4度目の出走となる東京箱根間往復大学駅伝(箱根)で、エースとして3年ぶりの3区を走った井川龍人(スポ4=熊本・九州学院)。この4年間、酸いも甘いも味わった井川であったが、最後の箱根で9人抜き区間2位という快走を見せた。そんな井川に集大成として走った箱根、早稲田のエースとしての振り返り、そしてこれからについて伺(うかが)った。
※この取材は1月31日にリモートで行われたものです。
緊張というより楽しさの方が大きかった
今回の箱根駅伝前、決意を見せる井川
――解散期間はどのように過ごされましたか
実家に帰ってほとんど走らず友達と遊んでゆっくりして、という感じで好きなように過ごしていました。
――箱根駅伝をご家族はどこで見ていましたか
最後の橋あたりで見ていたと思います。
――箱根駅伝は楽しかったですか
最後の年はたくさん抜くこともできたので走りながら楽しいなあと思っていました。
――箱根から少し時間が経ちましたが、改めてご自身の走りをどのように振り返りますか
1区、2区で後輩たちが難しい区間をしっかり耐えてきて、自分としてはすごく良い順位で走りやすい場所でタスキをもらえました。そのおかげもあってチームに貢献できるような走りができたと思います。
――総合6位をエースとしてどのように受け止めていらっしゃいますか
やはり5位以内という目標があったので、それを超えることができなかったというのはすごく悔しさが残っています。4年生は二人しか出走していないので、来年はシード権をまずは確保しつつも、3位以内を目指せるようなチームができていくのではないかという楽しみはあります。
――最後の箱根ということで、走る前に緊張はありましたか
順位が14位で回ってきたのもあり、緊張はそこまでなかったです。
――1年生ぶりの3区出走でしたが、どのような気持ちで臨み、また1年生の時の経験がどのように活きたか教えてください
コースの特徴的に3区は下って後半で平坦が続くというコースです。1年生の時は、最初突っ込み過ぎて後半失速してしまいました。そのときの経験から、今回他の3区の選手たちも後半失速するだろうというのは走る前から予想していました。後半勝負ができるように後半でビルドアップしていけるよう、前半は精神的に余裕を持ちながら走りました。
――3区の出走はいつ頃言われたのですか、またエースとして2区を走りたかった気持ちはありましたか
走る2、3週間前には言われました。2区を走ってみたかったという気持ちもありますが、上りがそこまで得意ではないという欠点があったのでそれは仕方ないと思っています。3区が一番自分に合っているのかなと思っています。
――同区間で意識していた選手や大学があれば教えてください
特に意識している選手はいなかったです。
――具体的にレースプランはどのように考えていましたか
前半は落ち着いて入りつつも突っ込んで余裕を持たせながら、後半で前を走る選手を追いかけるというものです。前の選手たちを抜いたらやはり元気が出てくるので、それをプラスにしながら走ろうというのをシミュレーションをしていました。
――間瀬田選手(間瀬田純平、スポ1=佐賀・鳥栖工) や石塚選手(石塚陽士、教2=東京・早実)から14位でタスキを受け取った時の気持ちを教えてください
やってやるぞという感じでたくさん前に人がいるのでどれだけ抜けるかなというのを楽しみにスタートしました。
――7キロ地点、14キロ地点、18キロ地点とどんどん追い上げていった時の気持ちはいかがでしたか
抜いても抜いてもちょっとした集団が前にあったのですが、前半抑えめに入っていても追い付けていたので今日は調子が良いんだろうなと感じていました。また、焦らずに自分のペースでいけば順位は上がると思いながら走ってました。
――最後の海岸線の走りなどを振り返って、走っていてきつかった部分はありますか
順大あたりに追いついて、明大が後ろから来たあたりのラスト3キロくらいが一番きつかったです。後ろについて走れば楽なのですが、それでは距離を離せないと思いながら、前に出てみてもそこまでペースは上がらない、という葛藤をしながら粘って走っていました。
