【連載】『平成27年度卒業記念特集』 第31回 阿部あずさ/バレーボール

男子バレーボール

開拓し続けたデータの道

 早大バレーの勝利の条件。それは、緻密なデータだ。いまや早大の代名詞とも言えるデータバレーの基礎を築き、長として支えてきたのはアナリストの阿部あずさ(スポ=神奈川・洗足学園)。阿部は「さまざまな人との出会いや経験をさせてくれたバレーボールに感謝をしている」と自らのバレー人生を振り返って笑顔でそう語った。しかし、阿部にとって早大でのアナリストとしての日々は苦難の連続だった。たどり着いた先で、この4年間を笑顔で振り返ることができたわけとは。阿部の知られざる4年間に迫る。

 高校ではプレーヤーとしてバレーボールをしていた阿部がアナリストを志したきっかけは、当時全日本女子バレーボールのアナリストだった渡辺啓太さんに憧れを抱いたからだ。強豪校でやってみたいという理由から早大への進学を決めた。もともと女子部に入るつもりだったが、半ば引きずり込まれるかのようにして男子部にアナリストとして入部することとなった。男子部が1部だったこと、そして全日本のアナリストの手伝いをした経験を持つ松井泰二監督(平3人卒=千葉・八千代)が男子部に来たことがその理由だ。しかし、阿部を待ち受けていたのは暗中模索の日々だった。データは阿部が入部するまでほとんど無に等しい状態。ゼロから始めるに当たってどこを目指すべきなのかもわからない。本を読んだり、資料を真似し、試行錯誤しながら道なき道を歩き始めた。大学リーグで活躍する選手たちに新参者の自分がデータを渡してよいのか。信頼してもらえるのか。何度も怒られ、不安や葛藤に毎日涙を流した。

唯一の同期である福山とハイタッチする阿部

  アナリストの仕事量は膨大だ。試合期にはリーグ全大学の試合を撮影し、そのデータをミーティングで共有する。早大の試合中はデータをリアルタイムで送り、結果はその日のうちにフィードバック。試合期が終わり、選手たちがオフのときもリーグ戦でのデータを処理し次の練習に向けての準備を行った。一人で行うにはあまりにも多くの仕事を阿部は一切妥協することなくやり続けた。その結果が出たのは2013年全日本大学選手権(インカレ)での優勝だ。少しずつ整い始めたデータの基盤。選手たちからの感謝の言葉から感じる築かれた信頼。それらはアナリストとしての手ごたえを与え、何度も折れそうになった阿部を立ち直らせた。

 そして、迎えたラストイヤー。福山汰一主将(スポ=熊本・鎮西)を中心にデータを積極的に取り入れたチーム作りを行った。その結果、チームは東日本大学選手権優勝を果たす。しかし、阿部自身はアナリストと就活生の二足のわらじを履き、思うように練習や試合に行くことができず、もどかしい思いを抱えていた。そんな中、引退が近づき資料を整理していたときに見つけたのは1年生のころに作ったデータの資料だった。現在のものに比べ原始的な資料。「自分はこんなものから作り上げてきたのだな」。積み上げてきたものが自分もチームの一員として貢献できているのだということを強く感じさせた。泣いても笑っても最後のインカレ。どの試合も阿部は誰よりも近くで選手たちにデータを伝え、共に戦った。3位決定戦の勝利が決まった後、阿部と福山は強く握手をし、顔には満面の笑みが浮かんでいた。暗中模索の日々に光が差した瞬間だったに違いない。

 「まさかこんなところまで来られると思っていなかった」。少し驚いたような口調でそう言った。しかし、それは決して偶然ではない。目指すべき場所も進むべき道もわからないままただひたすらに早大のデータバレーを開拓し続けた4年間。苦難を乗り越えながら、妥協せず積み上げてきたものは確かに結果へとつながっていた。大学卒業後はバレーから離れることを決めた阿部。新たな道の続きは後輩へと託す。

(記事 藤原映乃、写真 吉原もとこ氏)