に合ったつなぐ打撃をいつも意識しています。
――公式戦に出場するのはフレッシュリーグが初ということになりましたが、プレーが通用するという面で手応えも感じていましたか
瀧澤 フレッシュリーグは同級生が相手なので、まずは同級生とやってみて通用するかどうかというところでした。それでやってみて、打てたので・・・(笑)。まあ、まずまずだなと思いました(笑)。
――早慶戦で1軍に上がってのリーグ戦デビューとなりましたが、1軍へ上がるということはいつ頃伝えられたのですか
瀧澤 発表自体は前日くらいなのですが、入れるのかな、ということは1週間前くらいの練習から頭にありました。法大戦の最後もベンチには入らせてもらったので。メンバーに入るという方向で、練習などに入れてもらっていたので心の準備はできていました。
――リーグ戦デビューがいきなりの早慶戦ということで、雰囲気もかなり特別だったと思いますが振り返っていかががですか
瀧澤 やっぱり六大学の中では早慶戦というのは特別で、応援団の量も全然違う中で初打席に立たせていただいたことは、自分の中でもいい経験だったと思います。今後のリーグ戦に出場していく中でも、春に4打席立てたということは大きかったと思います。
――打席に入るにあたってアドバイスを受けたりなどは
瀧澤 特にないですね。思い切って行ってこいという感じです。
――緊張感はありましたか
瀧澤 打席に入る前は吐きそうなくらい緊張していました(笑)。自分は結構緊張するタイプなので。打席に入ってからは、自信を持って行こうというふうに切り替えました。
――今までにも代打として試合に出た経験はありましたか
瀧澤 それがあまりなかったので。心の準備も結構難しかったですね。余計なことはあまり考えずにポジティブなことだけ考えるようにしました。
――途中出場ならではの難しさもあったということですね
瀧澤 体もあまり温まっていないので。試合を見ながら自分で準備をしていかなくてはいけないという点で難しかったです。
――三塁打を含む活躍でしたが、結果については
瀧澤 格上の投手から打てたことは自分の中でも良い経験になりました。今までケガで悔しい思いもしてきて、しっかりリハビリに取り組んできたことがこの安打につながったのだと思います。これからもそういう細かい部分において、練習を積み重ねていけたら結果もついてくるのだと思います。
――早慶戦後はご家族や友人の方から反響はありましたか
瀧澤 打った時に自分は携帯は見れないのですが、その時間に「ナイスバッチ」だとか「よく打った!」だとか色々届いていました。それは試合が終わった後に見てうれしかったです。
――夏季オープン戦についても伺いたいと思います。瀧澤選手はブラジル遠征に参加されましたが、プレー面を振り返っていかがでしたか
瀧澤 移動が多くてコンディションを整えるのがとても大変でした。そんな中でも打率など成績を見れば、良い成績を残せたとは思うので、自分の中では良い遠征になったと思っています。
――日本でやる試合との違いは何かありましたか
瀧澤 観客の雰囲気は、海外の方が見ているので独特でした。盛り上げ方などが特に日本とは違う独特さがありました。ですがプレー自体に関してはいつも通りでした。
――ヤジなどは気にならなかったですか
瀧澤 なんて言ってるのか分からないので(笑)。
――本塁打を放つご活躍でした。長打力に関しては
瀧澤 自分は何カ月か前に打撃を変えました。長打も打てる打撃をしたいと思って、そういう練習をしてきました。長打を狙っているというわけではないのですが、いつものスイングをしたら勝手に(長打が)出るというふうになってきたので。
金子 すごいな・・・(笑)。
瀧澤 狙って打つと調子が悪くなってしまうので、自分の自然体のかたちが長打を打つスイングになってきたということで、その面は成長した点だと思います。
――参考にした選手はいますか
瀧澤 埼玉西武ライオンズの秋山(翔吾)選手や横浜DeNAベイスターズの筒香(嘉智)選手は少し見たりはしました。
――打撃を変えようと思ったのは、どなたかから「長打力をつけたほうがいい」などのアドバイスがあってのことですか
瀧澤 最初は長打力をつけようと思ったわけではなくて…。そのスイングにしたら自然と長打力がついたという感じです。後付けで長打力がついたみたいな。
金子 すごいな…。
瀧澤 打率を上げたくて、打撃フォームを変えたんですけど。そのフォームが自分に合ってたみたいで、うまくいったという感じです。
――金子選手は打撃に関して参考にしている選手はいますか
金子 自分は打撃に関しては気分屋なので。ずっと瀧澤とかにはフォームが「硬い、硬すぎだよ」って言われます。だいぶ自分の中では柔らかくなってきたと思うのですが。高校野球上がりの金属バット打ちが全然抜けませんでした。ですが、最近徐々に自分の中でいい感じかなって思える時もあるので。気分屋なので難しいことは分からないですが、きょうは広島東洋カープの菊池(涼介)選手をイメージしてリラックスして打とうと意識していました。その時々で変えます。考えすぎてしまうと、逆に打てなくなってしまうので、フラットに捉えるようにはしています。
――木製バットへの適応はやはり時間がかかりましたか
瀧澤 自分は高校引退してからずっと高校で木製で練習していました。入学した時完全に慣れていたわけではないですが、少しは慣れた状態で入学できました。
金子 自分はまだ時間がかかっています。
――高校日本代表は木製を使っていますが
金子 多分練習からやってるんだろうね?
