【連載】『令和2年度卒業記念特集』第49回 知念勇樹/ウエイトリフティング

ウエイトリフティング

学ぶ姿勢と感謝を忘れずに

 大学生活を振り返って早稲田大学を「学びが多いところ」と表現したウエイトリフティング部知念勇樹(スポ=大阪・関大第一)。高校時代の個人成績も十分に早大へと入学したにもかかわらず、どのような状況でも学ぶ姿勢を崩さず、周りへの感謝を忘れない知念に早大ウエイトリフティング部で過ごした4年間について伺った。

 知念がウエイトリフティングを始めたのは小学4年生のときのことであった。両親が競技関係者ということもあり、ウエイトリフティングは常に身近な存在であった。遊び感覚で練習場に行っている過程で競技にのめり込んだ。知念が進学した関大第一中にはウエイトリフティング部はなかったが、付属の関大重量挙部で大学生に混ざり、週2~3回練習を行った。高校進学後も同大学重量挙部で週5回練習を積んだ。中高時代から圧倒的なパワーと技術を誇る大学生を間近で見ていたからこそ、目で見て学び吸収する姿勢を培うことができた。挙上する重量が重いが故の怪我に悩まされたこともあったが、そのたびに自分の体と向き合い、けがをしないよう自分の頭で考えた。

最後のインカレで3位に輝いた早大ウエイトリフティング部

 早大進学を決めたのは高3夏のことであった。選手層や成績などの競技面や教職課程などの勉強面を考慮しつつ、自分の可能性を広げるために総合的に判断し、早大ウエイトリフティング部の一員になることを決意した。本格的に部活に参加するのは初めてということもあり、上下関係や一人一人に割り当てられる仕事量、さらには練習の質の違いなど驚くことがたくさんあった。1、2年生の時は授業など勉学との両立にも苦しみ、世界のトップを目指すという目標との隔たりを感じることもあったという。しかし、3年生になり授業数が減り生活にゆとりが出ると、部に貢献するという自分らしさを出せるようになった。3年生の全日本大学対抗選手権(インカレ)後、主将という役割を通じて人間的にも成長してほしいという期待も込められ、上級生から主将に任命された。

 しかし、主将就任直後から新型コロナウイルスがまん延し始め、新入部員が入り新体制を作り上げようというタイミングでチームの一時解散が余儀なくされた。地下2階という練習環境や40人を超える部員数を考慮し、全体でそろっての練習を行うことは困難になった。さらに、卒業論文や教育実習などの時期もずれ主将自身の学業にも新型コロナウイルスの影響が及んだ。主将としてしっかりしなくてはという気持ちが先走り、主将としての役割を果たすことが出来ているか不安に感じることも多かったという。知念はそんなときに客観的なアドバイスをくれたり、ときには「今のままでは頼りないよ」と厳しい言葉も投げかけてくれたりと積極的にサポートをしてくれた同期への感謝を忘れない。そして、最後に迎えたインカレ。最初は階級を上げる予定で増量を行っていたが、むしろ階級を下げた方が団体順位が良くなるのではないかということがシミュレーションでわかり、悩んだ末増量から一転、85㎏まで増やした体重を67㎏まで下げる大規模な減量へとかじを切った。大学卒業後も競技は続けるが、大学生として出場する試合はこれがラスト。1点でも多く得点を稼ぎ、団体順位を引き上げたいという主将としての覚悟による決断だった。結果的には減量によるパワーの減少で得点をとることはできなかったが、チームメイトの活躍により11年ぶりにインカレで団体3位に輝いた。知念をはじめとした選手全員がチームのためにと目標を一つに団結した結果である。

 初めて主将という立場に立ち、知念は常に部のために努力を続けていた。過去の主将のあり方を研究し、本を読むなど自主的な勉強をすすめる一方で、主将として部内外のさまざまな立場の人と接する中でも刺激を受け、肥やしへと変えた。そして、自分を成長させてくれた人や環境への感謝も忘れない。大学卒業後は早大スポーツ科学学術院へと進学し、ウエイトリフティングを続ける。大学在学中に伝えきれなかったことを後輩へ伝えたいと知念は語る。競技のみならず、人間性などの私生活すべてに実直に取り組む姿はこれからも後輩へと影響を与え続けていくことだろう。

(記事 土生諒子、写真 ウエイトリフティング部提供、土生諒子)