【特集】早慶対談『早稲田の友と、慶應の友と』

応援

 早稲田と慶應、良きライバルであり支え合って来た一番の仲間でもある。今年はコロナウイルスの影響で応援という行為自体が問い直され、新しい応援を模索する一年となった。両校応援(指導)部の代表として多くの試練を乗り越えて来た、慶應義塾大学応援指導部の菊池彩美・元代表(慶應・4年)と早稲田大学応援部の宮川隼・代表委員主将(人4=千葉・稲毛)の二人に激動の一年、そして早慶、応援の未来について伺った。

※この取材は12月22日に行われたものです。

波乱万丈

『早慶讃歌』を肩組みながら歌える日が来ることを願って

――今年はどんな一年でしたでしょうか

宮川 どんな一年だったかと言われれば、波乱万丈。大変な一年でしかなかったという思いもありますが、有終の美を飾れたので全部員新人も満足してくれた一年だったんじゃないかなと思います。

菊池 そうですね…。いろんなことがあったな、っていうのが一言目に出てくるんですけど、自分が4年間部活にいた中で一番みんなが最後、キラキラして終わったなと思います。達成感みたいなものはとても感じています。

――新しい体制の応援指導部のあり方を模索されている中で苦労されたことはありますか

菊池 自分が気になったのは部員のモチベーションのところで。やらなければならないことだったり、考えなくてはいけないことを分かってはいながらも、今までの3年間、2年間、1年間で感じた自分の気持ちがあって、思うようにはいかない方向に進んだりすると個人個人でも葛藤があったり、そんな中でもずっと前進していくっていうのが大変だったかなと思います。

――宮川さんから見て今年の応援指導部はどのように映りましたか

宮川 (東京)六大学の中で応援席が楽しそう、というか。例年より近くで慶應の応援席を見れたり、(東京六大学応援)連盟委員長の業務で見ることも多かったのですが、本当に全部員が楽しそうに応援やりたい!っていう気持ちでやっているなっていうのがすごい見えて。チアリーダーズとかも声を枯らして応援していて早稲田も見習えよ!って思うこともあったぐらい(笑)。本当に元気はつらつとしてるなっていうのが私の印象ですね。

菊池 ありがとうございます(笑)。

――お互いの印象を教えてください

菊池 私はどちらかというと今(宮川に)言ってもらったことが早稲田に対して思っていたことで、熱量が一番あって声量とかも今まで早稲田が一番大きいと思っていて。校歌とか。慶應もっと出せって思ってました。

宮川 自分は逆に校歌(塾歌)の発声がすごいと思っていて。大きいというか通るんですよ。早慶サッカーとかでもすごい通っていて。やばい負けちゃうんじゃないかって思ったぐらいで(笑)。リーダー同期とかに「宮川負けんなよ」って言われたぐらい、本当に声が通って堂々とした塾歌だったなって毎回思ってましたね。

菊池 しっかり足元は震えてましたけどね(笑)。緊張はずっとしていた一年でしたね。肩にも力が入っていましたし、感じるもの大きさみたいなものはあって、自分が任されたことでもあり、それをできなかった人の分の気持ちも自分が背負っていると思うと、やっぱり求められていること以上のことで、返さないとなとはずっと思っていました。

――部の伝統を残すという点で意識されていたことはありますか

菊池 そこがまさに一番苦労したところでもあるかなとは思うんですけど、新しい形を考える時に伝統を否定するのではなくて、伝統もゼロからなんでこうなっているのかを考えるというようなところに至るまでが苦戦したところでして、伝統のいいところを見直すためにもその一歩手前から考え直して。葛藤を感じざるを得ない部分があったりとかで難しかったことは難しかったです。けどその葛藤の中で新しい視点を持てたこともそうですし、逆に今までやっていたことにこういう意味があったのかって新しい発見があったのは良かったかなと思っています。

