【連載】箱根事前特集『臙脂の誇りを取り戻す』第19回 吉田匠駅伝主将

駅伝

 今季駅伝主将を務める吉田匠(スポ4=京都・洛南)は、昨年の東京箱根間往復大学駅伝(箱根)後にある決断を下した。それは大学で競技生活に一区切りをつけるというもの――。早大で駅伝主将を務める程の実力者であれば実業団からの誘いも多く、大学卒業後も競技を続ける者が近年は大半だ。しかし吉田は、自分の実力では戦っていくのが厳しいと感じ、一線を退く決意を固めた。自身のけがや新型コロナウイルス感染拡大による影響もあり苦労の多かった一年。最後の箱根路に向けた思いを語ってもらった。

※この取材は11月28日に行われたものです。

徐々に以前の走りを取り戻してきている

12月20日の合同取材にて

――まず初めに自身の現在の状態は

 夏合宿後半から長い間けがが続いていた中、ここ1カ月はようやく練習もできるようになりました。右肩上がりというか、徐々に以前の走りを取り戻してきている状態です。

――11月4日の記録会の時点では、痛みと付き合っていかないといけないという話もあったと思うのですが、現在はどの程度痛みと付き合いながら練習しているのですか

 今もけがと付き合いながらにはなっています。本当は治して走ることができるのが一番だと思うのですが、治していたら時間がなくなるということもあったので、痛みはずっとある感じです。

――練習は現在どのようにできていますか

 完璧とはまだ言えない状態で、特に朝は動きが良くなかったり、痛みが出やすかったりします。朝練習がジョクになったりすることはあるのですが、本練習ではジョク、ポイント練習ともに大体他のメンバーと同じくらいできています。

――チーム全体として自己ベストが続出している状況を主将としてどのように捉えていますか

 チーム力の向上が実際に記録として見られていて、自信につながるものであると思います。箱根では3位以内にとどまらず、優勝も視野に入れていきたいと思っています。ただ甘い世界ではないと思うので、ここ1カ月をどう過ごしていくか考えながらやっていきたいと思います。

――夏合宿ではどのような雰囲気で練習が行われていたのですか

 いつもだと一次合宿、二次合宿と場所を変えているところを、ずっと同じ場所になっていたので新鮮さがなかったり、シンプルに暑さがあって環境が厳しかったりして、練習が積みにくい状況でした。9月に久々に合宿に行くことができたときは、これまで合宿に行けたありがたさも感じましたし、涼しい分練習を積むことができた部分はありました。練習も大体のメンバーがしっかりとできたことを考えれば、いい夏合宿になりました。今結果が出てきているのは夏合宿があったからかなと感じます。

――合宿の中で成長遂げた印象のある選手はいましたか

 結果論ではあるのですが、山口(賢助、文3=鹿児島・鶴丸)が今結果を出してきています。途中Bチームとして練習している時期もあった中、ここにきて伸びているのはBチームにいた悔しさを持って練習に取り組んだからだと思います。夏の合宿とは話がずれてしまうかもしれないですが、気持ちとして彼を強くしたのかなと思います。

――主将としてチームの士気を上げようとどのように関わってきましたか

 チームをどのようにしていこうと考えてはいたのですが、正直自分が練習できていない分直接関わるのが難しい時期もありました。そのようなことを考えると、僕がチームを引っ張ってきました、強くしてきましたというよりかは、今年は自主性をテーマに練習しているのですが、一人一人が自分のためにと取り組んだ結果、ここまできたかなと思っています。自分自身ができたことは最低限のことであって、特別なことができたかというとそうではないのかなと思います。

――選手個々の自主性が光ったということですか

 そうですね。一人一人が言われなくても自分に何が必要かを考え、練習してきた結果だと思います。

――コロナ渦という状況も、(自主性を育む上では)大きく影響したのでしょうか

 そうですね。特に自粛中は監督がメニューを立てたりはしなかったので、その間は自分で練習を組み立てていました。相楽さん(豊駅伝監督、平15人卒=福島・安積)も個々の自主性の部分に良かったものを感じたみたいで、コロナによる自粛が終わってからもチームに対して「自主性を持って」とは多く口にしていました。4年間この競走部という組織にいますが、今が一番自主性を重んじているというか、自分で考えながらやっている選手が多いかなと思います。

――トラックゲームズ in TOKOROZAWAは中谷(雄飛、スポ3=長野・佐久長聖)、太田(直希、スポ3=静岡・浜松日体)と3年生ダブルエースの力もあり優勝することができました。結果をどのように感じていましたか

