周りの人への感謝と恩返し
安定した試技でチームを引っ張る、早大ウエイトリフティング部主将宮下一心(社4=石川・金沢学院)。コロナに苛まれながらも常に周りへの感謝は忘れず、4年間を駆け抜けた。彼は何を思いバーベルと向き合ってきたのか。波乱万丈のウエイトリフティング人生を振り返る。
ウエイトリフティングとの出会いは偶然であった。高校のパンフレットである。競技の存在を知ったときに重いものを持ち上げることへの興味と自信を抱いた。成績が振るわなかったこともあり、小学校から9年間続けてきた柔道人生には終止符を打つことを決めた。
高校ではインターハイで個人3位、団体では優勝を決めた。「インターハイ優勝という価値のある経験ができ、ウエイトリフティングに出会えて良かったと思えた」と宮下は語る。
そんな輝かしい成績を収めた宮下が早大を志望したきっかけは、顧問の先生からのアドバイスであった。周りに東京の大学に進学する生徒は少なかったが、インターハイでの経験を活かしたいという思いと、ウエイトリフティングだけでなく勉学にも打ち込みたいという考えを貫き、入学を決めた。
しかし入学後の実際のキャンパスライフでは思いがけないことも数多くあった。高校とは違う、大学の部活動として活動していく難しさを、宮下は「主将」という立場から痛感することとなったのである。普段の練習姿勢や真面目な性格が評価され主将に選ばれたが、大きな組織をまとめることには多少の不安があった。常に主将としてどうあるべきか悩み続けながら1年を過ごしたが、未だに自分の中でできていなかった部分があったのではないかと振り返る。そのような中、悩む自分の近くで声を掛けてくれた同期には感謝をしている。「主将として自分の力で何かを成し遂げたとは言えないが、自分が主将として存在することで同期を始めとする部員個人個人が精一杯プレーをするサポートができたのだと思う」と最後までそれぞれの部員が伸び伸びと活動できるように支えていた姿が伺えた。
コロナウイルス感染拡大による厳しい活動制限に頭を抱えたことも何度もあった。ウエイトリフティング自体は個人でバーベルを挙げる競技であるが、そのスキルアップのためにも練習を通して部員同士でコミュニケーションを取ることの大切さを宮下は知っていた。試行錯誤を重ね、大人数での接触を避けつつも上級生が下級生に目を配ることができるような少人数グループ制度を構築した。自分たちの代でコロナ以前に行われていた交流を途切れさせないための工夫である。果たしてウエイトリフティングは「個人競技」なのか。一人一人が現状の記録に満足せずに更なる高みを目指すためには、周りからの刺激が不可欠であると宮下は語る。「一緒に練習する」、それこそが個人のレベルアップに繋がるのであり、早大という「団体」で仲間と切磋琢磨することに強い意義を見出しているのである。
試技に臨む宮下
宮下は主将として活動を続けるにあたって自分がどれだけ周りの人に助けられてきたかが分かったという。「自分一人の力では何もできないのだ」と周囲の力の大きさに気付かされた。上京して早稲田に入学することを認めてくれ、サポートをしてくれた家族への感謝も口にした。「ここまでウエイトリフティングを頑張ってこれたのは、本当に沢山の支えがあったから」。自分がこの競技を続けたいという強い思いがあったのはもちろんだが、それ以上に今まで自分を支えてくれた周りの人へ感謝と恩返しを「結果」という形で示したかった。主将としての自分自身に百点満点で点数を付けるとしたら「10点にも満たない」と語る宮下だが「それを同期や後輩の力のおかげで80点ぐらいまでは上げることができたかな」と最後まで周りの存在の大きさを忘れない。
想像の何十倍も多くのことがあった。充実していた自身のウエイトリフティング人生を一言で振り返ると「波乱万丈」。大学入学時に思い描いていた華やかな学生生活はコロナによって奪われてしまったが、「みんながいたからこそ最後まで続けてこれた」と同期に感謝すると同時に「自分自身あっという間の大学生活だった。コロナの制限がなくなってきている今、後悔のないように残りの日々を過ごして欲しい」と後輩へ伝えたい思いも語った。
大学卒業後は就職をせずに、個人として今までの経験を活かし競技を続けていくつもりだ。そしてウエイトリフティングの認知度を上げるための活動もしていきたいと夢を語る。高校のパンフレットでたまたま出会ったウエイトリフティングだが、自分が柔道を諦めたように他の競技で思うような成果を残せなくても、ウエイトリフティングで花を咲かせることができる人材が眠っているのではないか。そんな思いで宮下はこれからもバーベルと向き合っていく。
(記事、写真 池上楓佳)