3月26日。この日、スポーツ科学部の卒業式が催され、庭球部の主将を務めた坂井勇仁(スポ=大阪・清風)と大矢希(スポ=愛知・名経大高蔵)が早稲田を巣立ちました。それぞれ下級生の頃から早大のレギュラーとして活躍し、最終年は主将として全日本大学対抗王座決定試合(王座)男女アベック13連覇を達成。庭球部の歴史に名を刻んだお二人による、最初にして最後の対談です!
※この取材は1月20日に行われたものです。
「周りにいるチームメイトの誰もが自分よりも強い」
――お二人がテニスを始めたのはいつ頃ですか
坂井 僕は小学2年ですね。
大矢 私小学1年です。
――きっかけは何かありましたか
坂井 きっかけはもう親ですね。始めはやらされてましたずっと。お父さんと練習するのは嫌だったんですけど(笑)、テニススクールに行くのは楽しかったです。
大矢 私は兄が二人いて、二人ともやっていてその流れで一番下の子もやらせようっていう感じでした。多分私が兄を見て「私もやりたい」って言ったと思うんですけど、それで近くの親子で通えるみたいなテニスクラブに通い始めたのがきっかけです。
――坂井さんのお父さんは厳しい方だったんですか
坂井 はい。もう、うざかったです(笑)。
大矢 (笑)。
――ジュニア時代を振り返って
坂井 僕はジュニア、高校時代は大した選手じゃなかったですね。客観的に見ても「坂井って誰?」って感じでしたね。全国大会に出ても1回戦で負けて、すぐ遊びに行ったりしていました(笑)。
大矢 私はジュニアの頃は強かったですね(笑)。ジュニアの時の方が華々しい成績があって。
坂井 全日本ジュニア優勝とかね。何回優勝したの?全国大会。
大矢 いや、でもね、インターハイの団体とダブルスだけ。あとは準優勝。それで日本代表にもなれて、「お〜なんか、めっちゃいいじゃん!」って感じでジュニア時代を終えたんですよ。それで大学に入ってからはまぁ、また後で言います(笑)。
――それぞれ異なる立場だったわけですが、早大に進学しようと思った理由は
坂井 僕が高校生の時って早稲田はもう大学のテニス界でダントツの強さで。その時にいたのが田川さん(翔太、平26教卒=神奈川・湘南工大付)、遠藤豪さん(平26スポ卒=三重・四日市工)とかの代で、大城さん(光、平27スポ卒=埼玉・秀明英光)や古田陸人さん(平27スポ卒=愛知・名古屋)がいて、今井さん(慎太郎、平28スポ卒=現イカイ)もいて。僕は高校の時はそんなに「勝ちたい」っていうテニスじゃなかったんですけど、ここに入れるチャンスがあるものならば、大学でテニスを続けるならば日本一の環境でやりたいと思って。すごい興味があったんですよ、どういう環境で10連覇なんか成し得ているんだろうっていう。なのでそこに入って、やってみたいなっていう好奇心が強かったですね。
大矢 私はプロにならずに大学に行くっていうのは中学、高校の時から決めていて。その時のコーチに「プロになれ」みたいなことをずっと言われていて、「いや、嫌だし」みたいな感じで反抗していたんですけど(笑)。そうこうしているうちに周りの勧めもあって、「早慶のどっちかに行った方がいいんじゃないか」って言われて、両方に練習に行かせてもらって。正直大学に入ったらテニスよりもスポーツ科学部の勉強がしたいなと思っていて。当時はスポーツトレーナーになりたいと思っていたので、その勉強ができるということで早大を選びました。
――実際に早大に入学してみて感じたことはありますか
坂井 やっぱり何が一番すごいかって言ったら、環境が整っているのもそうなんですけど、周りいるチームメイトが強いっていうのが一番自分を引き上げるための要因になったんじゃないかなと思います。高校生の時に練習に来させてもらった時や大学1年生の時って練習に入ったら全員僕より強いみたいな。(大矢の方を見ながら)横向いたら全日本ジュニア優勝とか、選抜優勝とか、インターハイ優勝とか、日本代表とか、もう意味分からんような実績の奴がいっぱいいて。
大矢 ふふふ(笑)。
坂井 それが当たり前になって。そういう人たちと打ち会える機会ってそんなに多くないわけじゃないですか。早稲田にはそれが当たり前にできる環境があったっていうのが一番だと思います。
――大矢さんはいかがでしたか
大矢 1年の時からレギュラーの中で練習させてもらって、「大学生ってこんなに強いんだ」ってまず感じましたね。同年代のジュニアの中だったら全国でもトップレベルにいられた手応えが自分の中ではあったんですけど。大学に入ったら、部内でもトップに行くのは難しいんだっていうのを感じました。1年生の時のシングルス1の選手が吉冨愛子さん(平27スポ卒=愛知・椙山女学園)だったんですけど、アップのラリーからもう押し負けて(笑)。「こんな人たちと一緒に練習をやっていけるのかな」っていう不安が一気に押し寄せました。
――坂井さんは1年生の頃から単複共に活躍されてましたが、当時を振り返っていかがですか
坂井 1年生の時は、まぁーワクワクしながら入ってきた中で、結構面倒くさいこととか、嫌なことも多かったりして。常日頃からイライラして同期の古田くん(伊蕗、スポ=静岡・浜松市立)に当たったりしていたんですけど。
一同 (笑)。
