『令和2年度卒業記念特集』番外編 第4回 木元風哉×樋口廣太郎(3/29)

庭球男子

 対談第4回は、主将として男子部を引っ張った木元風哉(社=埼玉・早大本庄)と副将としてチームを支えた樋口廣太郎(スポ=福岡・柳川)の2人組が登場。お互いの目に主将、副将を務める姿はどのように映っていたのか。2人の早稲田での4年間、これまでのテニス人生に迫る。

悩みながらも決めた入部

――卒部されてからは、どのように過ごしていますか

樋口 大学生って生活をお互いにしてるんじゃないかなと(笑)。バイトしたり、遊んだりと、今までやれなかったことをしています。

木元 僕もバイトを始めました。仙台に旅行をしたりと楽しんでいます。

――引退してから新たに挑戦したことはありますか

樋口 挑戦!? あるかなあ。1番はバイトをしてみたかったです。高校から大学までずっとバイトできていなかったので憧れでした。

木元 これまで部活の同期はオフが一緒の時期だから遊べていたのですが、高校の同期とは会うことや遊ぶことができていなかったので、それができるようになったことは楽しい部分です。

――高校時代まではどのようなテニス人生を歩んできましたか

樋口 地元は広島で、中学まで広島で過ごしていました。高校進学する時に広島に残るか、親元を離れるかの選択をしました。そこで、県外に行って強くなりたいなと思い、柳川に行きました。柳川での3年間はとにかくテニスに打ち込んで、堀主将の元でしっかりとテニスをしました。

木元 小6まで地元の行田でテニスをしていました。スクール移籍を小6にし、そこでは高3までお世話になりました。強い人たちと練習させてもらったりして、高校の時にはダブルスで全国入賞することができました。スランプもあったけど、続けていて良かったなと思いました。

――高校時代までで転機となった大会はありますか

樋口 高校の最後の年のレギャラーを決める部内戦と地区予選で、初めてシングルスで勝てて、レギュラーを勝ち取れたことです。1年生の頃はシングルスで全然勝てず、レギュラーを決める直前の地区予選も2回戦くらいで負けてずっと悔しかったので、レギュラーをもぎ取れたことはうれしかったです。その結果もあり、早稲田の進学も決まったのでうれしかったです。

木元 高2の全日本ジュニアでダブルス準優勝できたことです。それまで全然結果が出なくて、決勝に行くことも想像しない中で行けたのはうれしかったです。そのおかげでラストイヤーの高3は頑張ることができました。

――その結果が自信になって、その後にもつながった感じですか

木元 自信というよりかは、行けるんだという感じです。高3の時は優勝を狙っていたのですが優勝できず。心残りや悔しい思いがあったので、大学で入部することを決めました。

――どのようなきっかけで入部を決めましたか

樋口 単純に強くなりたいなと思い。最後まで悩みはしたのですが。元々は体育の先生になりたくて、体育学校に行こうかなと思っていたのですが。それよりもテニスが勝ちました

木元 さっき触れたように優勝できなかった部分もあります。でも僕も一緒で悩んでいて、強豪で練習が厳しいことは聞いていたので付いていけるかなと思い迷っていました。サークルで続ける選択はあったのですが、どうせするなら自分が向上できる環境の方が楽しいと思い厳しい環境に身をおきました。

――その中で早稲田を選んだ決め手は

樋口1番大きな決め手は先輩の背中を追いかけることです。僕の時は河野さん、町田さん、安上さんがいて、3人とも柳川時代から知っていたので。その3人がいたことは大きかったです。

木元 僕は高校が早稲田の付属だったので、部として続けるかどうかでした。日本一のチームに入れるかもしれないということは、高校受験の時から頭にありました。それもあり大学選びは決まってましたね(笑)

――中学時代から早稲田進学は念頭に入れていたということですね

木元 はい。早稲田大学にいける大きなメリットがあるので、決めました。

「当たり前のように助けてくれたことがありがたく、頼もしかった」

早慶戦に出場し、サーブを打つ木元

――入学前から早稲田の庭球部の話をどのように聞いていましたか

樋口 とにかく不安だったので、聞いていました。聞いてみると柳川と似たようなことが多く、大丈夫でした。

――どのような部分が似ていたのですか

樋口 がっちり部活で高い目標を持っている。あと部員の皆で考えて練習を組んだりする部分は柳川と似ていました。寮に入って、ずっとテニスができる環境が好きなので入りました。