宮川 すごいね、本当(笑)。なんていうかリーダーって新人の頃から抽象的なことをやってきていて、そういう抽象的なことを考える習慣とかがあって、4年生になって部の方針であったり言葉に表せないようなことを体現しようとしたりとか、どうにか下級生時代の積み重ねで出来たんだけど、(菊池は)言ってしまえば4年生から急にやれって言われてここまで持ってこれたっていうのは本当に強いな、というか。元々の人としてのポテンシャルが高いなとは感じましたね。

菊池 本当恐縮です(笑)。

宮川 (笑)。

菊池 けど、自分の3年間の考えの浅はかさを逆に知った一年でもあったので。成長できたかな、とも思いつつもう少し今までの3年間やれることがあったのにな、と思っていました。

「ありがとう」と「ごめんね」が言える人

  人、を大切にしてきたと語る宮川

――どのような主将、代表の姿を目指していましたか

宮川 今年は早稲田の応援部の全体目標が「人」としていて、自分が考えたんですけど、応援部をやっていく中で早稲田の地域の人であったり部員一人ひとりであったり、他の部活以上に人に対する人情味であったり暖かさっていうもはこの部活の魅力かなと思ったので「人」という目標を自分が一番体現しようと思って一年やっていました。

菊池 特にこの1年間自分個人としてモットーにしていたのは「感謝」と「謙虚さ」を貫くというところで。いろんなことがあって、一つ一つの活動に感謝の気持ちを持ったり、自分たちが活動できるために支えてくれている方々もそうだし、色んなところで多くの人が動いてくれている、というのを感じた一年だったので、そうした感謝の気持ちを活動を通してもそうですし、自分ができる一つの小さな行動でもそれを示せるような人でありたいな、と思っていました。謙虚さもこの一年感じたところであり今までもちょっと意識して来たところであって、感謝と謙虚さは自分の中ではセットにしていて「ありがとう」と「ごめんね」がしっかり言える人が素敵だし、そういう人について行きたいと私は思っていたので、そうしたところを体現できるように目指していました。

宮川 本当にもう、素晴らしい、の一言しか出てこない。「ごめんね」とかってこの上下関係が厳しい応援部でトップとして立とうとしている主将があまり言えないというか、立場的にできないこともあると思うんですが、自分は主将である前に一個人「宮川隼」がいるので人としてやることはやらないとな、とは思っていますし、そういったことをしないで堂々としてる姿でしか威厳を保てないのならば、それは違うなと思っていたので、素直にごめんね、が言えるようにというところは自分も目指していましたね。ちょっとごめんねなんか。

菊池 (笑)。

宮川 今のごめんねはなんか(笑)。

菊池 ごめんねは大事だよね。

――活動を終えてみて、そのような目指す姿は達成できたと思われますか

菊池 下級生に「こういう時のこういう働きかけが嬉しかった」っていうような声を直接かけてもらえた時が、少しは役に立てているのかな、って思いました。

宮川 先ほども述べたように、人、っていう軸に置いてどんなことがあっても人を見守り続ける部活でありたい、と思っていたのですが、コロナ禍で連盟の仕事でキャパオーバーになっている時、部員が辞めそうになったのを自分の妥協があって引き止められなかった部分が、いざ窮地に立たされるとそういう甘さが出てしまったというのが一年の中で後悔として残っているので決して100点満点ではないです。

――コロナ禍で新しい応援方法を模索していく中で苦労された点を教えてください

宮川 まずは、連盟委員長として六大学の最低限の応援を確保しようと思ってそれは達成できて、じゃあ早稲田だってなった時にもう一週間後にリーグ戦の開幕が迫っていたので、ずっと早稲田のことを考えられたかというとそうでもない部分があって、そんな中で何ができるか考えた時にリーグ戦前のリーダー練習とかで一人ひとりの表情というのは特にしっかり見てましたし、初戦迎えた時に、4年生は基本最後に来るんですけど、自分は委員長の仕事もあったのですが一番最初に球場に来て下級生が神宮に来た時の顔つきを見て、応援中でもチアリーダーズや吹奏楽団の部員もどういう表情をしているのかずっと見て、ということはしていました。人がいなければ部は存続しないのでコロナ禍を経て応援に対してそう感じているのかっていうのを表情とかから読み取って、部員新人が元気なかったら少し働きかけたりして、そういったところで部員が応援部を好きになってくれたら今後も応援の文化は継続されると思うので、そういった人をみようとはしていました。