坂井 テニスの面では、その時今井さんが学生の中でも一番強くて、早稲田で一番になれば日本で一番になれるっていう感覚があって。大学に入ってちょっと頭を使ってテニスをするようになったのが勝て始めた要因かなと思います。あとは僕が1年生の時4年生だった栗林さん(聡真、平28スポ卒=大阪・清風)っていう先輩が僕にすごい良くしてくれて、人にも恵まれて、うまく強くなれたのかなと思います。
――周りの環境が自身を強くさせたと
坂井 そうですね、僕自身が努力した部分もあるんですけど、この環境に身を置いたことで周りに引き上げられたっていうのが大きいと思いますね。
――大矢さんは王座での最後のインタビューの際に「1年生の時は辛かった」とおっしゃっていましたが振り返っていかがですか
大矢 あー、そうですね。今振り返ると1年生の時って部のお仕事が多くて。今は改善されていると思うんですけど、朝は早い時だと朝5時ぐらいに来て、9時過ぎぐらいに帰って寝て。それでまた朝早く来るっていう生活がずっと続いていたんで、テニスしていたっていうよりはみんなで部室掃除をしていたなーっていう思い出が強いですね(笑)。
――テニスにあまり集中しきれていなかったのでしょうか
大矢 いや、でもテニスはテニスで集中していないと、元々のレベルでも周りに迷惑を掛けるのになおさら迷惑をかけてしまうので(笑)、練習はがむしゃらに頑張ってできていたんですけど。疲労感というか、覚悟はしていたけどやっぱりきついな、と思いました。よく先輩たちやっていたなって思いました。
坂井 正直僕は「なんだこれ」って思いながらやっていましたね(笑)。消せるものは上級生になったら消してやろうと思ってこなしていました(笑)。
――主将になってからはそういった心がけがあったのでしょうか
坂井 一応そういう心がけでやっていたつもりですね、下から見たらどう思われているかわからないんですけど。やっぱり下級生から見たら僕らが考えて無くしたとしても、新しく入って来た人たちはそれが当たり前になっているので、また新しい不満が出るので。消したものはいくつかありますね。僕は自分が要らないと思ったら要らないんで(笑)。
大矢 女子は私たちの時には既になくなっていたものがあって、「それもあったら絶対無理だったな」って。
坂井 なんかもう時間がカツカツ過ぎて。先輩になった時に「自分がやってたからやれよ」っていうのはおかしいと思いますし。なので逆になんか僕は消し過ぎて、同期に止められるっていうのが何回かありました。僕が勝手に決めすぎて、「いやいやいや」って言われて復活させられたものもあります(笑)。
「団体戦は『絶対勝つぞ』のパーセンテージが100を超える」
インカレで男子ダブルス2連覇を果たした坂井(右)
――坂井さんは2年生の春関(関東学生トーナメント)、夏関(関東学生選手権)とダブルス優勝を果たしました
大矢 誰と優勝したんだっけ?
坂井 坂井・小堀(良太、平29スポ卒=東京・大城)と、坂井・河野(優平、平30スポ卒=福岡・柳川)。
――学生タイトルを獲得し始めた頃ですが、当時を振り返っていかがですか
坂井 1年目は大学のスケジュールに沿って学生大会に出ていたんですけど、1年目の(三菱)全日本選手権のワイルドカードをもらえて、出ることができて。全日本選手権とかの一般大会にコンスタントに出て活躍するには日本のランキングを上げないといけないなと思って、2年生の頃からJOPに結構出るようにしたんですよ。授業も結構余裕が出てきて、雑用もちょっと減ってきて。その時一般大会でダブルスは4大会連続で優勝とかできて、その流れで春関とか夏関とかに勝つイメージのまま臨めて、結果勝てた感じですね。インカレ(全日本学生選手権)とインカレインドア(全日本学生室内選手権)はその当時逸崎(凱人)・畠山(成冴)(ともに慶大)っていうペアが強くて、そこに2年目は勝てなくて、結構悔しい思いをしていたんですけど、全日本選手権は島袋と組んで初めてベスト8になれました。準決勝で内山くん(靖崇、北日本物産)と今井さんに負けたんですけど、ああいう選手ともっとやりたいなと思ったのが2年目ですね。
――3年目はインカレで初優勝なさいました
坂井 インカレは河野さんと予選からだったので、僕はダブルスよりシングルス頑張ろうって思っていたんですよ。なのでダブルスで力を抜いてやっていたら逆に良かったみたいで、ベスト4ぐらいまで勝っちゃって。そこから優勝を意識し始めてチキって緊張して負けかけましたけど(笑)。あのインカレ優勝は一番喜んだと思います、4年間で。全国タイトル獲った中で一番うれしかったですね。
――一番うれしかった理由としては
坂井 優勝できると思っていなかったっていうのが一番なんですけど、ファイナルのスーパータイブレークで10−0で勝って(笑)。しかも相手が逸崎・畠山だったので。2年目のインカレの決勝で負けていたので、リベンジって感じで。あとは河野さんの最後のインカレだったので、優勝できて良かったですね。
――大矢さんは2年時、3年時を振り返ってみていかがですか
大矢 2年生の頃は本当にダブルスの練習しかしていなくて。私が1年生の時には4年生ですごくダブルスの上手い方がいらして、その人が抜けちゃって。もう一人、二人ダブルスで戦える選手が部としては必要で。「じゃあ大矢にめっちゃダブルスの練習をさせよう」っていうのが部の考えというか、方針だったのかな。それで本当にダブルスばっかりやっていて、シングルスはあまり記憶にないので、2年生の時はどうだったかな?ちょいちょい勝てていた記憶はあるんですけど・・・(笑)。
坂井 ケガが多かった?
