対談第3回は、副将として女子部を支えた下地奈緒(社=沖縄尚学)と倉持美穂(商=東京・早実)との2人組。団体戦の中心メンバーとして活躍した2人が語った同期への思いとは。楽しい時も苦しい時も乗り越えてきた早稲田での4年間を語ってもらった!
早稲田入学時の思い
笑顔で質問に答える倉持
――テニスを始めたのはいつ頃ですか
倉持 私は2、3歳ぐらいからラケットを握っていましたが、スクールとかに通い始めたのは5歳ですね。それまでは家族と一緒に遊びのテニスで、スポンジでポンポンやっていただけなので。ちゃんと習い始めたのは幼稚園年中、年長の頃でした。
――テニスを始めたのもご家族の影響ということですか
倉持 家族がやっていて自然と自分もコートに連れていかれて、その流れで始めたという感じでしたね。
下地 テニスを始めたのは3歳ぐらいで、私も倉持と同じです。私は末っ子なのですが、お姉ちゃんもみんなやっていて、お父さんもお母さんもやっていて。一つ上のお姉ちゃんと一緒に始めたという感じでしたが、地元にスクールとかがあまりなくて、小3ぐらいまではずっと家族とだけやっているという感じでした。
――下地さんは大学に進学することをいつ決めたのでしょうか
下地 ずっと先の目標を持ってやってきたわけではなくて、今が楽しいからテニスをしているという感じでしたが、姉の進路とか先輩たちの卒業後の動きとかを見ていて、なんとなく大学には進学するのだろうなとはずっと思っていていました。早稲田に、というのを本格的に考えたのは高2の3月くらいでした。
――大学がたくさんある中で早稲田を選ばれた理由はなんでしょうか
下地 高1の時に年末合宿に参加させていただいて、「こんなにきつい中で、なんでこんなに楽しそうに追い込みながらできるんだろう」という感激がありました。「こんな環境でやってみたいな、でも怖いな」といった感じで思っていて、いろいろ他の大学にも参加させていただきましたが、一番早稲田の学生がキラキラして見えて。すごく楽しく激しく全力でテニスをしているというのが、魅力的に思って早稲田に行きたいなと思いました。
――倉持さんは大学のテニス部に入られたのは
倉持 私は高校で部活をやっている時から早稲田の体育会でやると決めていて。入る前に迷いとかはなくて「やるんだ」ってずっと決めていました。
――大学に入った時はどういった目標を持っていましたか
倉持 早稲田は(関東大学リーグの)1部で王座(全日本大学対抗王座決定試合)優勝もしていて。そこでレギュラーとして団体戦に出て活躍したいというのと、後は個人の方で全日本(全日本選手権)に出たいなというのは決めていましたね。大1の時にそれは目標にしていました。
下地 私は団体戦で優勝したいという思いがあって早稲田に入りました。選手としてとか、大学のチーム編成とかはよくわからなかったのですが、どんな立場でもいいから団体戦で日本一になりたいとずっと最初から思っていました。個人戦では、インターハイ(全国高校総体)で成績を残せて優勝できたので、団体もですが個人戦でも優勝したいなというのはなんとなく思っていました(笑)
――今少し言っていただきましたが、インターハイ優勝などの高校までの競技生活はどのようなものでしたか
下地 高校まで……。なんかテニスしかしてなくて(笑)。本当に毎日テニスしていて、私は沖縄(出身)だったので(周りの)みんなが黒くて(笑)。3月の全国選抜(全国高校選抜大会)でも沖縄代表だけ真っ黒みたいな(笑)。それぐらいテニスに打ち込んでいて、目標を持ってやるというよりかは、その日その日を精一杯やるという感じでした。インターハイを優勝できたのも、「優勝するぞ!」って臨んだわけではなくて、楽しくやって調子も良かったという感じで。高校時代はひたすら楽しくテニスをしていたかなと思います。
倉持 私も授業とテニスしかしてなかったですね(笑)。結構試合が多くてジュニアの方と高校の方で毎週試合が入ったりして、本当にテニス、受験という高校生活でした。最後は部活で主将もやっていたので、結構部活の方とかも考えなければいけなくて。そうですね、テニスとか部活のこととかを考えていましたね(笑)
同期と乗り越えてきた4年間
