【連載】箱根事後特集『息吹』第11回 花田勝彦駅伝監督

駅伝

 最終回は、花田勝彦駅伝監督(平6人卒=滋賀・彦根東)。母校の駅伝監督として初めて臨んだ東京箱根間往復大学駅伝(箱根)でどのように戦況を見つめていたのか。就任初年度の今シーズンの総括、来る2月13日にスタートするクラウドファンディングについても幅広く伺った。

※この取材は1月28日に行われたものです。

箱根駅伝を振り返って

質問に答える花田駅伝監督

――箱根駅伝を改めて振り返り、結果をどのように受け止めていらっしゃいますか

 当初選手たちに私の方で立てた目標と近い結果が出たので、チームとしては非常に良かったのかなと思います。

――監督が立てられた予想と、選手が実際に走ったタイムが近いものでした。その予想の秘訣は何ですか

 いろいろと過去の大会の結果を振り返って見てみたり、一年間私の方の取り組みで積んでもらっていた新しい練習を振り返ってみたりした結果、プラス材料を鑑(かんが)みて、本番のシチュエーションなども考えながら自分の中で想像して立てたタイムでした。選手とのコミュニケーションは非常にうまく取れていたので、選手の状態をある程度把握でき、予想タイムを設定しました。彼らもタイムを見た時に、無理だというタイムでも、簡単にいけるというタイムでもなく、自分が頑張れば届きそうというタイムだったのが良かったのかなと思います。

――その上で、想定以上の走りを見せた選手はいらっしゃいましたか

 タイム的には近いものでしたが、順位の面で見ますと井川(龍人、スポ4=熊本・九州学院)です。井川に設定したタイムは62分でしたが、そのタイムだと例年では区間3番から5番程度だと思います。しかし、限りなく区間賞に近いタイムでしたし、あれだけ順位をあげてくれるとは思っていませんでしたので、チームの流れを変えたいい意味でのサプライズな走りでした。

――往路、復路の走りについてお聞きします。まずは、往路の展開を振り返っていかがですか

 1区の間瀬田(純平、スポ1=佐賀・鳥栖工)に、先頭と40秒以内に設定していました。結果的には39秒だったのですが、思ったよりも順位が後ろだったので、正直なところ1区を終えた時点で厳しい戦いになるなと思いました。2区の石塚(陽士、教2=東京・早実)も思ったよりも前に上がれなかったので、2区を終えた時点で焦りはありましたが、3区の井川が後半、海岸沿いに入ってから一気に巻き上げてくれたので、エースらしい走りをしてくれたと思います。

――山はどのように振り返りますか

 山に関しては5区6区ともに状態がよく、二人とも過去の経験者だったので、ある程度区間5番前後で走ってくれるのではと思っていました。山で順位が下がることは想定せず、逆にいい位置でタスキを渡せれば順位は上がるかなと思いましたので、二人に関しては期待通りの走りをしてくれました。

――事前の想定の中で、経験者を起用する山の区間は順位を上げる区間という認識だったのでしょうか

 往路の目標で3番と掲げていましたので、そこが見える位置で大志(伊藤大志、スポ2=長野・佐久長聖)に渡れば3番以内もあるかなと思ったのですが、そこが届かない位置にありましたね。ただ、最後しっかりと追い上げて5番まで来てくれました。北村(光、スポ3=群馬・樹徳)に関しては、青学さんが状態が良くない中で、ひょっとしたら抜けるかもしれないという話をしていたので、本人もしっかりとやり切ってくれました。期待したよりも上乗せしたいいかたちで、この2区間は走れたと思います。

――7区以降の復路の走りはいかがでしょうか

 7区は当初山口(智規、スポ1=福島・学法石川)を予定していましたが、直前に体調を崩してしまいました。当日走れない状況ではなかったのですが、非常に重要な区間だと思っていましたので、実際にメンバーの誰を起用するかと考えた時に迷いました。鈴木創士(駅伝主将、スポ4=静岡・浜松日体)もあまり体調はよくなく、状態からして6、7割ぐらいのコンディションでしたが、過去に2回走っていてコースを知っています。本人に区間を決める前にチームとして最低限64分30秒以内でまとめたいと話したときに、本人はそれだったら走れると言ってくれたので起用しました。最初スタート3キロほど動きが悪かったので心配はしましたが、最後はキャプテンらしく、粘りの走りをしてくれたと思います。