大矢 いや、それは1年生の時の王座前だから・・・。でもシングルスは記憶にないぐらいの成績しか残せなくて(笑)。ダブルスでも関東大会は勝てたんですけど、全国大会ではなかなか思うような結果が出なくて、ちょっともどかしさは正直あって。でも、団体戦では2年生の時全部勝ったような気がしていて。部のダブルス取ってこいっていう期待に応えられる選手になれたっていうのは自分の中では部に必要とされている、存在意義があるように思えたのでうれしかったですね。3年生になったら「今度はお前たちが引っ張る番だぞ」ってコーチたちにも言われて。春関で清水(映里、スポ2=埼玉・山村学園)と組んで、私年下と組んだことが少なくて、2個下で正直不安だったんですよ。「引っ張るってなんだろう」って思っていて、でもあまり意識せずに、清水はすごくいい子ですし、強い選手なので(笑)。「あまり考えなくていいや」って思っていました。それが逆に良かったのか、春関でバンって優勝して。シングルスはあまり勝てなかったんですけど、なぜか団体戦もシングルスも出るようになって。「なんでこんなに成績を残せていないのに団体戦でシングルスも出るのかな」ってちょっと不思議に思っていたんですけど(笑)。みんなが期待していること、求めていることは私がダブルスで勝つことだなって思っていたので、ダブルスの練習量がすごく多くて。でもダブルスをやっていたらシングルスもだんだん上手くなった気がしちゃって(笑)。ダブルスのネットプレーがそのままシングルスに生きてきた感覚がして、ようやくそれがつながってきたかなと思ったのが3年目ですね。
――大矢さんは団体戦にめっぽう強い印象がありますが
大矢 そうですかね?(笑)でも団体戦の方が勝率は高くて、個人戦で負けていた人に団体戦で勝つっていうことも結構ありましたね。なんでですかね(笑)。
――自分でもわからないところでしょうか
大矢 団体戦の方が気持ちが入りましたね。なんか「絶対勝つぞ」のパーセンテージが100を超えるというか。個人もちゃんと勝ちたいと思っていたんですけど、団体戦の方がみんな出たい中で応援してくれるので、「負けられない、絶対勝つぞ」っていう気になれましたね。
――お二人は下級生の頃から王座にも出場していましたが、4年間の王座を振り返っていかがですか
坂井 まあ1年目は正直訳も分からず、とりあえず出て勝つみたいな感じだったんですけど、1年生の時は単複全勝して。MVPは栗林さんだったんですけど(笑)。2年生の時の学生大会では結果が出なくて苦しい感じだったんですけど、それでも王座は最後渋田くん(大樹)っていう『明治の四皇』って言われていた人がいたんですけど、その一角をちゃんと倒して勝てたのは良かったですね。3年目は僕はなんか団体戦で無双していて、1回も負けていないんですよ、確か。早慶戦、リーグ戦、王座で1回も負けていなくて、王座もMVPもらったんで。3年目はなんかもう、「スンっ」て感じで終わりました。
大矢 (笑)。
坂井 「良き」。みたいな感じで。
大矢 「俺つえー」みたいな感じだった?
坂井 うん。なんか、「うぉ〜〜〜い」みたいな感じで(笑)。
大矢 覚醒してたね(笑)。
坂井 なんか、理想に近いぐらいの1年間だったんじゃないかって感じで。4年の王座は主将だったんですけど。男子はシングルスはみんな強いんですけど、ダブルスがしっくり3本そろわない感じが続いて。逆に慶大のダブルスは4年間で一番強かったと思います、個人的に。1から3まで強くて、実力も大して変わらない感じだったんですけど、その慶大から正直内心「最悪1本取れれば」って感じで思っていて、「1本取って下のシングルスにつなげられれば」って思っていたんですけど、0−2になって、僕と優之介の一面残しになったんですよ。「あーあ」って感じでプレーしてたんですけど(笑)。そこで勝てたのは4年間の積み重ねが色々な経験があったからじゃないかなと思います。僕、ダブルスをやっていて最後一面残しの1−1で回ってきて2−1にしたりすることが比較的多かったイメージがあるんですよね。その感覚が最後蘇ってきてって感じでした。
大矢 1年目は私けががあって1回松葉杖生活になってしまって(笑)。松葉杖は取れたんですけど、走れない状態で王座を迎えてしまって。なのでサポートのメンバーと混ざって氷を用意したり飲み物を用意したりして回っていて。1年生って結構ボーラーをやったりするんですけど走れないので、審判やったりとか。応援にいるのもいいんですけど陣地待機っていうのがあって、ブルーシートをバーって広げてあって、みんなの荷物を守る守り神になっていて(笑)。それぐらいしか私ができることがなくて、必要なものがあったら用意して、来たらすぐ「はいっ!」って渡すみたいな(笑)。1年目は本当にうれしいとかもあまり感じない、うれしいはうれしいんですけど、4年間の中で比較したら10%ぐらいしか感じられていなかったですね。
坂井 「よかったね」って感じだよね。
大矢 そう(笑)。「やったー!」っていうより「あ、おめでとう」みたいな感じだったんですよね。
――当事者意識みたいなものがなかったという感じですか