――続いて大学時代のことについて伺っていきたいと思います。大学に入る前のジュニアの時と大学で部活に入ってからで違いなどはありましたか
倉持 まず、トレーニングが全然違いましたね。いろいろな種類のトレーニングを、毎日やっていたわけではなくて。大学に入って、いろいろな種類も決められてやる、というのが全然違うなと思いました。
下地 私が(大学に入る前と)変わったと思ったのは勝利へのプレッシャーでした。高校の時は他にもたくさん強い高校生がいる中で、誰が勝つか毎年分からない状況で、誰かが優勝するというのが繰り返されていたと思いますが、大学では勝たなければいけない立場、みたいな。全くそれまで感じたことのなかったプレッシャーや、試合をする前から「期待しているよ」っていう下馬評、団体戦も勝たないといけない中で準備を進めることなどが、気持ち的にもテニスのレベル的にも全然違ったなと思います。
――大学の部活に入っていろいろ変わったと思いますが、気持ち的な面などですんなり慣れることはできましたか
倉持 大1はもう慣れるというか、気づいたら過ぎ去っていたというか(笑)
下地 なんかバタバタして。
倉持 一日一日を生き抜いていく、みたいな(笑)
下地 1日が終わったらその何時間後には部室にいて。それを何日かしたら春関(関東学生トーナメント)、早慶戦(早慶定期戦)。で、夏関(関東学生選手権)の予選が始まって、インカレ(全日本学生選手権)、夏関があってリーグ(関東大学リーグ)で……。もうなんかバタバタして、今こなしていることが終わってもすぐに壁というか試練みたいなのがどんどん迫ってくるという感じで(笑)
倉持 なんかあっという間で慣れるというよりも気づいたら終わっているみたいな(笑)
下地 自分が今どういう状況になっているのかもわからないけど、気づいたら終わっているという感じでした。1年生の時は慣れることができなくて、最初から戦績をしっかり残している清水(映里 スポ=埼玉・山村学園)とかがすごいなって思いました。
――2年生になって下地さんは団体戦に出られましたが、その団体戦に出られて大学でのレベルはどのように感じましたか
下地 1年生の頃から個人戦とかですごく強い人がいて、自分の力量のなさを感じるというか、打ちのめされてきました。やはり団体戦となると自分だけでなくて、チームの勝ちとかみんなの気持ちとか今後の試合展開の鍵とかいろいろなものを背負っていて、本当に押しつぶされそうになったこともありました。それでも清水とよく試合に出させてもらって、一緒にコートにいるだけで学ぶことも多かったし第7戦のときの気持ちの持ち方とかも肌で感じて。教えていたつもりはなかったと思いますが、私はすごく勉強になって、なにか自分の殻を破れたような2年生の団体戦でした。
――清水さんが1年生の時からチームの中心として活躍されていましたが、その活躍から影響などを感じたことはありますか
下地 たくさん感じたよね(笑)
倉持 まあそうだね。
下地 すごいなって思いもあったし、でも悔しい、自分ももっと出せるはずだ、とか、頑張って成績を残したいって思いもあったし。でもやっぱりここぞという時に本当に強い姿を見せてくれて、同期で良かったなという思いとか……。なんかいろいろな思いがあったよね。
倉持 一緒に高め合える存在で、映里がいたから自分も頑張れたなって思います。
下地 清水の存在ですごくいろいろな面で強くなれたのではないかなって思います。
――やはり影響は大きかったという感じですか
倉持 そうですね。常に前にいて追いかけるという感じでした。
――下級生の時に、自分が上達していくにあたってお世話になった先輩はいますか
下地 私は大矢(希 平31スポ卒)さんたちで、1年生の時にも4年生の背中は大きいなと思いましたが、2年生になると自分が戦力、団体の要のようなところでやらせてもらったので、そうなるとやはりもっと。私はダブルス2でしたが、ダブルス1でもシングルスでも戦って主将、副将としてチームを引っ張る姿を見て、「どれだけ気持ちも強いんだろう」と思いました。練習態度とか試合に対する考え方とか、自分たちにかけてくれる言葉とかでも、引っ張ってもらったし、自分たちがついていきたいと思えるような、この人たちのために頑張りたいと思える先輩でした。
