思いを託す
「主将としての自分に点数をつけるとしたら70点ですね」と高倉悠輔(商=東京・早実)は答えた。「その時は精一杯自分ができることをやったが、今振り返るともっとテニスが強かったら自信を持ってチームを引っ張っていけたと思う」と語る。「熱誠」というスローガンを掲げインカレ6連覇を成し遂げた軟式テニス部主将に迫る。
高倉がテニスを始めたのは小学2年生の時。地元のソフトテニスクラブに通っていた友人からの誘いがきっかけであった。そこからジュニアのクラブチームに所属する。中学では早実に進学し部活動で本格的にテニスを始める。進学先も早大と決まっており、大学でテニスを続けるか迷いが生まれる時期もあった。悩んだ末、日本一である早大の環境はどんなものなのかと期待を込め入部を決意。中学高校とはスピードやテンポ、勢いが違い戸惑うこともあった。しかし自主性を重んじ選手自らが考えるテニススタイルは、以前と変わりなく高倉は試合に出ることを目標とし日々練習に励んだ。なかなか勝てず伸び悩む時期、高倉を導いてくれたのは先輩の存在であった。2年時の主将であった船水雄太(平28スポ卒=NTT西日本)からのアドバイスで勝てるようになったと語る。
高倉が主将になるだろうとは誰もが思っていた。高倉自身も前主将安藤圭祐(平29スポ卒=東邦ガス)を見本として準備を進めていた。試合に出る4年生がおらず今までの代とは違った不安があったが、それよりも期待が大きかった。応援でチームの背中を押せたらと思った。しかし現実はそう簡単ではなかった。主将になった秋、「どのようなキャプテンになったらいいか分からない」と戸惑いの言葉を零した。人をまとめたことがなく自分がどのようなキャプテンになるべきなのかに疑問を感じた。自分のやれることを少しずつやろう、この安藤前主将の言葉を受け高倉は少しずつ変わっていった。主将になってからは周りの雰囲気を良くすることや、練習の参加率をどうあげていくかなどチームのことを第一に考えるようになった。
主将としてチームを支えてきた高倉悠輔
一番印象に残っている試合は去年の全日本大学対抗選手権だという。コート上に4年生が一人もいないインカレ。「4年生のために勝ちたい」という言葉通り後輩たちは見事6連覇を果たした。無事に6連覇を成し遂げたことに対する安心とともにコートに立っていないことへのもどかしさから実感はすぐには沸かなかったと振り返る。自分がコートに立てない分チーム作りに励み、このような結果を残せたことを心から安堵した。4年生のサポートがあったからこその勝利である。
「主将をやってよかった」と高倉は笑った。主将として一人一人を繋ぐ役割でいなくてはいけないという気持ちがあった。信頼関係を築く力を身につけ成長できたという。そんな高倉を一番近くで支えてきたのは主務の井山裕太郎(基理=埼玉・松山)であろう。ペアであり主将主務の関係でもある井山の前では常に自然体でいられた。各々の役割分担を共有し負担を減らすことで上手く立ち回ることができたと振り返る。普通の大学生に憧れていた時期もあった。しかし4年間テニスを続け部活動で出会えた仲間はかけがえのない存在となり、ソフトテニスは「自分の居場所」であると語った。
(記事 山浦菜緒、写真 吉澤奈生氏)