大矢 そうなんですよ、練習もできなかったので、ここ(部室)でトレーニングをずっとしていたので。「あーみんな練習してるー」って上から覗いて、ビデオを見て他校の分析をしたりもして。でも1年目はサポートに回ったが故に、サポートの大変さがわかったので、逆に良かったかなと思います。1年目はレギュラーに入っていても、多分団体戦はけがで誰か出られないっていう状況にならなければ出る可能性は低かったので、むしろサポートで大変さを理解できて良かったかなと後になって思いました。2年目はダブルスだけ出ていたんですけど、全然負ける気がしなくて。私と細沼さん(千紗、平30スポ卒=東京・富士見丘)で組んでいて、絶対ダブルス2で出ていたので、ぶっちゃけ1よりは2の方がレベル的には下がるわけじゃないですか。インカレも取った林(恵里奈、平29スポ卒=福井・仁愛女)・上(唯希、スポ=兵庫・園田学園)組といつも練習していて、それで他校の相手とやっても全然負ける気はしなかったですし、細沼さんもダブルスもシングルスもすごい調子がいい気がしていて、ノリノリで。隣のコートでは林・上組がやっているし、「全然負ける気しない!」って思っていたら本当に負けなくて。でもやっぱりコートの上に立っていたので1年目とは比べ物にならないぐらいうれしかったですし、優勝に貢献できたっていうのはすごいうれしく思えたんですけど、3年目は「負けられない」に変わって。今度は自分たちがダブルス1になることが多かったので、私と上で組んでいて、「ここは落としちゃいけないところだ」っていうのをコーチにも言われ、自分たちもそれは自覚していて、ここで負けたらチームの負けにつながるっていうのも2人で話したりして。すごい重要なポジションになっちゃったなって思いました。でもそのぶん大変だったからこそ勝った時はうれしかったですけど、どちらかといえばホッとしたというか、「あーよかった」という気持ちが強かったですね。
「主将は乗り気ではなかった」
――お二人が主将に就任した経緯というのは
坂井 僕は正直主将はやりたくなかったです。副将をしながらワセクラ委員をしたかったんですけど、なんか俺がやる流れになって(笑)、なりました。
大矢 なんでですかね(笑)。主将やりたいっていう人はあんまりいないと思うんですけど、チームの中の「だいたいこの人がやるだろう」っていう風潮があったんだと思います。レギュラーの方がいいみたいな雰囲気があって、そうなると女子だと私か上か辻(紘子、教=東京・早実)で、上は我が道を行くタイプというか、ちょっとふわふわしているタイプなんで(笑)、多分主将キャラじゃないなって思っていて。団体戦も出ていたこともあったので、「じゃあ大矢さん、やろっか」って感じで(笑)。ただそれを嶋崎さん(徹夫監督代行、平元商卒=神奈川・桐蔭学園)に言われた時はもうフリーズしちゃって。
――お二人ともあまり乗り気ではなかったと
大矢 乗り気・・・ではなかったですね(笑)。
坂井 そうっすね。「主将やりま〜す!」って感じではなかったですね。まあでも、さすがに指名されたからにはやるべきことはやらないといけないなとは思っていたんですけど、乗り気ではなかったですね。
――主将になって感じたことや、意識したことはありましたか
坂井 僕は主将をやって、人数が増えれば増えるほど全員の意見を一つにまとめることはほぼ不可能に近くなっていくんだなっていうのを確信しましたね(笑)。なので、人の考えを変えることを強要するのはしなかったですね。時代も進んでいるので、「俺が主将なんだから言うことを聞け」とか、「学年が上なんだから言うことを聞け」とか、「普通はこうだから」みたいな。そういうことに対してお互いに不満を抱えながらやることがまず間違っていたんだなっていうのは、主将をしていて学ばされましたね。色々な考えがあっていいし、いろいろな意見があっていいっていう考えに至りました。
――それぞれの自主性を重んじようという意識だったのですか
坂井 一人君臨する人がドンっている場合は、それはそれで一つの組織が出来上がると思うんですけど。平日とかは学生だけなので、僕が君臨する必要はなくて、別に横一列でいいんだなってことは学びました。
――主将として苦労したことはありましたか
坂井 3つ下の子と関わるのは結構難しかったですね、どう関わっていこうかなって。ジェネレーションギャップみたいなものはどうしてもあって(笑)。僕らが1年生の時とはまた違う考えの子も多くて、なおかつそこまでテニスが強くない代だったので、それゆえに考えることも多かったみたいで。一番難しかったですね、1年生と接するっていうのは。今はもう半年以上過ごしたので、仲良く一緒に、今もワンピースのゲームをやっているんですけど(笑)。彼らも1年目っていうのは難しいのかもしれないですね。1年生も訳も分からないところで、いろいろな状況や気持ちを抱えながら入ってきて、4年生はそれをまとめなきゃいけないので、やっぱりぶつかってしまうのはしょうがないのかなと思います。
――大矢さんはいかがですか
大矢 主将になって、チーム一人一人をよく見ようっていう意識は強くなって。それを意識し始めてから今まで見れていなかったんだなっていうことを感じました。なのでノートに「坂井勇仁」みたいに書いて。男子はやっていないんですけど(笑)。書いたからといって特に何もなかったんですけど(笑)、とりあえず一人一人知ってみようと思って、悪いところは書かずにいいところだけ書いてみようと思って。一人一人と向き合うっていうことが大事というか、大変だなということを最初に感じましたね。あと大変だったのは、私はあまり前に立って喋ることが得意ではなくて、ずらっと並んでいる中で私に視線が集まるっていうことに「うわ、まじかっ」って思ってしまって。どこを向いても誰かと目が合うっていうことが怖くて(笑)、それにまず慣れるのが大変でしたね。特に男女で集まった時は50人ぐらいになっちゃうんで・・・。それでも言うことは言わないといけないので、男子に向けても「なんでトレーニング中遊んでんだよ」って言ったりもしたんですけど。
