大塚達宣の世界と戦うメンタル 高校編「みんながしんどいときに自分は頑張る」

男子バレーボール

苦しい場面ですさまじい力を発揮

高校2年時の春高予選でスパイクを決める大塚

 5月1~2日に行われた日本代表と中国代表の国際親善試合(東京チャレンジ)の2日目。3セット目の18-24と日本が劣勢の場面で大塚達宣(スポ3=京都・洛南)にサーブが回ってきた。大きなプレッシャーがかかりミスをしてもおかしくない場面だが、強気のサーブで守備を乱し攻撃枚数を絞る。特定の選手へのブロックが厚くなったことで、相手のスパイクミスを誘発した。結果、21-25でこのセットを落としたものの、大塚のサーブでブレイクし中国を追いつめることができた。

 大きなプレッシャーがかかるときにすさまじい力を発揮した試合はこれだけではない。洛南高校時代、2年生エースとして全日本高等学校選手権大会(春高)の京都府予選決勝でチームを勝利に導いた。相手は、現在日本代表でともにプレーする髙橋藍(日体大2年)を擁する東山高校。京都府予選の決勝で常に対峙する宿敵ということもあり、2セット目は41-43になるほどの激闘だった。3セット目からは大塚の対角、セッター、リベロが足をつり、離脱するというハプニングが発生。ミドルブロッカーは途中出場したセッターとコンビを合わせる練習をしていない。ライトの吉田悠眞(スポ4=京都・洛南)は守備固めで起用されている。攻撃陣で頼れるのは大塚のみだった。ミドルブロッカーとして出場していた中島明良(法3=京都・洛南)は当時の大塚をこう振り返る。「達宣はいつでもプレーが安定しているが、あのときは120%の力が出ていた。『全部自分にトスを持って来い』と言って実際にちゃんと決めていて。こんな力を隠し持っていたのかと驚いた」。ほとんどのトスが大塚に上がる。当然徹底して相手ブロックはついたが、迷わず振りぬき強烈なスパイクを突きさす。ベストメンバーではなかったものの、3、4セットを連取し、春高への切符を手に入れた。

 プレッシャーがかかる場面でも、普段通りのあるいはそれ以上の力を発揮することは難しい。その強さはいったいどこから来るのか。「強心臓なのは、普段からさぼらず丁寧に練習するから、どこでも、どんなときでも、自分を信じ切れているのだと思う。だからプレッシャーを感じてうまくいかないことはあまりないし、6年間一緒にいて調子にムラのある達宣を今まで見たことがない」。

達宣は努力の人。決してセンスだけでやってきたわけではない

3年時の春高決勝でハイタッチをする大塚(左)と中島

 「達宣は努力の人。決してセンスだけでやってきたわけではない」。洛南高校時代の恩師である細田哲也監督はこう話した。どのような状況でも安定したプレーができていたのは、決して練習をおろそかにすることはなかったからだという。試合のない期間でチームの雰囲気が緩んでいたときも、テスト前で軽い練習メニューだったときも、1日1日を大切に、一つ一つのプレーを丁寧にしていた。攻撃だけでなく、190センチを超える大塚には難しいと思われるレシーブも怠ることはなかった。腹筋の肉離れを起こしていたときでさえも、痛みを隠して練習しようとしていた。「本人は『痛くない』と言い張っていたが、部員を卒業生の病院に通わせているため、そこからけがの情報が入ってくる(笑)。痛そうにしていたら、強制的に練習をやめさせたこともあった」。

もっとわがままなエースになりなさい

 練習でも試合でも、みんながしんどいときに自分は頑張る。そのような大塚の姿を見て、人のために動くことに恐ろしい力を発揮すると感じた。あまりにも他人のことを優先するため、あえて大塚を主将にしなかった。1年時から学年の責任者にはなっていたものの、もし主将という大役を任せると他のメンバーにばかり意識が行きすぎて、自分のプレーを後回しにするのではないかという懸念が細田監督にはあった。

 その謙虚な姿勢は自身がピンチに陥ったときでも。3年生の春高の優勝が懸かる場面で2本連続でスパイクをミスした大塚に細田監督が声をかけた。焦る様子はありながらも、落ち着いてアドバイスに耳を傾けていた。「あの謙虚さは家庭環境にあると思う。常々感謝の気持ちを持つように達宣に言っていたんだろうなとすごく感じる」。日本一になったときのヒーローインタビューでは「みなさんのおかげで」ということを度々口にしていた。それ以外のインタビューでも「させていただく」や「感謝しています」といった言葉が度々出てくる。

 謙虚さや人のために頑張れる優しさは、大塚の強さにつながっている。だが、もっと厳しい勝負の世界に行ったときに、それが弱さとして出てしまうのではないかという心配を抱いている。3年間、細田監督は大塚にこう口酸っぱく言ってきた。「勝負の世界に行くのなら、もっとわがままなエースになりなさい」。

(記事 西山綾乃 編集 手代木慶 写真提供 広瀬彩さん)