――14位から5位と9人抜きを達成して区間2位でタスキを渡し終えたときはいかがでしたか
花田さん(勝彦駅伝監督、平6人卒=滋賀・彦根東)からずっと区間賞も狙えるタイムで来ていると後ろから言われていたので、タスキを渡した後はとにかく区間何位だったのかというのがすごく気になっていました。
――佐藤航希選手(スポ3=宮崎日大)にタスキを渡すとき何か声かけはしましたか
きつくてあまり覚えていないです。おそらく頑張れと声をかけたと思います(笑)。
「『井川さんのおかげで順位が上がった』と言われたときはうれしかった」
最後の箱根では、エースとして気迫の走りを見せた
――給水は誰でしたか、また給水の時になにか声はかけられましたか
門馬(海成、政経1=福島・会津)と、後半は澤(大地、スポ4=滋賀・草津東)が入ってくれていました。門馬からは、前日にLINEでもすごく憧れてましたというメッセージが来て、給水の時もそういう思いを伝えてくれてとても元気を貰えました。澤は仲が良くて、一番きついところで好きなサッカーの話をしてくれました。きつくて答えることはできなかったのですが、いっぱいいっぱいになっていたときに力が抜けて良い走りができたと思います。
――往路の走りを終えて、花田監督(花田勝彦駅伝監督、平6人卒=滋賀・彦根東)や他の選手からなにか声は掛けられましたか
終わった後に、後輩から「井川さんのおかげで順位が上がった」と言われたときはうれしかったですね。
――区間1位である、中大の中野選手との差は7秒ということでしたが、やはり中野選手は意識していましたか
あまり他大学の選手が分からなくて、中野選手が速かったというのも終わってから知りました。前半抑え気味に入っていたのでもう少し前半頑張れていたら、区間賞もあったのかなと思うと、終わった後ですがすごく悔しいです。
――今回の自分自身の箱根駅伝の区間順位やタイムをどのように振り返りますか
チームの仕事としては100点の走りができたというのと、区間賞を狙っていたことに関しては今年ずっと2位が続いていたのでまた2位だということで反省が残る結果になったかなと思っています。
――復路を走る選手に1日目を終えて何か声掛けをしましたか
LINEでメッセージを送りました。
――復路の戦いぶりは、どのように感じていましたか
最初想定されていたオーダーとはかなり変わってしまい、本当に耐える復路になるのかな、もしかすると本当にシードギリギリになることもあるのではないか、と思っていました。ですが、いつも早稲田は復路が順位的に良かったり、自分の力で走れる選手は揃っていたので、期待はしていました。本当にどういう風になるか分からない中、ハラハラドキドキしながら見ていました。
――復路はどこで見ていましたか
9区と10区のあたりです。
――ゴールしたとき、率直にどのように感じましたか
僕は悔しいと感じました。もう少しで目標の5位だったので、僕の区間も含めてまだチームとしての甘さがあったのかなと思うと悔しかったです。
――去年の6月に新駅伝監督として花田監督が就任されましたが、井川さんご自身の変化はありましたか
かなり変化を感じています。3年まで(1万メートル)27分台は出ていましたが満足できていない結果が続いていました。監督が花田さんになり、1位は取れませんでしたが、勝負強さの点で強くなれたと思います。
――副キャプテンとして来年以降チームに伝えたいことはありますか
花田さんが与えてくれたメニューは間違っていないと思っていて、それを信じて練習をやっていってほしいです。また早稲田には人数が少ないという課題があり、僕らの代は上手く抜くところは抜くような選手が多くいました。後輩たちは真面目な選手が多くて与えられたメニューを全部こなす一方で、故障が多い選手も多いのでそこをうまく考えながら頑張ってほしいと思います。
――副キャプテンとして、また4年生として1年間チームを見てきて印象的だったことはありますか