――高校までとの違いは、当時どのように感じましたか

木元 僕の場合は、人生で初めてフルで部活に関わったので、規則を守ったりや個人で動かない部分は慣れるのに。雰囲気も少しピリピリしていた部分もあったので、心が安らがない部分はありました。

樋口 1年生がするのは当たり前だったのでその点はギャップを感じなかったのですが。周りが強くて球を返せなかったので、練習に付いていくのがやっとでした。自分を見つめる時間がなかったのは印象的です。

――同期の中には団体戦に出るメンバーもいましたが、どのように見ていましたか

樋口 特に何も…。すごいなとは思っていましたが自分が部活についていくのがやっとだったので(笑)

木元 一言ですごいなと。優之介は高校時代から県予選で対戦をしていたので、身近にいた人が1年目からレギュラーで活躍していたので、こんな強かったんだなと改めて思いました。千頭は小さい頃から強かったので。

――木元選手は2年目にレギュラーとして出るようになりましたが、どの部分でステップアップされたと感じますか

木元 部活的に慣れていき、ウエイトは重点的に鍛えました。効果があったか分からないですが、それでも2年目の春は全然結果が出てなく。そこから、坂井さんを中心にメンバーを絞りダブルス強化練習会をタフではありましたが平日に2回したことです。ダブルスも良くなったし、シングルスにもいい影響が出たと感じます。

――どの部分でいい影響を感じましたか

木元 全体的にダブルスで使うストロークやボレーを底上げできました。

――2年目までどの部分で成長を感じましたか

樋口 2年目は1年目よりも良くなりました。全然勝てていなかったですが、自主練を風哉君、本多君、藤井君とする日課があったので良かったです。

どのようなきっかけから、その4人で集まっていたのですか オフや練習終わりは声を掛けることもなく集まる感じでした。いるじゃん、練習しようよって感じです。

――その4人からレギュラーが出ましたが

樋口 頑張ってるなと、すごい刺激になりました。自分が頑張る要因になりました。盗める部分があったら盗もうと思っていました。

――2年目を終えた段階で、大学入学当初の目標を達成できましたか

木元 2年目は自分的に満点をあげられるくらい?いや言いすぎかな。でもシングルス自己ベストを出せましたし、ダブルスは関東も全国も優勝できたので95点くらいはあげられますかね。

樋口 インカレには出られましたし、全大会本戦には出られているので最低限はできていましたが。50点でお願いします!

――上級生になることで変化はありましたか

木元 僕の中で3年生までは最上級生に付いていく感覚が強かったです。自分の技術向上に重きを置いていました。新チームになってからは役職に就きましたし、チーム全体に意識がいっていたと思います。

樋口 3年生になった時に1年生が入ってきて、皆いい子でうれしかったです。それと同時に4年生もいなくなったので、役職をもらってからは自分のテニスが良くなったと思うのでいい年だったなと思います。

――役職に就いたことによる最大の変化は

木元 3年生までも仕事を振り分けられていたのですが、役職あったっけと思ってしまうくらい仕事をしていませんでした。主将に就いたことで大きな違いとなりました。また練習で周りを引っ張る姿勢は多少付いたと思います。

樋口 副将という称号を得て(笑)。より一層部活を頑張ろうとは思いました。同期も好きなのですが後輩も好きだったので、声を掛けたりしていました。

――後輩をよく見るようになったことで

樋口 後輩をよく見るようになってからは、自分のこともよく見られるようになりました。後輩は一人一人いろいろ悩みを持っていたので、自分に当てはめて考えることが自然と多くなりました。それが自分のテニスが良くなったきっかけです。

木元 実力もバラバラなのは改めて感じました。その中で、全員の考えや気持ちを統一することが人数的な面でもできないのは現実でした。その中で色々と考えて方向性を決めてチームが目標に向かっていくのは実感しました。今まで幹部を務めてきた先輩が改めてすごいなと実感しました。自分にできるのかなと不安を感じながら、部活に取り組んでいました。