倉持 1年生の時は結構同じ早実の先輩の金井(綾香平30社卒)さんとかにいっぱい指示してもらいました。あとは大矢さん、上(唯希 平31スポ卒)さんとか、先輩の姿を見てついていきたいと思っていたし、自分はシングルスで出させてもらいましたが、そこでも絶対1本取ろうって思えました。先輩と練習することで自分も意識が高くなれたというか。先輩たちはそういう存在でした。
――その1、2年生の時に王座を取られたと思いますが、その時を今振り返ってみるとどのように感じますか
下地 なんか1年生の時は……。
倉持 願っているというか。
下地 そう(笑)。「自分たちにできることは支えることだ!」みたいな(笑)。支えてなるべく選手が戦いやすいように、うまく調整してもらえるようにとか。同期の清水が最前線で戦っていたので、その気迫とかに圧倒されて「ああ、優勝した……」みたいな感じでした(笑)。なんかあまり……。
倉持 そうね、応援側だったので。
下地 「よっしゃ優勝した!」というよりかは「優勝した……」みたいな。
倉持 「すごい」みたいな。
下地 1年生の時は「やっぱりすごいな、自分たちの先輩、チームメートは」という感じでした。2年生になってやっと。
倉持 奈緒は出たもんね。
下地 自分も出させていただいてチームのために戦って勝ちを取ることとか、王座では負けなしでできたのですが、その前にリーグとかで負けもあって、王座でチームのために戦う達成感というか高揚感というか。気持ちの高ぶる感じは一生忘れないだろうなって思います。
――やはり2年生の王座の方が印象に残っている感じですか
下地 そうですね。個人的には自分のテニス人生の中でかなり大きかった試合でした。
――大学のいろいろな試合に出られたと思いますが、一番印象に残っている試合はなんですか
下地 ある?
倉持 印象に残っている試合?
下地 なんだろう……。王座だろうね。
倉持 私は大学3年のリーグの早慶戦ですかね。やはり前の2戦で負けていて本当に追いつめられているというか、自分自身も結構あの時は苦しい状態でしたが、その次の早慶戦でやっと勝てて。その時の試合は本当に忘れられないです。
――現役最後の団体戦となった早慶戦を振り返って思うことはありますか
下地 「勝てたなー」みたいな(笑)。私に関しては勝たないといけない試合だったなって。すごく悔しいです。
倉持 そうですね。私も勝たないといけないポジションだったので。ただあの1戦から学べたこともたくさんありました。
――コートで試合をしている時に自分のチームの応援はどのように見えていましたか
下地 声が出せなくて拍手のみでしたが、絶対応援にガッツポーズしようとか、応援に向かって(ポイントを)取った喜びを表現しようと思っていました。だからダブルスに出て吉岡(希紗 スポ2=三重・四日市商)と組んでいましたが、吉岡にやるよりもずっと応援に向かって(笑)。吉岡とも大事だと思いますが、やはり全員で戦って全員で勝ちたいなと思いました。最後の団体戦だったので、取った瞬間に後ろに振り向いて、そうしたら向こうも拍手よりも先にそうやっていたので、みんなで気持ちが1つになっていた瞬間かなと思います。
倉持 早慶戦は声出し応援が禁止で、(コートの)中の選手が声を出して応援の方も盛り上げていこうと思っていたので。声を出して応援の目を見て、ちょっと後ろに下がって近づいたりとか(笑)
下地 そう、近づいたらコソコソね(笑)
倉持 工夫はいろいろしましたね(笑)
――やはり声が出ないと全然違う感じですか
倉持 全然違いますね。
下地 全然違います。自分だけ盛り上がっている感じがしますが、前々から声出し応援ができないのはわかっていたし、他の人たちも冗談ですがいろいろと。「ボードで『頑張れ』みたいなのをやる?」みたいな(笑)
倉持 なんかマスクに(笑)
下地 マスクに笑顔の口元のシールを張りつけるとか(笑)
倉持 (笑)
下地 そういう考えてくれる気持ちだけでうれしくて。それぐらい思ってくれている人たちに対して、自分ができることは一体となって戦うことぐらいだったので、ずっと前々から選手がサポートの子たちの分も声を出すというのは、後輩も先輩も関係なくしっかりやっていこうと何回も話し合って臨んでいました。