僕らの学年は人数が少なくてさらに故障が多く、Aチームでやっていたのが僕だけの時が多かったのでやはり下級生の力がすごかったかと思います。
――来季からキャプテンとなる菖蒲敦司選手(スポ3=山口・西京)をはじめとした新チームに期待していることはありますか
僕らの代でまあまあ良い土台はできたのではと思うので、それをつなげていってほしいと思います。今まで菖蒲は引っ張っていくような感じではなかったのですが、最近の練習を見てキャプテンとして変わってきたと感じているので、頑張っていってほしいです。
4年間を振り返って
入学直後のインタビューにて
――1~3年生まではどのように振り返りますか
良かった試合より悪かった試合の方が多かったです。良かった試合を挙げると、2年時に箱根1区を5位で走れた時と、全日本(全日本大学駅伝対校選手権)で区間2位だったとき、27分台(1万メートル)という事しか出てこないです。1、2年生の時を振り返ると、最初の2年は高校が厳しかった反動で陸上に集中できない期間になってしまいました。その期間が他の選手と差がついてしまった原因だと思っています。
――そこから意識の変化というのは何がきっかけとなったのでしょうか
入学当初から、常に結果は出さないとなという思いがありながら過ごしていました。2年になり、田澤(廉、駒大)と差が開いていき、3年生で半分過ぎたことに気づいてそこから気持ちを引き締めました
――ラストイヤーに関してはどのように振り返りますか
大学3年までと比べて、4年生では結果が出てきました。特に生活を変えたというわけでは無いですが、花田さんにもどんどん良い方向に変わってきていると言われたので競技との向き合い方も変わって良かったです。
――4年間で一番濃かった時期はいつ頃ですか
花田さんが来てからの1年間は濃かったです。
――4年間で一番印象に残っている試合やレースはありますか
今年の関カレ(関東学生対校選手権)の1万メートルですね。
――それはなぜでしょうか
練習がすごく充実して質も高くなり、毎練習自分を追い込めていました。結果は2位でしたが、やっと自分の実力が出せてきたと感じるレースだったと思います
――井川選手にとって、同期はどのような存在ですか
良い仲間たちでした。創士(鈴木創士駅伝主将、スポ4=静岡・浜松日体)は、どうしてそんなに走れるんだろうと思うくらいすごく努力家で、試合もすごく粘るような走りをしているのが印象的でした。安田(博登、スポ4=千葉・市船橋)は、一番仲が良かったのですが、4年目は僕がもっとしっかりやれよという感じで(笑)。ですが、安田のおかげできつかった時も乗り越えてこられたので本当にいい仲間たちだなと思います。
――早稲田の競走部で過ごした期間、どのような4年間でしたか
かなり怒られたりしてつらかったこともすごく多かったです。それでも、少なからず人としても、競技面でも成長できたこともあり、伝統ある大学を選んでよかったなと思っています。
――これからのことについてお聞きします。なぜ、実業団は旭化成を選んだのですか
強いところに入り、自分が下の位置で上を目指していける場所が自分にとっては良いと思いました。それと、地元の九州にゆかりのある実業団を選びました。
――最後に、今後の目標とどのような選手になっていきたいか教えてください
早稲田でエースと呼ばれた以上は、瀬古さん(瀬古利彦氏、昭55教卒=現WAC会長)や大迫さん(大迫傑、平26スポ卒=現Nike)、花田さんのように世界で戦えるような選手になりたいです。新しい環境でもそのことは忘れずにしっかり世界陸上やオリンピックを目指していきたいと思っています。
――ありがとうございました!
(取材・編集 及川知世、田中葵)
◆井川龍人
2000(平12)年9月5日生まれ。178センチ。スポーツ科学部4年。第99回箱根3区1時間01分58秒(区間2位)。サッカーが大好きという井川選手。箱根では、レースが始まる直前まで一番の仲良しの安田選手とサッカーの話で盛り上がっていたそうです。また、いずれはマラソンにチャレンジしたいとも仰っていました!