――その中でどのような主将を目指していましたか

木元 自分が被っていた代の小倉さん、坂井さん、高村さんと主将像はバラバラだったと思うのですが、それぞれのいい部分を吸収したいなと思ってやっていました。できるだけ真似をしました。練習中はプレーで引っ張り、コート外では多くの部員とコミュニケーションを取って信頼関係を築きたいと思いました。

――樋口さんから見て、木元さんはどのような主将でしたか

樋口 よく頑張りましたと言いたいです(笑)。寮も同じでずっと一緒にいたので。特に人格面で変化はなかったのですが、自分の役職を全うする姿勢、テニスを全力で頑張る姿勢は、頼もしく素晴らしかったと思うので拍手喝采で送りたいと思います(笑)

――主将から見て、どのような幹部でしたか

木元 1年間やってきた中で絶対に1人ではできなかったので…。特に副将の2人にはオンコートの部分や、自分が行き届いてない部分だらけだったのですが、後輩と自然とコミュニケーションを取ったり。練習に自分がいない時は仕切ってくれました。当たり前のように助けてくれたことがありがたく、頼もしかったです。主務の藤井にはコート外の部分で本当にお世話になりました。相談にもよく乗ってくれました。主務の仕事がある中で支えてくれました。

――主将をやった中で成長できた部分は

木元 集団で活動する中でいろいろな面から考えないといけないのですが、自分だけでは全部できないので人に意見をもらうこと、人の意見を素直に受け入れたりすることを学べたと思います。

――高校までは周りを引っ張る経験はなかったのでしょうか

木元 はい。初めてです。

――主将としてどの程度役割を果たせましたか

木元 思い描いていたのとは全然違いましたね。うまくいかないことだらけで、大丈夫だったかなと常に心配になりますね。

――コロナ渦という例年とは違う状況は、役職を務めてきた中でどのように影響しましたか

樋口 モチベーションですかね。大会がないとなると何のために練習をしているんだろと思う人が多く。どのような声を掛けるか大変でその部分は苦労しました。

木元 モチベーションはきつかったですし、同期で部活運営の部分を話し合いました。例年を踏襲することができない状況なので、皆で話し合って考えました。不安だけど新しい取り組みをやろうかという期間はありました。全体的に影響していました。

「花丸100点です!」

昨年の関東学生新進選手権でガッツポーズを見せる樋口

――早大庭球部で過ごした4年間はどのようなものでしたか

樋口 しんどかったです。しんどいが勝ちました。ただ今となってはやり切った感が強く、テニスはお腹いっぱいだなと思えるので幸せでした。同期と後輩、先輩に会えたことがすごいうれしいです。

木元 いろいろな面で恵まれすぎていた4年間でした。テニスが上達できたのもありますし、自主練をできる仲間がいたのは大きかったです。下級生で結果が残せていないのに期待してくれたことは大きかったですし、私生活でも自分は受け身なのですが遊びに誘ってくれる人が多く楽しかったです。4年時には主将をやらせていただいて、普通ではできない経験をできました。恵まれすぎてたなと思っています。

――卒業後は、どのようにテニスと関わるのですか

樋口 多分会社のチームに入ります。楽しみながら緩くやりたいです

木元 僕も会社のチームに入ります。

――これからはテニス主体の生活でなくなると思いますが、これまでのテニス人生はどのようなものでしたか

樋口 よく頑張りました! 花丸100点です!

木元 すごい経験ができたので、やっとここで続けて良かったと思えました。辞めたいというのは皆もあったと思うのですが、ここまで耐えれたから続けて良かったと思えているので、よく頑張りましたということで!(笑)

――最後に後輩に向けてメッセージをお願いします!

樋口 これを見てる後輩のみんな!(笑)

一同 (笑)

樋口 きつい思いをしたり、多くの不安を感じると思うけど、優勝すれば良かったと思えるので挫けずに前を向いて頑張ってください!

木元 今までの頑張っている人を見てて、自分次第だと感じるので。自分一人では頑張れないと思うので、皆で協力して頑張ってほしいな。そうすれば自分も皆も実力が付いて、王座16連覇につながると思うので頑張ってほしいと思います!

――ありがとうございました!

(取材、編集 大島悠希氏)