菊池 コロナ禍では一回立ち止まって考えてみようっていうような期間だったので応援に限らず色んなこともゼロから考えて、なんのためにやっているのかっていうのを考えながら、目的を達成するためにその都度必要な新しい手段を考えていこうっていう姿勢だったので。それは応援に限らず大事にしていたところでした。今までだと応援の一番の目的はなんなのか、っていうのは全部員の中でも一致できていなくて。それを今は体育会がベストを尽くせる環境を提供することだよね、っていうことでみんなで認識をすり合わせて、その上で新しい応援方法だったりをみんなで考えながらやってきました。

――代表としてのご自身と一個人としてのご自身にギャップはありましたか

菊池 私はあまりなくて、きっと自分の性格だったり、どんな気持ちで活動に臨んでいるかを踏まえた上で、すごくおこがましいとは思うんですけど、それがあったからこそ今のところにいるのかな、と思うので自分がこうしなくてはいけないなと思ったことに基づいて動くようにしていました。

宮川 自分は結構、ギャップがあった方だったと思っていて。歴代の主将を見ると2つのタイプに分かれていて、一つはトップに立って全員をばっとまとめるタイプで、もう一つは調和するような「俺についてこい!俺の考えが全部だ!」とは違うみんなで考えよう、ってタイプで。自分は考えようタイプだったので、リーダー内でいけんがバラバラになることもありましたし、バンドチアの応援企画責任者と話す時もどういう応援をしたいっていうところで各々が強い思いを持っているので、ばぁーっと散らばっていくようなところを自分が一つの点に収束するようにしていたので、あまり自分の考えというのは出さなかった一年ではありましたね、主将としては。自分一人で「この方針で行くからお前ら全員付いてこい、というよりはいろんな人がいてその人たちが一つの応援を作り上げるのが早稲田の良さというか早稲田大学の校風であると思っているので、それを体現できたという意味では自分の考えを前面に出せなかったとしても満足だったとは思います。

菊池 おー、なるほど。そういうことかって思った。私も考え方としては似ていて、リーダー像っていうのを考えた時に自分としてはグッと引っ張っていってくれる人についていきたいという思いが最初はあったのでこういう立場になった時に「本当に私で大丈夫かな」という思いはすごくありました。けどそのリーダー像っていうのが一つではなくて、その人がなったらその人なりのリーダーシップをとるのが良いのかなと思って、辿り着くのは同じところで。私は「ついてこい!」とかはそんなに出来ないので、みんなが一番納得する方法でというところは意識していました。

宮川 早慶って本当に人数が多いからね(笑)。今年何人ぐらいいた?

菊池 131人。同じぐらいかな。

宮川 多いね。

未来永劫、良きライバルであれ

怒涛の1年間を過ごし、乗り越えて来た菊池

――今年は新入生勧誘も苦労があったと思います

菊池応援部って人があってこそだと思うのですが、なかなか対面で会えない期間が多かったので、この人はどういう人なのかな?どういう気持ちを持って活動しているのか、というのを感じられないまま活動していたので、応援部の一番のよさを感じてもらえているのかな、というところは不安に思っていました。どんな人が入ってくるのか、どれぐらい入ってくれるのか、というのはずっと気にかけていたところですね。新入生からしてもきっと今まで通りのスケジュール、活動量でもないので応援の楽しさとかがわからないままだよね、という風には思っていました。