倉持 そうですね。声を出せないなりにどうしたらいいのかなというのはアイディアを出して。
下地 結構楽しかったよね(笑)。「『吉岡1本!』とかやる?」みたいな(笑)。おもしろかった。
倉持 (笑)
――部活での活動を振り返って一番感謝したい人は誰ですか
倉持 感謝したい人……。
下地 同期。
倉持 私も同期ですね。
下地 他にも感謝している人は親だったりコーチだったり先輩も後輩も。たくさん関わってくれた人に感謝していますが、その中でも(同期は)関わりが一番深かったし、自分に与えてもらえる影響も大きかったし。支えてもらったのは同期が一番だなと思います。
倉持 そうですね、両親とかコーチ陣とか先輩とかいっぱいいますが、4年間いい時だけじゃなくて、きつい時とか苦しい時も同期がいたからいろいろ分かち合えました。
下地 たくさん乗り越えてきたよね。
倉持 そういうのもみんなで乗り越えてきて今があると思うので同期のみんなにはすごく感謝しています。
――今年はコロナの影響で予測できないことが多かったと思いますが、最後の1年を振り返ってどのように感じますか
倉持 なんかあっという間だったなと思いますね。まあ期間的には長かったのですが。
下地 (テニスが)できない時とかね(笑)
倉持 自粛期間とか先が見えない中で「このまま引退なのかな」って思った時期もありましたし、結果的に最後はリーグと王座はなくなってしまって残念でしたが、個人戦は一応できて。「え、これで引退?」みたいなハテナがつく感じです。
下地 4月は「ロックダウンって何?」みたいな状態で(笑)。部室も封鎖で個人的にはチームのみんなと頑張るというのが、自分の頑張れる理由だったので、それがなくなって本当に呆然としました。部活が復活してからもリーグ、王座となくなって「何のために頑張るんだろう」ってなって、春関とかインカレ、早慶戦も予定されているけど延期、延期で本当に開催されるかもわからない状況で。「何のために練習しているんだろう」って、練習中に涙が出そうになったりもして、でもみんながいるから何とか。頑張れているかわからないけど踏ん張っているみたいな時期が結構長くて、最後に怒涛に試合があって。だから全然終わった感じはしないし、物足りないのは物足りない、でも終わったと言われたから(笑)。みんな「引退だね」って言われるから「ああ、引退なんだ」という感覚です。
「早稲田に入って本当に良かった」
チームのために動く力が強くなったという下地
――大学でのテニスを終えられて一区切りだと思いますが、これまでのテニス人生は自分にとってどういうものでしたか
下地 難しいね(笑)。本当に自分のどの時間も全てテニスに関わっていたから、人生全てをかけていたなと思います。大事な決断をする時もテニスを基準に考えていたし、休みの時も練習の予定があっての休みで試合から逆算してスケジュールも考えていました。人生がテニス人生でした(笑)
倉持 私はこれからも選手として続けますが、下地も言っていた通り、生活がテニスを中心に回っていて、コロナの時期にやっとテニスがなかった期間があって。
下地 なんかね。1か月くらい。
倉持 その時は試合がないゴールデンウィークみたいな。ずっと試合に出続けてやってきたから、大学で一区切りというのはありますし、私はこれからもやりますが、本当に人生の中心というか(笑)。テニスを通していろいろ進んできたなというのはありますね。ちょっとうまく答えられないんですけど(笑)
下地 人脈とか出会う人も何かしらテニスからでした。なんていうんだろう、早稲田の友達も早稲田に入れたのはテニスをしていたからだし。
倉持 そうだね。学校もテニス部に入ったから。
下地 テニスをしていたからこの人もこの同期とも先輩とも後輩ともコーチとも出会えたという感じで。関わりが全てテニスからでした。
――改めて今後の予定を教えていただけますか
倉持 私は選手としてまた何年か続けます。これまで以上に厳しい世界に入っていきますが、大学で得たものにプラスして、これからも自分で試行錯誤しながらもっともっと上を目指していきたいなと思います。
――今後も続けようと思った理由はなんですか
