【連載】『令和3年度卒業記念特集』第29回 津田誠人/バスケットボール

男子バスケットボール

体現すること

 「為せば成る」――。津田誠人(スポ=京都・洛南)が1年時の主将を務めた濱田健太(平31社卒=現東京海上日動)の座右の銘だ。2018年の全日本大学選手権(インカレ)2回戦で、『俺は絶対に決める』と言ってコートに向かった濱田のスリーポイントが決まり、早稲田が残り2秒で逆転勝利を収めた。「発言することで、まるで未来を決めているかのような方だった」と津田は当時を振り返る。決めたことは必ずやるという濱田の姿勢は、津田自身にも影響を与えた。主将として、4年生として、「自分が率先してやることや、自分が言ったことを体現することをずっと突き詰めてきた」という。それは、たとえコートに立てなくても同じだった。

 

筑波大戦でシュートを放つ津田

 

 津田がバスケットボールを始めたのは、小学校5年生の時。それまではサッカーをやっていたが、どのポジションでも得点を取れるところに惹かれて競技を始めたという。もともと体格に恵まれていたこともあり、すぐに頭角を表した。中学生の時に、大阪府代表として出場したジュニアオールスターで全国優勝を果たした。そして、古豪・洛南高に進学すると、1年時から試合に出場し、2年時からはスタートとして活躍。そのほかU18日本代表にも選出されるなど、功績は十指に余る。

 

 高いレベルを経験してきた津田だが、早稲田への進学を決めたのは、「バスケットがなくなったときも、しっかりと自分に魅力があるような人間でいたい」から。また、文武両道という点からも早稲田を選んだ。津田は入学当初からその実力を発揮し、スタートで試合に出場する機会も与えられた。当時の4年生と一緒にプレーする中で、自らの行動が伴わないと誰もついてきてくれないと学び、自分たちが4年生になった時も見習おうと話していたという。それからは、ひたすら体現することにこだわってきた。そのためには、「数値ではなくて、取り組む姿勢が大切だ」と話す。特にその姿勢が問われたのは、主将としてチームを率いた4年生の時だ。

 

 これまで主将という立場を経験したことがなく、自分の中で決めたことをやり続ける辛さを感じていた。それでも、チームにけが人が多い時は率先してケアをしたり、リバウンドが取れない時は積極的に取りに行ったりした。同期の無着航平学生コーチ(商=東京・早大学院)が「背中で引っ張るタイプだった」と話すように、自らの行動をもってチームを率いてきた。しかし、昨年10月に行われた関東大学リーグ戦の初戦で、津田は膝にけがを負った。ここまで体現することを突き詰めてきたが、それ以降はプレーの断念を余儀なくされた。

 

 しかし、「けがをしても落ち込んでいる姿は見せないようにしていました」と津田は明かした。主将を任される中で、チームがいい方向を向くように心がけてきた。「けがをしたから日本一を目指さないのかと言われたら、それは違うと思います」。その姿勢は、津田が4年間突き詰めてきた、「自分が言ったことを体現する」ということにつながる。けがでプレーできない津田は、声をかけることを大切にした。自分自身がプレーできなくても、チームの戦術を後輩に伝えることはできる。「何か一つでも、勝つためにできることがあればやるべきだ」と話した。

 

 そして迎えたインカレの結果は、2回戦敗退。「決していいものではない」と津田は振り返った。しかし、「ちゃんとやるべきことはやって、その中で結果がついてこなかった」と話すように、関東大学リーグ戦からの成長を見れば、チームとしてはやり切った大会になったはずだ。また津田自身もプレーができない中で、ベンチから声をかけるなど、チームのためにできることをやり続けた。それは津田が突き詰めてきた、取り組む姿勢や体現することなのだろう。

 

ベンチから声をかける津田

 

 バスケットボールとはどのようなものかと尋ねると、「ガイドブックみたいな感じです」と答えた。バスケットボールを通じて出会った人や培った考え方、主将としての経験は、自分にいろいろなことを教えてくれたという。津田は一般企業への就職が決まっている。果てしなく広い社会の中で、津田は自分だけのガイドブックを手に、これからの人生を歩んでいく。

 

 (記事 落合俊、写真 落合俊 小澤慶大)