――10区でゴールした際に、率直にどのような感想を抱かれましたか

 7区で少し後ろに詰められた時点で、順位がもう少し下がるかなと思いましたが、8区の伊福(陽太、政経2=京都・洛南)が最後追い上げて3位争いを見せてくれましたし、9区の菖蒲(敦司、スポ3=山口・西京)も大集団の中で粘り強く走ってくれました。菖蒲に渡った時点でシード権は大丈夫だと思った一方、5位争いをしていたので5番には入りたいと思いました。シードを取れてホッとした反面、もう少しで5番を狙える位置ではあったので、悔しさや来年への課題は残りましたね。

――今年の箱根駅伝を終えて見えたチームの収穫は

 去年までの相楽監督(相楽豊前駅伝監督、平15人卒=福島・安積)のプランでは非常にスピードを重視したメニューをやっていました。個人では記録が出ていた中で、私に変わって以降スタミナ中心の練習メニューに変えたので、なかなか夏合宿や夏明けのレースでは調子が上がらず、選手も不安に思っていることを私も感じていました。予選会の際に半信半疑だったものが、全日本で自信に変わっての箱根だったと思います。箱根では今までやってきたことが間違っていなかったと確信に変わったものがあるので、選手との信頼関係は非常に深まったと思います。

――反対に、上位の大学との差は

 他大学と勝負するには複数の選手がエースとして名前が上がるように選手を育てていくことが今後の課題です。また、大会前から早稲田の評判は高くなかったので、今後優勝争いしていく上では、自分たちが優勝できるという自信を持つことはもちろん、周りから見た時に早稲田は強いという印象も大事かなと思います。そうした意味では課題はたくさんあると思います。

就任後、初のシーズン

早大競技会にて

――監督として初のシーズンを終えて、率直にどのように感じていらっしゃいますか

 あっという間に半年が終わり、早かったです。一方で、自分自身が描いていた理想像まで選手たちが頑張ってくれたので、そういう意味では出だしのいい一年だったかなと思います。

――その中で鈴木駅伝主将はどのような主将でしたか

 4年生に関しては個性的な選手が多かったので、突き抜けていい時もあれば、なかなか調子が上がらない時もあり、彼らも苦労した学年だったと思います。最終的に4年生の中で走ったメンバーは2人だけでしたが、もがきながらも、うまくまとめてくれました。鈴木に関してはチーム状況が悪い中でのスタートでしたので、本人も走れずチーム状況もよくない中で、キツい一年だったと思います。そうした中で一年間よく頑張ってくれたと感謝しています。

――今年度の結果を踏まえて、新チームへの課題は

 井川や鈴木という他チームから見てもエースという選手が抜けてしまいます。今のチームはすごくまとまったチームではありますが、エース格の選手がいないので、来年の箱根を目指す上では、自他ともに認めるエースを3、4人育成しなければいけないと思います。

――監督が変わり、練習メニューも変わった中で、指導の際に苦労した部分はありますか

 正直大変だったことはありません。選手たちも素直に私の話を聞いてくれましたし、秋になってチーム力が上がってきました。周りからはプレッシャーがあるのではと言われましたが、やはり私自身が引き受けた際に早稲田は低迷していて、選手も危機感を感じていました。その中で、OB会の方でも瀬古さんが会長になり、稲門校友会も含めて選手たちを応援する雰囲気を作ってくれました。私自身はすごくやりやすかったですし、家族も応援してくれる環境にあったので、あまり苦労はしていません。逆に言えばうまくいき過ぎていた部分もありますので、来年再来年は苦労するのではないかなと思います(笑)。

――その中で、指導の際に工夫した点はどのような点ですか

 大学の指導は上武大学でやっていましたが、その時は細かく手取り足取り教える指導をしていましたが、早稲田では指導方法を変えました。もちろんその方が結果は早く出るかもしれないですが、逆に選手自身が考える時間を奪ってしまうので、本当はもう少し言いたい時もあえて言わなかったことはありました。私自身話好きなので、いろいろと話してしまいましたが、少し我慢した点は気を付けました。また、自分自身少しルーズな部分がありましたので、自分自身が鈴木と一緒にチームを引っ張る覚悟を持って、当たり前ですが私生活が乱れないように襟を正すような一年でした。

――朝練習は群馬の自宅から通われていたのでしょうか

 朝練習に出る日には前日に寮に泊まっていました。週に2、3日です。朝寝坊するミスが怖かったので、就任当初は自分自身でも起きていましたがマネジャーに声を掛けてもらうようにはしていました。また、私自身しばらく走っていなかったので、走らないと選手の気持ちが分からないので、自分も走って体を鍛えるようにしました。就任した当時は腰も痛く体も重かったですが、自分も一緒に引き締まった部分はあります。

