往路を3位で折り返したものの、10区で国学院大にわずか10秒差で敗れ、4位に終わった早大。本記事では、復路を走った選手と花田勝彦駅伝監督(平6人卒=滋賀・彦根東)のコメントを掲載する。
花田勝彦駅伝監督(平6人卒=滋賀・彦根東)
往路は1区から3区はハイレベルな難しいレース展開の中で、粘り強い走りを見せてくれました。 2区山口(山口智規、スポ3=福島・学法石川)はややオーバーベース気味の入りでしたが、そのことで他大学のエースたちもハイペースに巻き込まれて後半伸びなかった面もあったように感じます。 山口智には箱根に留まらず世界を目指してほしいので、今回の経験を今後の糧にしてほしいです。 1区間瀬田(間瀬田純平、スポ3=佐賀・鳥栖工)は見事な走りでしたし、3区山口(山口竣平、スポ1=長野・佐久長聖)も1年生らしからぬ堂々とした走りでした。 4区長屋(長屋匡起、スポ2=長野・佐久長聖)は、昨年春のどん底からよくはい上がってきて立派につないでくれました。 5区工藤(工藤慎作、スポ2=千葉・八千代松陰)に関しては、言うことなしの素晴らしい快走でした。
復路は、6区山﨑(山﨑一吹、スポ2=福島・学法石川)は想定を上回る走りでした。もちろん本人の頑張りもありましたが、草野(草野洸正、商4=埼玉・浦和)、和田(和田悠都、先理4=東京・早実)ら、メンバーには入りませんでしたが、日野(日野斗馬、商4=愛媛・松山東)ら下り攻略を夏から取り組んできた4年生たちにも感謝しています。 7区から9区の伊藤(伊藤大志駅伝主将、スポ4=長野・佐久長聖)、伊福(伊福陽太、政経4=京都・洛南)、石塚(石塚陽士、教4=東京・早実)に関しては、3位争いというプレッシャーがかかる中で、本来の走りができなかったところはあったかもしれません。10区菅野(菅野雄太、教4=埼玉・西武学園文理)の、国学院大相手に一歩も引かず、果敢に攻めた走りには胸が熱くなりました。最後は競り負けてしまいましたが、設定をクリアするタイムで力を出し切りました。 目標としていた3位が見えていただけに悔しい4位となりましたが、来年につながる収穫も多くありました。 他大学では体調不良やケガで出れない選手もいたようですが、早大は16名が全員走れる状態で大会を迎えました。それが今回の4位という躍進につながったと思いますので、リザーブに回った選手たちに感謝しています。4年生の選手たちは最後の箱根駅伝ですが、3年生以下の選手たちには来年もありますので、今度は自分が快走してチームを優勝に導くのだというくらいの強い気持ちで明日からまた練習に励んでほしいです。
6区 山﨑一吹(スポ2=福島・学法石川)
――本日のコンデションはいかがでしたか
暖かく、安心してスタートできました。
――往路3位からのスタートでしたが、レース前はどのような心境でしたか
とにかく目立てることが嬉しかったです。失敗しても4年生たちがいるので不安はなかったです。
――レースプランはどのように考えていましたか
できるだけ前を追いかけて、後ろが来たらついていくというものでした。
――設定した目標を具体的に教えてください
59分00秒、区間7・8位くらいでした。
――芦ノ湯の地点では区間13位でしたが、まず上りの走りを振り返っていかがですか
無理せずに走り出すことができていたのでポジティブに捉えていました。
――伊藤蒼唯選手(駒大)に追いつかれたときは何を考えていましたか
最後の平坦がきついのでそこまではついていきたいと考えていました。
――下りに入ってからの走りは振り返っていかがですか
ブレーキをかけずに走ることができました。ダメージも少ないので良い走りだったと感じます。
――最後の平地は振り返っていかがですか
動かない中でも頑張ることができました。
――58分46秒、区間5位というのはどのように評価しますか
そこそこ満足していますが、まだ伸ばせる部分はたくさんあると思います。
――現在の足の状態はいかがですか
ダメージは少ないです。
――初めての東京箱根間往復大学駅伝(箱根)、3大駅伝デビューでしたが、率直に、どんな20・8キロでしたか
応援がここまで最後の踏ん張りに影響を与えると思わなかったです。監督車がない中、心細かったですが、勇気をもらいました。
7区 伊藤大志駅伝主将(スポ4=長野・佐久長聖)
――7区起用が決まったタイミングや起用の狙いについて
12月から調子が上がらず、残り2週間を切ったあたりからなんとか出走のめどが立つところまで戻ってきました。練習量は積めていましたが、往路を走ることができるクオリティの練習を積むことができなかったので復路7区への出走となりました。
