【連載】『令和4年度卒業記念特集』第57回 岩本大吾/男子バレーボール

男子バレーボール

苦悩の果てに

「全日本インカレ6連覇」―—。今季この男が嫌というほど耳にし、苦しめられた言葉だろう。3年の秋に主将に就任し、チームを全日本インカレ5連覇へと導いたのが、MB岩本大吾(スポ=兵庫・市尼崎)だ。他の同期主将よりも一足先に主将となり、「大学日本一」を成し遂げてしまった。華々しい結果を残したのに、いや残したからこそ岩本は1年間苦悩した。岩本の主将としての1年半、そして早稲田での4年間に迫った。

 両親の影響でバレーボールと出会った岩本は、中学入学と同時にバレー部に入り、本格的にバレーボールの世界へと誘われていく。高校はバレーの強豪・市尼崎高に進学。高3時のインターハイでは、大塚達宣(スポ=京都・洛南)、中島明良(法=京都・洛南)らを有する洛南高を決勝で破り、日本一に輝いた。その後は、「良い選手がそろっていて、バレー以外の勉強面や私生活も充実できる」ところに魅力を感じ、早稲田大学を進学先として選択した。こうして、岩本のバレーボール人生の第3章が幕を開けた。

 入部当初は、皆が一度は通る「高校と大学のバレーの違い」に戸惑ったという。今までのように監督に言われたことをやるだけなく、学生主体の環境で「自分で考える」必要があり、初めての経験に難しさを感じていた。また、クイックもこれまでよりもスピードが上がり、ブロックシステムも変化。ついていくのに精一杯だが、1年生の仕事をこなしながら、大学のスタイルに慣れるため日々懸命に努力を重ねた。そんな中でMBとして身長で少しハンデを背負っている分、自分らしい強みを見つけなければいけないと感じるように。村山豪(令2スポ卒=現ジェイテクトSTINGS)の姿に刺激を受け、ブロックのしつこさや、つなぎでの粘り、動きの速さ、を求めていくことを決め、これが後に「将来の理想の選手像」となる。

 1年目の「部の仕事」という試練を乗り越えた岩本だったが、2、3年目にはコロナで試合が満足に行われないもどかしさに苛まれた。そんな中、大学3年の秋に2つの転機が訪れる。試合へのスタメンでの出場と、シーズン途中の主将就任だ。初めての経験に同時に襲われた岩本は、一杯一杯の状態に。だからこそ、とにかくチームのために、まずは自分自身がしっかりプレーをすることを考えた。周りの助けもあり、チームは見事全日本インカレ5連覇を達成。充実感のあるシーズンを終え、最終シーズンへと突入した。

チームメートの得点に笑顔を見せる岩本

「この1年間は正直、バレーボールがきらいでした(笑)」。全日本インカレ6連覇が懸かったチームを率いることは、容易ではなった。「勝たなければいけない」。その重圧に主将として、選手として何度も押しつぶされそうになり、その度に苦悩し続けた。序盤こそは、春季リーグ戦でも順調に勝ち続け、黒鷲旗全日本男女選抜でV1チームから勝ち星を挙げるなど、チームも本来の「強さ」を発揮していた。だが黒鷲旗明けの春季リーグ・順大戦でフルセットの末に敗れ、そこから徐々に歯車が狂いだしていった。
「ずっとチームの何かを変えなければいけないという思いはあった」。
主将として、このままではいけないと懸念しながらも、「僕が何かを言ってチームの雰囲気がもっと悪くなってしまったら」と誰よりもチームの事、周りの事を考えた岩本だからこそ、何もできなくなっていった。さらに6月に行われた東日本インカレで、チームは勝負どころで筑波大に僅差負け。勝つべき試合を落としてしまうチームの弱さに危機感を感じ、「もうこんな思いはしたくない」と、秋に向けてもう一度チームを夏の期間に見直す必要性を感じた。

 だが秋になってもモヤモヤが消え去ることはなかった。自分の理想とするプレーが発揮できないもどかしさ、スタメンを外れた悔しさ、さらに完全にまとまりきらないチーム状態にも頭を抱えていた。
「自分なにしてんねやろ」。
そんな気持ちとは裏腹に、チームは息を吹き返したかのように、秋季リーグ戦を順調に勝ち続けていた。だが優勝が懸かった大一番、再びあと一歩のところで敗れる悔しさを味わうこととなる。度重なる試練に、モチベーションを取り戻せずにいた岩本であったが、時間は止まることなく無慈悲にも迫ってくる。「あと少しで引退という中で、今までは勝てていなかったから、後輩のためにも頑張ろうと思った」。インカレに向けてどうにか気持ちを入れ直し、岩本は再出発を遂げた。

早慶明戦で笑顔を見せる岩本、一番楽しくプレーできたのが明治戦だったそうだだったそうだ

 そして迎えた全日本インカレ。順調に準決勝まで到達した早稲田であったが、そこでフルセットの末に惜しくも敗北となった。どんなに苦しい時でも「インカレで優勝する」ために鍛錬し続けてきた岩本にとって、その残酷な現実は受け入れがたいものであった。切り替えるしかないとはわかっていても、負けたという実感は沸かない。ただあるのは、明日の舞台が決勝ではなく、3位決定戦だという事実のみだった。それでも「みんなが笑って終われるチャンスがある」。3位決定戦に残された使命は、「後輩のために、笑顔で最後を終える」こと。その一心で最終日に臨んだ。
「ノンプレッシャーでプレーするみんなは、外から見ていてもほんまに強いなって思いました(笑)」。
3位決定戦、何かから解き放たれたかのように伸び伸びとプレーする同期、後輩たちを見てこう思ったという。最後にこれだけの力が出せたのも、1年間の積み重ねがあったから。岩本自身も、「1本、思い切ってサーブを打つことができましたし、悔いはないです」と力強く言い切った。

3位決定戦でサーブを打つ岩本

 決して楽しい事ばかりではなかったが、早稲田での4年間は岩本の人生に、「かけがえのない経験」として刻まれている。さまざまな価値観を持つ人と、バレーボールを通じてつながり、「日本一」に向けて切磋琢磨(せっさたくま)した日々は、間違いなく人生の財産だ。「もう一度日本一を取りに行けるように頑張りたい」。岩本のバレーボーラーとしての人生は続く。過去を振り返るのではなく、ただ前を向いて。「自分の頑張り次第でどこまででもいける」と強く意気込みながら。苦しみ、頭を抱え、それでも道を切り拓こうともがき続けた中で得た力は、誰にも得難い岩本だけのものだ。その誇りを胸に、岩本は新たなステージへと羽ばたいていく。

(記事 山田彩愛、写真 五十嵐香音、山田彩愛)