塚田コーチが勇退、早大支えた陰の功労者

男子バレーボール

 小柄な体を目一杯に使って、選手に力強いボールを出す一人の若い男性。試合が始まるとノートパソコンを膝の上に乗せ、ベンチで静かに試合の行方を見つめる。塚田圭裕コーチは指導者、そしてアナリストとして早大男子バレーボール部を支えてきた。昨年度、チームは東日本大学選手権で優勝し、全日本大学選手権では3位。好成績を収めることができたのは、選手の自主性を重んじる指導と緻密なデータ分析をした塚田コーチの存在があった。

 母親の影響を受け、小学5年生からバレーボールを始めた塚田コーチ。クラブチームから地元・神奈川の高校を経て、関学大に進学する。明るい性格が買われて、1年時からピンチサーバーとして起用された。出場機会を得ていた一方で、一つの思いを抱いていた。「もっと広くチームの勝利に貢献したい」。そして、2年時に転機が訪れる。西台耕平コーチ(現・関学大監督)にアナリスト転向を勧められ、それを引き受けた。周りに専門的な知識を持つ人はおらず、最初は手探りだったという。「1試合を3時間かけて映像を止めながらやったんですけど、終わったら何のデータも出てこないことがありました」。笑いながら当時の苦労をそのように振り返る。イタリア語と英語のマニュアルを読みながら、地道な努力でスキルを身に付けた。

試合前のアップで、大きな声を出しながら球出しをする塚田コーチ

 大学卒業が近づき教員になろうと考えていたが、ある出来事が進路を変えることになる。東日本と西日本の代表が対戦する全日本大学選抜東西対抗戦で、西日本代表のアナリストとして声が掛かったのだ。高いレベルの選手たちと共に過ごした一週間。「バレーって面白い、もっとすごい世界があるんだなと気付きました」。専門的な知識を身に着けたいと思うようになり、定期戦でなじみのある早大の大学院へと進学を決める。学業に励みながらバレーボール部に加わった。

 松井泰二監督(平3人卒=千葉・八千代)から学び、大切にしている指導方針がある。「自分はこう思っているからこうしなさいというのではなく、学生がどう思っているのかを探ることが大事ですね」。コミュニケーションを積極的に取り、選手が自ら問題点に気付けるようにすることを心掛けているという。塚田コーチを語る上で欠かせないのが、松井監督不在で臨んだ東日本大学選手権だ。大会中は細かな指示をせず、学生の自主性に全て委ねた。福山汰一前主将(平28スポ卒=現ジェイテクトSTINGS)を中心に選手同士が話し合いを重ね、成長したチームは16年ぶりの優勝を果たす。「自分は何もしていません」と謙遜するが、選手たちが主体的に動けるまで成長できたのは、松井監督と二人三脚で指導してきた成果だと言えるだろう。

全日本大学選手権の3位決定戦では涙を見せた

 2015年12月6日の大田区総合体育館。早大は全日本大学選手権で明大との3位決定戦に臨んでいた。大学院の卒業を控えている塚田コーチにとって、これがチームに帯同する最後の試合だった。アナリストの阿部あずさ(平28スポ卒=神奈川・洗足学園)とデータを分析し、松井監督や選手に伝える。ゲームは早大がフルセットの末に勝利。コートサイドに立つ塚田コーチの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。「努力とかあいまいなものではなくて、練習は裏切らないということの意味が分かりましたね」。選手から銅メダルという最高のプレゼントをもらい、有終の美を飾ることができた。今後はコーチとアナリストを兼ねて、女子Vリーグプレミアリーグのチームに活躍の場を移す。国内最高峰の舞台で、トップレベルの選手を輝かせるために――。早大を陰で支えてきた功労者は、新たな一歩を踏み出した。

(記事 渡辺新平、写真 渡辺新平、吉原もとこ氏)