坂井 誰が怒られたんだっけ、あれ。
大矢 あれは優之介くん(田中、スポ2=埼玉・秀明英光)とか・・・。
坂井 なんか、優之介がサッカーみたいなことしてたんですよ。それを見た大矢主将が、「何してんだよっ!」って怒ったんですよ。
大矢 「サッカーしてました」って言われた(笑)。
坂井 そしたら、その次の男女でメディシンボールを使ってトレーニングをする時から「お前らマジでサッカーだけはするなよ・・・?」って(笑)。
大矢 そうやってすぐにネタにするんですよ彼(田中優)は。それがいいところではあるんですけど、私は本当に「何してんだ!反省しろ!」っていうのを伝えたいんですよ。中学生ぐらいでもわかるじゃないですか、小学生でもわかるな、うん(笑)。そういうのを真剣に伝えているのに、「お前ら、サッカーだけは、するんじゃないぞ・・・?」とか言うんですよ、すぐネタにして。
坂井 まぁ、そう言わせておいた方が言うことを聞くっていうことはあるよね、優之介みたいなタイプはね、逆にね。
大矢 彼みたいなタイプしかいなくない?(笑)
坂井 いや、そうでもないよ。
大矢 あ、そうなんだ、じゃあよかった(笑)。
――ちょうど主将になったぐらいに部の体制が変わりました
坂井 そうですね。弥起さん(石井ヘッドコーチ)が付いていてくれたんですけど、僕らがやることにプラスアルファで声をかけてくれるポジションだったので、練習メニューとか、「次これをしよう」とかはほとんど学生だけで決めていました。
――そうなると主将が先陣を切って方針を決めるかたちになったと思いますが、工夫したことなどはありましたか
坂井 男子は単複に分かれてよく練習していたので、一応後輩たちと話し合って決めることもあったんですけど、ダブルスは基本的に僕がまとめて。シングルスは古田にほぼほぼお願いしてやっていました。あと小林(雅哉、スポ3=千葉・東京学館浦安)ですね。
大矢 注目されるのが嫌だって言ったじゃないですか(笑)。一メニュー終わると「次何するの」感が集まってくるんですよ。その状況になりたくなくて、前日に全部考えてから部室に行くようになって。
坂井 俺何も考えてなかった・・・(笑)。
大矢 意識していたのは、やっぱり学生が主体だと厳しくしてくれる人がいないなっていうのは感じていたので。お互いに追い込むっていうのは男子の方ができていて、女子はお互いになんか遠慮し合っていて。なんていうのかなこういうの、難しい。わからない?
坂井 えーっとね、『無駄な気遣い』。
大矢 ああ、それだ(笑)、それです。ちゃんと打たせてあげようみたいな。「それじゃあ練習の意味が違くなっちゃう」っていう話を何回もしたんですけど、やっぱりどこかで無駄な気遣いが発生して、甘くなってしまうことが多くあって。なので、自分が一番厳しい練習を与える人にならなきゃダメだなっていうのは感じていました。
――主将として目標にした人や参考にした人はいらっしゃいましたか
大矢 私は宮地真知香さん(平28社卒=福岡・折尾愛真)っていう1年生のとき4年生の主将だった先輩なんですけど、この人みたいになりたいって思っていました。その時の4年生の代ってすごく厳しい方が多くて、主将はどちらかというか優しく穏やかな方だったんですけど。ただそれでバランスが取れていたというのもあったので、私もあんなふうになりたいと思っていたんですけど、「あれ、なんか違うな」と思って。何が違うかって言ったら私たちの同期は後輩と仲良くしたい人が多くて(笑)。それで私も優しい主将だったらあまちゃん4年生になっちゃうじゃないですか。「あ、これ無理だ」と思って。真知香さんのようになるのは求められていないなと感じて、仲良くしたい4年生の中で、そうじゃない役割を担っていかないといけないんだなとは思いました。
坂井 僕はその日その日をしのぎながら生きていたんで(笑)。なんかあまりこの人に憧れたとかはないですけど。これまでの主将のいいところは見て、参考にしていましたね。今井さんとかはあまり口で言うタイプじゃなかったんですけど、結果を出していたので、「今井さんがいれば」っていう存在感のようなものはあって。シングルス1でダブルス1でインカレも優勝していて。なので、僕はシングルスはあまり結果が出せていなかったので伊蕗とか雅哉に委託して、ダブルスはせめて4年目も結果を出して。結果を出していない人に言われても、みんな強いし説得力がないかなって。今井さんに言われることは説得力があったので。今井さんも頭使ってテニスしていましたし、話していて頭脳派なんだなって思いましたね、あんなにバコバコ打ってるのに。小堀さんに教わったことは・・・、あんまりないですね(笑)。
大矢 (笑)。
――小堀さんとはずっとダブルスを組んでいましたが、教わったことはないのですか
坂井 そうですね、大してないっすね、はい。小堀さん、はい(笑)。
大矢 (笑)。
坂井 小堀さんからは抜き方を教わりました。
大矢 頑張り過ぎないってこと?