 優勝できたことに対して喜びもありました。自分たちのやってきたことが間違いではないと確認できた一方で、5000メートルが終わった時点で4番という結果を見るとエースの2人に助けられた部分が大きかったです。まだまだチームの総合力では負けていた部分があったと感じたので、喜ぶ反面でもっと全員で強くならないなと感じました。

――トラックゲームズの時はベンチの近くでレースを見ておられましたが

 ベンチにいたのは補助員をやっていただけなのですが(笑)。周回記録員だったのであそこにいました。いい位置でレースを見ることができました。自分がけがをしていた分、補助員しかできなかったのですが、チームを走りで勢いづけることはできなかった分、第三者目線でチームを見ることはできました。何よりも主将として本来は走らないといけないのにという情けなさを感じさせられました。その先の全日本(全日本大学駅伝対校選手権)や箱根になんとか持っていかないといけないなと改めて感じる大会となりました。

――全日本に向けて、どのような部分を強化しないといけないと感じましたか

 やはりチーム力ですね。総合的な力が必要になってくるなと感じました。

――全日本は個人としてはエントリー外となりましたが

 メンバーには入れなかったのが陸上をやってきた中で初めてでした。ずっと高校の頃からメンバーには入ってきて、大学に入ってからも出たレースは少ないものの全駅伝でエントリーされていました。主将という立場もありましたし、個人的には悔しくて、チームには申し訳ない気持ちが強かったです。

――16人のメンバーには4年生が住吉(宙樹、政経3=東京・早大学院)さん一人だけ。13人の中には4年生が一人もいませんでしたが、主将としてその点どのように捉えていましたか

 強いチームは4年生がしっかりしている、4年生が強いとよく言われるのとは真逆のチームになってしまいました。4年生が不甲斐なく、それは今始まった訳でなく、ずっと谷間世代と言われてきた背景があります。取材の度に言ったのですが、それを最後くらいは結果で見返したいと言った結果があのような形になったので、今まで言ってきたことが口先だけになり悔しかったです。それと同時に箱根は4年生として何がなんでもどうにかしないといけないなと。4年生のメンツを保つではないですが、意地を見せないといけないなと感じました。

――全日本は3年生の活躍もあり、一時トップを走る場面もありました。主将として5位という結果をどのように捉えていましたか

 チームとしてすごい頑張ってくれました。ただの5位ではなくて希望の見えた5位でした。1位を走る時間も長がったので、去年の6位から1つしか変わらないですが、全然重みの違う結果だなと感じます。それと同時に3年生以下に任せてしまい、4年生が結果を残して後半の2区間で走ることができたら3位に入れたレースだったので、そこは自分たちの反省点です。

――5位という結果は自身の競技面にどのような影響を与えましたか

 モチベーションも上がりましたし。後輩のおかげで希望も見えました。自分がもっと練習をやるようになったとかの意味ではないのですが、気持ちとしてはすごく上がりましたし、チームへ勢いも与えてくれたかなと思います。

――全日本の中で、具体的に誰の活躍がチームとして一番大きかったですか

 中谷(雄飛・スポ3=長野・佐久長聖)、直希(太田・スポ3=静岡・浜松日体)はもちろん大きかったですが、そこは他の人も思っている部分だと思うので、他の部分について言うならば、1区の辻(文哉、政経1=東京・早実)と、5区、6区の菖蒲(敦司、スポ1=山口・西京)、諸冨(湧、文1=京都・洛南)の3人の1年生の活躍は大きかったと思います。辻は1区でいい仕事をしましたし、菖蒲も1年生で1位という順位でもらうと、すごい緊張すると思います。初めての駅伝でなかなか自分の走りができない部分もあったとは思うのですが、そこで自分の走りをしっかりとして7、8区につないでくれたので、1年生の活躍は大きかったなと思います。

谷間世代として、そして山上りへの思い

――最近の記録会では吉田選手が21.1キロのタイムトライアルでハーフマラソンの自己ベストを上回ったり、宍倉(健浩、スポ4=東京・早実)選手が28分10秒台を出したりと、意地を見せてきているように感じるのですが

 そうですね、ようやく僕と宍倉の2人が結果として示すことができるようになってきました。2人を中心に引っ張ってきた部分もあったので、少しずつでは機能してきたのかなと思っています。チームを今まで引っ張ってきたのは3年生以下でしたし、一発の記録会やトライアルでタイムを出した程度で4年生の信頼が上がるとは思ってないです。集中練習が始まりましたが、残り1カ月の取り組みが大事になるのかなと思っています。

――周りから谷間世代と呼ばれたという話がありましたが、そのように呼ばれることを個人としてどのように感じていましたか

 すごく悔しかったです。そこまで大きい結果は出していないものの、個人としては全駅伝でメンバーに選ばれ、基本的には練習から離れることは少なかったので、自分だけでも結果を残そうというか、吉田しか機能してないと言われてもいいから自分だけはしっかりやろうという反骨心がありました。谷間世代と言われるからこそ、結果で示していきたいなとはずっと思っていました。

