【連載】『平成27年度卒業記念特集』 第45回 小林奈央/女子ソフトテニス

軟式庭球

逆境でも戦い抜く姿勢

 「未練はありません」。きっぱりと言い切った。早大のエース、日本のエースとして数多のタイトルを手にしてきた小林奈央(スポ=香川・尽誠学園)は、ことしで自身の競技人生に幕を引く。悔しさも喜びも味わったという早大での四年間に迫る。

 もともとソフトテニスを高校卒業後に続けるつもりはなかったが、周囲からの強い勧めで大学でも続けることを選んだ。どうせやるなら日本一を目指したい、と早大という環境に身を置くことを決意。厳しく指導を受けてきた中高時代とは違い、コーチや監督に頼り過ぎない練習スタイルで自主性を養う早大で、実力を存分に発揮し小林はどんどんと力を付けた。2年時、東アジア競技大会に最年少の代表として出場し、国別対抗で頂点に立った。そこで自信が生まれ、同時に新たな自分の技術の引き出しを見つけることができたという。その豊富な経験と確かな技術で、下級生の時から早大のエースとして戦ってきた。

早大のエースとして戦った小林

 しかし3年時の全日本大学選手権(インカレ)の団体戦決勝。勝負は3次戦へともつれ込む。大将の立場として戦うが、相手に一歩及ばずインカレ団体3連覇を逃した。「最後なんであそこに打ったんだろうとか、チームに申し訳ないなっていう気持ちもありました」と後に悔しさをにじませた。リベンジを誓ったラストイヤーのインカレ団体戦。決勝戦は、前年と同じく3次戦へ。勝負を分ける立場に再び立つことになる。賭ける思いは人一倍強かった。3次戦を戦う前には前年の試合が頭によぎったが、普段通りの自分たちのプレーが出来れば負けることはないと自分に言い聞かせた。試合中何度も苦しくなったが、そんな時に聞こえたのは仲間からの精一杯の声援。小林はその声援を力に戦い抜き、負けの悔しさを知る佐々木聖花(スポ2=東京・文化学園大杉並)と共にチームを優勝へと導いた。

 そして競技生活を締めくくる世界大会。国別対抗の決勝では3番である自身の出番がないまま、韓国に敗れた。さらには個人戦でも思うような結果が残せず、涙をのんだ。しかしそれでも小林はこの競技生活に未練はないという。幼い頃から厳しい環境でソフトテニスをやってきて、常に周りからの評価を気にしていた。しかし早大に入ってから、自主性を重んじる環境に身を投じて気づいたことがある。「楽しくやることが結果はどうあれ、自分にとって一番」。

 小林はソフトテニス人生の中で多くのタイトルを手に入れた。しかし、得たものはそれだけではない。小林にとってソフトテニスとは、「自分を成長させてくれたもの」だ。世界に挑戦し続けた経験と様々な人との出会いを通して、一回り大きくなれた。卒業後小林は幼い頃からの夢だったという看護師になるために、コートに別れを告げる。しかしこの四年間で得たあまりに多くのものは、たとえどの道に進もうと必ず小林の支えとなる。そして小林のチームのために戦い抜いた姿勢は、確かに後輩たちに受け継がれたはずだ。

(記事 吉澤奈生、写真 三佐川唯、和泉智也氏)