「お前は間違っていなかったよ」。夢のような4年間
「高校の頃の僕からしたら想像もできなかった4年間だったので、夢のあるいい4年間だったと思いますね。高校3年生の僕に、『お前は間違っていなかったよ』って伝えたいです」。全日本学生選手権(インカレ)男子ダブルス2連覇をはじめとする数々のタイトル獲得、そして主将として迎えた最後の全日本大学対抗王座決定試合(王座)では14連覇の偉業を達成。高校時代ほぼ無名だった坂井勇仁(スポ=大阪・清風)は大学の4年間で飛躍的に実力を伸ばし、華々しい活躍を収めてきた。
王座10連覇。坂井の入学当時、早大はすでに学生テニス界で絶対的な強さを誇っていた。大学で続けるのであれば日本一の環境でやりたい。どんな環境で王座10連覇が生まれるのか、成し得ているのか。そこに入ってやってみたいという好奇心が強かった。「何が一番すごいかって言ったら環境が整っているのもそうですけど、周りにいるチームメイトが強い。自分を引き上げるための要因になったんじゃないかなと思います」。入部当初は練習に入ると全員が自分よりも強い。横を向けば全日本タイトル獲得者、日本代表。自身をはるかに上回る、輝かしい実績を持つ選手がいた。「そういう人たちと練習できる機会って少ない。それが当たり前にできる環境があったっていうのが、一番だと思います」。部内での競争を勝ち抜くために、高校時代よりも頭を使ってテニスをするようになった。日本一のチーム環境の中で飛躍的に成長した坂井は1年生の頃からダブルスのレギュラーとして起用され、王座でも単複全勝で優勝に貢献した。3年生になると坂井はさらなる快進撃を見せる。全日本学生選手権では男子ダブルス決勝で前年の全日本学生室内選手権で敗れていた慶大の逸崎凱人・畠山成冴組に雪辱し初優勝。団体戦でも、早慶対抗試合、関東学生リーグ、王座を通じて一度も負けることはなく、王座でMVPも獲得した。「理想的な1年間だった」。坂井はそう3年時を振り返る。
そんな坂井に主将として白羽の矢が立つことは想像に難くないことであった。正直主将はやりたくなかった。ただ求められた以上はやるべきだ。そう思い、坂井は主将就任の決意を固めた。主将に就任するのとちょうど同時期に、部の体制が変わり練習も学生主体の方針となった。「学生の中だったら絶対的な存在になる必要はない。色々な考えがあって、色々な意見があっていい」。下級生の頃に理不尽に感じていた上下関係やしきたりを取り除き、部内の風通しを良くすることに務めた。「プレッシャーがかかる場面でも『大丈夫』っていう雰囲気を発せられるのはすごいと思う」。女子主将を務めていた大矢希(スポ=愛知・名経大高蔵)は主将・坂井をこう評する。しかし、実際には『勝って当たり前』という早大にのしかかる重責を強く感じていた。「心の片隅に常に『このプレッシャーは早稲田でしか味わえないわけだからドンとこい。味わってやろうじゃないか』という気持ちがあって。ただ、それでもやっぱり緊張はしますし、勝ちに対する執着心も出ちゃうし。そういう中で戦うのは大変でしたね」。無冠に終わった関東学生トーナメントや早慶対抗試合では「勝たなきゃ」という意識が先行し、精神的にも不安定な時期が続いた。
思うように状態が上がらないチームの課題として挙がったのが層の強化だった。「結果を残している人の方が説得力がある」と自身はダブルスの練習を主導することに専念し、シングルスは副将の古田伊蕗(スポ=静岡・浜松市立)や小林雅哉(スポ3=千葉・東京学館浦安)に委託するなど、チームメイトを信頼し、積極的に手を借りることで、チームとしての好循環を図った。最後のインカレで男子ダブルス2連覇を達成した坂井だが、個人の結果以上にチームとしての層の厚さに手応えを感じていた。しかし、全勝を果たしたリーグ戦もそのほとんどが苦しんだ末の辛勝。課題と不安が募る中で王座を迎えた。それでも早大は王者の意地を見せつけた。坂井が早大の主将として最後に戦った王座決勝。慶大のダブルスに2本を先取される劣勢の中で迎えた試合だったが、一本取って自分の下につなげられれば。負ければ流れは一気に慶大に傾きかねない重要な場面、坂井はここを勝ち切りチームに貴重な1勝をもたらした。「慶応に勝てたのは4年目までのいろんな経験の積み重ねがあったからこそ勝てたんじゃないかなと思います」。後を託したシングルスの後輩たちがその期待に応え、最大のライバルである慶大を下しての王座14連覇達成。歓喜の輪の中心には安堵の表情を浮かべる坂井の姿があった。
王座で14連覇を達成し、チームメイトに胴上げされる坂井
「一番は勝つこと。勝ち方の教科書じゃないですけど、早大は現時点の大学テニス界で勝ち方を一番学べる場所だと思います」。高校時代は無名だった。入部当初自身が想像していたよりもはるかに強い選手へと成長を遂げた坂井だからこその言葉だろう。大学卒業後、坂井はその舞台を愛媛に移しテニスを続ける。くしくも坂井が主将として王座14連覇を達成した縁由のある地だ。「あれだけのプレッシャーを感じる中でテニスをすることはもうないんじゃないかなと思いますね。ただあのとき感じたプレッシャーがこれからのテニスでも生きてくるんじゃないかなと信じています」。日本一の環境で培った実力を、そして主将として早大を背負って戦った経験を確かな自信へと変えて。坂井の新たなステージでの挑戦が幕を開けようとしている。
(記事 林大貴、写真 松澤勇人)