――主将になってからもその思いは変わらないですか

 学年としてどのように結果を残していくかに加えて、主将としてどう結果を残していくかという要素が加わったので、今まで思っていたことを引き継いでいますし、さらに結果を残す必要があると思っています。

――21.1タイムトライアルではどのようなペースで走られたのですか

 ずっと1キロ3分のペースです。特にどこかでペースが上がったとかもなく、ずっと3分、3分切りのペースを刻んでいた感じです。

――特にキツくなった場面とかはありましたか

 最後ですかね。結果的に2番だったのですが、後半3キロくらいで諸冨が前に出た場面で、自分がずっとレースをつくっていた中でペースが少し崩れてしんどくなりました。

――箱根に向けて、走りのどの部分を上げたいと考えましたか

 20キロをキロ3分でいけることが今の実力でいけることが確認できました。もっと自分のベースを上げていかないといけないし、後半でのスタミナを上げないといけないと思いました。最初の5000メートルを14分半でいき、その後も同じ走りができるかと言ったらできないと思うので、突っ込んでも走れる体力やスタミナは付けないといけないと思いました。

――箱根を見据えると特殊区間が重要かと思うのですが、その点は主将としてどのように感じますか

 チームの総合力が上がってきた今、5区と6区次第で大きく結果は変わります。5区、6区次第で優勝を狙えるチームになっていると思います。5区、6区がここ数年課題と言われている中で、磨かないといけない理由がさらにできていると思うので対策をしっかりしないといけないなと感じています。

――5、6区で具体的にどのようなタイムで走ることができれば優勝が見えると思いますか

 最低でも区間5位以内は必要だと思います。自分の場合ですと61分前半、6区だと58分前半くらいのタイムは必要かなと思います。

――山上りの練習はどの程度消化できていますか

 脚の痛みもあり全てを消化できてはいないのですが、山でのトレーニングという意味で近くの上りで練習したりしています。キャンパス内での坂を使ったトレーニングもしているので、まだまだ完璧とは言えないですが少しずつ強化は進んでいる状況です。

――去年に比べると今の段階では順調ですか

 山への対策という部分ではここまで大差がなく、ここから上げていかないといけないと思います。

――主将としてチームを俯瞰する立場かと思うのですが、山下りの方はどの程度練習できていますか

 山下りも当然トレーニングはしているのですが、上りもですがまだまだです。下りの走りは足にダメージが残るので、タイミングを見計らってやらないとトレーニング全体の遅れが出てきます。上りは隙間の時間を使うことができる一方で下りはなかなかできていないので、これからトレーニングが必要になってくる一方で、足への故障や疲労のリスクを考えてやっていかないといけないと思います。

――箱根に向けてチームの目標は変わらないですか

 目標は3位以内のままです。それをチーム全体で持っていますが、いい方向で目指すところは変わっています。優勝を目指しているメンバーもいると思います。形としては3位以内を目指していますが、優勝を視野に入れていきたいなと思います。

――吉田選手個人としては、今回のレースが現役最後のレースになると思いますが、いつから引退を考えたのですか

 前回の箱根ですね。就職活動を考えた時に先輩などを見ると年が変わった辺りから始めるのが一般的でした。そう考えた時に、箱根の結果をどのように感じたかで、就職するか実業団に行くかを決めないといけないなと自分の中で考えていました。3年生になってからのトータル1年間と、箱根でどのように感じたかを考えた結果です。前回の箱根が辞めることを決めたポイントとなりました。

――3年時には3000メートル障害で日本選手権に出場するなど、こちらとしてはまだまだやれるのではという部分も感じるのですが。その部分、続ける思いはなかったのでしょうか

 もちろん続けようという思いはありましたし、箱根まで迷っていました。実業団に行くなら、メインにするのは3000メートル障害かなと思っていました。3000メートル障害ならば、もしかしたら日本代表を目指せるかもしれない一方、逆に3000メートル障害以外を見た時に、自分には戦えないなと思いました。もちろん3000メートル障害1本で戦う選択肢もあったのですが、その先のマラソンに切り替えたり、5000メートル、1万メートル、駅伝と別の舞台で戦う自信がなかったです。続けるならば日本のトップ、世界で戦えるような選手として続けたい思いがあったので、自分の実力ではそれが厳しいなと考えて辞める決断をしました。