坂井 そう、頑張り過ぎない。もう、自分のできる範囲内で、頑張る。それで他人にどう思われようと、俺は頑張っている。
大矢 あはは(笑)。
坂井 そういうめげないっていうスタイルを貫く。小倉さん(孝介、平30スポ卒=現プロ・フリー)はそうですね、ああいう性格なんで、周りから慕われやすくっていうのはあるんですけど。主将になったことでちょっと自分を犠牲にしていたのかなって思うので、そこはちょっと小倉さんにアドバイスしてあげたいですね(笑)。
一同 (笑)。
――勝利に対するプレッシャーも主将としてあったと思いますが、どう向き合っていましたか
大矢 やっぱり連覇っていうのをどうしても意識してしまうので、自分の負けがチームの負けになってしまうかもしれないっていうのは本当に怖くて、私は。そんなになかった?
坂井 いや、あるある。
大矢 主将になった時に(坂井と)「自分たちの代に連覇止まったらどうしよう」っていうのを話したんですよ。そしたら「むしろ止めてやる」って言われて(笑)。
坂井 (笑)。
大矢 むしろそれはそれで「はい、連覇止めた代の主将で〜す」ってなるから、とか言われて。
坂井 歴史に名を残せるからね。言ったね、そんなことも。
大矢 私は冗談でもそんなことは言えなくて。メンタル強いなって思って、その時に。すごいな、見習わなきゃなって思ったんですけど。でもやっぱり(連覇を止めるのは)嫌だっていうのはすごくあって。4年目は「個人戦は全部すっ飛ばしてもいいから早く王座で優勝したい!」っていう思いがありました。
坂井 僕はそんなことを言ってはいたんですけど。このプレッシャーは早稲田でしか味わえないから「どんなもんか」と、「味わってやろうじゃないか」ってスタンスではいました。でもそういうスタンスでいてもやっぱり緊張はするし、すごい勝ちに対する執着心は出ちゃうし、そういう中で戦うっていうのはやっぱり大変でしたね。あんなにプレッシャーを感じながら試合をすることっていうのはないんじゃないかなと思いますね。これからも日本リーグとかあるんですけど、あの時感じたプレッシャーがあれば。やっぱり似ているとは思うので、こういう経験が次プレッシャーのかかる場面で生きてくれるんじゃないかなと思っています。
「あー、終わった」
――女子部は昨年なかなか個人戦で結果が出ずに、王座出場を危ぶむ声もあったそうですが、その時期を振り返っていかがですか
大矢 「あー、もう終わった」って(笑)。インカレで、私が3年生の時に清水が優勝したんですけど、それ以下はベスト16止まりで、「やばいよ」って言われていて。それよりも結果が出ないってやばいどころじゃないんだっていうのを側から見ても言われるし、そういう雰囲気を感じるし、どうしようって思いましたね、その時は。「王座無理ってことは9月で引退?あ、早いな」みたいなことも考えたりして。「でも嫌だ」みたいな。行動よりも考えが先に出てきて、あまり冷静じゃなかった期間でしたね。でも土橋さん(登志久、平元教卒=福岡・柳川)に「いいの?今のままで」っていうことを言われて、1年生も「王座で優勝したいんです!」って言ってくれるようになって。そこからだんだんチームが一体となってきて、危機感があったからこそモチベーションを上げていけたのかなって、今となっては思います。もともとそんなにポジティブ思考のタイプじゃないので、彼(坂井)みたいな考え方はすごく見習わなきゃいけないんですけど、難しいんですよね。逆に私のようなネガティブな要素もちょっとぐらいあったほうがいいと思うんですけど。
坂井 確かに、ないっすね(笑)。
大矢 でもそこは彼の考え方とかに教えられたり、助けられた部分もあったので、ありがたかったなと思います。
――男子部も春関で無冠スタートと苦しみました
坂井 まず、春関は僕自身決勝でダブルスで負けて。あんまり楽しくなかったんですよね、試合をしていて。ちょっと「勝たなきゃ」って思いすぎちゃって。ビデオとか見返してみても笑ってなかったんですよ、顔も(笑)。優之介も緊張していて。すごい難しい時期でしたけど、その中でも決勝に行けたのは収穫だったかなとは思います。シングルスも無冠ではあったんですけど、島袋(将、スポ3=三重・四日市工)が決勝に行ったので、春関の結果でどうこうというよりはもっと層を厚くしていかないとなっていうのはありました。そこから早慶戦も5−4だったんですけど、シングルスは下より上が強いのでそこを2本を取られちゃって、課題がトップ層の強化だって言われていたんですけど。一つ一つ最低限を乗り越えてっていう感じでしたね。インカレはタイトルは取れたんですけど、島袋が出ていなくて。その中で齋藤(聖真、スポ=神奈川・湘南工大付)がベスト4入って、後輩たちがベスト8に入ったりだとか、層を厚くするっていう目標がシングルスに関してはうまくできてんじゃないかなと。勝ちたいと思って練習している人の成果っていうのが出たんじゃないかなと思って。僕自身もインカレのダブルスは楽しんでできたんじゃないかなと思いますね。逆に優之介の方が緊張していたんじゃないかなと思います。