瀧澤 でも(木製だと)打てない人は打てないので。センスがある打ち方を分かっている人は木製でも大丈夫だと思いますが、金属でガンガンやってきた人はきついと思います。
――瀧澤選手は足に包帯を巻いている姿も見られましたが、現在の状態としてはいかがですか
瀧澤 まだ本調子ではないです。足を捻ってしまって・・・。
金子 ケガばっかやな。
瀧澤 中高はそんなにケガしてなかったのですが。最近多いですね。練習の中の実戦には入れているので大丈夫だと思います。
――金子選手は夏季オープン戦序盤は打撃でも活躍されていましたが、レギュラーに近付いてきたという感覚はありましたか
金子 最初の方はそういう感覚もあって秋はやってやるぞという感じでした。今ももちろんそうなのですが。最初の方は良かったのですが、最近は2軍戦に行く機会が増えてしまって。2軍では結果を残せるのですが、1軍に上がった時に打撃で結果を残せなくて。自分が上でやるとしたらどういう立ち位置で試合に出るんだろうって考えた時に、やっぱり打てないと使ってもらえないと思います。1軍でやるなら打撃をもっと磨かないといけないと思います。
――ここまで二塁手には多くの選手が起用されていますが、その中でどのようにアピールしていきたいですか
金子 自分は二塁はやったことがないのですが、やったことがないからこそ、『二塁手はこうあるべき』というものに縛られたくないです。自分が今まで三塁、遊撃でやってきたスタイルをうまいこと生かせないかなということは日々考えながらやっています。二塁手を最初にやれって言われた時は「できないよ」という感じで全然モチベーションが上がりませんでした。そういう時は、広島東洋カープの菊池選手のスーパープレー集を見たりしました。実家まで1時間くらいかかるのですが、その動画を見て野球やりたいなと思い立って、またここ(安部球場)まで来て練習したりとかもありました。アクロバティックなどは、ミスをしたら雑と言われてしまうので、確実に成功させるための練習を日々やっています。
――菊池選手も遊撃手から二塁手に転向した選手ですが、やはり参考になる部分がありますか
金子 そうなんですか?野球詳しくないので知らなかったです(笑)。菊池選手のプレーに関しては見てて楽しいので。お客さんたちはお金を払って見に来ているので。自分たちにお金が入るわけではないですが、お客さんたちはそういうのを楽しみに見に来ていると思います。早大の野球は堅実にというのがあると思いますが、自分は見ていてワクワクするようなプレーがしたいと思ってやってきたので、その部分はぶらしたくないです。菊池選手を参考にしている分、似たようなプレーができたらいいなと思います。
――守備からアピールするというかたちですか
金子 いくら守備が良くても打てないと使ってもらえないと思うのでほどほどに、バランス良くやっていきたいです。
――打撃面ではどのような点を意識して練習していますか
金子 力を抜けということはいつも言われています。力を抜くことからまずは始めています。ギリギリまで力を抜いて、当たってからという感じです。
――瀧澤選手は中軸を任される場面もありますが、周囲からの期待はどのように感じていますか
瀧澤 自分は守備よりは打撃の選手なので。中軸を打つなら3番だと思うのですが、自分の中では気負わずに打席に入ろうと思います。やはり3番を打たせてもらうということは、監督やコーチからも期待されていると思うので。なんとか結果を出したいです。
――理想の3番打者像はありますか
瀧澤 理想はないのですが、場面に合った打撃がしたいです。細かいバントやエンドランなど、なんでもできる選手3番打者だと思います。
――打撃に関してこれから意識すべき点はありますか
瀧澤 開幕までは調子を落とさないことが一番だと思います。あとはフォームを変えないように意識したいです。
――守備よりは打撃というお話でしたが、守備に関しては
