仲間が安心する存在へ
弓道との出会いは高校時代だ。「かっこいい」。静寂の中、弓を射る凛とした姿に憧れを感じ、大久保侑(スポ=岩手・福岡)は弓道部に入部を決める。弓道と向き合い続けた7年間は決して順風満帆と言えるものではなかった。特に早大に入学し、主将を務めた4年時には重圧に押しつぶされることもあり、思うように弓を引けなくなることもあったという。それでもチームのことを一番に考え、苦しみ抜いたこの1年間は大久保を大きく成長させた。早大弓道部の門をたたいてから4年。大久保はいま何を思っているのだろうか。
早大と大久保の出会いは運命だった。2011年3月11日の東日本大震災。当時高校2年生だった大久保にとってこの出来事は人生を左右する。この年、震災の影響で例年スポーツ推薦が決まる大会が中止になり、推薦での大学進学の道は閉ざされたかのように思われた。このまま弓道を続けるか、受験勉強に専念するかの選択に迫られた時に舞い込んできたのが早大からのオファーだった。迷わず進学を決意し、早大弓道部の一員となった。1年時からレギュラーとして活躍を見せ、エースとしての頭角を現す。全日本学生選手権では団体3位という成績に貢献し、先輩の背中を追って、がむしゃらに弓道に打ち込んだ。そのような輝かしい戦績の裏には、入部当初に掲げた「9割以上中てる」という目標があった。結果に満足することなく貪欲に己の限界を超えていこうとする姿勢。ハングリー精神が大久保を強くしていった。
常に早大を率いてきた大久保
「周りを安心させられる存在になりたい」。4年時に主将に任命された大久保は、大黒柱としてチームのステップアップを目指し奮闘する日々を送る。今までのような自分のことだけに集中できる環境とは打って変わり、後輩を気に掛ける毎日は上手くいかないことの連続だった。重くのししかかる「責任」というプレッシャー。常にチームの頼れる存在でいなければならないと思えば思うほど、大久保の射る矢は的から離れていく。しかしスランプに陥った大久保をチームメイトが支えてくれた。頼れる仲間がいるという事に気づいたとき、ひとりで抱え込んでいた心の荷が少し軽くなったという。そうして大久保自身の射が徐々に戻ってきた。
1部リーグ昇格を懸けた入れ替え戦に挑むため、迎えた中大とのリーグ戦。今まで以上に勝利へ向けた強い思いで臨んだこの試合だったが、崩れた大久保はまさかの途中交代に。主将が前線から外れチームに危機が訪れたかと思われたが、大久保の思いは確実に受け継がれていた。後輩たちの健闘により最終立で逆転。早大は見事勝利を収めた。駒を進めた入れ替え戦は慶大との戦いとなる。惜しくも敗戦となるが、全員が最後まで力を出し切れた。これは大久保が築き上げた早大弓道部の戦いの終わりと同時に、自身の弓道選手としての人生にも終止符が打たれる瞬間でもあった。「目標を持ち、自ら動いてほしい」。大久保は次世代にそう言葉をかける。
「もう1年主将をしたい」。卒業を控えたいま、大久保の本音がこぼれた。誰よりも弓道に明け暮れ、誰よりもチームのことを考えてきた。早大弓道部への愛情は人一倍。辛いことや苦しいことはたくさんあったが、弓道への強い思いがぶれることはなかった。春から新たな道を歩むことになるが「弓道を続けられたらな」と語る大久保の笑顔はとても温かかった。
(記事 田々楽智理、写真 副島美沙子氏)