――田中優選手の方が緊張していたというのは意外ですね
坂井 なんか知らないですけど、優之介の方が緊張していました(笑)。「坂井さんの連覇を止めたらどうしよう」みたいな、「最後だし」みたいな(笑)。
――リーグ(関東学生リーグ)は全勝優勝でしたが、振り返っていかがですか
坂井 リーグはもうおしっこちびりそうでしたね。
一同 (笑)。
坂井 一番痺れたのは中大戦の島袋の望月(勇希)戦(◯6−4、3−6、7−6[2])ですね。もう一番印象に残っています。ファイナルセット1−4で雨で次の日になって、そこから勝ったんですけど。あの日の夜帰るのもだるくて、「あー、終わったー」って。僕も勝つと思ってなかったんですよね(笑)。というか、勝つと思うこと自体が島袋に対してかわいそうだみたいな、プレッシャーも掛かるし。なので「楽にやれ」みたいなことを言ってたんですね。「絶対勝てよ・・・?」みたいな雰囲気は出せないですし、あの場面で(笑)。それで俺と他の4年生と島袋と弥起さんでラーメン食いながら、弥起さんに「坂井お前今日やばかったね(笑)」って言われて。僕シングルス負けたんですけど(●3−6、3−6 清水一輝)、「いやーまじでやばかったっす、すみません。あした島袋負けたら何連勝止めるんだ?(笑)」みたいな話をしていて。そのあとホテルで4年生で集まって夜遅くまでおかし食べながらしょうもない話をして(笑)。逆にそれが良かったかもしれないですね、島袋はこの話は知らないと思うんですけど。島袋には「お前はちゃんとお風呂入ってしっかり食べて早く寝ろよ」って言って寝かせたんですけど、僕らは2人用のベッドで5人で並んで寝ていました(笑)。
坂井が最も印象に残っているという中大戦の島袋対望月。写真は勝利を収めた瞬間、仰向けに倒れる島袋
――主将として、それぞれ王座で優勝した瞬間の心境はいかがでしたか
大矢 私はシングルスで勝って優勝だったので、勝った瞬間に泣いたんですけど、冷静になった時にコートから周りの状況ってあまり分からないじゃないですか。王座で勝った後って女子って大抵泣くんですよ、毎年。「私の代って泣いてくれるのかな」って1回不安になって。優勝できて結果は良かったんですけど、その結果でよかったってみんなが思ってくれるのかなっていうのは感じました。せっかく優勝したのに(笑)。でも試合が終わったら廣川(真由、社=埼玉・浦和学院)が「よかったー!」って走ってきてくれて、「あ、良かったんだ」って。コートから出たら同期が迎えてくれて。これでやっと主将も終わったし、優勝もできたし、とりあえずはほっとできたなって。でもまだ清水が試合をしていたので、早稲田は勝った後に応援がなあなあになってしまうことが多かったので、パッとまた切り替わりました。
――涙はほっとしたという思いが大きかったのですか
大矢 それもあると思うんですけど、3年の時の王座のダブルスですごくいい試合をして勝ったときに泣きそうになったんですけど、まだチームが勝っていなかったので、「あ、泣いちゃダメだ」って堪えたんですよ。最後はもう勝ったからいいんだって思って。うれしいのもあったですし、「ようやく終わった〜」って。うれしい、ほっとした、良かったって感じでした。なかなか難しいですね、言葉にするのって(笑)。
――坂井さんはいかがでしたか
坂井 男子は島袋が優勝を決めて、そこからはもうフィーバータイムでしたね(笑)。「おい田中何してるんだ早く終わらせろ」と。って言っていたら捲られそうになって、「やばいやばい」ってなりました(笑)。「これ負けたら後味悪いよ〜」って(笑)。
早稲田大学の庭球部
王座決勝を終え、涙する大矢と駆け寄る仲間たち
――お互いの主将としての姿はどう映っていましたか
坂井 大矢主将はそうですね・・・。頑張りすぎちゃって、手を抜くこと知らないので、彼女は。僕より大変そうでしたね(笑)。
大矢 (笑)。
坂井 僕は自分ができないことは人に頼んでやってもらったり、「あー無理だわ」って思ったらあらゆる手を尽くしてでも伊蕗にやってもらっていたので(笑)。彼女は全部自分でやって自分で解決しようとするので、大変そうでした。
大矢 性格も結構違うと思うので。さっき言ったプラス思考、マイナス思考っていうのもあると思うんですけど。まずい状況になった時の「まぁ、大丈夫だよ」って思える考え方というか、プレッシャーがかかる場面があっても「大丈夫だから」っていう雰囲気を発せられるのはすごいなと思っていましたね。
坂井 でも僕何回かキレられましたよ。「大丈夫じゃねーよ」って(笑)。
大矢 えっ、誰、私に?(笑)
坂井 キレられたっていうか、僕は真面目な話の時に「まぁ、いけるやろ」みたいな感じで言うんですけど。基本その行き当たりばったりというか、その場しのぎの生き方はできるので、そんな感じなんですけど(笑)。しっかりと戦術を立ててから行きたいタイプなので、大矢主将は。そんな感じっすね(笑)。
――卒部して今、庭球部での4年間を振り返って思うことはありますか
坂井 庭球部で4年間過ごして、高校の時の僕からしたら想像もしていなかった4年間だったので、すごい夢のある良い4年間でしたね。高校3年生の僕に「お前は間違っていなかったよ」って伝えたいです。
