【連載】『令和4年度卒業記念特集』第8回 土家大輝/男子バスケットボール

男子バスケットボール

『やり続けること』

 「自分がうまくいかなくても、チームがうまくいかなくても、常にチームのためにやり続ける。そのメンタリティは高校生の時に指導していただいて、自分の中では当たり前のことでした」

 大学時代はエースガードとして活躍。そして今年1月には、福島ファイヤーボンズでプロデビューを果たした土家大輝(スポ=福岡大大濠)。「全てがバスケのおかげ」と話す土家の人生に迫った。

大阪産業大戦でドリブルする土家

 土家がバスケットボールを始めたのは幼稚園の時。ミニバスケットボールのコーチをしていた父親の影響もあり、地元岡山県にある総社ミニバスケットボール教室に入り、小学校で全国優勝などを経験していくうちに、バスケットボールにのめり込んでいった。「中学校でもバスケをやるなら日本一を目指したい」。その思いで、小学校の県選抜時代に仲の良かったメンバーを誘って、岡山県の強豪校・玉島北中に進学した。そこでの生活はまさに『バスケットボール漬け』。5時過ぎの始発に乗って、朝練は7時半から。辛いと思う時もあったが、「それ以上に自分がバスケしたいと思うメンバーで行ってたし、みんなで切磋琢磨して本当に頑張っていた」。その努力の甲斐あって、3年次の玉島北中は全国準優勝を果たした。また、岡山県選抜として出場したジュニアオールスターでは全国優勝。さらに土家が大会の最優秀選手にも選ばれた。「頑張れば頑張るほど結果が出て楽しかった」と土家は中学時代を振り返る。中学校での活躍が光り、高校は福岡大大濠高に進んだ。7度の全国優勝を誇る高校バスケットボール界の名門校だ。

 土家は福岡大大濠高でも1年次からユニフォームをもらい、試合に出場していた。しかし「主力ではなかった」。福岡大大濠高には全国から一流選手が集まってくる。その中で、主力として試合に出場し続けるのは、簡単なことではなかった。中学時代にエースとして活躍してきたからこそ、高校はそのギャップに悩んだ。「いろいろ挫折した。それでも試合に出て活躍したいという思いで3年間頑張り続けた」という。

 「本当にプロに行けるのか」。大学進学当時、そんな不安を抱えていた土家が選んだのは早稲田大学。バスケットボールでは関東1部リーグに所属していながら、勉強面にも力を入れられる。「いろんな選択肢があるところに魅力を感じた」と話す。また、当時の吉岡修平ヘッドコーチが「お前がシュート一番上手いんだから、もっと打て」と声をかけてくれた。「自分がやっていいんだって気づかされました」。高校時代の経験から消極的になっていたという土家にとって、早稲田大学への入学は、バスケットボールのキャリアを歩む上で1つの変化となった。

 土家が本格的にプロを目指すきっかけとなったのは大学2年次のこと。コロナの蔓延で練習できない期間が続き、自分自身と向き合う時間が多くなった。部活動の同期が就職活動に向けて準備する姿も見ていたが、その中でも土家は「ずっとバスケのことを考えていた」という。その中で「自分が本当にやりたいことはバスケで活躍して、今までお世話になった人に恩返しすること」だと思った。それからは、試合中のスタッツも今まで以上にこだわるようになった。また、その年の全日本大学選手権(インカレ)ではベスト8に入るなど、チームとしても結果を出せるようになっていった。そしてインカレ後の1月、ファイティングイーグルス名古屋(FE名古屋)から特別指定選手(※)として声をかけられた。
(※)満22歳以下の選手がBリーグの試合に出場できる制度。高校や大学の部活動に所属する選手の場合、1シーズン3カ月まで出場可能。

 FE名古屋での経験は「自分のレベルを確かめられる機会になった」と話す。プロの練習環境やスケジュール、バスケットボールに取り組む姿勢を見てから、「今までの自分の甘さに気づいた」。同時に、プロのような整った環境でバスケットボールができたら「本当に最高なんだろうな」とも感じた。「自分の好きなことをやった方がいい」と両親も背中を押してくれた。また、恩師や友達も応援してくれたことで、プロを目指す思いは強くなっていった。

大阪産業大戦での土家

 しかし、4年次は壁にぶつかった。「結果が出ないだけでなく、個人の調子もなかなか上がらない」。大学生活が終わりに近づくにつれて、プレッシャーを感じ始めた。

 それでも「やり続ける」ことは大切にしてきた。どんな時でも自分の強みを貫くこと。それは土家が学生バスケットボールで学んできたことだった。そして、その姿勢が連敗続きだった秋の関東大学リーグ戦(リーグ戦)でチームの危機を救い、1部残留とインカレ出場につなげた。また、土家自身としてもリーグ戦中盤からは少しずつ調子を戻し始めた。そして昨年12月、福島ファイヤーボンズと契約を結び、ついにプロへの道を歩み始めた。

 「自分が頑張ることで、応援してくれている人に何かを伝えられる」。たとえ思い通りにいかない時でもやり続けようとする土家の姿勢は、これからも新たな道を切り拓いていくはずだ。そして、その姿は、きっと見ている誰かを勇気づける。

(記事、写真 落合俊)