【連載】『令和3年度卒業記念特集』第55回 安楽龍馬/レスリング

レスリング

妥協しない生き方

 「楽しくもあり、悔しくもあった」。安楽龍馬(スポ=山梨・韮崎工)は、早大レスリング部で過ごした4年間をこのように表現した。高校時代に「全てが練習試合」と教わり、試合はもちろん日々の練習から、勝利の喜びも敗戦の悔しさも味わってきた。そうして周囲からは「人一倍自分を追い込む」とも紹介される安楽のレスリング人生について、話を伺った。

 レスリングとの出会いは「運命」。競技者だった父親の影響もあり、3歳の頃気付けば始めていたという。父親の指導の下でレスリングを続けた安楽だが、中学生の頃に父親と衝突。レスリングからも離れてしまった。しかし、両親の悲しむ姿を目の当たりにして、高校入学前に再起を決意する。そうしてストイックな環境を求め、千葉から山梨の名門・韮崎工高に進学した。両親に迷惑をかけまいと親元を離れたことで「支えられてきたことを痛感した」。「まだまだ未熟者ですけど」と笑って前置きしながら、高校生活を通じて「レスリングだけではなく、人として成長できた」と語る。

2019年のインカレ、フリースタイル65級で2連覇を決めガッツポーズする安楽

 そんな安楽が早大を進路として意識したのは、高校3年生の春だった。早大レスリング部の「自主的に」「考えながら」レスリングができる環境や、練習に参加した際に感じたチームの居心地の良さに惹かれたという。高校を卒業し、実際に早大レスリング部の一員となった安楽は、その練習環境、練習相手の充実ぶりをすぐに実感した。安楽自身も、それまでずっと表彰台の常連だったが、入部当初は「部員一人ひとりのレベルが高く、歯が立たなかった」という。当時の4年生に「ぼこぼこに」され、練習後に悔しさで涙を流すこともあった。しかし、負けず嫌いな安楽にとって、この悔し涙はさらなる成長を促した。1年生で全日本学生選手権(インカレ)を制すと、翌年はインカレを含め学生大会2冠を達成。さらに同じ年に、シニアの国際大会でも優勝するなど、日々の練習の成果が着々と表れていた。

 こうして2年間、のびのびとレスリングに打ち込んだ安楽は、3年生で主将に抜擢された。もともとキャプテン気質ではなく、部内でもムードメーカー的存在。予想すらしていなかった出来事に、新型コロナ感染拡大による大会の中止も重なり、悩みを抱えることも増えたという。そんな時に安楽を支えたのが、1学年上の4年生。「みんなで主将だった」という言葉通り、相談する前に声をかけてくれる先輩の存在が心強かった。

2021年のインカレ、後輩の試合でコーチを務める安楽(左から2人目)

 その4年生も卒業し、安楽は最上級生に。主将として「結果を残してOBや先輩方に報告したい」と考えていた。そんな中、ラストシーズン前半は、昨年に引き続きリーグ戦の中止が発表され、チームの士気も下がり気味。しかし安楽は、「今はまだ20代前半。ここで妥協した生き方をするのは嫌だった」。そんな強い想いをチームで共有し、皆が主体性を持って練習する環境づくりを目指しながら、試合に向けた準備を進めた。迎えたラストシーズン後半、安楽自身は全日本大学選手権で3位、天皇杯で2位と、目標とした優勝には一歩及ばず「悔しいの一言に尽きる」シーズンに。「かっこいい主将になりたかった」と心の内を明かした。しかし、チームとしては全日本選手権(明治杯)王者やインカレ王者が生まれるなど多くの部員が結果を残し、充実のシーズンに。安楽も「1試合1試合感動した。全員の試合が印象に残っている」と主将らしく振り返った。

 安楽にレスリングとは、と尋ねると「命。レスリングで食っていきますから」。卒業後も社会人として競技生活を続けるという安楽。直近の目標は2年後のパリ五輪で金メダルを獲得することだ。「人生の財産の1つになった」早大での4年間を生かし、新たな環境でもストイックに高みを目指す。

(記事 鬼頭遥南、写真 林大貴氏、鬼頭遥南)