宮川 本当にね、活動なかったからね。

菊池 本当に、見てもらえるのミーティングぐらい(笑)。

宮川 (笑)。

菊池 なんだこれ、って思ったよね多分(笑)。

宮川 早慶レガッタとかも一緒にやろうとしてたんだよね。早慶でやる「早慶戦」というのは本当に特別なものだと思っていてレガッタとかも去年、自分が新人監督補佐として新入生を連れていったんですけど、野球応援とはまた違う応援部の魅力の一面を見れた、と言われたりもしました。自分も早慶戦という舞台に憧れて入ったようなところもあったので、結果的に野球応援しかできなかったのは言ってしまえば他の大学応援団と同じような活動量しかできなかったというのがすごい歯痒いというか、早慶こんなもんじゃねえぞ!って新人にアピールしたいというか(笑)。

菊池 うん。本当に。

宮川 レガッタだったり早慶サッカーだったり、好きライバル同士の関係というのをここまで体現できているのは、自分でいうのもあれですが、他にないと思うのでそういうところに魅力を感じてもらってモチベーションを保って続けてくれている、という部員もいるので、そこを見せられなかったのは部の代表としては申し訳ないな、もうちょっと見せたかったなと思いますね。逆に活動再開したらこんなもんじゃないから辞めないでねみんな(笑)。

菊池 早慶戦って良いよね。私もチアを始めたきっかけが、高校からチアをやってるんだけど早慶戦がすごくて、みたいなところはあるかな。応援部入ってから色んな早慶戦いくと、それぞれの種目のカラーがあって良いよね。

宮川 野球早慶戦がすごいのはもちろん知ってたんだけどサッカーとか俺結構衝撃というか、チアの早慶合同演技とかすごいじゃんあれ。

菊池 ありがとうございます(笑)。

宮川 見て感動してた側だったからさ。

菊池 ライバルだけど、仲間っていうのが分かるパフォーマンスだな、とは思う。

宮川 分かる。チアとかでも早慶で交流あったりするの?

菊池 早稲田チアとめっちゃ仲良くて。

宮川 早慶バレーの帰りちょっと聞いたわ、誰だっけ?(笑)。

菊池 吉田奈央(商4=早稲田佐賀)とか連盟練習で一緒になった時にすごい仲良くなって今もほぼ毎日連絡とってて。

宮川 へーー!(笑)本当に、吉田との仲良く仕方を教えて欲しいぐらいだわ。

菊池 はははは(笑)。でも宮川いいやつって言ってた。

宮川 本当?よかった(笑)。これ記事になったらなんか言われるかもしれないけど俺もちょっとびびってるからな(笑)。

菊池 (早稲田のチア)本当にみんないい人ばっかりだと思う。

宮川 ああ、そう?

一同 (笑)。

宮川 今の言い方は怒られそうだなー(笑)。いや、けどなんていうんだろう、泥くさい、ような部分はあるよね。ダメだな、上手い言葉で形容できないね(笑)。

菊池 本当に、熱量って感じ。思いの強さが伝わってくる。

宮川 逆に慶應のチアのイメージだと、最初はクールというか決めてるイメージあるけど、応援になった瞬間にばっ!てくるような雰囲気はすごい感じる。早稲田みたいに、馬鹿みたいに全力疾走ばーーって感じじゃなくて、決めるところは決めますよ、みたいなところは慶應すごいなって思ってたかな。

菊池 おお(笑)。ありがとうございますなんか(笑)。

――早慶というのはお互いにどんな存在でしょうか

菊池 本当に好きライバルであり一番の仲間、に尽きるかなって。うん、思います。

宮川 全く同じすぎて、どうしよう(笑)。本当に、良きライバルっす。語彙力ないなー本当すいません。

――早慶戦の今後について、どのように考えていらっしゃいますか

宮川 自分が思ってるのは、世の中で盛り上がっていたような、昔の世代の人たちの熱狂的なファンが多いなということで。春の早慶戦はサークルの新歓の締めくくりとして学生結構来てくれるんですが、秋の早慶戦となると若干年齢層も高めになるので、その人たちが来てくれなくなったらどうなってしまうのかな、っていう心配な部分はあります。自分とかは行くんですけど、そうなったら応援部のOBOGしかいなくなっちゃう可能性もあるので、若い世代を取り入れられたら、と自分が言うのも変ですが(笑)。早慶戦っていうのはずっと続いているので、自分たち以外の人たちから見ても魅力を感じられると思うので少しでも来てもらえる繋がりを作って、未来永劫早慶戦が続けばいいな、って思いますね。