――日本選手権にエントリーしなかった要因は

 やはりけがと箱根です。僕の中では、箱根をしっかり走れる状態に今の時点で持っていくことができていれば日本選手権に出ることも考えたかったのですが。3000メートル障害の練習をして箱根を目指せるくらい甘い世界ではないと思っていたので、日本選手権を捨てて箱根にトレーニングを積んでいこうと思いました。監督からも出るのかという話もなく、お互いに何も話さなくても出ないという考えを固めていました。

――結果的に日本学生対校選手権(全カレ)が自身にとっては最後の3000メートル障害になったかと思うのですが、その点について振り返るといかがですか

 もちろん後悔はあります。ちゃんとした状態で臨みたかったですし、早稲田記録の更新を目標にしていたので、それをできなかったのは悔しいなと思います。でもいつでも完璧な状態でレースを迎える訳ではないですし、今の状態でベストを出すことが陸上競技なので、悔しいと思う反面、仕方がないというふうに思っています。

「主将としての自分がどのような結果を残すかが、チームに大きな影響を与える」

11月28日の練習で先頭を引っ張る吉田

――大学3年時までの競技生活は駅伝よりもトラックの活躍が目立っていましたが、トラックでの活躍を振り返ると

 自分で言うのもあれですが、トラックに関しては頑張ってきて、チームに貢献してきたという自負があります。大学2年では世界大会にも出ましたし、日本選手権にも出たので経験と共に自信につながったのが3000メートル障害です。思い入れもありますし、やってきて結果を出すことができて良かったと思っています。

――名門である早稲田の主将を約1年間背負ってきましたが、どのような1年間でしたか

 1番は結果の出ない1年間でした。主将であるということはチームをいろいろな形で引っ張っていかないといけなくて、その中で結果が一番大事になってくるのですが、それができなかった分、自分の中でもきつい部分は多かったです。下の代からはしっかりしてくれよと不満に思う気持ちも大きかったと思いますし、今もそこまで引っ張れている訳ではなく、3年生の方が力はある状況です。残り1カ月しかないですが、今までの1年間、そこまでできていなかった引っ張る姿を、練習の中であったり、最後の箱根で見せれたらいいなと思います。

――箱根があと1カ月と迫っていますが、現在の心境について

 端的に言うとやるしかないと思います。今のままだと他大学と戦えない状況にあるので、集中練習もですが一つ一つの練習をしっかりとやり、戦える状況に持っていかないといけないと思っています。

――箱根で吉田選手が担う役割はどのようなものであると認識していますか

 選手としては、直希や中谷のように大エースとしてチームの戦況を変えるとか、チームに大きな流れをつくることは難しいと思っています。主将としての自分がどのような結果を残すかが、チームに対して与える一番大きな影響かなと思っています。自分は区間賞を取るだろうと思われていないですし、評価が今低い分、どれだけ周りの評価を覆して結果を残せるかが大事になってきます。自分が走りたいと思っている5区は、自分の走りで往路の結果が決まる区間です。自分の走りのおかげで1位を取れた状態にしたいですし、次の日の復路につなげる走りをしたいです。

――昨年の走りを振り返ると

 去年は全然です。抜かれましたし、区間順位も悪かったことを考えれば、5区の責任は果たせなかったと思っています。6区の結果も良くなかったのですが、それは自分自身がいい流れでつなげられなかったからだと思っています。5区、6区が課題と言われている中で、6区に対しても自分の走り次第で結果を変えられると思っています。去年の反省を生かして、今年は頑張りたいと思っています。

――今年5区を走る際に、自身の強みは

 もちろん経験というのはあります。去年1回経験しているのに加え、上りに対しての思いもあります。弱気になってはいけないですが、現時点で区間賞を絶対取れると言える山の走りを持ち合わせていませんが、絶対にチームに対してマイナスにならない走りをしたい気持ちが強いです。そういう気持ちと経験を強みにしていきたいです。

――今回の箱根における具体的な目標は

 具体的な目標だと71分で走りたいと思っています。区間3位以内という目標もあるのですが、それは周りの走りによってくるので、タイムとしては71分前半でいきたいと思っています。

――箱根に向けた意気込みをお願いします

 主将としても、昨年のリベンジという意味でも、最後のレースになりますが自分が納得できる走りをしたいし、チームに貢献できる走りをしたいです。往路の優勝テープを切れるように頑張りたいと思っています。

――ありがとうございました!

(取材・編集 大島悠希)

◆吉田匠(よしだ・たくみ)

1999(平11)年3月25日生まれ。172センチ、57キロ。京都・洛南高出身。スポーツ科学部4年。自己記録:5000メートル14分07秒40。1万メートル29分58秒90。ハーフマラソン1時間3分55秒。昨年に続き、山上りの5区を志願している吉田選手。先日二代目・山の神の柏原竜二さんに後輩の諸冨選手と話を聞きにいったそう。対策を万全にし、山へと臨みます!