倉持 理由はもっと自分自身上に行きたいというのがあって。試合とかももっと出たいというのが一番大きいのですが、早稲田からプロになって活躍している先輩を見て自分もそういう風になりたいなというのがきっかけでした。
下地 私はちゃんとしてテニスをするのは終えます。社会人で一応部活には入りますが、これまでと求められるのは違うし、環境も全然違うので一区切りはつきます。それでもこれまでは強い相手に勝てるかどうかのドキドキとか、そういう勝負を楽しむのがメインだったのですが、これからは人生の楽しみの一つでテニスがあるくらいで。別にこれまでのテニスでできたつながりとかはなくならないと思うので、そういうところも社会人生活で楽しみながらと思っていますが、この間テニスをやってみたらやっぱりつまらなくて。試合がないのに練習する意味ないなとか思ったりしてまだ気持ちをそっちの方向に持っていくのは時間がかかりそうだなと思いました(笑)。
――おばあちゃんになってもテニスをできればいいですね
下地 そうですね。ヨボヨボになっても(笑)
倉持 (笑)
下地 だんだんラケットが軽くなっていくと思います(笑)。でも同期とかとはいつまででも楽しんでやりたいなって思います。
倉持 そうだね。
――大学を振り返って部活としてもテニスの競技としても得られたものはなんですか
倉持 やはり精神面が一番鍛えられたなと思います。簡単にあきらめないとか最後までやり抜くというのを精神面でも。テニスの練習メニューとかトレーニングとか部則とかで精神的に鍛えられました。ほかの部活に入ってない人とは差があるぐらいです。
下地 わかる。一緒にされたくない(笑)
倉持 経験とか努力とかそういうのは得たと思います。あとなんだろうね。
下地 私はチームのために動く力です。高校の時は団体戦も「目指せベスト8」みたいな感じでしたが、大学になってからはポジションもはっきりさせられたし、かつ自分に求められているものも重くのしかかって。でも本当に好きなチームだからどんなに自分のポジションが苦しくても、周りも苦しいんだから自分も頑張るって思えたし、練習とか毎日の積み重ねもできました。そういう意味ではチームのために思う、頑張るという力が強くなったかなと思います
倉持 そうだね。
下地 たくさんあると思いますが、一番大学で得られたものは自分じゃない誰かのために頑張ることかなと思います。
――そのような大事なチームメートや後輩に向けてメッセージをお願いします
倉持 早稲田の庭球部に入って本当に良かったなというのは心から思っていて、同期、後輩のみんなと早稲田で出会えてよかったなと思います。いい時ばかりじゃないけど、それでもみんながいるから頑張れました。一人一人個性があって、日本全国から早稲田に入ってきてすごくいろいろな刺激を受けたし、一人一人すごいなと思うところがありました。そんな尊敬できるみんなと一緒に部活生活を4年間やれてすごく濃くて充実した大学の部活生活だったなと思います。これからも練習にも行くと思うのでそういう時もみんなとまた話したり、これからも部活を応援したいし、みんなからも刺激をもらいたいなって思います。自分も逆に与えられるような、そういう人になりたいと思います!
下地 4年間終わってみて早稲田に入って本当に良かったなという思いが強いです。(大学に)入れてくれた親に感謝だし、高校の先生にも感謝だし、4年間支えてくれた同期にも感謝だし、周りがいなかったら耐えきれなかったと思うので早稲田で出会ってくれた同期や入ってくれた後輩に「ありがとう」と思います。4年間で王座を優勝することもできたけど、最後は去年も負けてしまってつなげることができなくなってしまい、今年はコロナで思い描いていた1年間とはかけ離れたものになってしまって。後輩たちにはきつい時も信じてついてきてくれたのに、それが報われる瞬間を見せてあげられなくて本当に申し訳ないという思いもあります。来年の1年間はきっと今年よりは良くなっていると願って、例年通りに大会が行われて、かつこれまでの努力がそこで後輩たちの力となって。自分はOGとしてサポートできればと思いますが、自分たちができなかったことを3年生率いる新チームで成し遂げてほしいです!
――ありがとうございました!
(取材 田島璃子、森山祐介 編集 山床啓太)