――往路の選手たちの走りはどう映りましたか
目標であった3位以内にむけて、正直出来過ぎだと思うくらい良い位置でのレース展開でした。一時は順位を落とす場面もありましたが、リカバリーし合う早稲田らしいレースだと思いました。
――往路を終えて、チームの雰囲気や復路に向けての話はどのような感じでしたか
目標であった3位以内へ順調に進んでおり勢いに乗っていました。それと同時に復路の選手、特に4年生は往路のレース直後から既にピリピリとした雰囲気になっていました。
――4位でタスキを受けましたが、どういった考え、プランでスタートしましたか
2、3位争いをしていた駒大、中大の選手は実力のある選手であり、前半からハイペースで入ることが予想されましたが、自分はそういった練習ができていなかったため、花田さん(花田勝彦駅伝監督、平6人卒=滋賀・彦根東)から出された想定タイム通りに走ることに徹しました。
――区間10位程度で推移していましたが走ってみての調子はいかがでしたか
前半は想定通りに走ることができていたが、余裕はあまりなく、後半は想定タイム内に抑えることで精一杯になってしまいました。
――沿道では短距離の選手が応援されてましたが、声援は届いてましたか
往路を走った選手、走れなかった同期、短距離の同期など、本当にたくさんの方々が応援に駆けつけてくれて、力になりましたし、競走部全体を巻き込んだチームづくりの成果が出たと感じました。
――大学最後の駅伝を走り終えての感想をお願いします
とても長い21.3キロで、長かった4年間を象徴しているようでした。最後の最後までもがき続けた駅伝だったと思います。
――タイムや区間順位についてどう振り返りますか
良くも悪くもやってきたことが出たな、という結果です。最低限のタイムで最低限の仕事でした。
――総合4位という結果について駅伝主将としてコメントをお願いします
目標としていた3位以内まで本当にあと一歩、手の中に入りかけた3位だっただけに本当に悔しいです。しかし限りなく目標に近づいた負けであり、胸を張れる悔しさだと思っています。
――出雲→全日本→箱根と順位を上げることができました。駅伝主将として引っ張ってきた、このチームをどう振り返りますか
1年時にシード落ちをした者の一人として、強い早稲田が戻ってきたなと素直に感じます。それをつくれたのは一緒に走ってきてくれた同期のおかげであるし、チームをかたちづくってくれた全ての選手、スタッフのおかげだと思っています。このチームで良かったと胸を張って言えると思います。
―― 来年度の後輩たちに向けてメッセージをお願いします
ここがチームの転換点だと思っています。僕たちは勝つチームの基盤をつくることはできましたが、勝てるチームにはできなかった。ここから先は勝てるチームづくりをしてほしいし、一人ひとりが勝てるチームの一員になってほしいと思います。
8区 伊福陽太(政経4=京都・洛南)
――箱根前のコンディションはいかがでしたか
刺激練習というか調整練習含めて、12月も割としっかり走り込めて、調子よく本番に臨める流れでは来ていいました。ただ、当日のアップの時ぐらいから体の状態がおかしくて、アップもいつもやっている流れを全部やらずに、途中で中断しました。いかんせん心拍がずっと高いままで、手足の震えとか寒気とか、めまいみたいな感じがあって。アップの最中というか、本当に直前になって調子を崩したという感じでした。
――タイムやレースプランはどんなものを想定していましたか
元々は64分30から64分50っていう設定を花田さんとも相談していて、練習の消化具合から見てそれぐらいはいけるだろうとレースプランを立てていたんですけど、 本当に今日イレギュラーなコンディションで。手足の震えが止まらなくて体に力入らなかったので、対応してくださっていた中継所にいたトレーナーさんに、「タスキをつなげるかどうか分からないです」と言うぐらい弱気になっていたんですけど。シードとは6分差があったので、最低限それだけは守って、絶対に10位以内で石塚(陽士、教4=東京・早実)に渡そうと思って。石塚と(10区の)菅野(雄大、教4=埼玉・西武学園文理)はしっかり練習できていたので、その2人を信じてなんとかシード内では渡せるように。あとはもうプラン云々じゃなくて、行けるとこまで行こうと思いました。全日本の時に脱水になって倒れる経験をして、あれはレースの途中からしんどくなったので対応できなかったのですけど、今回はスタート前からもう体の不調が出ていたので。1回経験しているので腹くくって、絶対タスキをつなごうということしか頭にはなかったです。
