【連載】『令和3年度卒業記念特集』第37回 薗田将直/応援

応援

『最高の応援』を追求し続けて

 主将として、応援企画責任者として、誰よりも応援のことを考えている自負があったと語る薗田将直(法4=東京・早大学院)。主将という型にとらわれず、「薗田将直」として、約10年間にわたる野球人生で培った知識や経験を活かしてより良い応援をしようと、全力で4年間を駆け抜けた。そんな薗田が仲間とともに作り上げたかった最高の応援とは。今回は、その応援人生にかけた「信念」を綴る。

 5歳の頃から、父の影響で早慶戦やヤクルトの試合に足を運ぶようになり、明治神宮が大好きに。小学2年生から始めた野球では、小学4年生のときに、リトルリーグ内のチームのキャプテンに抜擢される。この経験が、薗田がリーダーシップを自覚する大きな契機となった。高校では野球選手として活躍することは叶わなかったが、大好きな明治神宮に何らかの形で関わりたいと、大学での応援部入部を決意する。入部してからは、4年生の大きな背中をひたすら追いかけ続けた薗田。「(4年生には)本当に尊敬しかない。この人たちになりたいと思って、ずっと新人時代を過ごしてきた」と語った。しかし夏合宿で大きな壁にぶつかることに。体調を崩し、ほとんど練習に参加できないまま夏合宿が終了してしまったのだ。全員で成し遂げるという目標を掲げた夏合宿名物の地獄巡りも自分のせいで達成できず、4年生最後の夏合宿を台無しにしてしまったという自責の念に駆られた。

 夏合宿のあと、自分が遅れを取ってしまったと思い悩んだ薗田。しかし、それでも続けてこられたのは憧れの先輩やいつも一緒にいる同期の存在があったからだ。特に、当時の新人監督小川駿也氏(平31教卒=東京・早稲田)にはたくさんの愛情を注いでもらったという。当時よくかけられた言葉は「圧倒しなさい」。現状に甘んじることなく、常に向上心を持って周りを圧倒し続ける。憧れの4年生のその姿勢は、薗田が応援を続けたいと思う原動力だったのだろう。

 3年生になると、補佐役職に就任。この頃より、応援企画責任者と主将という役職を本格的に考え始めたという。「誰よりも応援のことを考えている自負があった」と話す薗田。応援企画責任者は応援部員の中でも応援を常にリードする役職だからこそ、自分が1番ふさわしいと決意を固めた。秋リーグの早慶戦では、起死回生の本塁打で逆転優勝を経験。感動の瞬間を最高の仲間と噛み締めながらも、来年は野球部に「勝たせてもらう」のではなく、応援部が野球部を「引っ張り上げる」代にしようと思いを強めた。4年生になると、晴れて代表委員主将兼応援企画責任者に就任。約10年間にわたる野球人生で培った野球の知識を応援に活かそうと苦心し、応援曲編成やコロナ禍でのさまざまな応援企画作りに工夫を凝らした。特に、一番盛り上がる2曲を選んだと話す『暴れん坊早稲田』から『スパークリングマーチ』の新しい流れは、明治神宮野球場を大いに湧かせた。「例年通りのことをしていたら勝てないし、早稲田の応援部にいるのに知らない曲があるまま終わってほしくない・先人の想いも乗せて応援したい」と、学生歌も積極的に回曲に取り入れる。さらに、早慶戦ならではのファンファーレを、と稲穂祭実行委員長の想いもあり誕生した『Fanfare冠』は一般から案を公募。コロナの影響で内野に入ることはできないが、応援の気持ちを通じて皆が繋がっているのだという熱い想いが込められた。

 

 秋・明治戦2回戦、全身全霊で応援する薗田

 応援活動に追われ、充実していたコロナ前の日々。コロナ禍で応援に行けなくなった毎日の中で、「自分たちは本当に選手に必要とされているのか」と思い悩むこともあったという。しかし、応援に行ける機会が減ったからこそ、一回一回の応援にかける熱量は例年以上のものであった。そんな中、リーグ戦が開幕。特に印象に残っている試合は、秋・明治戦の2回戦。応援は、他競技と違って結果が得点として目に見えないため、応援が「決まった」瞬間は観客には分かりづらいが、応援部員には全員が肌で感じるものがあるという。全員が限界を超える段階に達したとき、言葉にできない何かが込み上げてくる。この試合は、「ピリピリと程よい緊張が伝わりながら、応援が始まるにつれてだんだん緊張がほぐれていって、試合開始にピークに持っていくことができた」と語る。応援が「決まった」瞬間を後輩たちに肌で伝えていく。きっと、薗田が誰よりも応援のことを考え、応援が「決まる」瞬間を全員で共有しようと突き進む姿勢は、これからも受け継がれていく。

 今の新4年生にはいつも刺激をもらっていたという薗田。勝てないときも、「やり切りましょう!」と明るく言ってくれたから1年間責任者としてやり切れたという。応援企画責任者のバトンは、新世代の3人に渡った。「応援は全員で作り上げるものだから、部員を引っ張り上げてみんなの意見も取り入れた上で自分たちがしたい応援をしていってほしい」との想いを託す。型にはまらず、「泥臭い」早稲田が大好きだと話す薗田。引退後も明治神宮に足を運び、何らかの形で早稲田に貢献し続けたいと語っていた。冷静な目線で、選手に届く最も効果的な応援を探求し、主将としての「薗田将直」をやり切った薗田が後輩に向ける眼差しは、温かさに満ちている。

(記事 平野里歩、写真 市原健)