【連載】『令和元年度卒業記念特集』第71回 大石真珠美/庭球

庭球女子

「内助の功」に徹した主将。変革期を戦い抜いた女子庭球部の裏側で

 今年度の全日本大学王座決定試合(王座)に早大女子庭球部の姿はなかった。大学テニス界の絶対女王として君臨してきた早大は関東大学リーグ(リーグ)で3位に終わり、王座13連覇はおろか、その舞台にすら立つことすらできなかった。
 絶対的な主力選手が卒業し、過渡期を迎えた今年度の早大。主将を務めた大石真珠美(文=東京・早実)は苦難の連続であったチームを陰で支え続けた。

┃栄光と挫折

 中学時代は全日本選別ジュニア選手権で優勝を果たすなど名実ともに全国トップクラスだった大石は、「早大庭球部に入りたい」という志のもと早実へ入学。同学年で早大でも同期として戦った剱持梓(社=東京・早実)とダブルスを組みインターハイ準優勝を達成し、順風満帆とも言えるテニス人生だった。
 しかし、大学へ入学すると思うように戦績が上がらない。「入ることに意味があると思って入部してしまったのが大きな間違いだった。周りには大きな目標を持ってやっている人がいる中で、いればいいと思っているのでは違う」。高いモチベーションを保てぬまま、苦節の時を過ごした。2年時には全日本学生選手権の切符をつかみながらも負傷により棄権。運にも見放された。それでも、「早大庭球部に入りたくて早実を選んで、ここまできつい思いをしてきて、結論を見ないのか。それは絶対に後悔する」。大石はしがみついた。

┃花咲く場所

  転機が訪れたのは上級生となった2年時の後半。大石は副務に任命され、部のマネジメントを行う役割を与えられた。
「本当はリーグとか王座に出たくてここに入った。でもその時には自分がここからレギュラーになるというのは無理だってわかっていた。こっちの分野で買ってくれているんだったら、最大限花咲く方法で頑張ろう」。
 大石は部のマネジメントに加え、新入生の勧誘にも奔走(ほんそう)した。次の年には部を支える主力が抜け、チームの戦力が落ちることは織り込み済みだった。このとき声を掛けた高校生が全日本選手権ダブルスベスト4に入賞した吉岡希紗(スポ1=三重・四日市商)や全日本学生室内選手権ダブルス優勝を果たした石川琴実(社1=神奈川・白鵬女子)を中心とした、現在主力へと成長しつつある1年生だ。
 「(4年間で)一番嬉しかったことは自分たちが勧誘した1年生が入学してくれたことと、活躍している姿を見ること。本当に一人一人初めて声かけた時のこととか、早大に入学しますって言ってくれた時とかを鮮明に覚えています」。

┃「突き進む勇気」

 最終学年になると大石はその手腕を買われ、主将に就任。加えて主務の兼任も言い渡された。過渡期を迎えるチームの統率を期待されてのことだった。「代としても厳しいことはわかっていた。(主将に就任する)決断の勇気より、それを突き進む勇気の方が必要だったかなと思います」と大石は就任当時の心境と吐露した。大石の見込みの通り、チームは苦戦を強いられた。春の早慶対抗試合では宿敵・慶大に惨敗を喫し、個人戦でも女子部の結果は伸び悩んだ。幾度となくミーティングを重ねたが、答えは出ない。大石自身、試合に出場しチームへと貢献することはなかった。その面でも葛藤が続いた。
「(試合に出てる選手の)気持ちがまんまわかるわけじゃない。言葉ではわかるけど肌で体感してあげることはできない」。大石は悩みながらもチームのために尽力した。早慶戦の敗戦後はレギュラー層の練習にも目を配り、自身が出場しない大会へも可能な限り足を運んだ。
 「少しでも見ているんだよっていうのは伝わって欲しいと思っていた。そういうところでしか力になってあげられないから。やってあげられることは全部やったかなと思っている」。

試合に出場することはなくとも、大石(中央)は最前線でチームを鼓舞し続けた

┃途絶えた連覇

 不安が募る中で迎えた集大成となるリーグ。初戦の明大戦は4−3と辛くも勝利を収めたが、2戦目の山梨学院大戦でまさかの敗戦。その不安は現実となった。次戦は早慶戦で惨敗を喫した慶大戦。王座進出に向けて暗雲が立ち込める。
 試合に出ていないとしても、自身が統率したのだから敗戦の原因はある。次にどう向かわせるか。慶大は強い、それでも絶対勝たせなければならない。確証の持てないことをチームに言い放つ勇気も必要だった。大石はこの期間が大学4年間で最も苦しかったと話す。だが苦悩の末に行き着いた先はシンプルなものだった。「自分の思いを伝え合おうと話し合ってから『全員が王座に行きたい』、『負けている早稲田は見たくない』という思いが共有できた」。慶大戦ではわずかに力及ばず惜敗したものの、春に惨敗を喫した相手に対して勝つか負けるかの瀬戸際まで追いすがった。
 その後もチームは一体感を増し、パフォーマンスも一気に向上させた。王座を制した筑波大、最終戦の亜大にも完勝し女王・早稲田の底力を見せつけた。だが、同時に過酷な現実も突きつけられた。最終戦まで王座出場の可能性は残されていたが、それは他校の結果に委ねられていた。最終的に早大は3位に終わり、王座出場の可能性が消えるとともに、王座の連覇記録も13で途絶えた。

┃「もう一度、光輝く早稲田を見たい」

 「自分の人生を振り返ってみて、何事も順調に進んでいた。早実に行きたいと思えば行けたし、全国優勝してみたいと思えば全国優勝も出来た。ただ、当たり前だけど、こんなに願っても叶わないことってあるんだなっていうことをすごく痛感させられた」。試合には勝った。だが、チームの戦いは幕を閉じた。王座優勝を置き土産に華々しく去っていったこれまでの4年生とはかけ離れた最後だった。
「本当に難しい、厳しい一年だった。一つ一つの決断が間違っていたとは思わないし、やるべきことはやった。けど、やり方をもう少し工夫できたらな、まだまだだったなと思うことも多い」。そう大石は主将としての1年間を振り返った。だが、「その厳しい一年を乗り越えたのは早稲田だと思う。この厳しさの乗り越え方は自分たちも知らなかった。痛い目と言っては良くないけど、あんな目には会いたくないと思うし、もう一度光り輝く早稲田を見たい。期待したいと思います」と続けた。
 変革期を迎えたチームを背負い、誰よりも悩み、苦しみ抜いた。だからこそ、大石は早大が再び大学テニス界の女王へと返り咲く姿を誰よりも願っている。

(記事、写真 林大貴)