――トップとの差というよりもとにかくタスキをつなぐことを考えていたのですね
そうですね。3位以内を目指した中だったので、本当に申し訳なかったのですけど。もう絶対タスキだけはと考えていました。
――その中でも中大を抜いて4位から3位に順位を上げられましたが、どのような思いで前を追っていましたか
前を追っていたというか、走っている時の記憶がほとんどなくて。とりあえず、体にはもう全然力入らないので、気持ちでずっと押し切ってて、気づいたら中大が前に来ていたというような感じで。多分中大の選手も苦しい走りにはなっていたので、決して自分が速かったわけではないですけど。1つ順位を上げられたのは良かったのかなと思う反面、やってしまったなというか、最後の箱根だったのにほとんど覚えていないので、 そこは悔しいです。
――7区伊藤大志駅伝主将(スポ4=長野・佐久長聖)、9区の石塚選手と4年生同士のタスキリレーが続きました。タスキを貰う際、渡す際にそれぞれ何か話されましたか
石塚には多分一言何か声をかけましたが、そんなに話す余裕もなかったし、顔色あまり良くなくて目も死んでたので、大志からタスキもらう時もサングラスをかけて目見えないようにしたのですけど。後から中継の映像を見返したら笑顔が引きつってるけど、大志がタスキ渡してくれる時に、花田さんの「伊福笑顔でね」っていう声が中継車から僕に向かって飛んできたので、もう必死で隠して。本当に笑顔は引きつってましたけど、タスキもらって、最後石塚にタスキ渡して、カメラがいなくなるまでは倒れないようにしようとはしていたので。最後タスキのところだけでも元気にできたらよかったかなと思います。
――体調が悪くなってしまった原因に心当たりはありますか
全然分からないです。緊張してたのかなとも思うけど、何回も経験しているものなので、多分緊張ではないんだろうなと思って。終わって、タスキ渡して、 戸塚中継所の奥の待機場所に行ってからはもう立てなかったし、ただひたすら寒くて、目の焦点も合わず震えながら毛布にくるまれていました。戸塚の医療チームの方たちに暖かいところに運ばれて、点滴を打って慌ただしかったなという感じです。点滴を打たれながら、低血糖なのか低体温なのか脱水なのか、色々言われましたが、僕はずっとぼーっとしていたので、あまりちゃんと話を聞けなかったです。
――区間11位という悔しい結果になってしまいましたが、それについてはどのように捉えていますか
タイムも順位も全然良くないですし、結果的に国学院大に10秒差で負けているので、本当に悔しいんですけど、とにかく気持ちだけで21.4キロ押し切ったというか、もう遊行寺とかどんな感じで上ってたのだろうと今思うので、 走れて良かったかなとホッとはしました。スタート前は本当に棄権がよぎるぐらいでしたし、全日本でああいう感じになって調子が優れない中で走ることに対する怖さがあったので、歩くんじゃないかと。ただでさえ遊行寺は万全な状態で行ってもきついのに、このまま行ってどうなるんだろうという不安はすごくありました。まあ何も覚えていないんですけどね。
――最後の箱根路での走りを振り返っていかがですか
最後の箱根はほんとに覚えてないんですけど、終わってからは多くの応援してくれる人たちに連絡をもらいました。でも、走っていた場所が良かったのか、今回テレビにも結構映ったので。僕は全く記憶にないですけど、見てる人たちはそれなりに記憶に残ったのならいいかなみたいな。順位としては本当に悔しいですけど、最後は気持ちだけで走って。この体の状況で、 本当に気持ちで最後出しきれたのはもう良かったかなと思います。
9区 石塚陽士(教4=早実)
――当日のコンディションはいかがでしたか
向かい風予報なのは気になりましたが、調子としてはかなり良かったです。
――今年は初めての復路での出走となりましたが、決まったときの心境を教えてください
監督も宮岡(宮岡凜太、商3=神奈川・鎌倉学園)とギリギリまで起用を迷われていて、1/1の刺激練習の後に9区出走が決まりました。宮岡のためにも自分がしっかり走らないとと強く思っていました。初めての復路で今までと流れが全然違って、調整練習の方法だったり、往路を寮のテレビで応援したりとか、これまでしてこなかったことをやっていたので、なんだか新しい初めての大会のような気持ちでした。