大矢 おお、かっこいいですね。
坂井 ありがとうございます(笑)。
大矢 私は・・・辛いが詰まった4年間でしたね。テニス部に入って、1年生の頃はあまりテニスをしたいと思っていなかったので、一通り全大会出たら辞めて、お勉強でもしようかなっていう感じだったんですよ、正直(笑)。でもそう思っているうちに2年、3年となっていって。「この経験が今後社会人になったら絶対生きるよ」って周りからすごい言われるんですけど、正直わからないじゃないですか。それが本当に発揮されるかっていう不安というか、疑問があるので。全然イメージがつかないんですけど、この経験が生きることを信じて新しいところで頑張ってやろうじゃないかって思います。
――入学当初に思い描いていた姿と今を比較してみて
坂井 入学当初想像していた選手よりは全然強いんじゃないかと思います。入学して初めの早稲田のワイルドカード大会で岸田さん(海、平29スポ卒=東京・早実)に1−8で負けたんですよ。「あーもうこれ俺テニス部やめた方がいいかもしれない」って思って(笑)。弱すぎて。でもそこからなんやかんやとあり、4年間やってきたんですけど、テニスで就職先を選べるほど強くなれるとは思っていなかったですね。
大矢 私は逆に思っていたよりも強くなれなかったですね。高校までの成績あったので、それと同じぐらいはいけてもいいんじゃないかなって正直思っていたんですけど。でも、団体戦で他の大学にはない経験はできたので、個人戦で出せなかった成績のぶん、団体では頑張れたかなと思いますし、それは良かったかなと思います。あまり後悔はしていなくて、個人戦勝てなかったけど頑張れたし、やれることはやったので、「もっとやればよかった」とかは全然思わないですね。
――早大庭球部で良かったと感じることはありますか
坂井 僕は一番は勝つこと、勝ち方を一番学べた場所だと思います。世界には今島袋君が代表して挑戦中ですけど、今現時点の大学テニス界において、日本の国内だったら教科書、教科書があるわけではないんですけど、勝ち方を学べる場所だと思います。男子はまだテニス部に4年間いてグランドスラムとかで活躍している選手はいないんですけど、杉田さん(祐一、三菱電機)がテニス部に2年間いて、グランドスラムで活躍していて。女子は青山修子さん(平22スポ卒=現近藤乳業)だったり、波形純理さん(平17社卒=現伊予銀行)だったり、大学卒業してからすごいプロの選手になった人がたくさんいるので、そういう環境がある、日本で数少ない大学だと思います。
大矢 私はいろいろな人とつながりができたのが一番かなと思います。青山さんとか波形純理さんとかと私がLINEをしているみたいな。
坂井 LINEのトーク欄やばいよね。
大矢 テニスに触れていれば名前は知っている人とかとここにいなかったら知り合えなかったと思いますし、全日本選手権とかに出るとレセプションパーティみたいなのがあって、それに行くと早稲田だらけなんですよ。それはすごいなと感じますね。私はもともとプロになりたいとは思ったことがなかったので、世界で活躍する選手と知り合えたっていうのはここでしかない経験だったなと思います。
――最後の質問になります。今後、早大での4年間はどのように活かしていきたいですか
坂井 僕はテニスを続けるので、特に早大の庭球部で過ごした4年間はすごい価値があって、いろいろなところで生きてくると思います。そこでつながった先輩や後輩とのつながりが一番大事だと思うので、それがいちばんの財産ですね。知り合った仲間たちを大切に、これからも生きていきたいと思います。
大矢 新しい道ですし、新しい生き方になっていくと思うので、どう活きるかよりもどう活かしていくかっていうのがこれから大事になってくると思います。なので、この経験が自分にはついていると思って、早稲田大学庭球部を出ているっていうことを誇りに思って、周りにも誇ってもらえる先輩になっていきたいと思います。
――ありがとうございました!
(取材・編集 林大貴 写真 松澤勇人、吉田優)
◆坂井勇仁(さかい・ゆうと)(※写真一枚目右)
1996(平8)年8月12日生まれ。177センチ。大阪・清風高出身。平成31年スポーツ科学部卒業。大学時代の主な実績は全日本学生選手権男子ダブルス優勝(2017、18年)、全日本学生室内選手権男子ダブルス優勝(15、17年)、主将として全日本大学対抗王座決定試合男子14連覇を達成。
◆大矢希(おおや・のぞみ)(※写真一枚目左)
1997(平9)年1月25日生まれ。163センチ。愛知・名経大高蔵高出身。平成31年スポーツ科学部卒業。大学時代の主な実績は全日本学生室内選手権女子ダブルス優勝(17年)、関東学生トーナメント女子ダブルス優勝(17年)、関東学生選手権女子ダブルス優勝(17年)、主将として全日本大学対抗王座決定試合女子13連覇を達成。
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