――走るのは、胴上げのためにということもありましたか

 あまり意識はしていませんでした(笑)。選手とジェネレーションギャップがあるので、寮では長距離選手だけでなく一般種目の選手にも積極的に声を掛けるなど、コミュニケーションには気を使いました。

――コミュニケーションを取る上でどのようなことを工夫しましたか

 学生たちは勉強などが忙しい中でも非常によく考えてやっています。やりたいのにできないことを頭ごなしに怒るのではなく、どうやったら本人たちがうまくできるようになるのかと考えるきっかけを作るような声掛けを意識しました。ただ単に否定するのではなく、どうしたらいいか一緒になって考えるようにはしました。

――新チームについてのお話に移ります。菖蒲新主将に期待することは何でしょうか

 主将はチームをまとめることも大事だと思いますが、先頭に立ってチームを引っ張る、背中で引っ張る主将であってほしいです。

――今年はどのようなチームづくりをされていきますか

 昨年はトラックで活躍できる選手があまりいなかったので、もっとトラックシーズンで活躍できる選手を出したいなと思います。1万メートルや5000メートルのタイムが直接箱根駅伝のタイムに直結するとは思いませんが、相手と勝負する中で持ちタイムが低いと心理的に劣勢を感じてしまう部分があると思いますので、今年はそこを高めていきたいです。

クラウドファンディングについて

 箱根駅伝登録メンバー。クラウドファンディングを通し、『早稲田から世界へ』の体現を目指す

――今年は、強化の上でクラウドファンディングがあります。実施を決めたのはいつごろでしょうか

 昨年の夏頃、就任してチームの財政状況を聞いた際だと記憶しています。大学の方からも支援をいただいてはいますが、慶大さんもちょうどクラウドファンディングをされていましたので、これはいいかもしれないといろいろな方に聞き決断しました。私自身が4年生の時に、ヨーロッパ遠征に1カ月半ほど行き、それをきっかけに大きく成長できました。そうした機会をこれからの選手たちに作ってあげたいと思い、クラウドファンディングを決めました。

――国内と海外で強化する違いはどこにありますか

 昔と違い、海外の選手ともホクレンディスタンスチャレンジなどで戦えますが、ホームとアウェイの差はあると思います。自分たちが海外に行くと、言葉も通じない、生活様式も違う環境になります。その中で戦うことは、日本と同じレベルの大会に出るとしても、どのように工夫してベストパフォーマンスを出すかが大事になります。そうした経験を若いうちにしてほしいと思いますし、将来強くなったときに国内だけで世界大会がある訳ではないので、どんな状況でも自分のベストパフォーマンスを出すための経験になればと思います。

――クラウドファンディングで海外に強化しに行くのはどのような選手なのでしょうか

 トラックで高いレベルで戦える可能性を秘めている選手を対象に考えています。予算的には第一目標で500万円を目標にしていますが、一人に100万円ほどかかります。すると行ける選手は2、3人だと思います。実際自分が学生の時、同期の選手は早い段階から強かったため、連れて行ってもらっていました。一方で私は、ある一定以上の基準になるまで連れて行ってはもらえませんでした。そういう意味では誰もがという訳ではなく、この先に伸びる可能性がある選手に経験させたいと思います。上を目指せる可能性を感じた選手に行かせてあげたいです。

――改めてクラウドファンディングを通して目指す選手像、チーム像とはどのようなものでしょうか

 これは昨年も言っていましたが、早稲田の場合は名前で応援される選手を育てたいと思いますし、チームとしては箱根駅伝やその他の大学駅伝優勝が目標になります。早稲田から箱根、そして世界へというステップが早稲田らしさだと思いますので、そういう流れを作っていきたいと思います。

――最後に、新チームの意気込みをお願いします

 今年度は三大駅伝全てに出ることができます。まずはシード権を取ること、そしてどの大会でもトップ3に入れるようなチームにしたいと思います。

――ありがとうございました!

(取材・編集 戸祭華子)

◆花田勝彦(はなだ・かつひこ)

1971(昭46)年6月12日生まれ。滋賀・彦根東出身。平6人間科学部卒。1994年日本選手権5000メートル優勝。アトランタ、シドニー五輪日本代表。2004〜2016年上武大学駅伝部監督、2016〜2022年GMOインターネットグループ・アスリーツ監督。2022年〜早稲田大学競走部駅伝監督。