――どのようなレースプランをたてていましたか
花田さんから具体的な想定タイムは頂いていて、ある程度はその通りに走る予定でした。ざっくりとしては前半の下り坂で落ち着いて走りはしつつ流れに乗って、後半平地になってからタイムを伸ばしていけるかというのを意識していました。
――レース前、花田駅伝監督からなにか指示はありましたか
前も後ろも間が空いていたので、自分のペースで落ち着きつつリズムを作って走って、9区で3位を決めようと直前の電話では指示されました。
――タスキを受け取る際、伊福さんとなにか声を掛け合ったりしましたか
正直何を声かけたかは覚えていませんが、お疲れ様!とかそのようなことをかけたと思います。
――中盤、国学院大に抜かれてしまいましたがその後どのような考えで走っていましたか
抜かれる際、正直着いていく足運びは出来そうになかったので、できる限り前が見える位置でアンカーの菅野が走れるようにと思いながら、離されずに粘ろうと思いながら走っていました。
――残り1キロを切ったところで抜き返しました。最後タスキを渡すまでどのような気持ちで走っていましたか
残り3キロ地点あたりから前と詰まりはじめているのが分かり、追いついてからもせめて総合3位の望みをつなげよう、可能性を上げようと必死に走りました。
――ご自身のレース全体を振り返っていかがですか
自分のところで貯金を全部使ってしまって、目標である総合3位ではなく4位を決定付ける走りをしてしまい、申し訳ないという言葉ではとても形容できず、何も言葉にすることができません。菅野に極限のプレッシャーを与えてしまいましたし、1から8区の走りを台無しにしてしまいました。せめてもの意地と根性で粘って抜き返した所以外、良い所なしのレースでした。
10区 菅野雄太(教4=埼玉・西武学園文理)
――本日のコンディションはいかがでしたか
疲労が抜けてくる中で状態も上がり、かなり良かったです。
――3年連続の10区出走となりましたが、出走が決まった時の心境を教えてください
アンカーを任せられた以上は、監督からの信頼に応えられるように万全の準備で臨まなければと感じました。
――10区出走が決まったタイミングはいつでしたか
12月21日に行われた最後の追い込み練習の後です。
――目標としていたタイムはどのくらいでしたか
1時間9分15秒です。区間3位を狙いつつ、上振れたらより良いタイムで区間賞を狙いたいと考えていました。
――花田勝彦駅伝監督からはどのような指示を受けていましたか
前に国学院大がいると思うが、後ろも近いので無理せず、後半に伸びてきて国学院大が見えたら3位を狙おうという指示を受けました。
――考えていたレースプランがあれば教えてください
国学院大との差が10秒以内であればある程度追う走りをして、それ以上であれば4位死守を第一に、後半にかけて国学院大を追っていこうと考えていました。
――国学院大とほぼ同時にタスキを受け取りましたが、タスキを受けたときの心境を教えてください
タッチの差で前に出ることになり、吉田君(蔵之介、国学院大)も実力者なので怖かったですが、逆に同時に来たのは3位を狙えということだと捉え、しっかり勝負をしようと気合いを入れました。
――ご自身の走りを振り返っていかがですか
単刀直入にいうと力負けだったなと感じます。相手が後半に強いタイプなのでラスト3キロの戦いだと分が悪いと思い、ある程度速いペースで揺さぶりながら消耗させて逃げ切れればと考えていました。新八ツ山橋を過ぎたあたりで様子をうかがったところまだ余裕がありそうだったので、田町以降で仕掛けられることを想定して、ペースを少し落とし、ついていく余力を残し備えていましたが、実際1キロ2分50秒前後に切り替えても対応しきれず、実力不足でした。そこは相手を称えたいです。一方競り負けてはしまったものの、限界近くまで追い込んで粘り強さと4年生の意地は見せられたかなと思います。
――最後に、チーム全体の結果を振り返っていかがですか
まず、目標である3強崩しまであと10秒だったことは、1人あたり1秒でもあるので各々1秒の重さを痛感したのではないかと思います。総合順位である4位に関して、悔しさは大きいですが価値のある4位だと感じています。これまでは3位以内と言いながら3強の背中が遠く、勝負できる段階ではなかったですが、今回は3位以内で走っていた区間も多く、来年以降より上位を目指していく上では駒大や国学院大と勝負できたことは必ず経験として生きてくると思います。