瀧澤 守備に関してはなんとかミスなく終われればいいなという感じです。
「4年生や試合に出ていない人も含めて一段階上げていけたら」(金子)
スタメン定着に向け、打撃向上を目指す金子
――開幕を目前に控えていますが、今の部の雰囲気としては
金子 高校野球で言ったら最後の夏大の一週間前というところなので。ここからまたさらに、4年生や試合に出ていない人も含めて一段階上げていけたらいいです。いつも終盤は勝てるのですが、序盤に乗り切れない部分があるので、最初にいい入りができれば優勝が見えてくるのではないかと思います。
瀧澤 最後はやはり4年生の力が大きいと思います。4年生にできる限りついて行って、チームの力になれたらいいと思います。
――小島和哉主将(スポ4=埼玉・浦和学院)の印象はいかがですか
瀧澤 責任感が強い人で、いろいろなものを背負って投げているのできついだろうなというのはあります。ですが、小島さんに引っ張ってもらわないと勝てないと思うので、今季は小島さんに託していると言ってもいいくらいです。
金子 全く同じでその通りだと思います。
――意識する大学はありますか
瀧澤 自分の出身の山梨学院からはあまり六大学に行かないので、誰がいるから意識するということはないです。やはり早慶戦で勝ちたいというのはあります。
金子 慶大です。スポーツ推薦というかたちではあるのですが、自分の学力でよく早実に入れたなと思っています。本当に勉強できないので。自分が早実に行くか迷っていた時に、「(早実から)声がかかるのがありがたい話なんだぞ」って背中を押してくれたクラブチームの同期が今慶大にいます。中学の時に、「早慶戦見たことあるか?」っていう話になってそれぞれ、早実と慶應義塾に進学しました。最後に早慶戦で戦おうという約束を目標に入学したので、やはり慶大戦は気持ちが高ぶります。
――秋季リーグ戦の目標をお願いします
瀧澤 まだあまり実感がないので、難しいですね。1番打者で出るなら好機をつくれるようにしたいですし、3番打者として出るなら好機を生かせるようにしたいです。
金子 自分はもし出していただけるのなら目立ちたいです。どんなかたちでもいいので。ミスは嫌ですけど。打撃であれ守備であれ、個人の目標は目立つことです。
――入学時の目標では「謙虚に目立つ」ということを挙げられていました
金子 そんなこと言ってましたか?(笑)。でも、そうですね。謙虚に目立つことが大事ですね。謙虚さは大事です。
瀧澤 (金子は)目立ちたがり屋なんですよね(笑)。
――最後に一言、意気込みをお願いします。
瀧澤 チームの優勝に貢献できるように、自分は精いっぱい頑張るだけです。
金子 まだ経験を積めていないので、経験を積んだ上で優勝につながれば一番いいなと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 杉山睦美、松澤勇人)
目標は、金子選手が『魅せる』プレーで目立つこと、瀧澤選手が打率3割3本塁打3盗塁の『トリプルスリー』です。ブレークを期待しています!
◆金子銀佑(かねこ・ぎんすけ)(※写真左)
1999(平11)年1月4日生まれ。169センチ、73キロ。東京・早実高出身。教育学部2年。内野手。右投右打。早慶戦には並々ならぬ思いがある思いがあるという金子選手。「早慶戦に出るために早実高、早大に入ったと言っても過言ではない」と語ってくれました。初めての早慶戦出場を目標に、日々全力で練習に励みます!
◆瀧澤虎太朗(たきざわ・こたろう)(※写真右)
1999(平11)年1月16日生まれ。180センチ、74キロ。山梨学院高出身。スポーツ科学部2年。外野手。右投左打。小島主将への高い期待感を話されていた瀧澤選手。高校時代に関東大会で小島主将から安打を放ったことがあるそうです。小島主将は覚えていなかったものの、「センバツ優勝投手から打ててうれしかった」と笑顔で話されていました。