菊池 早慶戦って規模が大きくてお客さんもたくさん入って、学生とかOBOGだったり選手が同じ場にいてみんなで横の繋がりを感じながら応援するっていうのが醍醐味の一つかなって思っているので人が来続けて欲しいなっていうのは一番に思っていて、早慶戦が「行きたい」と思えるような魅力のある場所にし続けるのが応援部の役目でもあると思うので、そこは頑張り続けて欲しいなって思いますね。

宮川 自分が連盟委員長とか新人監督とかの役職を兼ねていなかったらこういう話を慶應ともっとずっとしていたかなと思っていて、日本の応援文化の発祥である早慶戦どうしたらいいんだろうね、ってもっともっと話していて。もし例年通りの開催ができていたら新しいことをやりたいな、とも思っていたのでそこはやりたかったなと思っているので、未来の後輩たち、ぜひお願いします(笑)。

菊池 託しましょう。

――六大学の一員として、連盟委員長の宮川さんはどのように映りましたか

菊池 色んな人の意見を聞きながらうまく進めてくれるような。学生以外にも多くの人とお話しされて来たかなとは思うんですけど、そういうところでもうまくやってくれて、「人」を大切にしているからこそ得られた信頼とかがあるのかなって思っています。

宮川 ありがとうございます。恥ずかしくて見れなかった(笑)。

――最後に、後輩たち、そして早慶両校の未来に期待することを教えてください

菊池 未来に期待すること、でいうと。私がこの一年ですごい感じたのは、応援って正解の形がないからこそ、その時代に合わせて変化できたり、違う新しい形を追求できたりするのかなって思うので、今までの形に囚われることなく色んな状況に応じて、姿を変えながら応援の本質である誰かを元気づける、であったりとか誰かと一緒に、というところを大切にして欲しいな、って思ってます。

宮川 早慶っていうことでいうと、永遠に良きライバルであって欲しいなっていう部分があって。慶應の4年生の元リーダーたちとは下級生時代から仲良くしていて、他の4大学以上に関わりがあって、慶應のキャンパスまで走ったり早稲田まで来てくれたり、そのあと飯いったり。あと早慶戦で当番やったりって結構いろいろなところで思い入れ深くて、慶應のリーダーが活動できないってなった時に、自然と早稲田のリーダー同期全員が「慶應のリーダーの分も背負って俺たちやんないといけないよね」ってなったので、良きライバルでありながら自然と支え合う気持ちが芽生える関係を築いて欲しいなって思いますね。そうすれば多分試合中はガンガンぶつかっていても、終わったら一緒に楽しく飲めるっていうふうになると思うので。早慶の良きライバル、っていう姿を色んな人に見せられれば、それが魅力となってまだ見ぬ後輩たちも自然と入ってくると思いますし、お客さんもそういう姿に魅力を感じてもらえると思うので、そういった日頃の信頼関係を築いていって未来永劫、早慶両校良いライバルであり続けて欲しいですね。

――ありがとうございました!

(取材・編集 市原健)

お二人とも4年間お疲れ様でした!

◆宮川隼(みやがわ・はやと)

令和二年度早稲田大学応援部代表委員主将/新人監督/東京六大学応援団連盟委員長。千葉・稲毛高出身。人間科学部4年。キャンパスの前で売っている鯛焼きをベンチに座って食べるのが夢だと語る宮川さん。引退したら一人暮らしの家で一度も電源の入ったことのないテレビをつけてみるそうです!

◆菊池彩美(きくち・あやみ)

令和二年度慶應義塾大学応援指導部代表。東京・慶應女子高出身。法学部政治学科4年。今回取材をした早稲田アリーナは早慶戦などでも通った思い出の場所だったという菊池さん。引退してからも現役時代のように体を動かしていないと落ち着かないそうで、今はジムに通っているそうです!